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死霊の黒騎士と黒猫のルル  作者: 鮭雑炊


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 笑顔のルルとは対照的に、部屋内にいる一同の顔色は優れない。


「私のうかつな選択が皆を危機に……」


 絞り出されたようなリッシュモンの震える声色が、病人の横たわる暗い部屋の空気をいっそう重くしている。


「天使様、よろしいでしょうか。おまじない……まじないとは、北方のシャーマンやドルイドが行うようなものでしょうか?」

「あ、マローさん、そういう反応? 異教の呪術じゃないのかとか、そんな感じの心配をしているのね? 安心して、さっきのは変な儀式でも特別な宗教的意味も持たない、ただ口から出ただけの言葉だからねえ。安心してもらうための方便っていうの? 気にしないで」

「はぁ」

「言葉は時として誤解を生み、酷く人を傷つけることもある。だからといって言葉ひとつ気軽に発せないとなるとちょっと窮屈に過ぎるわねえ」

「はぁ、すいません」

「言葉の暴力なんていう言葉もあるけど、言っちゃいけない言葉、使用しちゃいけない言葉なんていうのは、誰もが好き勝手に設定出来てしまうもの。それも行き過ぎると非寛容の暴力になるからねえ、もっと大らかな気持ちでいて欲しいものよ。それこそ、発せられたその時々で裏にある意味、発信者の意図、悪意の有る無しを探るくらいの慎重さも必要であって……」

「おい、ルル」

「はいはい何かしら?」


 マロー司教相手に、どうでもいいような雑談を始めたルルを早々に止める。放っておけばいつまで続くかわからんからな。


「さっき何かしたか?」


 一瞬だけ部屋を満たした青白い光。あれを見たのはひょっとして俺だけか? 周りの人間の反応が普通過ぎる。


「別に、何も」

「いや、しただろう、起こしたのではないのか? 奇跡を」

「くどいわねえ、ペスト……黒死病を引き起こす原因になる菌を、病人の体と部屋、あとはこの周辺から出て行ってもらっただけで、特別な事は何もしていないから」

「それを奇跡と言うのでは……」


 息を吸って吐くがごとく。

 まるで何事もなかったかのように奇跡を行使する黒衣の少女にかける言葉もない。


 先ほどまで激しく咳き込んでいた男がベッドに横たわっている。今は静かだ。心なしか顔色も良くなっている気がする。


「治療してやったのか?」

「原因菌と壊死した箇所を取り除いた、それだけ。これから良くなるかどうかは彼の体力と運次第」

「だけて……どうやって」

「普通に。奇跡じゃなく、技術で。部屋の中から邪魔な荷物を外にやってしまうのと同じ話よ。荷物が見えて、荷物が持てて、荷物が運べるなら、出来るでしょ? 誰にでも。後は対象を小さくして、数を増やすだけ。空間を把握し、理解し、支配が出来るなら、そういうことも出来る」

「参考にならなさすぎる……」


 黒死病を治療する方法を見て、盗み、それを参考にして他の患者にも同じような施しをしてやればいいと思っていたが。駄目だ、こんな治療はルルにしか不可能。これでは誰にも真似出来ない。


「もっと、こう、誰にでも出来るような治療法はないのか? 薬とか、そういうのだ」

「この時代の人でも出来る対処はさっきから言っているでしょう? 症状が出た人から離れる、以上。これが正解で、他は知らない。それでも治療をしたいのなら、目に見えない小さいものがいるという前提で動きなさいと」

「症状が出たら手遅れなのか?」

「この時代では、ね」


 この時代では。

 何もかもが足らない、この時代では。


 いつか来る時代では、黒死病に限らず、ありとあらゆる病など、もはや存在しないものとして扱われているのかも知れない。雑に荷物を放るように、人に害をなす病原菌すら簡単に放り捨ててしまえるような時代では、誰もが簡単に救われていくのだろう。だが、それは今じゃない。その技術は、今は使えない。無いものは、使えない。


「ならば救いがないのと同じ、か……」


 何だろうか。

 力が抜ける。

 この暗黒の時代に生まれた者には、やれることなどないのだと、そう言われている気がした。


「……何も出来ない。何もさせてもらえない。ここでも」


 症状の落ちついた病人に近づいていくリッシュモンを見ながら、どこか身に覚えのある無力感に襲われ、つい、言葉が零れ落ちた。

 これは、あの時も、こんな感じだったような。

 誰にも聞かせるつもりのなかった零れ落ちたつぶやきを、わざわざ拾いあげる黒衣の少女。


「……いーい? 黒騎士さん?」


 その声色は子供に諭して聞かせるかの様に、優しい。


「焦らなくてもいいし、急がなくてもいい。放っておいても人類はこの病気を克服する方法を発見するわ。肉眼では見れない小さいものを見る道具を発明し、それが何なのかを解明し、そして病気から身を守る薬を開発する。これからの話」


 ……俺はジャンヌを見殺しにした。


 事実だろう。

 神秘に目が眩んでしまった。それは事実だ。

 ジャンヌを救いたかった。本心だ。それもまた、嘘偽りのない本心だったはずだ。


 だがその時も何も出来なかった。ジャンヌを救えなかった。自分の力で救う事を諦めて、愚かにも最後は神にすがった。神に裏切られたと嘆いた。無力な自分を嘆いて、恨んで、そして一匹の猫と出会った。

 猫と出会い、何かかが変わる。生まれ変われると、そう思ったが、結局俺は無力で無知な、ちっぽけな存在のままではないか。


 己の手を見る。

 白く、細く、頼りない。女になってしまった俺の手は、まるで子供の頃に戻ったかのよう。


 何も変わっていない。両親を失って立ち尽くしていただけの子供の頃と、何一つ。


「すべては、これからよ」

「……焦っている様に見えたか?」


 今は黒猫ではなくなった黒衣の少女に問いかける。


 俺の心の中の願望は複雑で、無秩序に伸びた植物のツタのように、何がどこで繋がっているのかも判別しがたい。

 世の人が恐れる黒死病をなんとかしてやりたい。自分の罪悪感を薄めたい。ついでとばかりに魔女の弟子になりたい。そういった願いの根本。


 何でもいい。何かしたかった。何かを残したかった。己の手で。


 それだけの事だったのかもしれない。


「それは微妙な所ねえ。何せ黒騎士さんたら、傷つきやすく繊細なようでいて、かなり図太く出来ているような所もあるから」

「……ふん、俺の事をわかったかのように言うな」

「実はもう女の身体に慣れて来てるんじゃない? わかるのよ。骨の時もそうだったでしょ。黒騎士さんは現実を受け入れるのが早い。一つの才能よ」

「そんなことはない」


 はずだ。

 だが、当初に在った違和感が、今は少ないのも事実。女であることを受け入れそうになっている? そんな馬鹿な。


「ゆっくりでいいのよ。手に入れられるものなら、いつか手に入る。力も技術も知識も。自分が決めた大切なもの大事にしていれば、いつか。世界はそういう風に出来ている。だから焦らずに生きていけばいい。ゆっくりと学んでいけばいい」

「生きていけ? 女の姿でか?」


 この姿のままで、生きろ。ルルは俺に、そう言っている。


「……それがお前の望みか? ここで生き、死ねと。だから、連れていけという、俺の願いにはっきりと答えず無視しているのか?」

「せっかく可愛く生まれたのよ? もったいないじゃない。私としても、ちょっとくらい長く楽しんで欲しいと思うわけで。……私たちにはもう時間は離別としての意味を持たない。時間の事は考えなくていい。人一人分の人生を生きて、死になさいな。最期の時に迎えに来てあげるから。私の仕事の手伝いうんぬんは、その時に改めて話しましょう。黒騎士さんの考えも変わっているかもしれないしね」

「…………」


 この世界で、生きて、死ぬ。

 貴族として生まれて、しがらみに囚われたジルではなく、何の関係も無い、ただの一人の女の姿で生きる。何年生きるかわかからない。だが。


 それはそれは、想像もつかない人生を送ることになるだろう。


 知らなかったことを多く知り、何かを得て、死んでいく、そういう人生になるだろう。

 それを知らずに失うのは、もったいない。

 その機会を自ら放棄するのは、もったいない。

 そうだろうか。そうかもしれない。


 生きて、そして死んでも、その時にはこいつが迎えに来てくれる。

 それがわかっているのならば、一度くらい、女として生きてみるのも、そう悪くない……


「あ、その体、ちゃんと子供も産めるからね、野蛮な男の人には気を付けてね。誘拐されて無理やり子作りさせられるのは嫌じゃない? あ、そういうのも嫌じゃないか」

「嫌に決まっとるわっ!」


 危ない。危うく説得されそうになっていた。

 誘拐されて犯されるなど、嫌だ。当たり前に嫌だ。


 カトリーヌ……


 悪辣なジジイの指示で誘拐され、無理やり俺の妻にさせられた女。

 今ならわかる。

 身に染みてわかる。

 意に添わぬ男と肌を重ねる行為。鳥肌どころでは済まない。

 悪辣。非道。

 当時の俺たちは、どれほど彼女に酷いことをしたのか。


 何が家の為なら仕方がない、だ。

 わかっていなかった。当時の俺は全然わかっていなかった。


 頭を抱えて震える俺に、ルルはさらなる追い打ちをかける。


「んーまあ? 気に入った男の子とイチャコラしたところで後ろ指はさされないわけだし? 好きに、自由に、楽しんで生きて? だって、ほら、君、好きでしょ? 美少年」

「う、うわああああ!」

「おっと」


 掴みかかった俺の手から難なく逃れる黒衣の少女。


 過去の悪行が、悪行が付いてまわる。身に覚えのない悪行までがついてまわるのはどうしたことだ。

 ……すまない、すまないカトリーヌ……すまない、別世界の少年たち……うあああ……


「良いだろうか?」


 狭い室内。

 追う俺と、逃げるルル。

 もはや、口から意味を持つ言葉を出せなくなった俺から逃れ続けるルルをリッシュモンが引き止める。


「はいはい、真面目な話をする感じね」

「ああうああ」

「語彙力どこにやったのよ」


 今再び、心に誓う。

 絶対に男に戻ってやる。

 女でなど生きてたまるか。魔女め。貴様の思い通りにはさせん。


 足を止め、尚も掴みかからんとする俺の両方の手を、同じく両方の手で軽く捌いていく邪悪な魔女、いや魔王。

 くそ、力が足らない。女の身体は力が足らない。力だ。力を寄こせ。


「ほら黒騎士さん、じゃれ合うのは止してしっかりしなさいな。離れて離れて」

「クッ、剣だ、剣を寄こせ」

「その剣を何に使うのかしらねぇ、しかもそれを相手にねだってるし。そういう所が図太いというのよ。で、なあに? リッシュモンさん」

「チッ」

「……涙目……いや、マルクは助かったのだな? 助け、られた」


 泣いてなどいない。泣いていたとしても、これは悔恨の涙だ。カトリーヌに対する謝罪の涙だ。


 俺の事を一瞥してから本題に入るリッシュモン。

 言葉を区切り、助けられた事を強調する。


「助かるかどうかは彼次第。体力は落ちているのだし、また感染したら危ういかもね」

「それでも、助けられた。そなたが助けた。それを奇跡とは言わぬのだな?」

「ふん、奇跡だろうが」

「黒騎士さんはちょっと黙って。奇跡じゃないし、祈りの結果でもない。重要な事よ」

「ふん、人に出来ぬことを為したのだ。つまり奇跡だ」

「ああ、もう、すねちゃった。いい? 派手で見栄えのいい奇跡とかはもう無しよ。人の領域で、人に為せることを為すために、この区別は必要な事なの」

「何を今更だ」

「今更なんだけどねえ……場所を変えましょう。いつまでも病人のいる部屋に居るべきではないわ」


 入って来た扉の前にはマロー司教がいる。プリュエルと偽ジャンヌとも目が合う。

 俺たち一行は扉の外に出て行こうとするが、後ろには人が詰まっていて、なかなか思うようには動かない。


「どきなさい、どいてください、通してくだささい、下がって、後ろに下がって」


 誰かの人を誘導する声を聞く。人は徐々に少なくなり、ようやく動けるまでになった。だがその歩みは遅い。

 屋敷の廊下を人に囲まれながら進むルルの方からリッシュモンに問いかける。


「それで、どう思ったかしらリッシュモンさん、私の一連の説明を聞いて」

「目に見えぬ病原菌が存在することと、人はその病原菌から身を守る術を持っているということ、鼠の話、ノミの話、それから、呼吸を通して人から人へうつるという話。……私は理にかなっていると見た。少なくとも星の運行の結果や王の不徳の結果、魂の均衡の崩れが疫病を引き起こすという考えよりは、ずっと自然に頭の中に入ってくるものだった」

「他の人には、どうかしら? その考えは受け入れられそう?」

「それは…………わからぬ」


 リッシュモンが人混みを見ながら慎重に答える。


「聞く者による、としか答えられぬ。見えないものを信じろというのは、難しい話だ」


 隣ではマロー司教が深く頷いている。

 神もまた、目に見えないものだからな。日々の教会の説教でも苦労はしているのだろう。神と病原菌を同じに並べて語ったら、どこぞから暗殺者が送り込まれそうだが。


「目に見えないものを信じる事が出来る、それが人、けれど、目に見えないから信じない、それもまた、人、ね」

「何を心配している? 上の者が信じろ、そう言えばよいだけではないのか?」

「何かを信じてもらうのにも下地ってものがいるのよ。土台、ね。どんな植物の種を植えようと、土壌が悪ければ芽が出ないし育たない。それじゃあ意味がないのよ。人に受け入れ態勢がないならば、どんな素晴らしい知識も技術も残らずに消えてしまうことでしょうね、それを確かめたかったんだけど……うーん」

「信じぬ者は放っておけ、それこそ本人が救われぬだけだ。信じる者だけが救われる、ふん、面白くは無いが、よく聞く話だ」

「あらやだ黒騎士さん。もう当初の目的を忘れている。私は今、人を救うために動いているんじゃないわよ。黒騎士さんの始めた鼠さん虐殺計画をなんとかしようとして頑張っているっていうのに。病原菌を運ぶ原因の一つではあれど、鼠さんだって同じく病原菌の被害者なのよ、少しは反省して、鼠さんごめんなさいって」

「何故俺が鼠なんぞに謝らねばならん……」


 俺を鼠の体にするという話。冗談だよな。恐ろしくて確認できん。


「それこそ鼠の話とて、多くの者は信じぬのではないか? 別に放っておいたら俺の事など、すぐに忘れてしまう」

「黒騎士さんは、今の自分の発言力っていうものを甘く見ている」


 力強く俺の意見は否定される。


「意味なんかわからなくても、真意なんか伝わらなくても、その言葉に従って、自分の命すら放り捨てて動く人たちは大勢生まれる。いえ、もう生まれているでしょうね。それぐらいのものになっている。自覚してね」


 確かに、未だ俺の事を天使だと思い込んでいる人間は多いのだろう。現に、すぐ横に居るマロー司教とかも。

 教義に殉じて命を捨てる信者もいる。だが、なあ。自覚しろと言われても、だ。


「……ならば今から言うか? 前のは間違いだから取り消すと」

「それで問題がなければ簡単でいいんだけどねぇ……立場ある者が軽々しく発言を翻したら権威ってものが落ちるわよ。あ、別に黒騎士さんの権威が落ちようが地の底に潜ろうが、そこで根っこを生やして落ち着こうがどうでもいいのだけど」

「くっ……」


 いちいち俺を馬鹿にせねばならんのかコイツは。

 俺に権威なんてものがあるのかどうかは知らないが、馬鹿にされれば腹が立つ。


「厄介なのは、もう始まってしまったものへの対処よ。耐えろ、止めろ、動くな、賢くなれ、自制を促すそういった言葉の数々よりも、アレが敵だ、ソレを殺せ、そういった単純な言葉の方がずっとずっと人を動かす力を持つ。その言葉は、とても強い力を持つ言葉なのよ……否定し肯定し意見が錯綜し……なんだかんだで、長い長い時間、鼠さんは、ずっと標的にされ続けるでしょうね」

「ではどうすればよいのだ」

「あー、ええと、うん、だから……上書きしちゃいましょ」

「上書き?」

「そう、取り消さない、けど、発言を上書きして、結末をちょっとだけ違う方向へと誘導する」


 そこでルルはリッシュモンを見て。


「リッシュモンさん、貴方はこの時代にも稀有な人だわ。理性を重んじ、だからといって行動をためらわず、新しい技術や知識にも寛容。頭が硬いようでいて、時に応じて臨機応変に対応できる」

「おい、ルル」

「何かしら、頭が硬いようでいて、時に応じて流される感じの黒騎士さん」

「流されやすい自覚はあるが!」


 やたらとリッシュモンを褒め始めたルルを警戒する。

 口の端を上げて楽しそうに笑う少女。こういう笑い方をする時のこいつは最大限に警戒をせねばならない。


「リッシュモンに何をやらせようとしている?」

「ちょっとしたことよ。雑用の部類に入るのでしょうね。薬は効き過ぎても駄目。毒になる。だからその押したり引いたりする所の見極めとか調整とかをね、頼みたいのよ。あ、黒騎士さん、自分に出番がないのにリッシュモンさんに出番をとられるとか思って焦ってる?」

「焦るかっ!」


 なんだその嫉妬。考えたことも無かったわ。


「ではなく、どんな無茶な要求をするつもりだ」

「無茶も無理も言わないってば。貴族として立場のあるリッシュモンさんだから頼むのよ。不安要素はあるけれどリッシュモンさんが上にいてくれれば問題もなさそう。あ、大丈夫よ、黒騎士さんにも重要な出番があるから、楽しみにして待ってて」

「だから、具体的には」

「なので! 具体的には!」


 両手を合わせて音を出すルル。

 つい身構える俺。


 ……何も無い。

 人に囲まれている屋敷の廊下のまま。

 今度はリッシュモン共々宇宙に放り出されるかと思った。


「劇をしましょう。演劇。主人公は、プリュエルさん、ジャンヌちゃん、ここには居ないけどリュミエラさん、そして、黒騎士さん、あなたたちが主役の演劇を」

「は?」


 劇、演劇。

 まるで思ってもいなかった言葉の登場に、口を開けて放心する。偽ジャンヌも似たような表情。プリュエルは……茫洋としている。

 一団の中央、黒衣の少女は。


「人を納得させるには、物語がいるのよ」


 そう言って、いたずらを思いついた猫の様に、笑った。




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