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「すごい! 強い! カッコいい! すごいです! とにかくすごいでしたよ! プリュエル様!」
「凄かったですか!?」
「もう、とろけそうなくらい恰好良かった! こう! 剣を! こう! 足が! こう! 上がって! こう!」
「ですか……」
騒々しさの戻った中、偽ジャンヌが目の見えぬプリュエル相手にに先ほどの戦闘の説明をしている。興奮して何の具体的な説明にもなっていない。何も伝わらんだろう、それ。
すぐ横にはルルの呆れ顔。
「何とまぁ、終わってみれば苦戦もしない一方的な勝利……強いねえ」
「遊びだ、こんなもの。大したことはない」
ラ・イルの奴も本調子ではなかったしな。
謎の力で攫われて混乱し見も知らぬ女に剣を突きつけられて決闘……決闘は奴から言い出したことにしろ、こんなもの、いきなり通り魔に会ったのと変わらん。
「ねぇ黒騎士さん、君はそれだけ体を自由に動かせるのだから、絶対にダンスの才能がある。どうよ? 私と一緒に世界を獲りに行かない?」
「行かん。何をだ。どこへだ」
戯言を放ってくるルル相手に適当に返事する。ここで本気で嫌がると興が乗ったルルの奴に舞踏修行で世界中を回らされかねん。
「……ジル・ド・レ」
「あん?」
突きつけた剣の先。
地面に横たわる男の口から名前が零れる。
「ジル・ド・レ……今は行方不明だとか……奴も強かった。……お前はジル・ド・レの、何なんだ?」
「…………」
……わかる人間にはわかるものなのだろうか。
リッシュモンにも見抜かれたしな。
子供の頃から無我夢中で剣を振り続けて体に染みついた動きが、この全く由縁のない女の身体ででも出来たわけだし、そういうものは滲み出るようにして伝わるものなのかもしれん。
だが問題ない。認めなければ何でもない。
「はてぇー、ジル・ド・レェ? 一体何を言って、ごふん」
裏声は必要ない。
今は普通に話しても男ではなく女の声だ。
「ふん、ジル・ド・レだと? 知らんな、そんな男は。俺には関係ない。会ったこともない。今でも出て来ずに行方不明のままなら今頃どこぞで野垂れ死にでもしているのだろうよ」
野垂れ死んで復活し、骨になって今は女。
己を振り返ると実に笑える身の上話、いや笑えない。まったく笑えない。
「……天使はジャンヌの魂を連れて行ったのか? あの子は、神の御許に行けたのか?」
「…………」
唐突な話題変更。ラ・イルからの質問。
ジャンヌの魂はどこにいるのか。神の御許とは具体的にどこだ。
魂とは。神とは。
その質問に対する完全な答えは、俺の中には持ち合わせがない。
剣の切っ先を石畳の上に置き、腕を休ませる。改めて、この剣は今の俺には重い。
「……天使……てん……俺の知り合いによると……そうだな……ああ、ジャンヌは神の御許という所には行けたらしい。生前の報告をして……ふん、今頃、神を相手に愚痴でも零しているんじゃないか? きっちりと自分の仕事を終え、使命を果たし終えたのに、その後の処遇が酷すぎるとかなんとか」
言葉を探し。言葉を選び。答える。
嘘だ。
こんなものは、全くの作り話。口から出任せ。真実など欠片も存在しない。
「そうか……く……くぅ……うう」
だが。ラ・イルにとっては、そうではなく。
その言葉の数々に、奴の虚構の世界が揺らされる。虚構に作り上げたジャンヌの虚像の姿が照らされる。
「無駄じゃなかったのか……うう……ああ……俺たち……くう」
地面に横たわったまま、ラ・イルは上げた片腕で両目を覆う。男の瞳から零れる涙を、降りかかる雨粒が隠していた。
「さてと。雨が酷くなってきたから本当に引き上げるわよ、皆も風邪を引かない様にね、じゃ」
「おい、ルル、まて、ルル」
さっさと一人で消えてしまいそうなルルを引き留める。思い出した。俺はまだ窮地に立たされていた。
「俺を置き去りにするな。俺も連れていけ」
「お腹もすいたし、今からあの無人島で、のんびりと温泉に入ってご飯を食べたいんだけど……」
「いいな! 無人島! 温泉! 入りたい! 俺も混ぜろ」
置き去りにされたくない一心。
温泉なんぞにさして興味も無いが、ここは必死になる場面。先ほどから、開けた太もものあたりに視線が集中しているようで気持ち悪い。
「そう? じゃあ一緒に」
「天使様……」
説得に成功しかかった時に、横から割り込む女。
プリュエルの同僚。癒しの奇跡を受けた女僧侶。盛大に切れていた口の端は傷跡すら存在しない。
「猫様を、リュンヌ様を、どうか、もう一度、私たちに、お役目を」
「んー」
言い難いことを、それでも言わねばならぬとばかりに。
「はっ、そ、そうです! 今回は私どもの不手際で誘拐なんてものを許してしまいましたが、次は必ず守ると誓います。どうか私どもにリュンヌ様を守護する再びの機会を賜りくださりませ」
そこに必死なマロー司教も混ざる。
「困ったわねえ、どうしましょう、うん、こうしましょう」
銀の夜なんたらの満月なんたらという大層な名を与えられた黒猫を抱く黒衣の少女は、その黒檀のような艶のある髪の上に黒猫を乗せる。
「貴方たちに預けていたのは、猫さんが体を癒す時間が欲しかったため。そして今まさに、猫さんは完全に癒えました。つまり役目を終えました。貴方たちは私の望みを十全に叶えてくれた。今まで守ってくれてありがとう。そして……」
黒衣の少女の頭の上、両手で支えられた黒猫が、目を開く。
「黒猫としてのルル、特に盛り上がりもなく、ぬるっと復活、ふふ」
金の瞳。満月が二つ。
その言葉は、声は、確かにその猫の口元から発せられていた。楽し気に歪められた口元の髭を揺らしながら。
猫が人の言葉を喋る。その下の黒衣の少女の口は閉じられている。
猫を頭の上に抱く少女が旅芸人なら、よくも練られた腹話術だなとでも感心する所だが、さんざん奇跡を見ている。知っている。だから疑わない。疑う必要がない。
猫が喋るという異様な様子に誰もが言葉を失う。
目を見開き固まった一同を前に、黒猫は再び口を開く。
「リアクション、薄っ、もっとこう、うん、私が悪いね、ぬるっとしすぎた。再起動マダー?」
「おい、ルル……」
(余計なことは喋っちゃ駄目よ。黒騎士さん)
念話!
(今の黒猫さんは騒動の元にしかならなさそうだからね。だから連れていく。こんな感じで相手を立てつつ、なんとか有耶無耶にしてあげようという私の深慮を無駄にしないで)
(いや、あれだ、その)
(なーに?)
久しぶりの念話に戸惑いつつも、念話で返す。
(いいのか念話、世界を汚すうんぬん、じゃなくて)
(念話での世界の揺れはとっくに調整済みよ)
(そうか、じゃなくて、いいのか? 黒猫と、下の女がいる状態)
(ふふ、私が二人いるってこと? 同時存在なんてお手のものよ、問題ないわ)
(じゃなくて)
なんだ同時存在とは。いや、今はいい。
念話は苦手だ。集中すると念話以外の事が出来なくなる。
(猫に宿っていた精神が魔女を乗っ取ったとか、そういう話を屋敷でしていたのではないのか? そして猫が復活した。ならば今の状態、魔女も同じく復活した、とか受け取られかねないんじゃないのか?)
(あ、忘れてた)
唖然とした表情で様子見をしている奴らの中には、そういう事を考えている者もいるのではないだろうか。
(どうしよう、黒騎士さん、同時存在とか、説明が面倒だし、よし、こうしよう)
すべてはルーアンの屋敷の茶番から始まったつじつま合わせ。合わせに合わせて今の状態。知らん。どうするもないと俺が答える間もなくルルは次の行動に移る。
黒衣の少女は、そっと石畳の上に黒猫を置き。
「オーホッホ!」
胸を反り上げて口元に手をやり、笑い出した。
「ワタクシも復活しましてよ! けれど、どういうことでしょう、ああ、長い時間、気高い存在であるところのルルなる者の清らかなる魂と共にあったせいで、とても強い光の力に晒されていたせいで、ワタクシの憎しみの心は消えてしまいましたの。今のワタクシは人に無害な存在……ただの野良魔女になってしまいましたわー」
「…………!」
唖然とした口を、さらに大きく開いて絶句する一同。
「もう絶対に人に害は加えないと誓いますわー。こほん、では……サラバダー」
「!」
黒髪、黒瞳、闇夜のような黒衣を纏った美しい少女は背中に巨大な羽を生やして空へと浮かぶ。いつかのコウモリの羽だ。
「オーホッホ! オーホッホッホー!」
浮かび上がった少女は、背中の皮膜の翼を羽ばたかせて、小雨降り止まぬ夜の空に溶ける様にして消えて行った。
「……なんて説明口調だ、てか、あんな喋り方してたか?」
念話ではなく、つい口から漏れた言葉。
ルルのやつ、魔女がどういう人物像だったかも忘れてやがる。なんだその奇矯な笑い方。絶対そんな笑い方はしていなかったぞ。
そんな俺を咎める者も無く、一同は消えて行った魔女の姿を夜空に探していた。
「ど、どういうことォ!?」
「何が!?」
「復活したのか!? 魔女が!?」
「え!? え!?」
「野良魔女ぉ!? 魔女が!? 野良で!? 大問題では!?」
場は再びの大混乱。混沌そのもの。
「……はぁ」
まぁいいか。どうでもいいし、どうとでもなれ。
俺はかつて、ルルは先の先まで見通して物事を考える奴だと思った事があったが……ないな。ない。こいつはその場その場で適当な対応をしているだけだ。だから後で困ることになる。
「逃げられたという事ですか!?」
「え、まあ……」
「ど、どこにっ!」
「さあ? 魔界、的な?」
「問題は無いのです!?」
「無いんじゃない……ほら、自分でも言ってたし……」
「あれが世を乱した主犯であると聞いてます!」
「あのね、罪を憎んで人を憎まずの精神でね……」
「魔女が信用できますか!?」
「信じてあげようよ……」
「あの魔女の人を操る力は、力は、今、どうなって」
「あー、もう、うるさーーいっ」
ほらな。今の様に。
質問攻めにあっていた黒猫は、剣を支えにして休んでいた俺の肩へと飛び移り、頭の上に、よじのぼる。雨で濡れた猫の足が冷たい。
「明日ね、明日! また来るから、来ないかも、明日の気分次第、じゃあね」
「ちょ、おまち……」
「そ、う、い、え、ば! 雷と共に私は来たわね、じゃあ、帰る時も雷を落として帰るのが、スッキリする帰り方ってものよね? お約束、ね? だよね?」
「は?」
「に、にげろ」
「うああ!」
「ちょ、ちょっと待てルル、おい、何を」
言い終わる前に、光った。
俺を中心にして逃げていった連中が光に呑まれて、轟音が響いた……気がした。
滅茶苦茶だ。もう。
気がつけば、そこに光はなく、轟音も存在せず、乾いた砂地に、俺はいた。頭に、一匹の黒猫を乗せて。
「!」
見上げると。
……見上げるまでもなく。
夜空は満天の星空。地平の彼方から天上の果てまで闇の隙間もなく、星で満ちている。そこに雨雲はひとつとて存在せず。
「……う、お……雨が、止んでいる? いや」
俺の頭から砂地へ。音を立てない華麗な着地をした黒猫が俺を見上げて語りかける。
「パリじゃまだ降ってるわよ。ここは晴れているけど。場所が違えば天気も違う。不思議じゃないことよね」
海からの暖かい風を感じる。気温まで違うらしい。
「転移したのか……くく、くくく、なんて帰り方をする、ルル……黒猫よ。あれでは何人か死んでいるのではないのか?」
「死んでないから。殺してないから。本物の雷じゃないから。ちょっとした光と音だけだから」
「必要あったか? 最後の音と光は」
「必要あったかどうかで言うなら、ないね、全然」
「そうか、必要無かったか、くく」
静かな波音が俺たちを包む。
あの場に残された者たちはどうなんだ。奴らは目にした奇跡に面食らっていることだろう。爆音と共に消えた俺たちを前にして、奴らは揃って間抜け面を晒していることだろう。拝んでやれないのがもったいない。
「くく、ははは」
どうしたことだろう。
今の俺の気分が、悪くないものであることは。
どうしてだろう。
ここに帰って来たという感情が生まれるのは。
人が人の言葉を喋るのより、猫が人の言葉を喋っているのを見て、落ち着くのはどうしてだ。
「あの魔女姿のお前が苦手というだけの話か……」
「何そのナチュラルに人を傷つける言葉」
「いやなに、黒猫よ、そうしているのがお前には合っているという話だ。ずっとそうしていろ」
「断る。てか、ふふん、これから温泉だしね、人の姿で入るわよ。猫という生き物は本能で水を嫌がるものだから」
口の端を上げて嗤う黒猫。うむ。少女の姿よりも邪悪さが薄れている。
黒猫。
人に斬られて、人に攫われて、人を嫌い、ルルの精神の入れ物となった猫。
「……どういう状態なんだ、それ」
自分でも質問の意味を計りかね、だが気になって。
喋りながら、考える。
「あー、つまり、貴様がその体を借りている間、猫のタマ……精神は今、どうなっている?」
魂と言いかけて、やめる。
魂など知らんという答えが返ってくるだけだったろうから。
「寝ている状態だねぇ。そして、夢を見ている」
「夢を?」
猫が星を見上げる。釣られて俺も、星を見る。
「星座ってあるよね?」
「ああ、いくらか知っているぞ、あれは確か……」
「教えてくれなくていいよ。覚える気もないし」
指を指し示した俺に興味無さげに答えるルル。
「記憶とは、星と星を繋いで星座にすること」
「ん?」
「感情が生まれる源泉である所の記憶、その在り様は、点と点を繋いだ意味を持つ形だという話よ。起きている時にした経験の記憶。それは寝ている間に必要のないものが消され、必要のあるものが強化され、整理される。睡眠の本質、それは何かを残すこと、何かを消すこと……自分にとって大事なものを、大事にするために」
猫は語る。
「大量の要らないものに埋もれていては、大事なものを大事にすることは出来ないのよ。この黒猫さんは人という生き物に対して嫌な記憶を持っちゃってるわ。だからそれを上書きしてあげたい。幸福な気持ちで上書きしてあげたい。嫌な繋がり方をした線を消して、良い線が残るように。……黒猫さんが、夢を見ている間に」
猫は金の瞳で俺を見て。
「この状態を利用して、沢山の良い記憶を持たせてあげないとね。人を嫌うのも個性だけど、なんなら野生なら問題にすらならないんだけど、むしろそれで正解なんだけど、猫は人と共にあれる生き物だからね。それではちょっと悲しい。これは私の都合を押し付けているのよ。ということで、黒騎士さん、君を猫愛し係に任命する」
「猫愛し係ぃ?」
「私が猫でいる間、沢山愛でて、沢山愛して、沢山可愛がってもらうわよ、そういう係、んー、役職みたいなもの?」
「おい、黒猫。変な役職を作るな」
「使命がどうのこうの言ってたし、丁度いいでしょ、私が決めた、黒騎士さん、君の天よりの使命は猫を愛すことである。汝、猫と和解せよ」
「ええい、よくわからん使命を押し付けるでないわ」
「ふふ」
抗議もむなしく、黒猫は歩き出す。
「まずは温泉、さっぱりしましょ。その後ご飯、メニューは、ええと」
「おい、黒猫」
「なぁに? これから私を甘やかして甘やかして甘やかすことが決定した黒騎士さん」
「やめろ、俺はお前を甘やかさないぞ」
「とりあいませーん」
無人島の奥へと進む猫の足取りは止まらない。
どうした事だ、このまま、なし崩し的に猫愛し係なんぞという使命を背負ってしまいそうだ。なんだその使命。格好良くない。まったく憧れないぞ。逃げたい。そんな使命からは逃げ出したい。
「この無人島に馬の奴もいるのか?」
「いるんじゃない? 寝てると思うから、会いたくても明日ね、明日」
逃げる時には馬が必要だというのは、今までの経験から導き出された答えだ。無人島から馬でどうやって逃げる? パリの町から猫を攫って逃げるのとはわけが違うのだぞ。
黒猫の背中を追うのをやめ、ふと後ろを振り返る。
光すら吸い込むような深淵の黒い海。
線上。光が散りばめられた漆黒の空。
黒と白どころではない。黒ですら、色々な黒がある。
ラ・イルに投げかけた俺の言葉。
あれは、俺が求めていたものだったのかもしれない。
ジャンヌと駆け抜けた栄光の日々が、俺たちの行動が、無駄ではないのだと、そう誰かに言って欲しかった。
ジャンヌは聖女で間違いは無く、神はいて、神の使命にも誤りはなく、すべてはその為の戦いだったと、そう言って欲しかった。
「……行くか」
シャルル王の元へと。
「黒か、白か……」
先送りも先延ばしも、止め時だ。
「黒なら黒で、どういう黒なのかを、確かめに」
俺にも終わりが、必要だ。
「さしあたっては……」
ルルを足代わりにせねば、この無人島からの脱出もままならん。どこなんだ。ここは。
だから先ずは。
「温泉か」
やれやれ、温泉なんぞ、さして好きでもないのに。
そんなことを思いながら、楽し気に跳ねる尻尾の黒を目印にして、ついていく。取り残されないように。見失わないように。
黒ってな、200色あんねん(アンミカ感)
次回、二度目の温泉回!
テコ入れかな?
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