123
抜き放った剣を掲げ、真下へと打ち下ろす。
風を切る音。雨粒を断つ音。踏みしめる大地から全身へと伝わる、重厚な響き。
地面に辿り着く直前で止めるべく振るった刃、その刃先は一部の狂いもなく地面の真上で止まっている。
体に伝わる大地の音の余韻が消えた後の、一瞬の静寂。
直後、跳ね上げる。
白刃の流れるまま右斜め上から左下に抜ける振り下ろし斬り。わずかな陽光を集めて軌跡のみを残す。動きを止めることなく足さばきと体裁きにて体の重心を変化させる。体重のすべてを乗せての、右に抜ける強烈な薙ぎ払い。小さな雷鳴に似た音が耳に抜ける。
すべての動きが俺の思うまま。一切の淀みなし。
目の前に敵の兵士がいたなら、その鎧ごと肉体を細切れの惨状に変えていただろうと思われる斬撃。非力な女の体のままでは出来なかった俺本来の剛なる剣。
「ククク……どうだ? 黒猫よ」
構えをとき、鏡面のように磨かれた美しい刀身に自分の顔を写し込む。
髑髏。
愛らしく整った顔から一転、恐ろしい姿に変わった、俺の顔。
動く屍。死者の成れの果て。地獄から蘇りし怨霊の騎士。
と、そう見えるだけの、再び戻った姿。
「どうって?」
俺を見入る有象無象どもから外れた所に佇む黒猫は、濡れて細くなった尻尾を気にしつつ返す。
「魂について良く知らないといっていたな? ならば学ぶがいい。魂とはこういうものだ。魂にはそれが宿るべき正しい体というのがあるのだ。刮目せよ。今の俺の魂の姿を見よ。これが戦士の体に宿った戦士の魂の正しい在り様だ」
「ああ、うん、見える見える。取り上げられていたおもちゃを返して貰って喜びはしゃぐ子供の魂が」
「…………」
俺を愚弄する黒猫に剣先を向けようと思ったがやめる。どうせ奴には効果がない。
何がはしゃぐ子供か。
……少しだけ自覚はある。
突き付ける刃と返す言葉の代わりに剣を左右に振るって雨粒を落とす。
刀身から飛ぶしぶき。重さ、長さ、芯の位置、こしらえ。相変わらずの、よい剣だ。
「……黒のローブよ。わが身を纏え」
「「おお」」
いくつもの形に変化するローブを、今はマントの姿にして顕現させる。翼が生えた様に背後にたなびく漆黒のマント。端はボロ。俺が何をしても歓声だが悲鳴だかをあげる観衆ども。
注目されているな。だがそれも今は悪くない気分だ。少なくとも無視される状態よりはいくらかマシと思われる。
マントの端を掴み、それで剣を拭い、鞘に納める。
「兜は無し、か……」
一番最初の最初と同じく、剥き出しの髑髏のままだった。
黒猫はあまり俺に兜を被らせたがらない。そこに大した理由なんて存在しない。ただ見栄えの問題だ。せっかくの恐ろしくて格好良い姿を隠すのはもったいない……今ならその、もったいない、という気持ちが少し理解出来るのがなんとも。
兜はいい。必要ならその都度黒猫に言って出させるだけ……そこまで思った時、ちょうど黒猫が俺に話しかける。
「兜なら、そのローブと同じように黒騎士さんの意思で出したり仕舞ったり出来るようにしておいたわよ」
「なんと」
自分の手間を嫌ったのかどうか知らんが、そういう機能が付けられたのなら文句も無い。
「兜よ、出てこい」
さっそく呼び出してみる。予感があって頭の上を見る。頭の真上に顕現した兜が落ちてくる所であった。
「……おい」
剥き出しの頭に直撃するはずだった兜を寸前で受け止め、黒猫に強い非難の意思を込めた視線を送る。髑髏の顔に表情は無いが、奴には伝わるだろう。
「ちっ」
「舌打ちするな」
いたずらの不成功を見て不機嫌になる黒猫。この兜、投げつけてやろうか?
「よく受け止めたわね」
「貴様のやることが予想出来るようになっただけだ。くだらん仕掛けをしおって、子供は貴様だ」
「つくづく成長したものだと」
そんなことで俺の成長を褒めるな。心底くだらない。
にしても。
この躰に戻る際に危惧していた忌避感というものが、ほとんど無い。どうしてだろうな。
気持ちの整理がついたということか。
奴と俺は別。無関係ではない。だがそれだけ。
完全に吹っ切れたのはプリュエルの眼を治すと決めた時だろうか。
求めていい。
何を選ぼうが不正解ではないという状況で最善や最高を求めるのは恥でも何でもない。
力が強く、疲れず、傷つかず、とにかくこの骨の躰、問題はありまくったが、その性能は戦士が使うものとして最高なのだ。後は見た目が恐ろし過ぎて騒ぎが大きくなるのが残る心配というものだが、それももう今更だ。
現に、骨の姿の俺を見る大衆も神秘に慣れたのか、表情は驚愕のままだが逃げだそうとはしていない。そうそうな事にはならんだろう。実際の未来がどうなるかなど、それこそ全知全能の神にしかわからん。故に何が起ころうと全責任は全知全能の神にある。文句があるならそいつに言え。俺は知らん。
視界確保の為の二重のスリットが入った黒い兜を見ながら、さらに思う。
死体の成れの果て、それが奴のものであったとしても、動物の死骸や糞が変化して植物の栄養になり、その後も変わり、変わり果てて、いつか人の糧になるように、由来がどうあれ今はただ俺の為にあるものだという認識が出来るようになったのだ。
由来なんてどうでもいい。女物であろうが、ジーパンは良いものなのと同じ程度の、大した事のない、些細な問題。
この言い訳じみた俺の感情すら、どうでもいい。理由なんぞは後付けでどうこうにもなるもの。俺は戦える状態でいたかった、それだけのこと。
そこまではいい。それよりも。
「もっと交渉は難航するかと思ったがな」
「ん?」
兜をまたどこか謎の空間に仕舞い、黒猫に話しかける。
「こうすんなりと骨の躰に戻れるとは思っていなかった。もっと貴様はごねるものだとな」
「戻そうと思えばすぐに戻せるからねぇ。黒騎士さん、女の子の体に戻りたかったら言ってね」
「ふん、生憎と、そんな予定は無いな。このままだ。この世界では、俺はこの姿のままでいる」
「あ、そ。でも戻りたかったら気軽にどーぞ。秒で変えてあげるから」
「その機会は無いと言っている……」
俺の為にと、わざわざ作って寄こした女の体。生きた人の体。こだわりがあったろうに、それを捨てた俺に対しても黒猫の様子に気にした風はない。
ただ、そうか。
これは奴の機微一つでどうとでもなる問題であったわ。
このまま舞台とやらには女の体ではなく髑髏の騎士として出てやろうという俺の隠れた目論見もどうなるか。骨の姿もどうかと思うが、少なくとも太ももの大胆にいった衣装なんぞに悩まされなくて済むだろうと。
黒猫がその気になれば、俺はすぐに女の体に戻されてしまう。
やはり他者に俺の自由を委ねている状態というのは気に食わない。学ばねば。学んで自分の姿くらい自由に出来るようにならねば。
「こちらこそ、その体を受け入れることにしたのはどうしてか、心境の変化、聞いていい?」
「言葉には出来んな」
理由はあれど、どれも重要でなし。ならば。
「あるべき躰がこれだと思った。それだけだ」
「よくよく考えた理由がそれとかちょっと」
「知らん。どうでもいい。だが、そうだな。黒猫よ。貴様が原因だ」
「私が?」
「女になって黒くもなく騎士でもなくなった俺のことを、貴様は黒騎士だと呼び続けていたではないか。ならばそうなのだろう。貴様にとって、俺は黒騎士なのだ。だから今回の事は、俺の我が儘に見えて実は、お前に合わせてやったということなのだ。お前の為だ。これから呼びやすかろう。感謝せよ」
「んまぁひねくれてる。可愛くない返し。そんなのどこで覚えたの?」
おそらく黒猫。お前からだ。
「鳥肌が止まらぬ……足の震えが止まらぬ……」
特に意味もない会話をする俺と黒猫の前に出てきたのは、終始、難しい顔をしていたリッシュモン。
「わからぬ……そなたらは何者で、何をしにここにいる……」
その足は自身の吐いた言葉通りに震えている。
「容易く世界を書き換えるほどの奇跡の行使……そんなことの出来る存在に……人に何が出来る……恐ろしい」
ただ目に宿る力は衰えさせず。
「再び問う。自らを天使ではないと言い放つ者よ、そなたらの目的と、正体を……」
ただでさえ人を威圧する鋭い視線が俺たちに迫る。
わからない。ただそれだけのことを黙って受け入れられないのが人。
知りたがる。どうしたって。それが当然のように、理由を知りたがり、正体を知りたがる。知恵の実を食べたイブの子孫たち。その態度は、罪か?
じっとリッシュモンの目を見返す黒猫。何も言わない。
「……何度も言わせるなリッシュモン」
何も言わない黒猫に代わり、俺が口を開く。
「俺たちの問題は、もう済んだ。後はやり残しだ。ちょっと気になることを済ましに行く。それも終われば、すぐにこの世界から立ち去るだろう。だから気にするな。気に病むな。俺たちは人の敵でなく、この国の敵でもなく、貴様の敵でもない」
いっそ自分らは天使であり、神の敵を成敗しに天界からやってきた、お前たちは疑問も持たず黙々と従え、なんて根も葉もない物語を創って宣言してまえば、この無駄で無意味なやり取りを繰り返すことはなかったのだろうか。
「俺たちは確かに天使でもないが、正体を気にする意味もない。お前たちにとっては、通りすぎるだけの……ただの人だ」
「人などとっ!」
激高するリッシュモン。眼が血走っている。ちゃんと寝ているか?
恐ろしいはずの髑髏姿の俺にも怯まないのは、リッシュモンの持つ、人を率いる者の責任感というものだろうか。強い言葉の裏に不安と畏れが見える。畏れるべき存在が相手だとして、それを避けられるものなら避ける。避けさせる。それが上に立つ者の役割。むざむざ民を危機に陥らせるのは無能のやることだ。
「姿を自在に変えっ! 人を癒しっ! 大地を作り変えるだけの力を持つものがっ! ただの人などとっ!」
「まー、まー、リッシュモンさん、落ち着いて、落ち着いて」
ここでようやく黒猫が口を開く。
「リッシュモンさん。いくつかの質問に答えてくれる? 他愛のない、えっと、思考実験に付き合って」
「思考実験だと?」
「そう。想像力を働かせて、答える。それだけ。いくよ?」
「何? 何が始まる?」
かなり強引な導入だが、完全に虚を突かれたリッシュモンはそれ以上の激高を見せることもない。上手いやり方なのだろうな。人の感情を手玉に取りおって。俺には真似できん。
「そうねぇ、自分でも、あるいはお子さんでもいいのだけど、足を両足失ったとする。原因はなんでもいい。そして失っても、生きている。はい、その人は、人?」
「な」
想像力を働かせて考えろ。おそらく、これは、人という生き物の定義の話になる。
ルルは自分の事を作り物だと言う。人だとも言う。その話。
「人だ。人であろう」
「よね。立って歩けない。普通の人と違う。けど人。じゃあ、足の代わりに義足を作って嵌めたら、それは人? 道具に頼って立って歩けるようになったら、人?」
「変わらぬ。人だ」
「うん。じゃあさ、ここからが想像力の働き所。その義足が道具として滅茶苦茶優秀で、何なら他の人より早く走れるようになったら、それは人?」
「…………人だ」
「もっと想像力を働かせて、両手両足がそんな便利な道具に置き換わったなら、人?」
「…………」
続く話の流れが見えたのか、リッシュモンが黙り込む。
人だ。人から変わらない。手足だけでなく、顔や全身がそうなっても、常人には不可能な何が出来るようになっても、人は人のままだ。人を人足らしめるものとは。
「人、なのよ」
答えないリッシュモンに代わり、黒猫が答える。
「便利な道具は生まれ続ける。どうしても。そうなる。これから世界の技術はますます発展していき、手足の役目を道具が担うようになる。やがて手足だけじゃなく内臓や皮膚、そして、考える頭まで、なんでも、人は作り始める。そうなる」
考える頭。人工知能。AI。黒猫が自分の本体がそうだと言う、それ。
そんなものが生まれる世界なんぞ、そろそろ想像力が限界だぞ黒猫。
「……い、逸脱している。全身のすべてが作り物など、そんなものを、人だと言うわけには……」
「人とそれ。境界も何もない地続きの平地にある。本来なら区別もないような、そんな場所で」
余裕の無いリッシュモンと比較して余裕に満ちた様子の黒猫。
「自由なひらけた場所に、自分の思う感じの垣根を作るのは人の自由。お好きにどうぞ。で、私は私の好きにする。早く走れようが、見た目が普通でなかろうが、私はただの人。自分が自分をそう決めた。自分の事を人だと言える人は人である。そう定義した。だから、ふふ」
発言者の余裕の有る無しで意見の正しい間違っているは測れない。だろうが、少なくとも今はリッシュモンからの反論は出ない。
「私たちは、人、よ」
黒猫の言葉。自分が人によって作られた道具だという言葉と、自分は人だと言う言葉。その相反するはずの言葉をまとめて両立させるもの。それは、意思。ただの意思。自分がそうだと言えば、そうなのだという、強い意思こそが、人であるための条件……
「他の人よりちょっとだけ遠くのものを見れるし、ちょっとだけ遠くのものに手が届くけど、それだけの、ね」
これもまた、いつか黒猫が言っていた言葉。最初に聞いた時と違い、今は素直に納得できるのは、そのための下地が俺にも出来た、ということなのだろう。
黒猫が俺の足元に近づいてくる。
「そろそろ行きましょうか? 黒騎士さん?」
見上げる黒猫の金の瞳が俺を急かす。
「そうだな」
周囲を見回す。ランスの町はここから東。
ランスに行くのはいいが……囲まれている。
「はて、どうしたものか……」
どけどけと、剣でも振って追い散らかしてしまえばそれで済む話だが、時間が経ち過ぎた。自分も奇跡の証拠を目にせんと、今は人が膨れあがっていて、ちょっと身動きがとれそうにない。東の街道はそうでもないんだが……
「さ、行きましょう」
「行くと言ってもなぁ……馬か、どうせ馬がいる。それとも黒猫に頼んで転移でランスに行くのがいいのか?」
「はやく」
「どうした? 今更、何を急ぐ?」
「早く離れたいのよ! だって、ほら、さっきの人の定義、あれは場の勢いで誤魔化しただけのゆるゆる理論なんだから! 頭の良い人にはすぐに反論されちゃうでしょ? 論破されたくないの! だから、はやく!」
「何をくだらん理由で急かそうとしとるか!」
頭の良い奴はさっきの黒猫の理論にも反論出来るのか。俺には思いつかない。
焦る黒猫に合わせて、俺にまで焦りの気持ちが湧いてくる。そうだった。俺も早くこの場を立ち去りたいのだった。
「奇跡や預言を為した後はさっさと立ち去るのがいい。ラ・イルめ、その通りだな。うだうだしていては滑稽話にしかならん。よし、黒猫。馬だ。馬を呼べ。久しぶりに、空を飛ぶぞ」
空を飛ぶ。
空を飛ぶのは、楽しい。ただ楽しいだけのものを、ただ楽しむというのには、意外と才能がいる。俺はどうだ? そこまでになったか?
「では呪文ね? 呪文を唱えて、黒騎士さん!」
「は? 呪文だと?」
「そう、あの呪文よ。空を飛ぶ馬を召喚する時に唱える呪文の詠唱!」
「あ?」
「ほら、あの、リュミエラさん達を助けた時の、あの呪文! はやく!」
「忘れたわ! んなもん!」
状況は覚えているが、その時に口から出任せで言った呪文自体を欠片も覚えていない。
「いいから、さっさと馬を呼べ」
「そんな! せっかくカッコいい詠唱だったのに、ええと、どんなだったっけ?」
「ええい! くだらん! くだらん! くだらん! さっさとしろ! 急いでいるのではなかったのか! 詠唱なんぞ必要無いだろうが!」
「もしかして詠唱破棄! 黒騎士さん、ついにそこまでの成長を……」
「く、ろ、ね、こぉ~」
「あ、はい」
焦る必要なんか少しも無かった事に気がつく。黒猫におちょくられた。おちょくられているだけだった。それに気がついて吐き出す言葉に混じり気なしの怒気がこもる。察した黒猫が大人しくなる。
「下から来るわよ。合わせて、黒騎士さん」
この期に及んであの時と同じ演出か!
奴には言いたい事は増えるばかりだが、今は集中する。すでに足元には黒い闇。地面の下からは馬の蹄の音が響いて近づき、大きくなっていく。
ついにその音が真下に来た時、闇が膨れ上がる。馬の頭の位置を確認。ならば馬の背は、このあたり。
あたりをつけた場所に、まさしく黒い鞍。突き上げられる衝撃を殺して、股で挟み込む。そのまま上へと持ち上げられる全身。持ち上げられながらも手綱を見つけて握りしめる。
そのまま空へと飛ぶ勢いだったが、馬の後ろ足は地面についているのか、ある程度の高さで止まる。
前足を上げた姿で嘶く馬。
振り落とされまいとする俺と、馬の奴の呼吸が重なる。
数舜後、馬の前足も地面へ。ようやく落ち着く。よしよし、災難だな、お前も。
「クク、どうだ、合わせてやったぞ」
前の時はタイミングが合わず突き上げられて不様に空を舞ったが、今回は上手くいった。
馬の首を撫でながら挑発するように黒猫に言う。
「すごいすごい」
素直に喜ぶ黒猫。すまんな。不様に落ちてやれなくて。ふっ。
「恰好良いよ、黒騎士さん」
「そうか」
どこまで本心かわからん黒猫だが、ここは素直に受け取っておく。
黒猫が地面から浮き上がり、濡れた犬がそうするように頭から全身を震わせて水分を飛ばす。
尋常な犬と違う所は、たった一回のその仕草だけで尻尾の先まで含めた全身が乾いたであろうということ。今の黒猫の姿は濡れる前と変わりがない。
そのまま馬の首の付け根、俺の座す前へと飛び乗る黒猫。
「では、な、さらばだ」
一応とばかりに連中に声をかける。
瞳を輝かせるプリュエル。呆れ顔のリッシュモン。マロー司教、クレマン司祭。ついでに泣き虫に視線をやってから空へと顔を向ける。
「いざ、空へ」
「あ、うん、ちょっと待って、あと一言」
「黒猫ぉ……」
空へと舞い上がる抜群の頃合いだったではないか……
「良い感じの別れ方であったろうが」
「どうせ舞台の打ち合わせですぐに戻って来ることになるんだから!」
そうだった。
あまりに劇的な別れ方をすると再会した時が怖い。
「リッシュモンさん。抱え込むのは性分だとしても、寝なきゃ駄目よ。このままでは貴方、倒れるわ。寝なさい。人にはどうしたって休みが必要なのよ」
「む」
寝ていないと思っていたが、黒猫にも言われる程に悪い状態だったか。
「素直に聞くがいいリッシュモン。寝不足は判断力も鈍らせるからな」
「黒騎士さんが他人事みたいに言ってるけど、私や黒騎士さんがのうのうとしてられるのは、リッシュモンさんが裏で働いてくれてるからよ?」
「なんだと?」
「私たちから鼠の話や病原菌の話を聞いて忙しく動き回ってくれているのよ。殺し過ぎないように、とか、ノミとか病原菌の関係やら、対抗するための隔離措置、とかね、貴族の人たちを使って連絡してくれている」
鼠の話は、俺が元で始まったようなものだ。その尻ぬぐいをさせていて俺はのうのうとしていたのか。何が奇跡の裏側を知れ、だ。奇跡でなくとも知らぬ所で働く者はいるのだ。そんな当たり前を、俺は今まで気がつかなかったとは。
「リッシュモンよ……感謝する……」
「……誰に言われてやっているわけでも無い。人類にとって為すべきことである」
「貴様という奴は本当に……良いか? 寝ろよ? な? しっかりと食べて体力をつけるのも重要だぞ? 病人にかまけてないで自分の身体も労われよ? 朝晩は冷えるからしっかりと暖めてな?」
「何目線だ……やさしげな……」
「そ、そういう連絡なら私もお手伝いしておりますよ。イングランドの上層部にも伝わって……」
「黙れ泣き虫。口を閉じてろ」
「この対応の差は何っ!?」
とある世界ではフランスの大英雄にもなるリッシュモンと貴様では格が違うわ。
「ふふ。それからプリュエルさん。レンズ豆を収穫した後、袋に入れといて。一袋でいいから。後で貰いに来るわ」
「はい、ルル様」
逡巡も躊躇も無くプリュエルが即座に返答をする。言葉は少ないが俺たちを見上げるその瞳には数多の感情が潜んでいる。
「プリュエルよ。俺のこの姿は恐ろしいか?」
答えはわかりきっている。
「いいえ、黒様。何一つ恐ろしくなどありません。私には光り輝いているように見えます。優しい方々。お強い方々。ああ。出会った時を思い出しました。黒様、ルル様は、そうであられたのですね」
万感の思いを込めて、俺たちと出会った頃の話をする。
馬に乗り、俺は骨で髑髏、俺の前に座るルルは猫。
盲目の女僧侶が思いも描けない真実の姿。
「あの時は俺たちを天使だと勘違いをしたな。今はどうだ? 俺たちは何に見える?」
「天使様。今でも天使様です。いいえ、前よりも、もっと深く、そう思います」
「神に会ったことはない。声を聞いたこともな。それでもか?」
「それでも。ええ、そうなのですね。そういうこともあるのでしょう」
「そうか」
頑固だ。
知っていたが。
もっと理由を聞いたとしても、俺たちに知らせずに神が遣わしたどうこうという話になっていくのだろう。宗教とは恐ろしい。どうでもこうでも良い事は全部神の手柄にされてしまう。卑怯な最強の能力持ちめ。ズルをするな。
しかし、どうだ。
人が人であると決定するものが意思一つならば、他人が他人をそうであると決定するのも意思一つ。
ならば天使なのだ。俺たちは、プリュエルにとっての天使。それは自分らが人であるという認識と、何一つとして食い違わない、両立しうるものだ。
人は誰かにとっての天使になれる。
「まー、黒騎士さんは天使見習いがいいとこでしょ」
「ふん、ならば貴様は天使そのものか? 柄ではないわ」
「柄じゃないわねぇ、ま、いいわ、じゃあ、また」
「ああ、じゃあな」
「天使様!」
「おおおお~」
そんな他愛のない挨拶で、俺たちは空へと浮かび上がる。ある程度上昇したところで、馬が歩みを始める。すぐに駆け足へと。ゆっくりと、上へ。向きは、東。
響く、空を駆ける馬蹄の音。マロー司教やクレマン司祭らの声が遠ざかる。
上へ。上へと。
天使が天へと帰る。そのように。




