125
空の上。落ちるようにして地上に近づく俺たち。
「どうする黒騎士さ……」
「突っ込む!」
「事情もわからないのに……」
ランスの大聖堂前で起きている騒動を視界に納め、黒猫が選択肢を突き付ける前に動く。
黒猫が何かを言いかけたが無視。腰を浮かせた前かがみの姿勢のまま馬を進ませる。
「ちょ、速い速い!」
「ハァーッハッハーーーーァ!」
流れ星がごとく、地表に近づく、我が空駆ける愛馬。
ランスの大聖堂。その並ぶ尖塔。真横を高速ですり抜け、大聖堂前の広場に到着……は、いいが、どうしたものか。このままでは止まらん。大地に激突して地上に大きな痕跡を残すだろう。どうせ馬も俺も猫も無事だろうが、それも格好がつかん。
格好はつかんが、仕方ない。着陸はやり直し。
呆然唖然とする者どもの顔を横目で確認し、石畳をかすりつつ、手綱を操って急上昇。再び空へ。嘶く馬。
馬体を横に倒して円を描くように駆けて戻ってくる。今度は十分に速度を落としている。
建物の屋根の真上、触れるか触れないかの至近を通り抜け、再び地上へと。
態勢を縦にしたり横にしたり。急降下に急上昇。楽しい。極めて楽しい。気分が高揚する。頭の中に火花が散るようだ。
「おおおお」
悲鳴なのか歓声なのかわからない大勢の声を聞く。今度はしっかと大地を踏む馬の足裏。
聖人が海を割る逸話のごとく、有象無象を割って駆ける数歩。数十歩。最後の余韻を楽しむ。
「ふ、うう」
「……死のジェットコースター」
黒猫がうんざりとした口調でつぶやく。ふん。何が死のなにやらだ。死から一番遠いのが俺たちではないのか。地上に降りられたというのに馬の奴もどこか元気が無い。どうした馬よ? 地上に降りたばかりだというのに、もう空が恋しいか? はは。
「……て、天使」
「破滅の悪魔……」
「黒き死の天使!?」
「混沌の騎士」
「終末を告げる者……」
「地獄の死霊っ!」
一瞬の沈黙と、その後に巻き上がる阿鼻叫喚にも慣れたものだ。
ランスの大聖堂を守る側の者、襲う者、武装した兵士もいる。聖職者もいる。服装は様々。剥き出しの髑髏姿の俺を表現する言葉も様々。してこいつらは何を争っているのか。
「ふ、どうした地を這う者ども。どうせくだらんことだろうが、一応聞いてやる。何を争っている?」
「うわお、地を這うどうこうとか、聞き方すごい」
そうだな。地を這う者どもとか、どこから来た。我ながら驚く。
「黒騎士さんが、何やらすっごく上から目線。いやそれは元からか。じゃあこれは天から目線? 天使かな? 天使のつもりかな?」
「…………何を争っている? みじめに地を這うことしか出来ぬ、矮小なる人間どもよ?」
「言い直して酷くなった!?」
嫌な笑みで俺をからかってくる黒猫を無視して人々に向かって言い直す。
酷くなったのは失敗を認めたくないからだ。
空を駆けて気分が高揚したままなのは、まぁ良くないな。気が大きくなっている。落ち着こう。
何が天から目線か。馬鹿にしおって。
言葉にしたのはあれだが、頭の中では冷静さを取り戻す。今はまだ空を飛ぶことすら俺の力ではない。謙虚にいかねば。
「う、うおおお、今度こそ本物だ、本物の使い魔の黒猫! それを連れた悪魔の騎士! 異教の魔女の手先! 殺せっ! 殺すのだ! 奴らを滅ぼしてこの国を人の手に取り戻せっ!」
おお、敵だ。
こういうわかりやすい敵が欲しかったのだ。
ありがたい。
太った聖職者風の男が声を荒げるのを受けて、周りの男たちも奮い立つ。
俺も腰の剣を抜き放ち迎え撃とうとする矢先、黒猫が静止をかける。
「待って、ねぇ、そこの貴方……」
ぞわり、と。
空気が。
変わった。
「あ、ふ、う」
動きを止める人々。
これは、あれだ。ルーアンのリュミエラの屋敷の前で魔女姿の黒猫が行ったのと同じやつ。
空気が重い。上から押し付けられるようだ。吸う事も吐くことも憚られるような、周囲の空気が、そういうものに変わった。
何やら焼けた匂いまでする。さらには何かの低い唸り声のようなものまで聞こえる。
ただの物理現象、であったろうか。黒猫の仕業。
どうすればこうなるのか知らんが、とにかくこれは、実に、人に効く。大勢を一斉に大人しくさせるのには、もってこいの技術――魔法。
「う、う」
聖職者風の男は、それだけで息も絶え絶え。
震えている。空気も。大地も。人も。
地獄が溢れた、そういう表現こそが似合うような空気の中、それでも透き通るような声が、この場を支配する。
「お腰につけた、その物体、私に何か、教えてもらえる?」
何と言った? 腰に付けた?
視線を太った聖職者風の男の腰に向ける。
「っ!」
猫だ。
猫であった、物だ。
しかも、黒い猫。黒猫。
聖職者風の男の腰に括りつけられていたのは、もはや物言わぬ黒猫の死骸。二匹、いや、三匹。
毛皮の飾り物のようにして括られている。
首を括られて、口を開けた状態でいる。
猫攫い。いや、猫殺し。
そういうことが行われていると、話には聞いていた。
「会話をしましょう……言葉は通じているはずよ? ねぇ、教えて、それ、なあに?」
「あ、あ、あ、あ……」
二つぶの金の瞳が聖職者風の男を捕えて離さない。
声から感情の消えた黒猫からの問いかけに答えられない聖職者風の男。
眼には涙、そして鼻水。勇ましい口上を述べたばかりの口は開きっぱなしだ、その腰に据えられた、猫の口のように……
「聞 か せ て ? なにが、どうなって、そうなった?」
「ひぃ……」
怒っている。仲間を殺された黒猫が、怒っている。
いや、いかん。
俺まで気圧されている場合ではない。
この黒猫は、この存在は、世界を容易に滅ぼせる。
普段ならしないだろう。だが、万一、気性の荒い黒猫の精神に引きずられてしまったのなら世界はどうなる?
「黒猫よ、ルルよ、抑えろ」
先ほどまでの戦闘の雰囲気は何処へやら。
抑える方に回る俺を冷静な俺が「何をしているのやら」と思う。本当に。何をしているのやら。
「黒猫、俺の敵を取るでないわ。ふ、ようやく巡り会った、考えもなく剣を振るって倒してもいい敵だ。貴様が課す試験とやらも、こういうわかりやすい敵を用意して倒せとかなら良いのにな」
同じ馬上の黒猫に、務めて軽い口調で語りかける。
こういうのは自分が激高すれば、相手も激高するものなのだ。
「…………抑えるも何もないわねぇ。怒っていないし、悲しんでもいない」
「本当か?」
「何でも見れる目を持っていても、何でもは見ない。こういうことがあるからね。見る、知る、それ自体が持つ怖さ……それでも見る時は、ただ冷静に、ただそうなのかと受け入れるだけ。ええ、見たくもないものを見た時には、私はそうしている」
「…………」
それは珍しく強がりのように、聞こえた。
「黒騎士さんは私の真似をしなくても、いいからね。心を動かさない訓練をしていると、その内、本当に心が動かなくなる。何を見ても……ま、いいでしょう、どうでも」
その言葉と共に、空気が元に戻った。
水から上がった時のように、荒い息をつく者どもの喘ぎだけが響く。
そんな中。
足をふらつかせる聖職者風の男が糾弾を始める。それはそれは弱弱しい声で。
「これはぁ、悪魔殺しぃ、聖人の行いでぇ、あるぞ……この世界にぃ、混沌と不和をバラばいた悪魔にぃ鉄槌を……そのぅ、誑かされた王を誅し……正義ぃ、正義の名の元にぃ……ぅぅ」
顔面中、酷い汗を垂らしながら、必死に。恐怖に喘ぐように。恐怖に抗うように。
その口上を述べきる前に事態が動く。
また別の一団が大聖堂前の広場に雪崩れ込んでくる。
「天使様をお守りしろおおおお!」
また別の聖職者風の男だ。今度は痩せている。
「うらああっ!」
「うおおおあ!」
ランスの大聖堂を襲っていた一団に襲い掛かる別の集団。混戦模様。ただ俺たちの周りだけは自然と空白地帯が生まれる。それもまた、いつものこと。この恐ろしい髑髏姿の俺に近づくのも襲い掛かるのも、ゴウベル級の馬鹿な頭を持ち合わせていない奴にしか無理なことだからだろう。
すぐに劣勢になった太った聖職者風の男どもは退却を始める。腰に猫の死骸をぶら下げたまま。
「天使様ぁ」
変わって痩せた聖職者風の男が俺たちの前に出てくる。
それを無視して黒猫に話しかける。
「どうする? 黒猫? あ奴を追いかけて首を刎ねてきてやろうか?」
もう戦いの気勢ではなくなったことを自覚しつつ、それでも問いかける。抜き放った剣が所在なさげだ。
「余計な事でしょ。猫を殺すことがここでどれほどの罪になるのか知らないけど、まぁ現地の人に任せましょ。しかるべき罪なら、放っておいても彼にはしかるべき罰が下る」
「そういうものか?」
「さあ? 知らないけど」
「適当な」
「適当なのよ。ええ」
調子の戻りつつある黒猫に、こちらも適当に話を合わせる。
「ぃぃひぃ、ようやくお会い出来ましたあ、光栄です! 光栄です、天を舞う預言の騎士様!」
痩せた聖職者が目を輝かせて馬上の俺に話かけてきた。
口の端から唾が飛ぶ。視線の焦点も合っていない。明らかに冷静さを失っている。
「私はっ! 神にっ! この身の全てを捧げた者っ! どうか見てくださああい!」
いきなり服を脱ぎだした。何だこいつ。
「黒き死の疫病を鎮めるためっ! 自分でやりましたっ! いばらの棘の鞭で全身を打ち付けてついた聖なる傷でありまああす! まだ血の滴る傷もございまあす! この傷を神に捧げますう! 全部捧げまああす。天使様っ、私の全身全霊の献身を、どうか受け取ってくださああい!」
服を脱いだ聖職者風の男。
瘦せぎすの体形の全身に大小さまざまな深い傷跡。男の言う通りにまだ血の跡が滲む傷もある。
「うわぁ……」
完全に引いている黒猫。
俺の方も先ほどの黒猫の死骸の衝撃が薄れるほどの衝撃を受けている。まともな精神をしていると思えない。何だこいつ。何だこいつ。
「捧げる、だって……受け取ってあげたら? 黒騎士さん……」
「いらんわっ!」
何一つ理解が出来ない。
傷も。それを見せる精神も。
疫病を鎮めるために自分を鞭打つ必要がどこにある? それをもって献身などと抜かすとは、プリュエルが聞いたら鼻で笑ってのけるだろう。いや、ないな。プリュエルはそういう奴ではなかった。俺は混乱している。
「臓物とか、本当にいらないものを捧げられる側の気持ちが良くわかったでしょ?」
「ああ、しみじみとな」
その話のネタ、いつまで引きずるのだ。もう十分に理解したというのに。
「私の献身を持って、神へお伝え下ささああああい! 私のことを、どうか神にぃ……」
「あ、うち、そういうシステムでやってないんで……」
引きつつも適当に返答をする黒猫。
まだ混戦は続いているが、それを押しのけて注目を集める半裸の鞭打ち男。見たくもないが目も放せない。
「王にもっ! シャルル王にもお伝えください。んんんー、光の聖女様の意思に反して戦場に送るなど、言語道断んん! ですよね天使様? 天使様もそんなことを望んでおられない! ですよね?」
目が怖い。
駄目だ。斬りたい。首を刎ねてしまいたい。柄を強く握りしめる。
「王を諫める者がここに居る事を、どうかぁどうかぁ……」
状況は二転する。さらに別の集団が広場に流れ込んでくる。
今度は立派な鎧を纏った騎士たち。
「ちぃ! 王の言う事をただ聞くだけの犬のような奴ら。神の名のもとに成敗してやりたいぃぃ。けど戦力が足らないぃぃ。撤退! 撤退ぃ!!」
混戦に紛れ、嵐のように去っていった半裸の男。
「…………」
「…………」
世界は広い。居る所には居るものだ、ゴウベル級の馬鹿というのは。
俺と黒猫。共に言葉を失う。
「天使っ! ああっ! ようやく会えた!」
先ほどと同じような声掛けをしてくる男。だが先ほどとは違い、声と言葉に理性が伴う。
「天使! 貴方という人は、まったく、今までどこをほっつき歩いていたんです!?」
「アンドレか!」
アンドレ・ド・ラヴァル。
ジルとして生きた中での数少ない友人。親戚。ジャンヌと共に戦った戦友。
雪崩れ込んできた騎士の一団を率いていたのは懐かしい男だった。
そういえば。
俺はアンドレにお使いを頼まれていたのだった。
はて、いつから会っていなかったか。
「で、アンドレ、貴様、ボロボロではないか……」
久しぶりに会った親戚にして友は、顔や見える場所、それから鎧や纏う服ですら煤けて切り傷だらけであった。
剣も振れぬ優男に見えて、実はそれなりに剣を扱える男だったが、一体何があってそうまでなった?
「こっちは大変……ええ、大変だったんですよ……」
遠い目をしながら馬を近づけてくるアンドレ。
その様子にはやはり、俺を恐れる気配は微塵もない。
他の者は大なり小なり骨となって動く俺を恐れる気持ちが態度に出ているのに。
かといってアンドレがゴウベル級の馬鹿、というわけでもない。俺の正体を親戚のジルだと看破している節があったからな。そういうことだろう。
「アンドレさん、お久しぶりー」
「黒猫の……ルル様……でしたね。……お久しぶり……ええと、あの、その、お体は?」
魔女に斬られて蛇に吞み込まれた黒猫が居て、しれっと挨拶してくるのだからな、アンドレの舌が回らなくなるのも当然だ。
「なんだかんだで、ぬるっと復活しました」
「はあ……なんだかんだで……ですか。……ぬるっと?」
「ええ、黒騎士さんも、そんな感じ。ぬるっと復活ペア」
「? ……?」
やめてやれ。アンドレの頭が阿保になる。
女から骨の騎士へ。
盛り上がりも必要性も何も無く、ただ何となく復活したのだと言われても言い返せないが。
黒猫と話をしていても埒が明かないと思ったのか、アンドレは俺を見て。
「本当にどこに行っていたのです? ベッドフォード公からの返事の方が早くこちらに着きましたよ? 何やってたんですか! 行ったきり、ちっとも帰ってこないで!」
「ふん、俺がどこで何をやっていようが知ったことではなかろうが」
「ですが!」
「うるさいぞアンドレ。黙れ」
声を荒げるアンドレを黙らせる。
だが昔からすげなくあしらっても俺から離れていこうとしなかった男だ。これくらいで下がる奴ではない。
「ええ、そうですね、そうでした。貴方はそんな感じでしたよ。自由で奔放」
俺を黒猫のように言うな。俺は、もっと、こう、責任感とかだな。あったぞ。少しは。
「あの時、どうやら自分は選択を間違えたようです。別れなければよかった。眼を離してはいけなかった。本当に、貴方は昔から……」
「そんなことはどうでもいい! それより!」
昔の話をしようとしたアンドレの言葉を遮る。どうせ俺はジルだということを認めることはない。だが、奴が考えを改めることもないだろう。無駄な時間だ。
「どういう状況だ、これは!」
争いは収まり、今はランスの大聖堂を守っていた勢力と、アンドレの勢力がいて、それぞれ大人しくている。
「一言二言では言い切れませんが……そうですね、今、この町は、混沌に呑まれています」
「混沌だと?」
「ええ。先ほどの一派は貴方を天使と認めているもののシャルル王には反旗を翻す派の者たちですね。その少し前には聖職者で貴方を悪魔と断じて滅ぼそうとする派の一つが居たようですね、こっちも反王派です」
「どんな派だ……」
「その中でもあれは元ブルゴーニュ派の貴方を滅ぼそうとする派ですね。ああ、元ブルゴーニュ派でも貴方を天使と認める派はありますよ? ただ今、元ブルゴーニュ派は窮地に置かれているようです。他にも天使と認める派であれ、そうでない派であれ、その主張などは数多くありまして……もう誰も把握できていないんじゃないでしょうか、はは」
「笑いごとではなかろうが……」
「ええ、対応に追われるだけで日が暮れる始末です」
疲れていても疲れを見せるような男でなかったはずだが、今は明らかに疲れ切った顔をしている。
「それで、大聖堂前で争いが起きたのは……」
乾いた笑いを続けるアンドレは一旦置いておいて、大聖堂を見る。すると建物の扉を開けて出てくる一団がいた。
そして。
その中に。
一人の老人を見つけてしまう。
「おおお、お前か……お前なのか……本当に骨になっておる……なんということだ、我が孫よ、可愛いジル」
なぜここに居る?
悪人。
ジャン・ド・クラン。
我が祖父。
6月6日! ルルの日!




