109
「さ、裁判決闘にはぁ、正式な手続きが必要でして……この時代、あの、その……」
「案ずるなマロー司教。大ごとにはしない。奴の神への問いかけも、あんなものは戦前の掛け声みたいなものだ、本気にするな。決闘裁判などと大げさなものではない。これからするのは、ただの……ただの……」
ラ・イルの決闘を受ける。受けたくなった。
ラ・イルの慟哭が俺を動かした。かつての戦友の姿が哀れに思えた。その姿が俺と重なり、苦しむ奴の為、無性に何かをしてやりたくなった。奴の怒りが理解できる俺こそが、その手で引導を渡してやる役目なのだと思った。そいつに、終わりを与えて、やりたくなった。
これは決闘か? 裁判? 裁き? 制裁? どれも違う。
受ける必要のない決闘を受ける理由。やる意味のない戦い。それは。
「他愛のない…………遊びだ」
「ふぁっ? 遊び……」
選ぶ言葉に迷って出た言葉はそれだった。
教会が禁止していると言った矢先の俺の決闘を受ける発言。
馬鹿馬鹿しくも俺たちの事を天使なんぞと誤解しているマロー司教が、今の状況についていけず混乱して口ごもる。ようやく疑う気持ちでも芽生えたか。
疑うなら疑えばいい。そのまま俺たちが天使でも何でもないことを理解してくれればいいのだが。まぁ、それはどうでもいい。
空を見る。
先ほどから降り出した雨が頬に当たり、体から熱を奪っていく。ラ・イルの憤怒に当てられた俺の体から。汚れた石畳に雨粒が黒い粒を残し、ゆっくりと大地を黒一色に染めていく。
「ラ・イルよ。一つ教えてやろう」
終わる必要がある。
いつか、ならば、今だ。
燃え盛る炎に臓腑を焼かれるがごとき憎しみを知っている。
ジャンヌを殺したすべてに対して。ジャンヌにまつわるすべてに対して。
憎んで恨んで、自分ごと世界そのものを呪った怒りを、俺は覚えている。
「自らの行動の良し悪しを天上の神に問うのは止めておいた方が良い」
「あ?」
俺はラ・イルを見て。ラ・イルが俺を見る。
「天の奴に人の行動の良し悪しなんぞは理解出来ん。そいつは正しい者の味方ではなく……ふむ、まぁ間違っている奴の味方でもないな……とにかく、嫌がらせで雷を落とされたくなくば、天に是非を問うのはやめておけ」
「ぁあん? 何言ってんだ、このイカレ女。魔女か? 貴様も魔女かよ?」
理解不能なものを見る目で俺を見上げるラ・イル。
口と目を盛大に歪めて、俺という存在を推し量ろうとしている。
「何とでも呼べばいい……魔女でも構わんが、いや構うな。それは構う。盛大に構う。れっきとして魔女ではない、いや、女でもない」
「? ? ?」
わからんか。わからんだろうな。ええい、俺をややこしい立場にしおって。
ルル。貴様がすべて悪い。
「俺の事は黒騎士とでも呼べばいい。ジャンヌが殺された日の夜、貴様の手下がルーアンで女を攫っただろう? それを阻止して女を助けたのが俺だ。貴様の手下を殺したのが、俺だ。その時は骨の姿をしていたが」
「!」
ここに来るまでに骨の姿の黒騎士が女に変化したという話も聞いていたのだろう。ラ・イルの中で点と点が繋がっていくのが見て取れた。
「おま……お前かぁあ……そのせいで、俺たちはランスでも聖女を害する悪魔の手先と言われて……」
どういう経緯か知らんが、こいつらはランスに逃れていたのか。
リュミエラもまた流れの中で聖女にされてしまった女だ。それに手を出したのなら、聖女の敵対者にもされる。
ラ・イルの俺を見る目に明確な憎しみが宿る。
「こっ、殺してやる。よりによって悪魔が、魔女が、俺たちを、人を、悪魔の手先扱いにしおって」
「知らんな。貴様らの被った悪名は貴様らの行動のせいだ」
悪魔だから敵なのではなく、敵だから悪魔に”する”のだ。今の貴様が、そうしているように。
徐々にこちらに飛びかかれるような姿勢へと変えていくラ・イル。その動きは緩慢だが慎重だ。冷静さを取り戻し始めている。
誰かの持つ松明の炎が揺れ、男の瞳の中に写り込む。
男の中の殺意の炎が表に現出し猛るがごとく。
睨み返す俺もまた、頭を戦闘用に切り替える。濃密な時間が、世界を包む。
「ラ・イル。略奪癖の抜けぬ荒くれラ・イルよ。これも教えてやろう。奪えば奪われる、燃やせば燃やされ、攫えば攫われる。どうやら世の中はそんな風に出来ているようだぞ? ……立て。情けだ。猫攫いの犯罪者ではなく、せめて戦士として終わらせてやろう、戦いの中で、死なせてやろう」
「お前……どこかで……?」
冷静さを取り戻し始めたラ・イルの頭を更なる混乱が襲ってしまったらしい。必死に何かを思い出そうとしている。目を見開き、過去を思い出そうとしている。
無駄なことだ。
どれほど記憶を探ろうが、今の俺の姿と戦友ジル・ド・レの姿が重なることはないだろう。ないよな。ないはず。
それまで一言も発せずにいたルルが口を開く。
「それは君の怒り?」
「……何を言っている?」
何を言われているのか、わからなかった。
「いいから剣を出せ、剣が無くば何も始まらん」
「老婆心ながら……人は共感という機能を持っているのよ。これは動物でも、なんなら植物にもある機能なんだけどね。知ると、見ると、繋がると、人は共感してしまう。知らず、自分の身に置き換えて考えてしまう。ねえ黒騎士さん、君の中に彼の怒りが混じってしまってはいないかしら?」
「…………」
「もう一個、君の怒りを、都合を、彼に押し付けようとしてはいないかしら? ちょっとだけ立ち止まって考えて」
「…………」
手はルルの方へ向けているが、目は油断せずラ・イルの全身を捕えている。動きの一つも見逃さん。
手を差し伸べる俺を無視して、静かに答いかけるルル。
「君と彼は、別人よ?」
別人。
そんなことはわかっている。
ルルの奴は何を言いたい?
「重要な事か?」
「それなりに」
「…………」
考える。考えろ。意味はわからなくとも。
確かに俺は、目の前にいる男の身の上と俺自身を重ねた。
ジャンヌの旗の下で共に戦い、どうにかジャンヌを救おうと足掻き、同じようにジャンヌの死を嘆いて、王への不信もまた同じく抱いて、世界そのものすら憎んで……決定的に違うのは、ルルと出会ったかどうかくらいのもので……
――ルルによって、それが筋違いだと言われて。
――違うだろうと、叩きつけられて。
ジャンヌの生の意味。ジャンヌの死の意味。
わからない。今でも。
目を背けたくなるような……今でもか……今でも目を背けているのかもしれない。それに正面から相対することを恐れている。答えを出す事を恐れている。フランスの為に、シャルル王の為に戦ったジャンヌの死に、俺は、明確な答えを出せないでいる。ジャンヌもまた、王や誰かの工作によって作られた偽物の聖女ではなかったのかという問いに、明確な答えが存在してしまうことを、恐れている。先延ばしにしている。
ただ。いや。だから、か。
俺は受け入れてしまった。流されてしまった。ジャンヌの死んだ後の世界を受け入れて、その身を焼く炎が消え去ってしまったことを、俺は心の中で…………恥じている。消えて燻った燃えカスを前にして、戸惑っている。苛ついている。
そうか。ならばこれは、八つ当たりか。
俺はその地獄から抜け出した、だがラ・イルは未だにその苦しみ火の中、ならばそこから救ってやりたい、などと、一瞬でも思った。そんなもの俺の勝手な思いだ。奴自身の願いではない。
奴を自分の身に置き換えて、惨めな様を晒し続けるならここで命を終わりにしてやりたいと願った。
死に場所を探しているのだろうと……
俺ならそう願っただろうと……
俺なら死を望むだろうと……
実際は、俺には持ち続けることの出来なかった炎を持ち続けているラ・イルに、俺は八つ当たりをしたいのだ。俺とは無関係な奴に、ぶつけたいのだ。
俺の、ねじくれ、歪んだ、怒りを。
だが、それだけではない。
それだけではないのだ。
学んだ。人というのは、ただ黒と白で分けられるものではない。色々とある。
人の感情もまた、あれやそれといった言葉の一つで括れるようなものではない。
「……ルルよ。答えだ。奴の怒りは俺の中には混じってはいない。だが、俺の都合を押し付けようとは、している」
「あ、そ」
奴の怒りは俺の怒りとそっくりのものだが、奴だけの怒りだった。
俺の中に在るのは、俺だけの怒りだった。
そもそも何だ。奴の罪は俺の罪などと、勘違いをしていた。奴の罪は奴の罪だった。危ない。俺まで猫攫いの悪名を被るところだったわ。
こともなげなルルの様子。どんな答えを返してもこいつは否定も肯定もしなかったかもしれない。考えることに意味があるのだと言わんばかりに。
手を伸ばす。
「剣を」
「命のやり取りは必要? 殴り合いとかじゃ駄目?」
「貴様は人というものをわかっているようで、何もわかっていない。男というものをわかっていない。戦士というものをわかっていない」
「それは命より大切?」
意図せず俺の口から出た遊びと言う言葉は、正にこういう時に使われるものなのだろう。
やる必要のないものを、それでも、やりたいと願う時に。
命のやり取りすら、遊びになることは、ある。
「命よりも大切なものはある」
「それは、何?」
「知らん。だが、ある」
「……その体は斬られれば血も出るし死にもする。私の治療を当てにしているなら期待しないことね。馬鹿やってした傷はそのままにしておくからね。私はそこまで甘くはない」
「ルル、貴様が俺に甘かったことなどあったか?」
「記憶力に問題があるようね、甘々の大甘でしょうが」
視界はラ・イルの全身を収めている。俺の死角、ルルの方に伸ばした手の中に、ふいに剣が生まれたのが、わかった。
「!」
重い。
腕ごと持って行かれそうな重さ。
「ふふ、女性としては力は強い方、けどそれはあくまで人の領域。前の体とは勝手が違うわよ。さしもの黒騎士さんでも今回ばかりは苦戦するんじゃない? いいえ、負けるんじゃない? 死んじゃうんじゃない?」
見えずとも黒衣の少女が口の端を上げて嗤っているのがわかる。
「なめるな」
切っ先を振り子のようにして体に引き寄せる。両手で握り直した柄を支点に反動を利用して剣先を天へと向ける。
相手に切っ先は向けない。それをするにはこの剣は重すぎる。
「わけのわからん力では敗北のしようもないだろう。馬鹿にするな、だよな。剣士を虚仮にしおってと怒鳴ってやりたい。理不尽魔王め」
ラ・イルの目の前にも剣が生まれていた。剣の先端だけが地面についている不自然な状態で立っている。
「剣を取れ、ラ・イル。誰にでもわかる明確な敗北を与えてやろう」
男は剣を慎重に握り、一振り。俺と対峙する。当然だが、奴は自分の剣を軽々と扱っている。両手持ち。切っ先は俺の方へ。
「ローブ姿じゃ動きにくいでしょう。甘くない理不尽魔王でも、これくらいはしてあげる」
何をするのかと問う前に、俺のローブの裾の片側が足元から切れていく。途端、両膝の動きが自由になる。
「これ以上の手出しはするなよルル」
「はいはい、死んでらっしゃい」
動きやすい。動きやすいが、今の姿の俺、もしかしてこれ、太ももが大胆なあれではないか。……裸マントよりはマシと思おう。余計な思考は外へ。周囲から音が消え、敵は前。
「俺はお前に会ったことがある……俺はお前を知っている……どこだ?」
剣を向けてはいるものの、踏み込んでくる様子のないラ・イル。
「向かってこないならそのまま首を刎ねられろ愚か者」
俺の方からにじり寄り、互いの間合いへ。振り下ろしの一撃。
「く、浅い! 遠かった!」
剣の間合いを見誤った。体が小さいからだ。腕が短いからだ。
それでも切っ先が顔面を裂けば致命の一撃にはなる。ラ・イルが横にした剣で俺の振り下ろしを防ぎ、押し返す。そのまま奴も横薙ぎに剣を振り、俺は剣の腹でそれを受ける。
弾き返される剣と体。雨粒が跳ねる。構えなおして、間合いを計る。
「……弱い。弱いな、この体は」
わかっていたことだが。
この女の体は骨の躰、いや、男だった時と比べても、あまりにも戦闘に向かない弱い肉体。非力。何もかもが足らない。
知っていた。わかっていた。
だが。
「この剣の重さは知っている。この体の弱さは知っている。戦い方を、覚えている」
なにということもない。
子供時分、身の丈に合わない剣を与えられ、それでも嬉しくて一日中振り回していた時の俺が知っていた。
何もかもが足らない体での戦い方を。
「らあッ!」
成長した後ではいつしか上げなくなった気合の掛け声と共に、踏み出し、踏み込み、剣を振るう。横に薙いだ剣は縦の剣で受けられ、跳ね上げられ、しかしその姿勢のまま斜めの斬撃を見舞う。
だがそれも防がれる。かろうじて、男の肩に少しだけ刃先が食い込んだ。
致命とは程遠い。かすり傷。即座に放たれたラ・イルからの反撃の剣を身を屈めて躱す。頭髪が何本か持っていかれた気がする。間合いをとって後ろへ。
「このアマぁ……」
ラ・イルが口汚く罵ってくる。
アマではない。女ではない。
反論の為に口を開くことはしない。その余裕もない。ほんの数回剣を振っただけでもう息が上がりそうだ。なんて貧弱な体なんだ。これでは駄目だ。これでは。
思い起こすのは、ルルの剣。
力任せではなく、攻撃と防御の動きがそのままひとつになったかのような、あの動き。
「調子に乗んなやゴラァ!」
今度はラ・イルからの踏み込み。連撃。一撃目は正面から受ける。腕が持って行かれそうになる。駄目だ。これでも。
二撃目、相手の剣を流すように受ける。三撃目が放たれる。駄目。
三撃目。相手の剣の動きを予測し、そこに剣を置く。剣には重さの中心がある。それを動かそうとすると力が必要になる。だから中心はなるべく動かさない。動かすのは柄を持つ手、そして体。
相手の剣が俺の剣の中心から少し離れた所に当たるのを確信。体を前へ、腕も。
「ガッ!?」
俺の手元の剣の柄が相手の顎に当たる。口元から流れる血を引きながら離れるラ・イル。
かなり不様ではあるが、攻撃を防ぐ動きが敵への攻撃になった。
そのまま流れるように剣を振りきって奴の首に当てられたなら完成だが、まぁいい、コツは掴んだ。
一歩。
近づき敵の攻撃を誘う。
心臓を貫かんと放たれた剣。体を横にして躱して二歩め。
三歩。
抱き合うことすら可能な接近。致命の間合い。剣の切っ先を相手の心臓にねじ込むだけで終わり。ラ・イルが俺を見る。俺がラ・イルを見る。
だが。
剣から片手を離して相手の体に巻き付かせる。突撃を躱されて前にいった相手の体の重心から遠い場所、足元を足の腹で掬い上げて、奴の体を俺の腰の上へ。そのまま。
「ご、ふっぅ……!?」
地面に叩きつける。
「胴投げエ!!」
誰だ。大きい声で。
「貴様の負けだラ・イル」
剣をラ・イルの首筋に突きつけて、そう宣言する。
「俺の都合に付き合わせて悪かった、ラ・イル……ジャンヌは死んだ。受け入れろ。だが貴様は……」
濡れた石畳の上、男は仰向けになって全身が地面に磔にされたよう。剣は手から離れている。かつての戦友。
ラ・イル。
もしかして、あるいはこことは少し違う世界ならば。
俺がその位置にいたかもしれない男。
「ふん、死にぞこなったな」
号砲のような歓声が上がる。
阿保か。こんなもの。見世物ではないわ。




