12
「後を考えて行動しろ、か、ふん、呪いというよりは、説教、助言の類に聞こえたな。教会で聖職者どもが子供に言って聞かせるような話だ」
「わかりやすいでしょ。そういうのこそ小難しい理論を並べたてるよりもスッと頭に入って来るのよ」
「せ、せ、せ、聖句を唱えよぉぉ! 恐れるな! 怯えるな! 神の祝福は我らと共ににあるぞ! あ、あ、あ、悪魔どもぉおぉ! 聖書に記されし神の声を聞き、退くのだ!」
「む!?」
俺たちと対峙していた騎士たちが聖職者の声に応じて聖書の一節を読み上げ始める。聖書の内容は俺も知っている、神の子が悪魔を退ける場面。
最初はバラバラだった20人ほどのその声は、やがて一つにまとまり、高らかに、力強く、そして歌い上げるようになってゆく。引導する聖職者の服装は程度が良く、それなりの高位の者と思われる。聖句を唱える者たちは皆一様に真剣な表情。しかし……
「……何も起きないな。黒猫、貴様も平気なのか?」
「さらっと悪魔扱いしないでって。悪魔じゃないから」
聖句を唱えればたちどころに悪魔は退散していく、などと聖職者どもはうそぶいていたが実際はどうだ。つい身構えてしまったが俺にはそよ風に吹かれたほどの効果も無い、この黒猫の悪魔にしろ効いた様子がない。俺たちが特別なのか、それとも聖句を唱えるこいつらの神を信じる心が足りないのか?
「初手、ターンアンデッド、判定、失敗。ふふ、ゲーム的なシステムを取り入れた世界とかも、いつか作ってみたいなあ」
黒猫がまた意味の分からないことを言い出した。いつもの戯言。
空を見ると太陽は大きく傾き始めている。パリの町に着くのは急いでも夕方くらいか、馬の機嫌次第と言った所。鳥が飛んでいる。名前は知らない。のどかだ。道端に咲く、やはり名も知らない花々には蝶々が飛んでいる。ずいぶんと暖かくなってきた、これから季節は夏へと向かうのだろう。
舗装されていない土埃のたつ街道、馬の上に乗った骨の騎士と黒猫、そしてこちらに迫ってくるでも、剣を抜いて威嚇するでもなく、遠巻きに俺たちを凝視して聖書の一節を懸命に歌い上げる20人ほどの男たち……
「なんだろう、な……気が抜けるのは……」
「おや、聖句の効果が君に」
「いや聖句の効果というわけではないが……」
「ふふ、気が抜ける風景ではあるよね。彼らの必死さが、もうね、笑っては可哀そうだけど」
「剣を振り回してこられるならいくらでも対処してやれるのだがな、効果のない聖句をいつまで……」
「彼らの姿をよく見るといい、あれが言葉に呪われるということなの。神の言葉はこう、悪魔にはこう、言葉によって伝えられ、そう行動するしかなくなった人たちの姿。言葉の持つ力」
「…………」
男たちの祈りは続く。より声高く、より力強く。必死に。真剣に……
さきほどの黒猫の言葉を思い出す。あらゆる制約から解き放たれた俺が発する感情は俺自身の中から発するものだとか。では俺は何に怒っていた? それは確かに俺の中にあった怒りだ。いくらか時間がたち、頭が冷えてきた今、怒りは鮮明になるのではなくむしろ曖昧になっていく。聖女を処刑した場所であるルーアン町の住人が混乱に陥った姿を見て、町の惨状を見て、それだけで満足してしまったのか? それ見た事かと、いい様であると。
曖昧になっていく怒りと引き換えにするように新しく生まれてくる感情もある。焦燥感だ。その程度で許すな。奴らの罪を許すな、怒りを忘れるな、俺の怒りは神の怒り……神だと?
神がどうして出てくる? ふと、ゾッと心が冷える。俺の持つ怒りは借り物の怒り、その可能性に気がついて。
「いやあ、彼ら、単純に、すごいね。聖歌隊っていうの? 息が揃ってる。こんな道端じゃなく音が反響する聖堂の中で聞きたいくらいだもの、楽器の演奏付きでね」
歌い上げられるようにして唱えられる聖句に合わせて機嫌よさげに体をゆすっている黒猫の後ろ姿を見下ろして深い深いため息をつく。考えるのはやめだ。
馬を進ませ中央にいる身なりの良い聖職者に近づく。悲鳴を上げて遠ざかる者がいる中で、その聖職者は踏みとどまり周囲に向かって声を荒げる。
「聖句を唱えるのをやめるな! 悪魔に効いているぞ! 未だ我々が襲われていないのがその証明! やめたら即座に襲い掛かってくるだろう! 悪魔が退くまで絶対に聖句を唱えるのをやめるなっ! 神のご加護を!」
「いや、どうだろうな、今まさにお前を襲いその首をへし折れるほど近くに来たぞ?」
「ひぃぃ、神よっ」
怯え、叫びを上げるが、それでも身なりの良い聖職者は祈りをやめない。効果のない聖句を唱えている暇があれば逃げればよいものを、そう考えるのは俺のような立場になってみないとわからないものだろうか。
「襲うと言ったのは冗談だ。話が聞きたい。少し祈るのをやめて俺の話を聞いてくれ」
祈りをやめない聖職者。
「祈るのをやめろと言っている。会話にならんだろう」
「そうしてっ! 神の子は悪魔を退けられたァ! 効いている、効いているぞっ! 祈りをやめてくれという悪魔の懇願に耳を貸すなっ! 悪魔の言葉は一切聞いてはならぬっ! 皆のもの続けよっ! 最初からだっ! 神の子はっ……」
「懇願しているわけではないのだが……まあいい、そのままでいいから聞け、今、パリの町はどうなっている? そこに聖女を火刑にするよう主導した男がいるのでは……」
「神ぃの子のぉーお言葉にぃぃーああーくまはあああ!!!!!」
「うるさいわっ!!!!」
「ぶふっ。話にならないねえ。滑稽だけど言葉による影響を防ぐには効果的な方法ではある。あーあー聞こえなーいってね。敵対者と会話するな、言葉を聞くな、神の言葉が正しい、疑問に持つな、ただ信じろ。そうやって自分の頭で考えないように誘導されちゃっている」
「……力ずくで止めてやる」
馬から引きずり降ろしてやろうと腕を伸ばした時、それまで祈るだけで動きが無かった聖職者が機敏に自分の背後から素焼きの瓶を取り出してこちらに投げつける。とっさの事に左腕で庇い向かってくる瓶を受けてしまう。素焼きの瓶は割れて中の液体が俺の身体にふりかかる。俺に素焼きの瓶を投げつけた聖職者が勝ち誇ったように叫ぶ。
「聖水だっ! 悪魔めっ!」
「そうか、聖水か……やはり何も起きないな。溶けて消えるとでも思ったのか?」
「そ……そんな……馬鹿な……」
勝ち誇った様子の黒服の聖職者の顔が一瞬で歪む。
そうか、俺の身体は聖水にも耐えられるのか。俺の身体のどこにも存在しないはずの心臓の鼓動が少し早くなってしまったが、ここは冷静を装う。
近くに居ながらも破片や水しぶきから器用に避けていた黒猫が濡れた俺の身体を見てつぶやく。
「これはただの水だねー」
「違うっ! 黒猫の姿をした人の言葉を喋る悪魔めっ! それは確かに清らかな泉の水を汲み、聖堂にて祈りを捧げ神の加護を賜った聖なる水なのだっ!」
「あ、うん、ただの水だね」
「違う違うっ! その冒涜の言葉を吐く口を閉じよ! ……いや、黒猫の悪魔の方は聖水を嫌がって避けた!? つまり効果がある!?」
「謎の液体とか普通に避けるからねえ!? 悪魔とか聖水とか関係なく!」
「ええい! 悪魔と会話はしないっ! お前たち! 持ってきた聖水をありったけこの悪魔にふりかけよっぉ!」
「純粋に濡れたくないから避けるよ!? 避けるからね!? 避けるけど悪魔じゃないからね!」
一団の中にいた他の若い聖職者たちが男の声に応じて素焼きの瓶を取り出してこちらに投げつける。全部で3つ。剣を抜き放つ。武道の鍛錬中にも時々あった感覚。ほんの一瞬が長く感じる。
飛んでくる瓶を割らないように剣の腹で逸らす、一つ、右へ、二つ、左へ、そして三つめは掬い上げるようにして、後ろへ。飛んできた瓶はすべて地面に落ちて、割れる。
「おお、器用だねー」
「くく、俺ももう濡れたくは無かったからな」
「大道芸人になれるよ」
「馬鹿にするな黒猫」
黒猫の奴の大道芸人扱いに憤慨するが置いておく。唖然として聖句を唱えることもやめていた目の前の聖職者の胸倉を掴み、片腕で持ち上げる。男の身体は馬の上に乗ったまま引きずられるようにしてこちらにやってくる。
「ぐ、ぐぐっ」
「さて、静かになったな?」
ふざけた真似をしてくれたこの聖職者を、このまま縊り殺してやろうかと悩む。これは、俺の正当な怒りだろうか?
「その人を離せ悪魔ア!!」
馬を走らせ突っ込んできた一人の騎士から風を切るような鋭い斬撃が飛んでくる。持っていた剣を跳ね上げて相手の剣を受ける。盛大な火花と金属音をたてて剣が交差する。いつのまにか騎士たちの聖句を唱える声も途絶えている。
「くはは、わかりやすい話になったな! 叩きのめす!」
「ガァアアッ!!」
聖句も聖水も俺に効果がないとわかれば最早俺に怖いものはない。襲ってきた騎士の剣を力のまま跳ね上げて、そのままの勢いで剣を持つ方の手甲で裏拳を放つ。吹き飛び落馬する男を横目に見つつ相対する騎士たちを睥睨する。
「ぐ……聖句を、唱えよっ! 唱え続けるのだっ……ぐふ」
胸倉を掴まれたままの聖職者が喘ぎながらも騎士たちに指示を出す。馬から離され、男は俺の腕で支えられているだけだ。こいつを持っていたままでは戦えないか。
「聖句などなんの効果も無い。騎士たちを叩きのめした後で話を聞いてやるからそこらで這いつくばっていろ」
手を離してやると地面に転がるが、咳き込みながらも即座に立ち上がる。よろめき、後ずさりしながら聖職者は叫ぶ。
「ここだっ! ここが我ら死に場所だぞっ! 黙示録の悪魔の軍勢を我らが食い止めるのだっ! 故郷の為っ、家族の為にっ! ここで死のうとも我らは神の身元に向かえるのだっ! 命の限り聖句を唱え続けよォォォォ!!」
止まっていた騎士たちの祈りが再開する。歌い上げるように祈る騎士たちの顔をよくよく見ると老年に差し掛かろうかという者たちが多い。皆必死の形相。いや、死を覚悟した悲壮、殉教者になることを覚悟した者たち。
「効果は無いと、言っているだろうが……どうした、剣を抜け、そして向かってこい……」
この俺が気圧されている。この期に及び、まだ聖句を唱えるだけの男たちの行動が理解が出来ない、だから恐ろしい。
「……すごいね」
黒猫もまた気圧されているのか、喋る言葉はささやくほどに小さい。
「黒猫、これも呪いだというのか? 神の言葉による呪いだと」
「そうだよ……人はね、世界を二つ持っているんだ」
「世界を二つ?」
「そう、一つは物質の世界、心臓が止まれば終わる世界。肉体の限界に縛られた世界。実在の世界。もう一つは」
黒猫は言葉を区切り、そして続ける。
「想像の、妄想の、空想の、頭で考え、自分で作り上げた物語の世界。……虚構の世界」
「虚構の世界……」
「人はその二つが重なり合った世界で生きている。そしてなんとも恐ろしいことに、その虚構の世界は……他の人とも共有できる。人は物語を共有できるんだ。言葉で繋がることによって、ね」
「その力を上手に使えば」そう言って黒猫は金色の瞳で俺を見上げる。
「どんなことでも出来るよ。大勢の人の行動を支配する神様を創ることだって可能なのさ」
恐ろしい。そう思った。それではまるで……
「神が人を創ったのではなく、神を創ったのは人だと言っているようではないか」
「さて、ね、なんとも言えないな」
神の言葉を記した本、その中の文章、言葉、呪い……聖句を唱える声は消えない。剣を持つ敵を相手に祈るだけの男たち、それは滑稽な状況であるはずだ、しかし笑えない。
「君の言う神様には、会ったことがないもの」
黒猫の声を遠くに聞く。グラグラと地面が揺らぐ、そんな幻覚を感じた。今まで揺るぎなく存在して当然と思っていた大地がボロボロと崩れ落ちていくような感覚。今すぐこの場から離れたい。
「黒猫よ、貴様の言葉の呪いでこいつらを黙らせることはできるか?」
「相手が聞く気にならないんじゃねえ、ちょっと難しいよねー」
「ではどうする?」
「自分で考えてよ」
そっけなく答える黒猫。こいつの返事はわかりきっていた。自分で考えろ、好きにしていい。どうすればいいのかわからないから聞いているのだというのに。
騎士たちの中には涙を流しながら聖句を唱える者もいる。こいつらの事情はわからないが、決死の覚悟でここにいるのはわかる。しかしどれほどの覚悟を持っていようが、今の俺が突っ込んでいって剣を振れば、いくらかの時間はかかろうともこいつらを皆殺しに出来るだろう。それは、どうなんだ? 俺は、こいつらを皆殺しにしたいわけでは、ない。
「どうしようもないなら助言くらいはしてあげる。そうだね、こういう場合なら、ウワー、ヤラレターと言って走り去っていくのが、ちょっと気の利いた悪魔というもの……悪魔じゃないけど」
「道化ではないか」
騎士たちを皆殺しにする気にもなれないが、そちらも嫌だ。なんだちょっと気の利いた悪魔とは。
「つっきるか。二、三人は切り捨てていくことになるが」
目的地のパリは騎士たちのいる向こう側だしな。大きく迂回して回避するのも逃げるようでシャクというもの。剣を握る手に力を入れて構えると黒猫が聞いてくる。
「飛んで彼らの頭の上を超えてみる?」
「飛ぶ?」
「そう、鳥のように」
「ほう、鳥のようにか?」
それは、思いがけずに魅力的な提案に思える。鳥になって空を飛びたいとは子供の頃からの夢のひとつであった。
「よし、いいだろう。飛んでみよう、俺はどうしていればいい?」
「何もしなくていいよ、ただ馬から落ちないように気を付けていてくれれば、ししし」
この邪悪な黒猫めが笑っている。ちと軽率な判断だったか?




