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死霊の黒騎士と黒猫のルル  作者: 鮭雑炊


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 突如暴れ出した風と共に顔面に叩きつけるように降って来た雨粒を避けるため目の前に掲げた腕。それを下げると、世界は灰色になっていた。


 止まった世界。

 灰色の世界。

 雨音も消えて、静寂のみが支配する世界。


「時間を止めたのか?」


 跪き祈る姿勢で固まるプリュエル。口を開けた表情で固まるマロー司教、半目開きの酷い顔で固まるクレマン司祭、俺と同じように腕を上げて目を守るリッシュモン、その他大勢。街道を挟んで広がる畑で育つ何かの植物も風に揺れることはない。

 その薄暗い世界の中、黒猫と俺だけが色を持つ。


「あー、そういう風に説明したっけ? 時間を止めたというのは正確には違うわねぇ、ほぼ止まった時間の中で動き回ると、それだけで私たちもこの辺一帯も酷い事になっちゃうからね。正確に言うならレイヤーが違う、えっと、階層の違い。重なるようにして創ったこの世界とは別の世界の中を次元の軸をずらした………………うん、時間を止めました」


 説明を諦めたな。


「いつもいつも楽な方を選びおって……」

「心外だわ。頭の中に概念すらないものを説明するのは骨が折れるのよ。過去の黒騎士さんとの会話の中にも何度か説明を省いたり、その場しのぎの適当な言葉を使っているからね。それは黒騎士さんが勉強して正しい知識を身に着け次第、適時修正していってくださいな」

「面倒な……覚えている自信も無いが今、聞いておく。他には何がある?」

「直近では……えっと、黒騎士さんが未来の世界の男の履くものだと信じて疑わないそのジーパンも、実はレディースっていって歴とした女物だという説明を省いたこととか……」

「な……ん……だと」


 女物を断固拒否して渡された物が女物だったと……!?


「それは……言葉……どうこうでなく……騙す気満々で渡しただけだろうが黒猫ぉっ!」

「あはっ、バレた!」


 踏んでやろうと前進して大きく踏み込む。当然のように避ける黒猫。くそっ、逃げに回った黒猫は捕らえられん。


「女物……ちっ……脱ぐか?」

「馬鹿な事言わないの! いいじゃん。それ、気に入ったんでしょ? 由来が男物だろうが女物だろうが、気に入ったのなら気に入ったで使えばいいでしょ」

「くっ」


 由来がどうあれ、気に入ったのなら使えばいい。


 着心地が良い。動きやすい。本当は実に気に入っていたし、今後も履き続ける気でいた。これが女物であったとは疑問にも上がらない。想像も出来なかった。未来の女はこんなにも足の形がくっきりと浮き出る着物を履いて人前に出るのか? 恥ずかしくないのか?

 ん?


「雨粒とは……こんな形なのか?」


 目の前に浮かぶ多数の不思議な物体に気がつき、それを指でつつく。吸い込まれるようにして指に付き、消えて行く。

 これは間違いなく先ほどまで降っていた雨粒だろうが、何とも表現しづらい、あまり見た事のない形状だ。丸く平べったい。近いのは丸く焼いたパンだろうか。上が少し膨らんでいる。


「雨粒とは、もっと、こう、縦に細長い物だと思っていた……」

「ふふ、思い込みを修正するために見るということが大切だって、よくわかるよね。見る事、見れるようになる事、大事。あ、けど気をつけてね」

「何をだ?」

「体にぶつかった雨粒が消えるのも、変わらず地面の上を動き回れるのも、ここが灰色の世界に見えるのも、私が今、現在進行形でそういう処理をしているからってことを、よ」

「ん?」

「よくわかんない? まぁいいわ、とりあえず今は必要な知識じゃないって事。とにかくここは不思議な世界。それで納得して。ここは暑くないし、寒くもない。動きにくいからコートは仕舞いなさいな、これから農作業で汚れるし」

「農、作業?」

「そこで首を傾げないで! プリュエルさんとしてた会話を忘れたの!? さっきの事よ!?」

「いや、待て、忘れていない。覚えているぞ。レンズ豆だよな。それがプリュエルへの報いだと。だが、何故俺が農作業なんぞをやらねばならん?」

「つべこべ言わない。やるの。農作業。レンズ豆を育てるわよ」

「は? ……は? 俺が?」

「そう。黒騎士さんが。時間なら気にしないで。やれば終わる。やらないなら終わらない。終わるまで終わらない。これはそういうルール。さー、始めましょうか、ここから見える視界いっぱいの畑をレンズ豆畑に変える作業を!」

「視界いっぱいの……は?」


 右、左。見通しの良い景色が広がる。遠く、ずっと奥まで。

 それを豆畑に変えるのだと? 俺が?


 無限作業編。そう言った過去の黒猫の言葉が、ふと脳裏に蘇った。





 土を掘り起こす。

 黒猫がどこかから取り出した鉄製のクワ。渡されたそれを大きく振り上げて、下へ。


「これは、意外と力がいるな……」


 よくわからない雑草を根ごと掘り起こした土で、うねを作る。


 農業の知識など欠片も無い俺だが、腰の曲がった老人や年端のいかぬ子供が作業していた姿を遠目で見ていたことはある。ろくに戦えもしない奴らが軽々とこなしているのを見て、もっと楽な作業だと思っていた。農作業、侮りがたし。


 畝がある程度広がった所で、その部分の時間を黒猫が進める。見る間に枯れていく雑草。残されるのは剥き出しの土。そこにやはり黒猫がどこかから取り出したレンズ豆を腰に付けた袋から取り出し、一か所に数粒ずつ埋めていく。


「こ……腰が痛い……だと……」


 たったこの程度の作業で痛くなった腰に手を当て立ち上がり、俺が作り上げた波のようになった畑を見る。広大な畑の端の、極々僅か、一欠けとすら言わぬ、ほんの一部分、切れ端の切れ端。


「終わるのか……これ……」





「人がご飯を食べて成長するように、植物が成長するのにも栄養というものがいる。多くの植物はその栄養をどこから摂っているかと言うと、それは土から。準備してあった食べ物がただ食べ続けるだけだと、いつか尽きて無くなるように、同じ場所で同じ植物を育てると、植物にとっての栄養、食べ物が足らなくなる」

「なるほどな、理解できる……手が痛い」


 終わらない作業を続けながら、黒猫の話を聞く。


 クワを握る手が痛い。指の先が出たグローブで守られていても、手の感覚が無くなって来た。痛い。体のあちこちも。痛いのだが、そんな簡単に根を上げるわけにはいかない。作業が始まる前、いくらか言葉で抵抗したが、奴らに食べ物を与えようんぬんは、俺が言い出したことなのだ。それで一応の納得をして作業を始めたのだから、こんな序盤で放り出すのはあまりにも恰好悪すぎる。


「理論なんて知らなくても、長い歴史の間に、こうすると良い、ああすると凄いとかは、ちゃんと残り、他にも伝わっていくものよ。正しい事であれ、おかしなことであれ。畑は休ませる必要がある。理由はわからないけど皆がそうするからそうする。そんなもんよ」


 今俺が作業している畑は、ちょうど休ませることにした農地らしかった。


「この時代ではまだ、育てる、休ませる、せいぜい間に豆類を挟む、というのが主流みたいだけど、そういうのも洗練されていくからねえ。色んな方法が生まれ、色んな方法が消える。より良い方法を探してどんどんと複雑になっていく。いつか人は植物に必要な栄養すら自分たちで作り始めることになる。人工の肥料、ね」

「人工肥料……」


 人の手で作った肥料。それは人の手で作った人工甘味料、鉛の何やらとは違うのか? 毒ではないのだろうか?


「必要な栄養といっても、植物ごとに求めるものは違うからね。人と馬は食べる物が違うでしょ。小麦畑を休ませる時、放置して勝手に育った人の食用には適さない植物。それは人が口には出来ないけれど、牛とか馬とかの家畜さんなら口に出来る。家畜さんがその植物を食べた後に出る糞……ウンチちゃんとか、枯れて腐った植物とかが新しい肥料、栄養になって、次の年の人間が食べる為の小麦を育てる準備になる。物事が循環するように、栄養もまた循環する、形を変え、姿を変え」

「俺たちは所詮、繋がった輪の中の一部でしかなく……」

「いい事知ってるわね、黒騎士さん」


 少し離れた所で何もしていない、ように見える黒猫が感心する。最近仕入れた知識だがな。


「ああ。腰が痛い。人にとっては小麦やら肉やらが喰いもんでも、植物は何を喰っている? 目に見えぬ小さな生物か?」

「惜しい。いや、全然惜しくないか。物ってさ、分割して小さくして、その小さいものを、どんどんと分割して、より小さくしていくと、それ以上は分けられない小さなものになるよね。いわゆる元素」

「おお、知っているぞ! 火、水、土、風の四大元素の話だな? そういう話は好きだぞ」

「おー、格好いいよね、四大元素。色んな物語とかでも使われる時代を問わぬ面白さ。けど違う。まったく違う。それは黒騎士さんが学んで上書き修正すべき知識ね。これ以上分けられないなー、なんていう元素、実は結構種類がある。そのうちのいくつかが植物の生育に必須と、そう覚えておいて。今は」

「そういうのは、どういう場所で学んで知るんだ?」

「学ぶ場所? あー、そうね、人付き合いの常識とか含め、適当な時代の適当な学校に放り込むから、先ずは一旦、そういう所で学んで」

「何だと? 今、俺の話をしているのか? 貴様から直接は学べんのか?」

「一言で言うと、私が面倒。二言で言うと、私が欲しい助手は、自分で学んで自分で考えることの出来る人だから。私は私のコピーはいらない。そういうのが必要なら必要なだけ生み出せるしね。だから黒騎士さんには自分なりの成長をして欲しい。のびのびと自由に。面白い感じに」

「……黒猫、貴様」


 何が面白い感じだ。放り投げも良い所だ。


「まぁまぁ、全部ほったらかしにするわけでなし、学ぶ場なんて、それこそ星の数ほど。困る事は無いわよ。学ぼうとする人の先にある道は長い、たぶん、黒騎士さんが思うよりも、ずっとずっと……ってことで、その場その場で、臨機応変に、適当に、良い加減に、やっていきましょ、はいはい、手が止まってる」

「く、終わらん……」





「黒猫よ……この作業は……必要、なのか……?」


 息が切れる。体力が尽きそうだ。軟弱な女の体め。

 作業の手を止め、腰を伸ばす。


「必要だからやっているわけで」

「本当か? この作業は、本当に、必要か?」

「はあ、どうしてそんなに疑り深くなってしまったのかしらねえ」

「胸に手を当てて考えろ」


 明らかに自業自得だろうが。


 豆、豆、豆……

 ひたすら土を掘り返して、そこに豆を埋めていく作業。

 飽きた。もうやりたくない。口にはせんが。

 思うに、この薄暗く静かな空間がいかん。陰気に過ぎる。息が詰まる。無人島の遠慮のない晴天と波音が懐かしい。戻りたい。戻って休みたい。口にはせんが。決して口にはせんが。


「そもそも、何でレンズ豆なんだ?」

「レンズ豆は、まぁ、あの流れじゃそうなるでしょって話なんだけど……」

「豆なら豆で、そら豆の方が俺は良いぞ。大きくて食いでがある。レンズ豆は貧しい者が口にするもんだ」

「プリュエルさんがあの時に渡してくれたのがそら豆だったら、そら豆になっていたわねえ」

「おお、その時に肉を渡されていたら、肉でお返しされたわけか。プリュエルめ……」

「プリュエルさん悪くないでしょ!? てか、そういう裏道的なものを探そうとしないの。人の事を言えた性格でもないんだけど」





「飢餓のシステム。それは多くの場合、流通の不健全から生まれる」

「…………」

「あたり一帯から食べ物が全部無くなるっていうのは、まぁ、あるにはあるけど、そうそうは起こらない。多くの場合、あるところにはある。けれど、うまく必要としている人に届かない。流通にもコストがかかる。物を運ぶのもタダじゃないからね。それは流通そのものが持つ欠陥だったり、あるいは人のとった行動、値上げの為の食物の抱え込みだったりするわけだけど……」


 また黒猫の解説が右から左へ抜けていく。

 耕して、豆をまき、耕して、豆をまき、耕して、豆をまき……


「広い視野を持って周囲を見た場合、この場所以外の食料事情は健全のままだったわ。まだ収穫にはちょっと早いけど小麦も穂をつけて生育も順調。今回は対応できないほどに激増してしまった人口が瞬間的な飢餓を引き起こす原因だったわけで……」


 奇跡に頼らないような正解はあるのかと聞いた答え。

 耕して、豆をまき、耕して、豆をまき……豆が嫌いになりそうだ。特にレンズ豆。


「その場しのぎの姑息療法で対処が可能だった。黒騎士さん。だから黒騎士さんの出した答えはとっても良い着眼点を持つものだったのよ。あるならあるところから借りる。名案。その発想は素晴らしいものだった。最後に私に頼っちゃったけど、あとちょっとだったのよ。あとは皆を説得して組織立って動いて周囲から借りていくという地道な作業をしていけば……」

「……できるか? 食料を借りること」


 言葉少なに反論してみる。

 あるいは少しは話を聞いてくれる者がいるかもしれないが、誰もが貴重な食糧を分け与えてくれるわけではない。だから交渉などすっとばして最初から根こそぎ略奪という話になるわけで。


「言うは易し、行うは難し、よねぇ。理想があっても、そこに至る道は険しい。今回の場合も……難しかったでしょうね。無理だった、と、そう断言してもよいくらいには。借りたものは返されるという”当たり前”を、この時代の人は信じることが難しい。あまり成熟していない。常識が、社会が、そうなっていない」

「出来ないなら、この答えに意味はないだろう……」

「不可能事に見えても、やって出来ない、と、やらない、には、天と地ほどの違いが生まれるものよ。やって出来なくても失敗の経験が増える。その失敗の経験こそが、次の成功の実を結ぶための栄養なのよ。略奪を選ばなかった。借りようとした、本気で返そうとした。その事実が、ほんの少しだけ人の認識を変えて、世界の歴史を一歩進ませることになる。そういう事が可能な歴史を、歩み始めることになる」

「……歴史とか」


 よくわからなくなってしまった。

 男として生まれるか女として生まれるかすらあやふやな世界で、確かな歴史など存在出来るのか、と。


 耕して、豆をまき、耕して、豆をまき、耕して、豆をまき……





「もうやめだーっ!」


 クワを遠くに放り投げて、大地に倒れ込む。牛や馬しか喰わぬ雑草に背を預け、心の中心から沸き立つ叫びを吐き出す。


「飽きた! 俺は飽きたぞ! やめだ、やめ! ちっとも終わらん! 何が農業だ! 阿保かっ! 何だこの世界は! 暗いわっ! 阿保か!」

「まだ千分の一も終わっていないんだけど……」

「出来るかっ! 最初から! 無、理、だ!」


 休みつつ、黒猫と雑談をしつつ続けていた作業。まったく終わりを見せない。

 少し遠くに固まったまま動かないプリュエルたち。その風景にほとんど変化は無い。俺が為したほんの一部のみが地肌を晒している。


「ああ、間違っていた! 何故俺がこんな作業をせねばならん! 奴らが恩恵を受けるのだから奴らが働け! この馬鹿めが!」

「荒れてるなー」


 黒猫に言いくるめられて納得した気がしたが、これは納得してはいけない類の話だったのだ。何が言い出したのは俺だ、だ。おのれ、言葉巧みな詐欺師め。


「終わらん、ちっとも終わらんぞ黒猫。もう無理だ。このまま続けても何日、いや何か月かかるか……」

「時間なら気にしないでと」

「奴らの時間は流れてなくとも! 俺の時間は流れているのだ! 気にするわ!」

「まぁねぇ、体感時間で言うと、あとどれくらいかかるのかしらねぇ。長丁場になりそう」

「つ、続けるのか? これを? この虚無的な作業を?」


 泥だらけの体を起き上がらせ、周囲を見渡す。あまりにも絶望的な作業量だ。


「ああ、ひとつ思いついたぞ……名案だ……」

「はて? 何を思いついたのかしら、黒騎士さん?」

「別の答え、だ。黒猫。貴様に出された試験の答え。正解は何もしない、だ。勝手に飢えろ、勝手に争え、俺は知らん、俺は無関係だ。これが本当の答えだーっ!」

「こらまた、酷い」

「何が酷いものか!」


 近くにまで来た黒猫に思いを伝える。


「仕事は向いている奴にやらせろ! もう限界だ! 俺は、畑仕事は、向いて、いないのだっ!」

「……黒騎士さん」

「なんだっ!」

「駄々っ子をこじらすのも美少女なら絵になる」

「くそがっ!」


 引きちぎってぶつけようとした雑草は黒猫に届く前に四散する。


「あははっ、本当は限界なんて、まだまだ先でしょうに。けど飽きたならしょうがない、堪え性のない黒騎士さんの為に、耕すのは一旦やめて、次のステージに移りましょう」

「は、次のステージだと?」

「そう、さっきまでの作業なんて農業のほんの一歩。こんなの出だしもいい所。本番はここから。今まで黒騎士さんの耕した畑を使って、レンズ豆の発芽と生育編、始めるよー」


 立ち上がり逃げたが。

 この灰色の世界。

 どこに逃げ場があるというのか。





魔王からは逃げられない。

次回、レンズ豆の発芽と生育編、始まりません。

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