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死霊の黒騎士と黒猫のルル  作者: 鮭雑炊


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 見ている。

 見られている。


 老いた者、子供、兵士や、職人、身なりの良い者も、薄汚れた服を着た者も。

 それぞれが持つ松明やカンテラの火を受けて赤く揺らぐ瞳の中に、一つの同じものを秘めて、俺たちを見ている。

 屋敷を遠巻きにして集った人の瞳の奥にある共通した意思、それが何であるのか、今の俺にはなんとなく理解出来る。不満ではない。疑惑ではない。ただ、望んでいる。


 彼らは奇跡を望んでいる。


 見てしまえば。

 知ってしまえば。

 奇跡がある事を、奇跡によって救われる事を、体験してしまえば。


 次も求めずにはいられないのだ。

 それが、いつか、己の身を蝕むことになる甘い毒とも知らずに……

 ……あるいは、知っていても。


 この暗闇に覆いつくされたかのような息の詰まる時代に懸命に生きる者たちが、道しるべとなる明かりを求め、縋る先を探して、俺たちを見ている。期待している。期待されている。


 知らず。

 一歩、後ずさる。


 怖いと思うのは、今の俺の体が軟弱な女であることが、理由だろうか。


「抜群の注目度、は、いいとして、困った困った。これじゃあ身動きがとれないわねぇ、どうしましょ」


 詰めかかけていた大衆を前にして、困ったと言いながら腕を組む黒衣の少女の横顔を見る。

 実際は大して困ったようでもない。

 どのような状況であれ、どのようにでも出来る奴だ、山ほどある選択肢の中からどれを選んだ方が楽しかろうかといった程度の困った状況なのだろう。

 羨ましいことだ。俺には碌な選択肢も用意されてないというのに。


「そうだ、プリュエル……プリュエル、貴様はどうなのだ? よく見えずとも奴らの熱い視線はわかるだろう? 奴らの前で、貴様は歌って踊れるのか?」

「さらっとプリュエルさんを歌って踊る人に巻き込もうとしたわねぇ、主役さんたら、もう」

「何っ!? 俺だけ!? 俺だけなのか!?」


 どういうことだ、それは。

 プリュエルや他の者は踊らない?

 ひょっとして俺だけを舞台の上で歌わせ踊らせようとしているのか、この邪悪な存在は。


「……俺一人……俺が、一人で? 冗談はよせ……冗談」

「黒様、聖歌ならば、いくらか経験はございます。踊ったことはございませんが、それでも求められたのならば、いたしましょう」


 静かだが、揺らがぬ決意を含んだ声色で、盲目の僧侶が宣う。胸の前には、聖印の代わりとばかりに握りしめられた黒いナイフ。


「ルル様が何をしようとしていらっしゃるのか、学のない私ごときにはわかりません。ですが、祈るだけでなく行動で出来ることがあるのならば、私はそれをしたいと願います。貰い過ぎてばかりで返すものも持ち合わせていないようなこの身ですが、どうかお役立てくださいませ」


 俺たちがいる方に向けて、丁寧に頭を下げるプリュエル。

 人々の手に持つ照明からの光を受け、銀の輪が彼女の艶めく髪に踊る。


 再び顔を上げてこちらに向ける微笑に気圧されて、つい息を呑む。

 そこにあるのは光り輝かんばかりの、堂々たる聖女の姿。

 人がそうであれと望むような、聖女の姿。


 ――駄目だ、演劇が行われるのは止められそうにない、だが俺一人が歌って踊るくらいなら、いっそ全員を巻き込んで歌わせ踊らせてやろうか――などと暗い感情が沸き上がっていた俺の心が、痛い。暗闇に慣れた目で陽の光を浴びた時の様に、俺の心が痛い。


「そうか……これが、聖女に”成る”ということか……」


 望み、望まれ、ただの女が聖女に成るのだ。

 神に選ばれたわけでもなく、人が、成長するのだ。勝手に、そこに至るのだ。

 元より信仰心と自己犠牲の精神が図抜けて高かったプリュエルだが、様々な経験を経て何かを掴んだのだろう。それが何かは俺にはまったく理解できないが、茫洋たる表情と定まらぬ視線のせいで、ある種、近寄り難いオーラを発するまでになっている。


 大丈夫か? 貴様の前にいる奴は邪神かも知れないぞ?


 口から出かかったひねくれた言葉も音にならずに霧散する。


「乙女ルルよ」

「なあに、リッシュモンさん」


 勝手にプリュエルに神性を見て、勝手に悶えている俺の横でリッシュモンがルルに語りかける。

 リッシュモンの奴は病人がいた部屋からこっち、口数は少なかったが、何を言うのか。


「黒死病の病原菌なるものは消えたのであろうか?」

「私たちの近くから一時的に離れてもらっただけ。それは普通に存在しているから、これから普通に疫病が広まるかもね」

「私の誤った選択が、黒死病を大きく広める結果になりかけた」

「否定はしない。知らなかった、それだけ」

「正しい知識を持たず、ここにいる者にも、ここに集まった者にも、重大な危険を及ぼそうとした。黒死病がすでに発生していた南部より連れてきた兵に、病原菌を、運ばせた」

「気がつくのねぇ……そう、人の動きが病原菌を運ぶ。小動物の移動範囲よりも、ずっと人の移動の方が、早くて、広い」

「…………そうか」


 罪悪感にでも苛まれているのか、眉間にしわを寄せて再び沈黙するリッシュモン。


 悪魔教どもを制するためではあるが、馬を走らせ、いち早く駆けつけてきたのはリッシュモンだ。その動きは疾風のごとくであったが、それが仇となった。リッシュモンが抱く罪悪感も、そういうことだろう。知らずに、病原菌を運ばせていた。パリに、届け物をするかのように。


「ふふ、罪悪感を抱いてくれたのなら、お手伝いにも身が入るというものね。それこそが、わざわざここに来て説明をした目的でもあるし」


 赤い唇の端を曲げて楽し気に笑うルル。

 知識をひけらかして楽しむどうこう言っていたが、やはり別の目的はあったのか。

 それにしても、やる事がいちいち悪魔的なのだ。人に罪悪感を植え付けて思うように動かそうなどと、悪魔の手法そのものではないか。

 いや、そうでもないのか。

 神も同じような事をする。原罪というわけのわからんものを押し付けて。

 少女の姿をした悪魔は続けて言う。


「けど、そうねぇ、それを無意味にするってわけじゃないけど、考えすぎは駄目よ、リッシュモンさん。適度に、ほどほどに。別にリッシュモンさんが連れてきた人じゃなくても、いくらでも感染経路は存在するのだし、ま、てきとーにいきましょ、てきとーに」

「…………昔に発生したという黒死病の疫では」


 俺なら真面目な話をしている時にふざけた態度を取るなと怒鳴りつけていただろうが、リッシュモンは反応せず会話を続ける。

 ルルと目が合い、奴が微かに肩をすくめたのに気がつくが、俺も無視だ。取りあわない。無反応が一番奴に効く。俺も覚えた。


「患者の身を案じて丁寧な看病をする医者や聖職者たちほど死んでいった、という話も聞く。病原菌がそういう性質を持つと聞いた今ならば、そうなる理由も理解できる。だが……どうすればよいのか、本当に、我らの出来ることは、発症した者から離れるだけなのだろうか……」


 最後の方は質問ではなく独り言のようになっていた。


「あー、そうねえ。それで医者や教会の権威は低くなっちゃって、ますます混迷する時代へと、なーんて話よね。優しい人ほど危険とか、本当、嫌な性格をしている。病原菌に性格があるならば、だけど。で、それでも近づくな、看病するな、放っておけ、とは言えない。黒騎士さんの言う通り、それが人というものなのでしょう。で、対処法」


 沈痛なリッシュモンとは対照的に、ルルの表情と吐き出す言葉は軽くて弾むよう。意識してのものだろうか。


 闇の中にあって尚、存在感を失わない黒衣の少女は、白く繊細な指を天に向かって立てる。


「正しく知る事」


 神に挑戦するように。


「正しく恐れ、正しく恐れない」


 不敵に。嗤う。


「その境界を、見極める事。その境界を知れば、人に出来る範囲は自然とわかる。その時々での知識、ある物、技術で可能な治療方も、看病の仕方も。……目に見えないものは厄介で、人の想像力には果てがない。その想像の世界の中では、生物デザインを無視して羽をつけて、力学を無視して空を飛び回る人に似た生物だって簡単に作れちゃう。だからこそ、本当に恐れなければいけないのは、それが在ると知った”その後”よ」


 天に突きつけた指をそのままリッシュモンへと向ける。


「病原菌というのは、それだけならば儚い存在よ。空気中で長く生きられずにすぐに死ぬ。宿主がいなければ増えることも生きていくことも出来ないくらいに脆い。必要以上に恐れれば、そこに待つのは恐怖からの暴走と破滅の未来。で、リッシュモンさんに頼みたい仕事もそれ。人々が浮かれてバカ騒ぎし過ぎないように抑えてもらいたいの」

「…………承った」


 少しだけの沈黙の後、そう応えるリッシュモン。その鋭い眼光の奥には、すでに悔恨の念は存在しない。リッシュモンもまた、何かを得たようだ。


 何が、どうなった?

 今の会話の流れが、いまいち理解出来ない。というか。


「鼠の話、しているのだよな?」


 鼠はどこにいった?

 話が飛んでいるようにしか思えん。

 偽ジャンヌに視線をやるが、奴もまた首を振るのみ。わからないよな。


「えっとね、祭りの準備も祭りの内容も重要だけど、祭りの後始末も重要よねって話をしているのよ。それを気にする人にとってはね」


 ルルに視線を向けられたリッシュモンが微かに頷く。

 そのやりとりだけでわかるのか、お前ら。

 目と目で通じ合っているようで不快。いや、どうでもいい。不快とかそういうのではない。勝手に通じ合ってろ。というか、いいのかリッシュモン、邪神だぞ、それ。


「鼠どうこうの舞台の後、騒動になると?」

「なる。根拠も無く……いえ、違うわねえ、根拠を好き勝手に構築して人をバイキン扱いとか、するでしょ、人は。目に見えないから言ったもん勝ちの世界になる。見える道具が発明されて尚、よ。道具を使って見える物も、道具を使わない人の目には写らない。で、口喧嘩だけで勝ち負けが決まるなら平和なもので、すぐにそれは排斥、暴力、殺し合いにまでなっていく。異論は認めない。絶対にそうなる。新しく入って来た知識ならば、それが馴染むまで、人は人を攻撃する材料にする。それを少しでも抑えるために、事前に心構えが出来ている戦う人が必要なのよ」

「……免疫システムとやらの、体を守る小さな騎士のような、か?」

「おや、わかってるじゃないの。そういうこと」


 よくわかっていないが、わかったようなことを言ってしまった。それで肯定されては返す言葉も出てこない。


「冷静で知的なリッシュモンさんにはうってつけの仕事よね。何を置いても沈静化、よ、リッシュモンさん。何があろうと誰よりも落ち着いている事。慌てる人を落ち着かせる事。起きた騒動を止める事。貴方自身が騒動の元にならないように」

「心得た」

「天使様はリッシュモン卿を信用なさるのですな。ところで私にも仕事は……」

「当然あるわよ、マローさん」

「おお……聖歌は若い頃より親しんでおりましたゆえ」

「え? 歌いたいの? 舞台に出て?」

「で、出番は……」

「今の所、ないかなぁ」

「ですか……」


 舞台の出番など無い方がいいだろうマロー司教。代わってやろうか?


「むしろお願いしたいのは宗教関係はじめ様々な人へお話通す事。舞台裏の調整役を頼めるかしら。忙しくなるからね。全部任せたくらいの勢いで任せるから覚悟しておいて」

「は、はいっ」


 俺たちを囲む民衆は静かに見守る。固唾を飲んで、俺たちの動向を見守っている。屋敷の前から動けず立往生とでもいうべき現状。

 そんな中でマロー司教と具体的な話を始めたルルを横目で見つつ、焦燥だけが募っていく。まずい。舞台の話が進んでいく。このままでは酷いことになる。踊りたくない。歌いたくない。


「俺たちを信用するのか? リッシュモン」


 佇み、考え事に没頭するかのようなリッシュモンに声をかける。なんとかして反対派に引き込めないものか。


「すべてを信用したわけではない」


 と、リッシュモン。


「変わらず、その正体は謎のまま。監視の目は緩めない。だがその知識は貴重なものだ。そなたらが何を為すか、すべて余すことなく見ておくことにしよう……」

「ぐぬ、リッシュモン卿、まだ天使様に疑いの目を向けるというか!?」

「はいはいマローさん、落ち着いて。ここで正しいのはリッシュモンさんよ」

「そんな」


 横から入って来て一瞬で激高したマロー司教をなだめてルルは答える。


「それホントぉ? と、何にでも疑いの目を向ける事から、人の知性は独り立ちを始めるのよ。信じるのは簡単で楽。疑うのは面倒で疲れる。簡単で楽な修行と面倒で疲れる修行、どちらが自分をより成長させてくれるのかしらね。ということで、知識にしろ私たちにしろ、好きなだけ疑って、どーぞ」

「……天使様を、天使様であるかどうかすら疑えとおっしゃっているように聞こえます……」

「そう。まさに。疲れたら休んでもいいから、気負わずにゆっくりと、ね。あ、これだけは言っておきたい。疑っている途中なのに剣とか持ち出してこないように。相手の首にクリティカル攻撃しかけてこないように」

「俺を見るな」


 飲み込みかねるのか、どうにも神妙な顔をするマロー司教から俺へと視線を変えて笑みを浮かべるルルを正面から睨み返す。


 疑って首を刎ねようとした事実、ひょっとしてルルと付き合う限り永遠に言われ続けるんじゃないのだろうか。失敗だった。つくづく失敗だった。


「む、雨か」


 立往生というわけでもないが、次の行動を決めかねて話に興じる俺たちの上に落ちる雨粒。

 腕を差し出すと、手の甲に数粒が当たる。天を見上げると、そこには伸し掛かるような深い闇、月明かりすら届かぬような分厚い雲が天を覆っている。


「雨ねえ」


 皆が俺の真似をして手の甲を差し出している中、ルルだけが手のひらを上に向けて雨粒を受けている。


「今日の所はこれでお開きね。喋り疲れたし眠い。詳しい計画を練るのは明日以降にしましょ。雨は……舞台の演出に使えるかしらね。雨雲の流れを見るに丸二日以上は降りそうだから、ええと、晴れ上がる時間を計算して……」

「見れるのか? 雨雲の流れ」

「まあね」

「上から?」

「上から」


 何でもない様に言っているが、それもまた奇跡の行使ではないのか。未来予知。女の気まぐれのような天候において、雨が止む時間までわかるなど。

 こいつの言う奇跡とそうでないかの線引きがわからん。


「リュミエラたちはどうするのだ? 軍勢を率いてこちらに来るのだろう」

「それは、まあ、どうとでも」

「貴様が言うのだ、本当にどうとでも出来るのだろう。あ、いや、リュミエラは舞台の事など知りもしないのだった。そうだ、勝手に決められて奴も面食らうのではないか? いきなり言われて反対するはず。そうであれ。よし」

「何がよしなのか。リュミエラさんの説得なら任せて。きっと……どうにでもなる」

「本当にどうにでもなりそうなんだよなあ!」


 聖女になったと浮かれてはしゃいでいたリュミエラの間の抜けた顔を思い描く。


 邪知暴虐なるルルの手管にかかれば、あのような小娘、それこそ赤子の手をひねるかのごとく簡単に篭絡されてしまう。その前に俺が交渉出来たらいいのだが……


「ったく、どれだけ舞台に立つのが嫌なのよ」

「俺が! 嫌なのは! 女の! 姿で! 歌って踊ることだ!」


 それと、太ももが大胆にいった衣装。

 それだけは、それだけは絶対に阻止せねばならない。


「はいはい、本当に嫌がる事は無理強いしないわよ。主役は魔王を倒す勇者の役どころだから、まぁ勇ましい感じで居てくれればいいのだし……」

「本当か? 本当だな? 言質は取ったぞ! 忘れないからな!?」

「必死か」


 そんなやりとりを続けていたら、ふいに群衆の一角が騒々しくなる。


「どけっ! どけどけっ! 俺たちを通せ! そこをどくのだ! くそ、何だこの人混みは!」

「どいて! どいてくれ! 急いでいるんだ!」

「おおいっ! マロー司教! 事件です! 事件が起きましたああ!」


 遠くから群衆を割って姿を見せたのは、どこぞに行っていたゴウベル、泣き虫、それからクレマン司祭。

 それと。もう一人。


「ああ、聖女プリュエル……私が、私が……」


 口の端から血を流した、聖職者の服を着た女。

 顔には見覚えがある。先ほどまで食堂にいた。プリュエルの同僚か。


「うるさい奴らが来たな。何処に居た? いや、何があった?」


 四人は俺たちの前まで来ると、交互に喋り出す。


「屋敷を出た所でイングランドの同胞に捕まったんだ」

「ルーアンだ! ルーアンにおった奴らだ!」

「俺たちが連れてきた兵の中に、顔を知っている奴がいて!」

「骨の道化師! 貴様が最初にルーアンの町に来た時のあれだ!」

「最初に町に火をつけて騒いだ奴らを見かけたと」

「あ、あわ、わ」

「司教! 申し訳ないっ! 取り逃がしてしまいましたああ!」

「ええいうるさい! 報告は一人がしなさーい!」


 うるさい三人に負けない程のうるささでマロー司教が怒鳴る。


「そ、そうだ、女よ、お前が報告しろ! あれだ! その話だ!」


 ゴウベルにせかされて、顔を青ざめさせた女僧侶が声を張り上げる。


「わ、私が付いていながらっ! 屋敷に侵入してきた賊に、賊に……猫様が、猫様が……」

「猫様!? もしや!」


 負けないくらいに一瞬で顔を青ざめたマロー司教に向かって、女僧侶は言う。


「リュンヌ様が、攫われましたッ!」





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