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一人の男が叫んでいる。
「クソがっ! ぶっ殺すぞっ、ああん!!」
子供の様にわめいている。我が儘を言う子供の様に。
「魔女お! 悪魔あ! どっちでも構やしねえ! 出てこいおらぁっ!」
かつて、馬を横に並べて敵と戦ったこともある戦友の姿。
「出て来て俺と戦え!」
ジャンヌの旗の下に集った戦士の一人。
「おおお俺様の前に立てるか!? 正々堂々と姿を見せろや! 臆病者かよ! 叩き切ってやる! 俺は逃げも隠れもしねえぞ!!」
もはや自分でも何を言っているのかわからないのだろう。猫を攫って逃げていた男の言葉とも思えない。
周囲を威嚇し、でたらめに剣を振り回す、かつての同僚の顔は、見たことも無いほどの狂相を示している。恐慌。不安。絶望。理解不能。
混乱の極致。
無理もない。
俺たちから見れば突然現れたのは男たちの方だが、奴らにとっては俺たちの方が突然現れたように見えたことだろう。
猫を攫った後、馬に乗り、おそらくこのパリの町から脱出しようとしていた。それが突如、前触れも何も無く、ここに連れてこられたのだろう。ルルによって。
――攫われたのだろう。超常の力によって。
冷静でいられるわけがない。少しばかりの冷静さを取り戻した所で、周りを見渡せば抜け出す隙間もないほどの群衆。そいつらは皆、自分らを敵視している。不様を晒すのは、仕方がない。
俺が奴の立場だったらと思うと、心底肝が冷える。
俺でも冷静に振る舞うことなど出来まい。
同じ醜態を晒していた。ルルと出会う前の、俺であったなら。
「……はて、目が覚めて己の体が骨になっているのを知るのと、どちらが衝撃的だろうか?」
つぶやく。
あの時と今。
両者、自分の身に降りかかる突拍子もないことには違いないが、あの時は森の中でひとり、眼前には人語を喋る黒猫。現実味などまるで無かった。骨であることを自覚した時は、ある種の諦めのような感情もあったからな。完全に自分では対処できない緊急事態だと。受け入れるしかないものは受け入れるしかないという諦め……
「まだ自力で対処可能で、生身の人のままで、現実の延長線上であるこちらの方が、救いがあると言って良いのかどうか……どうでもいいことか。おい。荒くれラ・イル、何をしている? 救国の英雄が今はこんな所で猫攫いか?」
「あ゛?」
つぶやきからの声かけ。自分の名を呼ばれてこちらを見るラ・イル。
荒くれなどと表現されるとむしろ喜んでいたのがラ・イルという男だ。お前が裸マントになれ。
そんな荒くれ男が目を付けたのは、声をかけた俺では無く、俺の横に居る黒猫を抱えた黒衣の少女であった。
「黒猫!? ならば貴様が魔女かっ! 死ねっ! 死…………あ?」
標的を見つけ、いざ突撃せんと剣を大上段に構えたラ・イル。その手からは剣が消えていた。
「!?」
部下を率いて戦う傭兵上がりの男は戦士としても優秀と言っていい男だった。
ラ・イルは、自分の手から剣が消えた事に気がつき、武器を持たない両手を見て一瞬固まる。だが固まっていたのは、ほんの極わずか、瞬き程度の一瞬だったのは流石と言えば流石か。すぐさま姿勢を変え、雷光のごとき動きで腰に備え付けてあった予備の武器のナイフを抜き払い……また手から武器が消えた。
絶句、後、彷徨う視線。
「……!? ……!?」
俺と目が合う。
なんて顔をしているラ・イル。
ありとあらゆる感情を出鱈目に混ぜ込んで張り付けるとそんな表情になるのか?
哀れだ。哀れ過ぎて、かける言葉も思いつかない。
消せるのだ。そいつは好きなものを消せるし、出せる。そこにいる魔王は、そういう力を持つ奴だ。
おのれ魔王め、目の前に立つ勇者にくらい優しくしてやれ。戦士から武器を取り上げるな。何も出来んだろうが。
「ッ!!」
武器を取り上げられた勇者は、それでもあきらめずに腰を低くし、徒手にて突撃を敢行する。見上げた精神力だと思う。
「はいはい、ラ・イルさん、高い高~い」
その雄姿を嘲笑うかのように、眠った黒猫を胸に抱いた少女の姿をした魔王は気の抜けた声を発する。小さく形の良い唇から発せられた言葉は呪いの文言となり、ラ・イルの体を天高く持ち上げる。男の姿はそのまま夜の闇に融けていくほどに小さくなって……
「~~~~~~~~~ぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああ!!!!!!」
再び大きくなり、絶叫と共に地上に戻って来た。
熟れた果実の様に、叩きつけられ地面に染みを残す男の姿、なんてものを幻視したが、実際には減速し、地上すれすれで空中にて停止、その後、いっそやさしげに地面に降ろされる。
「……!? ……!? ……!? ……!?」
だから。なんて顔をするのかラ・イル。
赤子とてそこまで呆けた顔は出来んぞ。
「そっ、その呪文! その技はっ!? 俺が屋敷でされたヤツ! 魔女の技!」
「そーね、っふふ、力を借りたのよ」
「借りたぁ!? 魔女から!? 肉体だけでなくそんなことも出来るのか! すごいな! ぐぬぬ、そして恐ろしい……天井が無ければ俺もあのようになっていたのか! 良かった! 俺の時は、屋根があって!」
「ふーふっふ」
「あだ名……ラ・イルって憤怒って意味のあだ名だったような……はは、あだ名でも通用するんだ……」
「あら泣き虫さん、何が心配? 本名を知られなければ平気とか思って油断してた?」
「は、はは、そんなこと、はは……」
「ふふ」
楽し気に笑う魔王――ルル。ゴウベル、ついでに泣き虫の気の抜けた会話。
そういえば、そんなこともあった。ゴウベルの奴は天井に磔にされていたのだった。
「……ぁ……ぉ……ぉ……」
たった一度の強制飛行で心が折れたのか。
生まれたての小鹿よりも弱弱しく。この場から遠ざかろうとして、しかも失敗して大地にへたり込むラ・イル。それを見て、俺の中に生まれた感情は何と名付けよう。同情? 無惨? 違うな、もう少し、こう……うん。
「楽しそうだな、ルルよ……」
怒っているとはっきりと口にしていたし、ルルが猫攫い共に手心を加えるわけもない。地面の染みになっていないだけ温情というものか。
「あら? 黒騎士さんもやられてみる? 高い高い」
「そういう意味で言ったのではないわ……だが、俺に? あれを? ふん、俺があれをやられても怖くもなんともないわ。俺にあれは効かん。問題ない。むしろ逆に楽しかったりするのではないか? 浮遊感とか、凄そうだ」
勢いよく空へと飛びあがり、そして落ちてくる。それだけのことだが、遊びとしてなら興味も生まれる。地面の染みは嫌だが。
「独特の感性よねえ、基本的に人は高い所を恐れるように出来ている。けど一部の人にはその恐怖が快楽にも感じられる。馬鹿と煙は……っと何でもないけど」
「罵倒するならするで最後まで言え、気になる」
最後まで聞く価値もないような、くだらない罵倒であろう。だが問題ない。
今の俺の心は、凪の様に静かだ。風のない日の湖面のようになっている。かつての戦友の、あまりにも救いのない姿を見せられて。
もっとこう……もっと、こう、なあ、あるだろ、なんか。
俺の心の中に芽生えた、簡単に言葉に出来ない感情を整理しかねていると、ラ・イルが弱弱しく口を開く。
「あ、悪魔め、聖女ジャンヌが死んだことで、この世に出てきたか……地獄、地獄が溢れた、本当のことだった……」
この時点でラ・イル以外の猫攫いの男たちは組み伏せられていた。隊長、かどうかは知らんが、ラ・イルの無惨な様子を見て自ら武器を手放していたからな。一人につき複数人。蜜にたかるアリのようになっている。
後はラ・イルだけだが、こっちには誰も近づいてこない。誰もが手を出しかねている。こちらに来るのが嫌なのだろう。巻き添えで武器を消されたり空の彼方まで高い高いされたくないからな。恐れられているぞ、ルル。
「ラ・イルよ」
そんな雰囲気の中でも踏み込んでくるのがリッシュモンという男だ。
「そなたらがここにいるのは誰かに命じられてのことか?」
「あ? あ! リ、リッシュモン元帥だと……!?」
当然二人は顔見知りだ。リッシュモンの指揮下で動いたこともある。
「猫を攫うのは仕事かと聞いている。ランスにいるシャルル王の命か?」
「ふざけんなッ!」
状況などまるで理解していないだろうが、ラ・イルは地面に這いつくばった姿のままに、その質問には明確な答えを返す。声には本気の怒気がこもっていた。
「恩知らずの王! 恥知らずの王! ジャンヌを見殺しにした愚劣なる王に誰が従うものかッ!」
それは慟哭となってパリの町に響く。
「ジャンヌのっ! あの子の全身全霊の献身によって、ようやく王になれた者がっ! ジャンヌを殺されて平然としているなど、許せるものではないわっ!」
最初は皆と同じようにジャンヌを侮っていたラ・イル。
その後、ジャンヌに告解までしたラ・イル。
皆で夢のような時間を過ごし、皆と同じように、ジャンヌの信奉者となったラ・イル。
「それで何がジャンヌ・ダルクの後継者か! パリに天使が顕われて聖女ジャンヌ・ダルクの後を継ぐ聖女が地上に遣わされた、だ、阿保か、阿保かあ!!」
シャルル王の布告か。
パリの天使どうこうは俺たちの蒔いた種だが、聖女の後継者うんぬんはシャルル王が勝手に言っていることだ。
おそらく自身の人気取りのための、捏造された神の言葉。
「王も! 天使とやらも! それを信じる奴らも! みいんな、阿保だ! みいんな騙されてんだ! 王なら救えただろっ! 神なら救えただろ! 救えたのなら救えよ! 本当の神なら!」
救えるのに救えなかった。
それは、あのジル・ド・レの選択でもある。
あの愚かな男は、出会えた奇跡の担い手、ルルに、過去の自分を殺す事を願い、ジャンヌを救う選択をしなかった。
救える機会があったのに、救わなかった。
胸に手をやり、ゆっくりと、息を吸う。
ラ・イルの言葉が、痛い。
煌々と、地面の上のラ・イルの眼光に光が灯る。
その視線の先は黒猫を抱えたルル。
「魔女! ジャンヌの後釜を狙う邪悪な魔女! 俺と戦え! 俺と決闘だ! 神が正しくて神が正しい者の味方をするのなら、俺が負けるはずがねえ! 決闘だ!! 悪魔を呼び出せるなら呼び出しても構わん! どんな悪魔だろうが頭から叩き切ってやる!」
「はいはい、ラ・イルさん落ち着いて、もう一回、高い高いする?」
血走った目で激高するラ・イルの目を真正面から見返し、それでも何一つ変わることなく、黒衣の少女の態度はそっけない。まるで相手にしていない。脅威という意味で、眼中にも無い。
決闘、か……
やはり混乱していて状況を理解出来ていないようだ。
勝負なんぞ、やる前から決まっている。
決闘するにしても自分の剣はどうした? 返してもらってないだろう。
その気になれば奴は腕でも首でも持って行くことが出来るのだ。瞬きをする時間も必要ない。それをやるような奴ではないのだとしても。
そんな相手に勝ち負けとか決闘とか言い出して何になる。こんなもの、戦う戦わない以前の話。ルルとラ・イルではあまりにも力の差に隔絶がある。勝負なんぞ成立せん。奴が気まぐれで、こちらに付き合うのでもない限り。
ラ・イルは――俺たち人類は、この魔王を前にして、戦いの土俵にも登れていない。
ルルの高い高い発言を聞いてラ・イルから数歩離れたリッシュモン。勇気はあっても巻き添えで高い高いされたくないらしい。
「神意を問う決闘、それは法で禁止されている」
「へぇ、そうなの?」
ラ・イルに向けたリッシュモンの発言を聞き、俺へと問いかけるルル。
「まぁ、そうだな、そんな感じだ」
「説明やい」
「自らの正しさを神に問う決闘は長いこと行われていましたが、そうした制度も、もう200年ほど前から、ルイ9世王の勅令でもって禁止されておりますな。教会でも認めておりません」
「へぇ、この時代、もっと頻繁に行われていると思ってたわ」
「自身の名誉の為の決闘というのもありますが、勝者のみが神の加護を得ているなどと、時代遅れの考えも甚だしいですな」
俺の雑な返答の代わりとばかりに、近づいてきたマロー司教が補足で説明をする。
戦争をすれば大量の敗者が生まれる。一度でも敗者になった者が神に見放されたとするなら、世界に神の恩恵を受けた者など残らんからな。
ついでにゴウベルも。
「しかもだ。困難な戦況を覆すための、一か八かの敵将への決闘の申し込みは、卑怯者と言われるのだ」
「ゴウベル、貴様、ルーアンの時に俺にふっかけてきたではないか」
「骨の道化師、あれは正当な一騎打ちだからな、恥じ入ることなど何も無し!」
「そうかそうか。それで負けても貴様はしつこかったな、リュミエラを人質にとったりして」
「ぬぐう、過去の過ちが俺の心をえぐってくるぅ……」
「……言っておいて何だが、あまり後悔しすぎるなよ。未来から自分を殺しに自分がやってくるぞ」
「なんだその脅し文句、斬新過ぎるだろう」
過去の過ちどうこう言い出したら、俺も相当なものなので、もう言わない事にする。
後ろで雑談に興じる俺たちを無視してリッシュモンがラ・イルに問いかける。
「それで何故、猫を狙った?」
「猫ぉ? 猫なんぞ狙っとらんわ。パリの町の奇跡の聖女とやらが本命だったが攫う隙が無かった。攫えたのは猫だけだ。ふん、それも何かの役に立つかどうかもしらん。ただ金にはなる。地獄の使いでも奇跡の黒猫でも、欲しがる奴は山ほどいる。教会の連中とかな。目的なんぞ知らん。そいつらも皮を剥いで聖堂の窓枠にでも飾っておきたいとかだろう、どうせ」
「きさまぁ!!!」
瞬間で激高し、リッシュモンを押しのけてラ・イルに飛びつきそうになったマロー司教。それを待ち構えていたのだろう、地面から体を跳ね上げて老司教を抱き込もうとするラ・イル。
人質にでもするつもりか? だが、誰かが反応する前に体が再び空へと飛んでいく。
「~~~~~~~~~ぁぁぁぁぁぁんにゃああ! んあああああ!! ああんあ!!」
ラ・イル、再び地上へ。先ほどと同じように、やさしく地面に転がされ、奴は泣いた。
「高い高い、無詠唱バージョン」
男の嗚咽を背景に勝ち誇る黒衣の魔王、ルル。何が無詠唱か、貴様の力の行使には最初から必要なかろうが。
そんなことも出来るのかと泣き虫が再び慄いている。どうでもいい。
「て、天使様、こ、この罪人はどうしましょう?」
目の前で人が空を飛んだ衝撃から立ち直って冷静さを取り戻したマロー司教がルルに問いかける。
「んー、知らないわねえ、猫さんを取り返したからね、もう私に用事は無いかな。彼については、この世界の人の法で裁けばいいんじゃないの。好きにどうぞ」
「て、天使でも悪魔でも、いいから、決闘……決闘をしろよ……俺は命をかける、かけるから……」
手の甲で涙を拭いながら、ラ・イルは決闘の催促をする。
「聞き入れる必要などございませんぞ。この罪人め、どれほど罪を重ねるのか、人攫いの猫攫いの、放火の、ああっ……」
好きにしろと言われた老司教はラ・イルを睨みながら強い口調で弾劾を始めている。
「何だよ、それは、……何なんだよ! それはッ! ジャンヌを救えよ! 不公平だろ! 理不尽だろ! そんな力があるならジャンヌを救えよっ!」
その慟哭が、慟哭に込められた怒りが、憤怒の声が、力を持つ言葉の波となって、俺の胸を打つ。
「奇跡が、あるなら、ジャンヌを救えよぉ……」
ラ・イルは俺とは別にジャンヌを救うために行動していたと聞く。ジャンヌの最期の時には、確か捕まってどこかに監禁されていたのではなかったか。ジャンヌの最期を見ることはなかったはずだ。それでも、奴の悲しみがこちらにまで伝わる。苦しみが理解できる。
俺と、ラ・イル。今は立場も在り様も違うが、それでも、同じだ。
こいつの慟哭は、俺の慟哭だ。
こいつの憤怒は、俺の憤怒だ。
こいつの罪は、俺の罪だ。
「ルルよ、ラ・イルに剣を返してやれ。それから俺の剣を出せ。その決闘、俺が受けよう」
「ん?」
よく考えた上での発言ではない。いつものように、その場の思いつきから出た言葉。考え無しとの自覚はある。
それでも。
言わずにはいられない。
受けずにはいられない。
頭の中で、何かがカチリと嵌った気がした。
ああそうだ、奴には、終わりが、いるのだ。
しかるべき舞台で、しかるべき、終わりが。
夢の終わりを告げる者が、いるのだと。




