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死霊の黒騎士と黒猫のルル  作者: 鮭雑炊


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 好きじゃない。つまり嫌い、か……。

 ルルの口からその言葉が出た瞬間。

 食堂の空気が急激に冷えた気がした。


 ルルの顔色を伺う。いつもと変わらない。口の端に微笑を浮かべて、腹の底で何を考えているのかわからぬ顔。機嫌が悪いのかどうかもわからない。

 周囲を伺う。


 リッシュモンは、俺たちの挙動を一切見逃しはせぬとばかりに鋭い視線でルルを見ている。そんなリッシュモンを苦々しく見ているマロー司教の額には血管が浮かぶ。

 簡易に造られた祭壇の近くに控えるプリュエルは、胸元で祈りの形に手を組み、このやりとりを、定まらぬ視線で見守る。彼女のすぐ横に控える声の大きなクレマン司祭も今は静かだ。事前に一言も喋るな、さもなくば叩き出すとマロー司教にきつく言われてここにいるゴウベルと泣き虫も大人しい。光の戦士仲間であるという一点突破のみで我を通すコイツにはいっそ感心もする。


 そして、自分の事が話題に上がったのだと理解した偽ジャンヌ。


 白いドレスの裾を掴み、潤んだ瞳をさらに大きくして戸惑う。大きな戸惑いはリッシュモンが連れてきた取り巻き立ち連中にも。口を出したくても出せない、そういう様子。


 戦場に立っているかのような、この空気感。

 ただ誰も、恐れていない。

 生き死にの問題に直結すると感じている者はいないようだ。


 ……これは俺だけが感じる感覚だろうか。

 ルルの口から出た否定の言葉に、何か不穏なものを嗅ぎ取って、俺が勝手にした緊張、ということなのか。


 それもまた、知らないからなのだろう。


 俺だけが知っていて、ここにいる誰もが知らない事。

 この食堂に、ただ一人、悠々と足を延ばして椅子に座っている少女、に見える”何か”。

 それは、ついうっかりで世界を滅ぼしてしまえるほどの力を持った存在であると。


 誰もがルルという存在を見誤っている。


 気高く優しく、万人に慈愛を注ぐ天使ではない。神の先兵として悪魔を滅ぼす使命を持った天使でもない。恐ろしい罰を人に与える神そのものでも、あるいはその敵対者である悪魔、でも無い。

 そんなものは人が生み出した虚構にすぎない。

 精霊でも、聖霊でも無く、ただただ埒外の力を持つ、実在する超常の存在。


 ではそんな存在が何だと言われたら、言葉に詰まる。

 ”私は私”黒猫の姿をしていた時のルルがかつて述べたように、ルルはルル。

 そういう答えしか、今の俺の中には存在しない。


 未来からの来訪者。

 数えるのを諦める程に存在するという数多の世界を自由自在に渡り、時に流れ、気まぐれに留まる者。俺たちの生死を容易く左右してのける存在。――ルル。


「好きだの嫌いだのという些細な問題ではないのだ、そなたよ」


 飾り気のない黒のドレスを纏う美しい少女に相対するリッシュモン。

 かろうじて理性で感情を押さえこんだような声で応える。物わかりの悪い幼い子供にでも語りかけるような口ぶり。表情は険しく、その目つきは決して女子供に向けるようなものではないが。


「人の世は混迷を極め、誰もが導べを失い、進むべき道を見失っている。民はくだらぬ終末の予言に怯え、不安と疑心が蔓延る世界になってしまった。この町の話だけではないぞ。北も南も、フランスの地のすべてがそうだ。民の心にはすでに余裕は無く、限界なのは明らかだ。混迷が続けば人の世には破滅が待ち受けるのみ。これで疫病――黒き死の病が広がれば、それこそが、本当の破滅の切っ掛けになってしまう……終末の予言通りに、だ……。ならん。それはならん。予言などくだらぬ。予言を信じる者は愚かだ。疫病の広がりは何としても止めねばならん。これは人が敗北をするかどうかの瀬戸際である」


 リッシュモンは後ろを振り返る。その視線の先には偽ジャンヌ。断罪を為すかのような男の鋭い視線を受け、再び震えあがる偽ジャンヌ。


 ここに来るまでにリッシュモンの奴から色々と言われていたのだろう。

 病人と共に来た事を思えば、偽ジャンヌを病人の前に連れて行って、あの険のある目つきで、さあ奇跡で病を治せと迫ったのかもしれない。だとしたら偽ジャンヌに同情する。出来ない事は出来ない。そんな奇跡の力など持っていないのだ。ルル以外、誰も。


 男に憧れたと告白し、男物の服を纏い、男言葉を喋ろうとしていた偽ジャンヌの姿を想う。


 女の服を着て、口を開かず、ただ怯え震えている今は、少なくとも前に見た姿よりも、ずっと辛そうで痛ましい。


「人によっては、黒死病は神がもたらした人への罰であるとか、あるいは救いだのなんだのと言う。馬鹿馬鹿しい。黒死病はただの疫病だ……疫病なんぞに人が膝を屈することがあってはならない。その戦いに勝つためならば、私は相手がどれほどの者であっても恐れず、願い、請う。国王陛下であろうと、神の啓示を受けた聖女であろうと、神の使いであろうと、あるいは……火刑にて死したジャンヌが生き返ったと嘘を吐き、人心を惑わせた不徳の者であろうと、だ」


 王にも、そういう態度で迫るのだろうな。だから嫌われる。


 伏せた目から涙が零れ落ち、唇をきつく結ぶ偽ジャンヌ。

 どうした。貴様が泣く必要がどこにある。目を伏せるな。前を向け。悪魔教の者どもの柱の戒めから解き放ってやった時の顔を思い出せ。


 やはり駄目だ、リッシュモン。それでは駄目だ。

 ルルに視線を戻すリッシュモン。


「落雷と共に現れた乙女よ、そなたらが聖なる神の使いであると言うのならば、今こそそなたらの価値を示す時。天命に従いて、為すべき事を為せ。私の言う事が理解できぬのならば、はっきりと言葉にしよう。私は今、こう問いている。……そなたらは、世に正しき秩序をもたらす神の使いか、それとも……いたずらに世界に混沌をもたらす――悪魔なのかと」


 悪魔、その言葉をリッシュモンが発した時に、この場にいるすべての者が凍り付いたのがわかった。


「げ、元帥……駄目です、駄目ですぞ……」

「リッシュモン元帥! 言葉が過ぎます!」

「あれほどの奇跡を目にしておきながらまだ……」

「過ぎたる疑いは、かえって神の恩恵を手放すことになりましょうに……」


 さすがに俺たちを悪魔扱いをするのにはついていけないのか、リッシュモンが連れてきた彼の取り巻き連中からもリッシュモンに対して非難の声が上がる。中にはそっと偽ジャンヌを気遣う者もいる。リッシュモンの仲間だが、リッシュモンとは思想を別にしているようだ。


「聖か邪か! 見極めねばならんのだ! 今ここにいる者たちで! それがわからないのか!? 今、この世の混乱は誰がもたらした!? 最初に何が起きた? この世に混沌を広める悪魔ではないのかと疑うのは当然だッ!」

「あああっ! 悪魔など! 不敬! 不敬ですぞリッシュモン卿!」


 額に青筋を立てたマロー司教からも声が上がる。

 食堂にいる聖職者のほぼ全員がリッシュモンを敵意に満ちた目で見つめている。

 孤立無援。

 リッシュモンの今の状況は、ただ一人で、真実を求めるために戦う勇士のようだ。


「リッシュモン卿は数々の奇跡で救われた者たちを見ているはずであろうが! もはや疑問など差しはさむ余地は無く……」

「マロー司教ッ!」


 額に青筋を立てて激高する老司教に被せて、リッシュモンが大きな声で司教の言葉を遮る。


「マロー司教。私はパリに着いてから様々な立場の者から話を聞いてきた。マロー司教は聖女を囲い込み、聖なる奇跡を独占せんとしていると声を荒げる者も多くいた。貴族も民衆も今の司教の態度に不満を抱えている」

「ぐ、それは銀の聖女様を傷つけようとする痴れ者どもから守るため……」

「パリに天空を舞う騎士が現れた時、ピエール・コーションなる者を匿い、それが発端で不毛な争いが起き多くの血が流れたとも聞いた。なぜその争いが起きた?」

「ああ……うう」

「奇跡も! 罪人も! 囲い込んではならない! より多くの人の目で! それが正義か悪かを見極めなければいけない!」


 リッシュモンの強い弾劾を受け、マロー司教がたじろぐ。


「匿ってなど……匿ってなどいないのです……」


 マロー司教が胸元で聖印を切り、俺にすがるような視線を向ける。


「天より舞い降りた天使様による断罪……不当なる裁判にて聖女ジャンヌ・ダルク様を火刑にした男の大罪……それを聞き、人の為した悪は人の手で裁かねばならない、正さねばならない……そう思い込んで、順当な裁判にかけるためコーションの身柄を押さえました……しかし、それのせいで、怒れる民衆が暴発し、あの争いが起きたのです……私どもは即刻の火刑を求める民衆と敵対して……あの時どうすればよかったのでしょうか、何が正しい選択だったのでしょうか……聞いてください、私の告解」

「そうか、後でな、今はやめろ」

「…………ぐすん」


 長くなりそうなので。


 それと――

 たいした考えも無くパリへと突入した過去の俺の行動も、今では恥じている失態だ。パリから始まった混乱の責任のいくらかは俺にもあると痛感している。ルルの言うように、自分たちはふらりと現れただけ、何もしていない、混乱は各人の行動の選択の結果であると割り切ることは、まだ出来そうにない。


 コーションのその後やランスのシャルル王の動向が知りたいのでマロー司教から話は聞きたいが、それは今ではない。優先度は低いと感じる。とにかく今はルルに喰らい付くのが最優先。見捨てられてなるものか。


 口を開いた俺を見てリッシュモンは眉根を上げる。


「男……男であったはずだ……声も……私の知っている男の……今は違う……どういうことだ……」


 リッシュモンの猛禽類めいた眼が女の身体になってしまった俺の全身を捕える。

 ローブで包まれた今の俺の身体は、それが女性であることを強く主張する。

 嫌な目。つい何かの後ろに隠れたくなる。

 どうにしろ他者をたじろがせる鋭い眼光だ。心の弱い者、腹の底にやましい事を抱える者は目を伏せずにはおられまい。俺はどちらでもないので、正面から見返してやる。


「見たことも無いような鮮烈な赤い瞳の……美しい少女……顔立ちは……似ている……あの男……ジル・ド・レに……」

「ふん、なんだ? 人の顔を見つめおって、聞きたいことがあれば聞けばいいだろう」


 まともに答えてなどやらないが。

 ジル・ド・レとして生きていた頃より、リッシュモンは嫌いな相手だったのだ。


「ジル・ド・レ……そなたはジル・ド・レではないのか?」

「何度言わせる? 俺はジル・ド・レではない。そもそもなんだ? 貴様の知るジル・ド・レとは女だったのか? よく見ろ、俺は女……」


 口にして、しまったと思った。

 いくら誤魔化す為とはいえ、またも今、身体が女であることを利用してしまった。

 横を見れない。そこにはルルが居る。絶対に今、ルルのやつは嫌な笑みをして俺を見ているはずだ。間違いない。見ない。絶対に見ないぞ。視線をリッシュモンに固定して言葉を続ける。


「……女、ではないが、男であるが、あー、顔が違うだろう? な?」

「ジル・ド・レの顔は知っているのだな? つまり関係者ではあると?」

「いや、違う、そうではない。ジル・ド・レなる男は知らない。別人だ。俺はそれとは別の男……」

「女だろう?」

「今はたまたま女なだけだ。女にされてしまっただけで。すぐに男に戻る」

「そんな馬鹿な話があるか!」


 あるのだ、それが。


「一体どういう理由があれば、男が女になるというのだ!? いや、骨だ。骨だっただろう? 骨の姿のまま動いていた。何故、今更、人の姿になったのだ? 男だというのなら、姿はどうして女になるのだ? その横にいる落雷の乙女とは争っていただろう? 和解をしたのか? 争った理由は? 知りたがっていたのではないのか? あの時にそういう話をしていた。自分が死んだ理由を聞かせろと、それを聞いたのか?」

「ええい! 質問ばかり五月蠅いわ!」

「聞きたいことがあれば聞けばいいと言っただろう!?」

「ああ、聞けばいい。だが質問に答えるかどうかは俺の自由。聞けば素直に俺が答えると思うなリッシュモン!」

「く、こやつ……」


 額に血管を浮かべるリッシュモン。視線はさらに鋭くなり俺を射るが、知らん。


 未来からやって来た自分に殺されたなど、どう言えば信じてもらえる。そして、ただ助けたかったからという理由で骨として蘇ったとか、骨の替わりによこされた生ある肉体は女にされたとか、もう知らん、ルルに聞け。


 それでなくても、あの邪悪な道を進んだ俺のことには触れたくない。知られたくない。あれは俺とルルだけが覚えていればいい存在しない罪の記憶だ。


「ふふ、子供の喧嘩みたい。黒騎士さんに引きずられてリッシュモンさんの知能レベルまで落ちているんじゃない?」

「ルル! 俺の知能が低いように言うな!」

「気にしないでね? ちょっと楽しくなっただけ」


 ルルの奴の本当の機嫌など知りようもないが、それでも楽し気に笑っているのを見ると、いくらか安心をする。世界が滅ぶのは免れたらしい。


「楽しんでいる場合ではないのだ、落雷の乙女よ」

「あ、リッシュモンさん。それは私のことよね? 落雷の乙女というのが私の正式な愛称になりそう……うーん、どうかしらねえ、今イチな気がする。もっとこう……」

「得体の知れぬ邪悪なナニカ、とかだな、お前の場合」

「落雷を落とされた方の乙女が何か言ってるわねぇ。また落とすわよ? 雷」

「乙女ではない! いや、先ほどのリッシュモンの疑問だ。俺も聞きたい。ルルッ、何故、俺を女にした!? まだはっきりと聞いていないぞ」

「え? 心当たりはあるでしょうに……」

「はっきりと口にしろ! お前ならば新しく造る体を男にも出来ただろう? 何故俺を男の姿にしなかった?」

「自分の記憶を探ってみたら答えは出るでしょ? あまりこの世界の人に関心の無い私でも、良心くらいはあるのよ? お腰につけた野獣さんをそのままにして放置したら、世の中の美少年の貞操が危ないからに決まっているからでしょ!」

「ぐう……」


 ぐうの音しか出ない。

 少年を汚して殺した男。ジル・ド・レ。

 確かにあの邪悪な未来の俺の姿を知っているルルならば抱いて当然の懸念。

 ルルの懸念はわかる。わかるが……あれは俺ではなくて、あのような姿になることは絶対に無いと、今の俺は断言できるが……く、反論が思いつかない。


「あとはー、まぁ私の趣味ね、9割ぐらいの割合で」

「ほぼ全部がそっちの理由ッ!?」


 趣味。魔女の趣味で女にされる呪いを掛けられた男など、世界広しといえど俺くらいしかいないだろう。


「男が女になるのは、様式美、みたいになっているからねえ、ありふれた話よ。ちょっと普通過ぎたかしらね?」

「大勢いるのか!?」


 俺以外にも。


「私のルーツを辿っていくとね? 歴史上の偉人だろうが何だろうが、とりあえず男なら美少女に変えちゃうって民族に行きつくのよ。男だけじゃなく無機物や動物も例外なくその餌食なのよねえ。うん、それで」

「前にもそんな話をしていたが、実在するのか、そんな狂った民族……」


 ルルから聞いた理解しがたい話の中でも一際理解が出来ない。想像も出来ない。成立するのか? 文明として。どうやって子孫を残すんだ?


「………………私の目には」


 唸り声を上げるかのような低い声で眉間に皴を寄せたリッシュモンがつぶやく。


「そならが使命も無く、ただ遊んでいるようにも見える……」


 遊んではいない。

 右へ左へと不様によろめきながら進んでいた自覚はあるが、それでもその場その場で必死だったのだ。俺は。

 ただ、ルルの場合ならば、それでほぼ正解というのがな。リッシュモンに掛ける言葉が見つからん。


「……名だ。やはり、本当の名を知る必要がある。……かの聖女、ジャンヌ・ダルクについて、彼女は大天使ミカエル、アレクサンドリアのカタリナ、アンティオキアのマルガリタから神の啓示を受けたという。我らが前に姿を見せし超常なる者よ、人ならざる者よ、アルテュールの名を持つ者が伏して願う。その真の名を明かされよ」


 リッシュモンが深々と頭を垂れる。真摯な姿だと、俺でも思う。だが答えは素っ気ないものだ。


「人だし……ルルって名前を明かしているし」

「俺の方は……名前は無いな、答えは変わらん。呼びたいように呼べ」

「くっ」


 リッシュモンは頭を下げたまま言葉を続ける。


「アルテュールの名を持つ者がイングランドを滅ぼす……そんな馬鹿げた予言があったせいで、私は苦労した……人ならざる者よ、そなたらは何を人にもたらす? 予言か? それとも神から預かりし言葉があるのか?」

「予言も預言も、どっちも無いわねえ、あと、人よ、私は」

「俺にも無いな」

「…………そなたらの目的は?」

「もう済んだ」

「俺は……無いな。ふむ、俺にも無いらしい。改めて考えると、もうこの世界で俺のやる事は無いのかもしれない。未練はあるが」


 未練はある。知りたかったことを知らないままでいることは気分が悪い。だがそれだけだ。


「この世は貴様らの遊び場か? 人ならざる者よ」

「……人だってば」

「雷を自在に操りッ! 天空を飛び回りッ! 骨のままで動きッ! 姿を自在に変えることの出来る者がッ、人なわけあるかッ!」


 頭を上げて再びルル睨みつける。強い視線を受けて、それでもルルは怯まず、ただ一つ溜息をつく。


「はぁ……あー、まー、じゃーねえ、それでいいわよ。リッシュモンさんの中で、私たちが人じゃなかったら、何になるの? 天使? 悪魔? ……私は、別に悪魔でも構わないわよ?」


 よくない流れだ。

 口の端を上げて笑うルルを横目に、頭に浮かぶのはルーアンでの館でのやりとり。

 ゴウベルに自分は何に見えるかと聞き、魔女と答えられて、そのまま魔女としての行動をとり始めたルルの姿を思い出す。

 とてもよくない流れだ。あの時の角の生えた悪魔の再臨になりかねない。


「そこまでにしておけリッシュモン」


 片手を上げてリッシュモンの前にかざす。

 俺を見て眉根を刎ね上げるリッシュモンの表情に余裕は無い。孤立無援の中、それでも我を通す姿には感心もするが、踏み込み過ぎは危険なのだ。ルルに関して、今、俺以上に詳しい者はいない。俺が止めねば。


「そこまでだリッシュモン。そこまでにしろ。これ以上は駄目だ。いいか? 誰もルルの行動を強制できはしない。貴様らはそこにいる少女に見える代物の恐ろしさを知らない。何もわかっていない。こいつを怒らせてはならない。さもなくば……人の世どころではない、気まぐれで世界すべてが滅ぼされてしまうぞ」

「滅ぼさないけどお!?」


 黒衣の少女が慌てて俺の発言を訂正してくる。


「ホント黒騎士さんの頭の中ってどうなってるのかしらねえ、今の話の流れでどうして私が世界を滅ぼす云々の話になるの?」

「好きじゃないだの嫌いだのどうのと言い出すからな。不安になった」

「いや私が嫌いとかでも、軽々しく世界は滅ぼさないから……」

「まあ軽々しく世界を滅ぼすような奴ではないのは俺も知っている。だがお前の場合、ついうっかりの失敗がありそうだからな。ついうっかりで世界を滅ぼされてはかなわん」

「これまた風評被害が甚だしいこと……」


 額に指を当て頭を左右に振る黒衣の少女。黒檀の髪が揺れる。


「実は、ついうっかりで世界が滅びそうだったのは、ちょっと前にあったんだけどね」

「ん? 何? いつだ?」

「無垢で愛らしい猫さんが首を刎ねられそうになった時」

「…………」


 何を言われているのか、すぐに理解する。それはいつまでも俺の記憶に残り続ける大失態のひとつ。


「想像できるかしらねぇ? 黒騎士さん? とある領域にいる者にとっては、そこらへんに落ちている道端の石ころをね? 壊さないよーに、そっと右から左へ移し替えるのより、星ごと無造作に砕く方が、実は単純で簡単な作業だったりするのよ? いやー、やばかったわー、あの時はやばかったわー、猫さんの怒りに引きずられて、ついうっかりで世界がやばかったわー」

「そんな危機だったのか……」


 あのままルルが怒れる猫の体を借りていれば、この世界は滅んでいたのかもしれなかった。

 そんな猫は部屋の隅で聖職者たちに守られながら俺たちの様子を窺っている。人が増えて騒々しいと、そう金色の瞳が訴えているようだ。

 過ぎた事とはいえ、俺のしでかした事の重大さを思い知らされて背中を冷たい汗が伝う。


 両手の指で俺を指して笑うルル。とても憎たらしい顔をしている。くそ、いつか吠え面を掻かせてやりたい。


「雑談をするなッ。世界を滅ぼすなどといった世迷言をいつまで続けるッ。それとも世界の滅びとは疫病にて人が敗北をすることを指してでもいるのかッ!?」

「怒られちゃったし、そーね、そろそろ切り上げましょう。雑談終わり、で、好き嫌いは抜きにしても……黒死病、最初の話ね、忘れていないでしょう? 黒騎士さん?」

「ん? ……ああ、当然だ」

「あやしいなぁ」


 唐突に俺に振られた話題に戸惑ってしまった。

 忘れてなどいない。

 ただどうにも緊張感が持てないのは、本来なら重大な黒死病の問題とて、ルルならば容易く解決してしまうのだろうと信じているからか。

 何だかんだと言いながら、最後には人を救う選択をするのだろうとも。


「で、リッシュモンさん。私はやらないわよ? 黒死病の治療」

「な」

「何?」


 だが、そんな俺の考えに反して、ルルが発したのは、はっきりとした否定の言葉だった。


「だってもう、勝ってるじゃない、人類は」


 そして、続く言葉の意味もまた、理解の出来ないものだった。




☆祝100話!☆

読んでくださってありがとうございます。ブックマークや☆評価、励みになります。


年末年始、積んであったゲームに手を伸ばしたのが最後、時間が溶ける溶ける……

完結までいけるように、どうか読者様も祈っていてください。作者も祈りますので。

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