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死霊の黒騎士と黒猫のルル  作者: 鮭雑炊


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 歴史の中に古くから度々登場し、その都度、多くの人の命を奪い、時には町ごと滅ぼすような悪病。

 黒死病。

 一度、その無慈悲な死神に目を付けられたなら、人に出来る事などないとばかりに猛威を振るう大疫病。

 それを相手に、さも大したことではないといった様子で黒衣の少女が放った言葉。

 もう、勝っている。


「勝っているだと? 人類が? 黒死病に?」


 思いがけない言葉を受け、立ち尽くすだけの置物となったリッシュモン。その代わりというわけではないが、俺がルルに聞き返す。

 情け容赦なく万人を死に追いやる病の大災。神に祈る以外で戦う術すら見つけようのない死病との戦いに、もう人は勝っているとはどういうことだ。


 俺の質問に指を一本立てて説明を始める黒衣の少女、ルル。


「まぁ、そうねえ、もう勝っている。黒死病に限らず、疫病全般に言える事。これは人類に限った話じゃないわよ? 人も猫も、カエルやオケラやアメンボだって、今この世界で生きている、ありとあらゆる生物は、その生命発生当初から続く、長い、長~い戦いに勝利してここにいる。説明が必要だとも思えないような簡単な話よね? 勝てば残り、負ければ消える、その結果の今」

「ふむ? つまり?」

「……そうねー、説明が必要よねー」


 簡単な話と言われても、今一納得出来なかった。

 追加の説明の要求に、遠い目をして何処かを見るルル。

 立てた指が虚しく何度も円を描く。


 勝てば残り、負ければ消えるという理屈は、俺にも理解不能というわけではないのだ。ただ、黒死病に大勢が負けて死んでいるのが現状ではないのか?


「はぁ、ええと、この時代の人の知識でも理解してもらえるような説明……」


 回していた指を顎に当てて、しばし考えるルル。その小さく赤い唇が言葉を紡ぐ。


「人類に疫病を齎すような存在。その正体は人類と共に在り続けた隣人」

「隣人?」

「あ、人じゃないけどね。ともかく、人に寄り添い、身近にずっと居続ける存在。お隣に住む誰々さんよりも、よっぽど隣人、人じゃないけど」


 目に見えぬ程の小さき存在。そういうものがいる。

 隣人というのも、その時聞いた言葉ではなかったか。

 今思い出した。今の俺はルルの言葉をどれほど覚えていて、何を忘れているのか。すべてを理解して覚えて置ける頭が欲しい。考えると気が滅入るので、忘れてしまうのも、それだけ激動の数日間だったと思っておくことにする。


 唐突にルーアンの町の医者に預けてきた少女を思い出す。


 目に見えぬ小さきものを見れるようにせよと命じておいたが、果たして彼女は今何をしているのか。あれから大した時間も経っていないから、まぁ何も出来ていないだろう。


「で、その隣人さんとは、長い長い付き合いがあるの。親の親の親の親の親の親の、ずっとずっと親の親からの古い付き合い。目にも見えない彼らの多くは普段は良き隣人であり続けるのだけど、たまに、時々、ほんのちょっとだけの意地悪をしてくることもあるわ」

「それが黒死病か?」

「人の生死に関わる大災禍を意地悪などという言葉で……」


 会話に割り込んできたリッシュモンを乱雑に手で制したルル。リッシュモンは再び言葉を失い置物と化す。


 フランスの大元帥、アルテュール・ド・リッシュモンを相手にここまで出来る者はそうはいないだろう。まぁルルだしな。人だ人だと本人は言うが、人の範疇に含めていいのか、未だにわからん。というか、人じゃない、が、俺の中で変わらぬ優勢な意見だ。


「そのせいで人は多く死んでいくけど、それだけじゃない。それだけで終わらない。実はその過程で手に入るものもあるのよリッシュモンさん」

「それは……?」

「強い免疫システム」

「?」

「軽い風邪なんか、放っておいても勝手に治るでしょ? それは人の免疫システムが働いているから。昔は、そんなすぐ治る風邪でも人は簡単に死んでいったのよ? そうでなくなったのは、強くなったから。人は病原菌にやられるだけじゃなく、それに対抗する手段も持たされて生まれている」

「持たされて? それは誰から……」

「親に、よ。天から、とか、神様、とかじゃなく」


 神や悪魔の話題が上る度に、食堂内の空気が緊迫するのがわかる。

 天使か悪魔か。

 俺たちの正体がどちらかによって、その後の自分たちの未来も決まってしまうからな。

 実際はどちらでもないという真実の答えには……至れないのだろうな。黒と白しかない世界では、黒でも白でも無いものは存在できない。

 祭壇の蝋燭の明かりが揺らめき、壁に不安げな昏い影を落とす。


「人体はひとつの生き物のように見えて、実は小さな命が一杯集まって出来ている」

「信じられぬ」

「信じて。信じないでは話はここで終わるわよ? いい? で、その人体を構成する沢山の仲間の中には、母体が生きていくのに害となる外部からの侵入者を退治してくれる、まぁいわば勇敢な騎士様のような役割を持つ命もあるの。それは生命発生以降、長い長い、気が知れない程の長い時間をかけて、ちょっとずつ変化し、洗練され、強化されていく。対処出来なかった者は死に、それで終わり。出来た者は生き残り、子を為し、その獲得した能力を自分の子に引き継ぐ。子は親に似る、でしょ? 引き継がれるものは何も外見だけじゃないの。人は生まれた時点で、もう病原菌に抗い、勝つ能力を得ている」

「しッ、しかしッ、死んでいるではないか! 多くの者が!」

「全員が死ぬわけじゃない。何も治療せずとも生き残る人もいるでしょう」

「町ごとの滅びなども!」

「個体に限って、あるいは地域に限って言えば、そうね、けど、何の問題も無いわ」

「問題無いわけなど……」

「対策済み、対処済み。疫病との戦いは、もう終わっているのよ。人類が勝利者として。勝利の鍵はね、多様性、よ」

「多様性……」

「皆同じ、では、同じ病原菌に対処出来ない。たった一回の流行で全滅が確定しちゃうでしょう? だから特徴のちょっとずつ違う子を、沢山たくさーん生んで、色々な場所に散らばって、広がっていくの」


 両手を広げてみせるルル。


「それが出来たから、人類はここにいる。もう疫病単体では人類は滅ぼせないくらいに数も種も増えている。太鼓判を押してあげる。疫病で人類が滅びることはない。これからも。……それで? たった一つの地域が滅びた所で、何か問題が?」


 手を広げたまま首を傾げる黒衣の少女の姿に、誰もが言葉を失い、呆けている。


 理解しがたい。納得しがたい。だが反論も出てこない。

 なんとなくは理解できて、納得もできる話。だが、受け入れがたい。

 ルルらしい、といえばらしい。国が滅びても、それが何かと嘯く姿は、とても。


 視点が違うのだ。

 ルルは常人とは見ている地点が違う、見ている場所が違う。


「ごそっと減った所で、ごそっと生まれて増えるのが人という生き物よ。何を騒ぐ必要があるのかしら? 騒ぐなとは言わないけれど、騒いだことで本来は存在しなかった余計な被害が増えることもあるってことを、人は知るべきよ」


 唇の端が上がり、薄く笑う。その美しく整った顔からは、色気とも違う、何かしらの妖気めいたものが立ち昇る。


 誰もが立ち尽くす中、一人悠々と椅子に座って、静かに人類に語りかけるその姿。

 その余裕に満ちた姿から発せられる、言葉にならない威圧が食堂を覆う。これは魔女というよりは、もはや魔王といった風情。


 どうにかせねばならない。そう感じた。理由もわからないが、このままでは良くない、と。


 ルルに落ち度は無くとも、その余裕ぶった態度だけでも、意味も無く腹が立つこともあるのだ。死ぬなら死ねと同じような意味の言葉を放った後では、特に。人とは、そういうもの……ルルは自分の事を人だと言っておきながら、人の事をわかっていない。


「ということで人類の為に私に出来ることは何もなさそうねえ。治療もしない。放置で終了。病人さんはお大事に。リッシュモンさん、話は以上?」


 魔王でなくとも、神の使いであったとしても。


 困難にあって見放した、であったなら、それを言った相手を憎むことも出来ただろう。ではなく、そもそもこれは人類にとって困難ですらないから必要無いと、施しを拒否されている。

 皆は何を思うのか。そういうことを言う者は、悪魔か、天使か。

 安易にルルの事を人類の敵対者だと結びつけはしないだろうか。

 ルルに限って言えば、全人類が敵に回ろうが、その余裕の態度は崩さないのだろう。それだけの力を持っている。


「いや……まだ、だ」


 魔王めいてきたルルに、怯みつつも逃げず相対するリッシュモンは、さながら孤高の勇者といった所か。


「……違う、落雷の乙女よ、そなたは勘違いをしている。そなたに治療は望んでいないのだ。黒死病の治療など。それは医者の仕事ではないか。私がそなたに望むのは世界の為に祈ること、神の奇跡を再びこの世界に……」

「祈ってどうにかなるのは、祈ってどうにかなる問題だけよ。人を病気にして死なせていく原因は、人の目には見え難くても実在としてそこにあるもの、祈ってるだけじゃ何も変わらないわねぇ。やっぱり私の出番はなさそう」

「奇跡の対価には何が必要なのだ? 報酬か? それならば……」

「はぁああああっと」

「聞け! このっ」

「リッシュモン元帥ィ! お言葉をッ!」


 リッシュモンが連れてきた者から悲鳴めいた非難が上がる。非難の先は、なめた態度をとるルルではなく、当のリッシュモンだ。


「くっ……落雷の乙女よ、聞け、人々の救いを求める声を、その嘆きを、どうか」

「ふーん、へー」


 誰もが混乱し、ただひたすら右往左往する中にあり、真っ先に奇跡を求めてここに来たリッシュモンは退かない。ルルへと向かう眼光の鋭さも衰えない。


 リッシュモンに私欲が無いのは、奴を嫌う俺でも認めるところだ。奴には奴の考えがあってここにいる。本気で人の為になることを考えて行動しているのだろう。

 ただ、ルル相手には通じない。

 ルルを動かすものは、金品でもなく、人の作った法でもなく、誰かの正義でもない。俺を生かした時のような、猫の様に気まぐれに振る舞われる慈悲は、無条件に誰の上にも注がれるものではない。

 勇者リッシュモンに魔王は倒せない。


 ……リッシュモンが勇者なら、今の俺はどうだ?


 ただルルの横に控えているだけの存在ではないか。

 情けなくは無いか?

 ルルの奴が魔王、というには、ちょっとあれだが、魔王の側近というのなら、それはそれで悪くない立場だろう。字面だけで心惹かれるものがある。しかし今の俺はどうだ? 側近どころか何者でもない。魔女の弟子でもなれていない。これでは置物と変わらん。時々人の言葉を喋る女の置物だ。女……いや、今はそれは考えない。


 俺が為せる事は何だ?

 俺は、ここで、どうしたい?


 考え付くことも無いまま、口を開く。


「……これはな、一度、謝った方が良いのだろうな、リッシュモン。ルルの奴の機嫌を相当に損ねてしまっているぞ」

「私が? 何故だ?」


 椅子に座る魔王に向かっていたリッシュモンの鋭い眼光が俺に向く。


「その目つきや態度、それから言動もだなリッシュモン」

「…………目つきは生来のものだ。言動も、よく考えて口にしている、もし私腹を肥やす悪徳役人を相手にしたならば、これほど礼を尽くした態度ではないわ」

「それで!? 礼を尽くしている態度だと!? いやリッシュモン、普段、どういう態度で役人に接しているんだ?」


 役人なんぞは、個々の大小あれど私服は肥やすものだろうに。

 嫌われて宮廷から追放されるわけだ。


「それに、だ。赤い瞳の乙女よ」

「乙女は止めろ、乙女は。俺の事は黒騎士と呼べ。ただの名も無き黒騎士だ」

「……その存在が人の世に混沌をまき散らすだけの存在であるかないか、しかと見極めねばならぬと思えば眉間の皴も深くなるというもの……神の偽物に騙されてはならない。神秘を操るだけのよくわからぬ者に都合よく人が踊らされるなど、決して認められぬ。これは人の誇りだ」


 理解は出来る。

 黒猫の姿をしていたルルに対して、俺が強く思ったことでもある。

 念話の存在を知り、ジャンヌに念話を飛ばして、神を騙り、都合よく彼女を動かして、最後には見捨てたのではないかと疑って……


「わかる……わかるぞリッシュモン。お前の気持ちは、今の俺にはよくわかる。ルルは……まぁ理解不能だからな。だがそう強く言ってやるな。お前は知らないだけだ。こう見えてルルの奴は、そう悪い奴ではない」

「パリの町の空を飛び回って、骨になったり女になったりする奴に向かって言っている」

「…………」

「ぶふっ」


 女になったのは俺の責任ではないわ。

 いや、俺の責任なのか?

 いや、違う。認めない。

 いくら俺の性欲を消すためだろうが、肉ごと削って骨にしたり、そもそも女に変えたりするなど、やる事が適当で雑過ぎるだろう。問題の解決法が短絡的で暴力的に過ぎるぞルル。つまりルルが悪い。全部悪い。


「……俺にもそういう態度は取らない方が良いリッシュモン。俺は今回、お前の味方をしてやろうと言っているのだからな」

「味方?」

「そうだ」


 パリの町を飛び回った結果、必要のない混乱が生まれたというのなら、俺にもいくらか責任もある。だからというわけでもないが、ここで黒死病の問題を解決出来るなら、それで帳消しにならないだろうか。

 それができたら、今後、気が楽になる。気に病むことがなくなる。

 これは人の為でも、世の為でもなく、自分の気持ちの問題だ。つまり自分の為。


「先ず、勘違いを正してやろう。勘違いをしているのはリッシュモン、お前だ。そもそもルルは、最初から報酬なんて求めていない」

「何の得があるのかと最初に言ったではないか」

「ルルの言い方も悪かろうが、ルルがお前たちに求めているのは、金品といった、そういう類のものではない。そうだろう? ルルよ」

「おや? ふふ、黒騎士さんが私の事をわかってくれているようで、ちょっと嬉しいわねえ」

「ならば、得とは?」

「うむ、俺からひとつ提案がある」

「それは?」

「ルルが求めるもの、それはおそらく……美少年だな」

「なんでじゃい!」


 椅子から立ち上がって俺に向かって吠えるルル。

 余裕ぶっていた態度は崩せたが、掻かせてやりたいと思っていた吠え面とは、ちょっと違うな。


「どうした? 好きだろうが? 美少年」

「えっとね、黒騎士さんや、私の性癖はいいとして、よ、『あの記憶』を見た君が、まだそういうことを言うの? 学習能力無いの? なんでそんな得意気な顔が出来るの? 凄いわね、一周回って凄いわね」

「俺を侮るなよ、ルル。学習能力くらいはある。そうではない。そう言う事ではない。いかがわしい話では一切無い」

「はー、そう、じゃあ聞かせて貰えるかしら、何が、どうなの?」


 再び椅子に腰かけて俺の言葉に耳を傾けるルル。やはり美少年の話が気になるのだろう。


「ルルよ、お前が求めているのは、金品ではないのは明白だ。俺にもわかる。お前の求める得とは、すなわち自己満足であったり、達成感であったりするのだろう? あくまでも自分の為の満足感」

「ほうほう、続けて」

「つまり、だ。貴様の前に美少年を並べて、お前の凄さや、偉大さ、お前自身の崇高さを褒め称える歌でも歌わせる。それでお前は満たされるわけで」

「い・や・だ!」


 再び立ち上があり、吠える。


「嫌がらせ! それ、むしろ、絶妙な嫌がらせだから! 褒め殺し! 強く非難も出来ない奴! それで満たされないから! 恥ずかしいわっ」

「聖歌隊ですな!? 良い案ですな!」

「うわ意外な所から援護射撃が!?」


 見るとプリュエルの横のクレマン司祭が興奮している。歌とか好きなのだろうな。知らんが。


「し、失礼。しかし、話に聞いた髑髏の聖騎士と魔女の戦い、その最終局面の折に天より響いたという音楽が気になって気になって仕方が無かったのです。もしそれを聞かせていただけるのならば、もう、もうっ……」

「あれか……」

「あれね……」


 俺とルルの奴が同時に遠い目をする。

 パレードモードで、俺のローブは漆黒の翼になり、様々な図形の光が踊る。その時、ついでとばかりに流れる音楽。あの妙に軽快で軽薄な音楽も、奇跡と言えば奇跡なのだろう。楽器など、どこにも見当たらずに音楽だけが流れるのだからな。

 実態はルルの悪ふざけの産物でしかないが。俺にとっては、凄まじく馬鹿にされている感じがして嫌な思い出の部類に入るのだが。


「聖歌隊を作るのならば、ぜひこのクレマンに!」

「光の聖女リュミエラ様のことも忘れるなよ! あの戦いの鍵となった聖女だからな! 歌にするのあら登場は必須だ!」

「おお! 光の戦士ゴウベル殿! 話を、話を聞かせてください。音楽はどんなでした?」

「そこで勝手に盛り上がらないで。作らないから。任せないから。嫌だから」


 お話にもならないとばかりに、手を振りながら椅子に座るルル。

 一言も喋るなと言われていたのではないのかゴウベル。喋ったぞ。追い出せ。


「本気で嫌だからやめてね? 振りじゃないよ?」

「駄目か? 良い案だと思ったが」

「どういう思考回路をしていたら出てくる発想なのかしらねぇ? ちょっと自分に置き換えて考えてみなさいな。どう? 嬉しい?」

「それは……」


 多くの美少年たちが、俺を前に、俺を褒め称える歌を歌う、か。


 想像した。

 なるほど。恥ずかしい。いたたまれない。俺でも逃げ出すかもしれん。

 偉大な事を為した英雄ならばまだしも、俺は偉大な力を持つわけでも、何かを為したわけでも無いから当然だ。


 神の偉大さを讃える歌は多くあれど、もし神本人が聞いていたら、どういう気持ちで聞くのだろうか。神とは虚構の存在に過ぎないと今では思っているが、もし神もルルのように実在したなら、それを聞いて羞恥に悶えているのかもしれない。


「この案が通らないとなれば打つ手なし、か……」

「一個っ!? 案が一個!? 自信満々じゃなかった!? なんか他に無いの!?」

「ルルの機嫌を直すには美少年だろう、それが通らないなら……」

「うん、一回美少年から離れようか?」

「真剣にやっているのか、そなたら……」


 剣呑な雰囲気を纏ってリッシュモンが一歩近づく。目が正気ではない。


「その目をして近づいてくるな。恐いぞ。リッシュモン、お前が素直に謝らないからこうなっている」

「だから、何を謝れと」

「偽ジャンヌだ。彼女を泣かせているだろう。ルルはそれで機嫌を損ねたのだ」

「は?」


 食堂内にいる全員の視線が偽ジャンヌに向かう。

 今はすでに泣き止んでいる。それどころか、目を輝かせて俺たちを見ていた。


「……ここに来ていた時は泣いていたよな? 偽ジャンヌよ」

「その、本名もジャンヌですが……はい」


 ありふれた名だからな。ややこしい。紛らわしいので、これからも偽ジャンヌでいく。


「ここに来る前に、相当にリッシュモンに酷い事を言われて来たのだろう? 男物の服はどうした? 男言葉は? お前は男に憧れていたのだろうが。恰好も言葉も、リッシュモンに止められたのだろう?」


 僅かに俯き、頬を染めるが、明らかに最初に食堂に来た時と雰囲気が違う。


「……はい、そうです、ね……私の言葉遣いも、男装も、叱られてしまいました……」

「それ見ろ、だから泣いていた。今も無理やりに女のドレスを着させられているのだな? 女が男物の服を着るのも本人の好き勝手だろうに。それを強引に曲げられてしまった。ふん、可哀そうに。そんな姿を見てルルの奴も機嫌を損ねてしまったのだ」

「黒騎士さんやい」

「何だルル」

「私は別に機嫌が悪くなってないわよ?」

「なん、だと……」


 好きじゃない、そういう言葉を発した時に感じた不穏な感覚は何だったのだ。


「自由が侵害された女を見て不快に思ったのではないのか? だから、リッシュモンにも好きじゃないと……」

「時代が時代だもの、女の子が男物の服を着るのも命がけ……それを自由だからと認める方が、ちょっとずれている。考え直せと叱って止める方が、むしろ真っ当。彼女の身の安全を考えるなら。でしょ? リッシュモンさん?」

「……ああ、そうだ」


 振られたリッシュモンが、不承不承といった様子で頷く。

 つまり、何だ。また俺の勘違いなのか?


「だったら、何で泣いていた?」

「それは……奇跡を望まれても、私には起こせないから……です」


 弱弱しく話す偽ジャンヌの瞳に、再びの涙が浮かぶ。


「病気になられた方を前にして、助けたい、助けたくて助けたくて、本気で助けたいのに、その力が、自分には無いのです……だから、悔しくて、悲しくて、自分が情けなくて……」

「ああ……わかります……偽ジャンヌ様」

「にせ…………あの、ジャンヌです。偽をつけるのは、やめて欲しいかなって」

「はい、ジャンヌ様。祈ることしか出来ない私も同じ気持ちでした」

「銀の聖女様……」


 プリュエルと偽ジャンヌ。二人は近づいて互いの手を取る。

 思えばこの二人、ルルの被害者ではなかろうか。奇跡の担い手としてルルに仕立て上げられた、作り物の聖女。

 そういえば、もう一人の奇跡の担い手のリュミエラは今何をしているんだろうな。あいつも奇跡を起こせとシャルル王あたりに強くせがまれているのだろうか。


「ふん、やっぱりリッシュモンが悪い。奇跡を起こせと強くせがんだのだ。女を泣かせおって」

「それはそうだが……そなたは私の味方をするのではなかったのか?」


 呆れ顔で睨んできたリッシュモンを睨み返す。

 お前がさっさとルルに謝罪をしないから話が進展しないのだ。


「……いや、ルルの奴はリッシュモンの態度に腹を立てていたのではない?」


 ならば何故、リッシュモンの願いを無下にする?

 俺の呟きを拾って、ルルが答える。


「リッシュモンさんにも悪い所が一杯あったわねえ、だからといって腹を立てたり、機嫌を損ねたりはしていないけど」

「落雷の乙女よ、私に落ち度があるならば言葉にするのが良い。正すべきところがあれば正しもしよう」

「最初から報酬目当てと決めつけた所、力があるなら社会に無償奉仕して当然と思っている所、自分の正義を他者に押し付ける所、目つきの悪さを自覚しているくせに女の子相手にも容赦ない所、疑っている相手に頭を下げる所、ちょっとどうかと思う落雷の乙女呼びを止めてくれない所、それからそれから……」


 ルルの口から滔々と流れ出るリッシュモンへの悪口。

 本当は不快でたまらなかったんじゃないか? 実際、明らかに機嫌を損ねていただろう? 正直に言え。


「――何より好きじゃない所、それはね、奇跡を望んだこと、奇跡ありきで話を進めていく所」


 一つ一つ、指で指揮を執るようにしていった最後。


「奇跡を望むのが、良くないことだと?」

「いいかしら、リッシュモンさん。奇跡というのは甘い毒よ」

「甘い、毒?」

「口に甘く、しかしいずれ身を亡ぼす毒」


 毒。


「あることを知ってしまえばもう一度。もし再現が出来るなら、さらに次を、どうしても求めてしまう。何度も、何度も、そこに辞め時は無く、原理もわからないまま……けれど、それは良くないのよねぇ」


 ワインに甘味として入れられていた、鉛毒のような。


「技術や知識は積み重なるもの、それをすっとばして好む結果のみを与えられてしまったら、人は進歩しないわ」


 白い繊細な指を唇に当てた黒衣の少女が、世界を凍り付かせるような笑みを浮かべて言い放つ。


「甘い毒に甘えていると、将来が無いわよ?」

「…………」


 奇跡の担い手が、奇跡を否定する。

 食堂に満ちた静寂を破ったのもリッシュモン。


「……ゆえに、奇跡を望むなと?」

「考える事。知る事。残す事。引き継ぐこと。安易な奇跡はそれらの全てを蔑ろにする。奇跡なんて存在しない、先ずはそこから始めるべきよ。ああ、それから、リッシュモンさんの好きじゃない所の続き」

「まだあるのか……?」

「世界だの人類だのと、個人で背負えもしない代物を背負おうとする所。いい? そんなものは人には背負えない。俺の大切な部下が病気になった、他はどうでもいいからとにかく助けてくれとでも願われた方が、ずっとずっと好ましかった」


 よろめくリッシュモン。


「そんな……個人の願望を優先するなど……」

「それがリッシュモンさんの正義ね。否定はしないわよ。私が好きじゃないだけ。それが気に食わないなら無視して、どうぞ」


 あくまで冷淡に、冷徹に。


 リッシュモンの目には今、目の前にいる少女がどう映っているのだろうか。天使か、悪魔か、それとも、それ以外の何かか?

 どうでもいい。

 今、考えるべきは俺の事。俺のこれから。


「――ルルよ」

「ん? なあに? 黒騎士さん」

「しようと思えば、出来るのだな?」

「んん?」

「治療だ。黒死病に罹った者の治療。しないとは言ったが、出来ないとは言わなかった」

「あー、そうねぇ、けどしないわよ?」

「俺がしよう」

「は?」

「治療出来る方法はあるのだろう? ならばルルに代わって、俺がその治療をしてくれよう」


 奇跡を望むのではなく、技術で、知識で。

 そうだ。それがいい。

 それをもってパリの争乱の罪滅ぼしとしよう。


「治療するって……やり方が黒騎士さんにわかるの?」

「ふん、知っているだろうが。わかるわけがない。だから、そのやり方を懇切丁寧に教えてくれ、ルルよ」


 さらに、ルルの手伝いとしての地位を有耶無耶のままでもいいから確立してしまおう。

 罪滅ぼしついでに魔女の弟子の修行も出来る。

 どうだ?

 我ながら、なんて名案を思い付いたのか。


 さて、俺の言葉を受けてのルルの表情は?


 口を曲がった半開きにして、目を見開き……つまり……

 過去一番、見た事のないくらいの呆れた顔で俺を見ていた。


 思っていた吠え面とは、ちょっと違うな。




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