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「貴様が悪魔と呼ばれたくないことは理解した。悪魔ではない黒猫ルルよ。望む対価を言え。雄鶏の心臓が嫌なら蛇か? それとも牛かヤギの心臓か?」
「やだ絶対理解してないこの人……」
少女の声色で人の言葉をしゃべる黒猫。不吉の象徴などとも云われる黒い猫の姿をした悪魔。俺が今まで出会ったことのない存在。けして怒らせていいものではないだろう。
草むらに座り込んだ黒猫が首をかしげて言う。
「望む対価というなら、そうだね……ちょっと仕事を手伝ってもらうことにするかなー。君が役に立つかどうかは、まあ、しばらく様子を見てから本採用ってことで。最初は気軽なバイト感覚でいていいよ」
「仕事だと?」
「さっき言った世界を綺麗にする仕事ね。今はまだ考えなくてもいいよ。教えることが山ほどあるし……あ、やっぱいらないかも。すぐに後悔しそうだもの。人にものを教えるのって、すごく面倒くさい……」
「待て。仕事をしてやろう。俺は何をすればいい? 何でも言え。人を攫って魂を抜き取る仕事か?」
「悪魔から発想を離しなさいよ!? すでに後悔ぎみ!」
暗い森の中、少女の声が響く。
「まあいいか、いずれ必要になることだし。そんでもって、やっぱり君は好きなことしてていいよ。私の仕事の手伝いを頼むのは、君がこの世界を去った後でいいからねー」
「いつまで俺はこの世にいられる?」
「さあ知らない」
黒猫は器用に肩をすくめて見せる。
「君が満足したらそこで終わりなんじゃない? ええと、なんだっけ? さっき言ってたこと。復讐をしてやるとかなんとか。そのガイコツの姿で夜な夜な出歩き『なんで聖女を殺したー?』って叫んでみたら? きっとめちゃくちゃビビるよ」
「…………」
黒猫の前で跪いていた俺はゆっくりと立ち上がり、手に持つ抜き身の剣の腹を見る。映し出されるのは黒い甲冑を着た骸骨の姿。おぞましい死者の姿。神に導かれ、神に身を捧げきったあの美しい乙女と比べようもない。
剣を鞘に納めて猫に問いかける。
「……なぜこの姿なんだ?」
「心ばかりの親切心ってやつだよ。好意的に受け取って欲しいね。肉と一緒にしがらみも捨てておいた方が楽でしょ? 元の名前も捨てて身軽になるといいさ」
「しがらみ……名を捨てる、か……確かに、神への信仰を捨て、悪魔と契約し、呪われたおぞましい体を親類縁者に見せるわけにはいかない……」
「別に神様を信仰してていーからね? 信仰の自由ね。好きな神様を信仰してて、どーぞ」
「わけのわからない事を言うな! なんだ、その、ゆるさは!?」
「ゆるくていいの!」
ゆるさにも限度があるだろう? 悪魔と契約して動く屍と成り果てた者から捧げられる祈りを受け取る神などいない。いや、なによりも……
「……神は姿をお示しにならなかった。信心深き彼女を救うために」
ザワリと木々が揺れる。黒猫は何も言わない。
あの気高き乙女ですら救われないのだ。ならば神は他の誰を救うというのか。あの傲慢な教会の僧侶どもを罰しないのだ。他の誰を罰するというのか。俺の空虚となった腹の底にぐつぐつ、ふつふつと沸き立つモノがある。ならば神とは……
しばらく無言だった黒い猫の姿をした悪魔が横を向き耳を動かす。ヒゲをひくひくと動かして言葉を発する。
「イベント発生」
「は? イベント……何?」
「夜盗? 武装してるから傭兵くずれかな? ルーアンの町を襲っているっぽい。どうする? 今すぐ向かう? それとも向かわない? ちなみに10人くらい」
「その場所が見えるのか?」
「まぁね」
「魔術なのか? 便利なものだな! それは俺にも使えるものか?」
「いや、ね。話のタイミングがね、もうね……」
黒猫は俺を見て口を開いて絶句する。呆れているようだが理由がわからない。悪魔の考えなど測りようもないが。
「魔術とかの話も後でするから……それで、君はどう動く?」
「よくあることだな。放っておけばいいだろう。ここは未だ憎きイングランドの支配する領域だ。襲っているのは我が祖国の者たちかもしれないな」
「治安わっるぅ! 知ってたけど! あ、女の子が攫われたよ。馬に乗せられてお持ち帰りだ。どうする? 当然助けるよね?」
「女など知らん。慰み者になって殺されるのもこの世ではよくあること。いや身代金が目的かもしれないな。ならば犯されたとしても命まではとられないだろう。放っておけ」
「価値観ん!? 中世暗黒時代なめてた! 知ってたけど!」
大声を出した後、ため息をついて首を振る黒猫は四本足で立ち上がり俺に告げる。
「ここで動かないなら君はずっと森の中にいればいいと思うよ? その体が朽ち果てるまでね。私の干渉はここまで。あとはこの世界の住人たちでどーぞ。仕事の件も無し。じゃーね」
「おい! どこに行く? 待て! 俺を復活させた責任を取れ! どうやってか知らんが、俺の望みを叶えたのだろう?」
「ああ、それについては前言を撤回するよ。間違えた。望んだのは君じゃない。うん、君に責任はない、私にもね」
「相手は10人の騎兵なのだろう!? 俺が行って何になる?」
「勝ち負けでいうなら、問題なく勝てると思うよ? 君はもう死んでいるから殺されない。剣でも槍でも弓矢でも、何が来ても、ね」
「僧侶どもが出てきたらどうする?」
「はぁ? なんでここで僧侶? 浄化される心配でもしているの? あ、納得。そりゃあゲームの世界とかならね、アンデッドを倒す僧侶の存在は当然の心配かもしれないけど、生憎そんな能力を持った僧侶はこの世界にはいないだろうさ、いや本当はいるかも知れないけど」
「やれ悪霊を退治しただの、どこぞの悪魔を滅ぼしただの、奴らはいつも自慢をしているぞ?」
「口だけ! そういうの、たいてい口だけだから! ……ねぇ、君って周りから騙されやすいって言われない? 君の生前の生活、ちゃんとおくれていた?」
何故か俺の生活の心配をする悪魔。何の冗談だ。
……もう死んでいるから殺されることはない、何が来ても問題なく勝てる、か。
両手に拳を作り、強く握りしめてみる。黒い手甲の皮の部分からギュっと音が鳴る。肉などないのに強い力を感じる。骨となった姿でも俺は戦えるのか? それは、知りたい。
「……わかった。どこへ向かえばいい?」
「お? 行くの? もう見捨てちゃおうと思っていたよ。じゃあ送るね。いってらー」
「は?」
夜の森の景色がグニャリと歪む。歪みが戻ったその眼前には、驚愕の表情を浮かべる男の顔。地面がない! そのまま驚愕する男に接近して衝突する。何かが潰れた音と金属同士が擦れ打ち鳴らす盛大な音を響かせ、もつれる様にして男と共に馬上から地面へと叩きつけられる。
何が起きた? いや、どうやってかはわからない、だが、何をされたのかは、わかる。
「悪魔め! 俺を投げてぶつけやがったな!」
もうもうと土煙を上げている俺が落ちた場所を避ける様にして、一度は走り去っていった騎兵たちが馬頭を振り巡らせて引き返してくる。落馬した仲間の様子を見に来たのだろう。馬に女が括られた状態の騎兵もいる。全員でやってきたのか。
哀れにも俺をぶつけられたその仲間の男は……死んでいるな、これは。
そして俺の身体は、……痛みもなく、動ける。鎧にも変化はない。いける。
騎兵たちに囲まれた俺は、ゆっくりと立ち上がり、剣を抜き放ち、宣言をする。
「地獄から貴様らを裁きにやってきたぞ! 恐怖し懺悔せよ!!」
さあ、月の明かりに照らし出された悪夢の騎士の姿は、お前たちの目にはどう映る?