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死霊の黒騎士と黒猫のルル  作者: 鮭雑炊


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 夢を見ている。

 夢だとわかる。

 俺が子供の頃の夢だ。

 両親が死んで横暴な祖父に引き取られる前、俺は家庭教師をつけてもらっていた。教わる内容はごく一般的なもの。数学、ラテン語、音楽、芸術、歴史、哲学に神学。


『神様は本当にいるの?』


 よく人に聞いた。

 答えは様々。ただただ神の存在を肯定する者、過去の偉人たちのエピソードから神の実在を語る者、理論によって神の実在を証明したという者、疑問に抱くことさえ不遜であると顔をしかめる者、頭ごなしに怒る者……


『神様が全知全能で万物の創造主なら、神様は悪魔もお創りになったの?』


 この質問はいけなかったな。答えが納得のいくものではなかったからしつこく聞いた。ほぼ全員から怒られたはずだ。当時の家庭教師たちの顔も名前も、教わった内容も記憶から抜け落ちていくが、彼らの心底呆れたといった様子だけは記憶に残っている。


 祖父に引き取られ、教育を受けさせてもらえなくなった後、教わったことと言えば恫喝や暴力の使い方、権力の集め方、土地の奪い方……ろくなもんじゃない。


 いつしか周りと同じように神の実在を当然のものとして受け入れ、世の中に溢れる悪や理不尽にも疑問に思わなくなった頃、彼女に出会った。


 神託の聖女。


 神の声を聞いた少女。


 何かに追い立てられるかのようにして生きた彼女は死んだ。


 共に戦った時間はさほど多くないが、鮮烈な記憶とともに俺の心に残る人物。

 そう言えば彼女には聞かなかったな。神は存在するのかと。それも当然か、神の声を聞きその意思を受け取った者に聞くようなことではない。まぁ聞かなくてよかった、俺はもう子供ではない。……子供ではない、どころか、俺は、もう……


「……何をしている黒猫」


 開けた俺の視界の中に映り込む一匹の黒い猫。

 木で作った申し訳程度のシェルターに横たわる俺の胸の上に乗りこんで、金色の瞳でジッと俺をのぞき込んでいる。下から見上げる猫の顔は、それだけで笑っているようにも見える。ぼやけていた意識が急速に覚めていく。そして思い出していく。


 結局、襲い来る睡魔には勝てずに、街道を大きく逸れて人目の付かない場所へと逃れた。そこで視界を遮るようにして木の目隠しを作って、その中に身体を横たえたのだったか。意識はそこで途絶えている。


 目隠しの木を払い除けながら、上半身を起こす。黒猫が体の上から飛び降りて地面に立つ。日が高く昇っているな。俺はどれくらい眠っていた?


「寝ずの番をしてあげていたのだから、もう少し労いなさいよ? ふぁ~眠い眠い」


 そう言って人の言葉を喋る黒猫はあくびをするが、実にわざとらしい仕草だ。


「よく寝れた?」

「ああ」


 黒猫に答えたとおりに、ぐっすりと寝ることが出来た。思考が働かなくなっていた昨日の最後と違い、頭もすっきりとしている。久ぶりに子供の頃の夢を見た。


 立ち上がり空を見る。太陽が眩しい。片手を上げて光を遮る。黒い手甲の隙間から覗く骨の腕。呪われた身体。忌むべき存在。

 ここまで乗って来た馬も近くにいて、のんびりと地面に生える草を食んでいる。馬が俺を恐れないでいるのにふと違和感を持つ。俺はありとあらゆる生命から否定されてもおかしくない存在になったのではないのか、神は何をしている? 思い返す、神、悪魔、それから……


「そういえば、黒猫のルルよ。貴様は鉛を金に変えることが出来るか?」

「唐突な錬金術トークが始まったね、どうしてまた?」

「子供の頃にどこかで聞いた話をふと思い出しただけだ。なに、他愛のない世間話だ」

「この時代に気軽に出来る世間話じゃなさそうだけど……出来るよ。原子操作で」

「何っ!? 出来るのか!?」

「喰いつき」


 自在に金を生み出す、それができるなら、その者は王にでもなれる。過去の何人もの錬金術師が追い求め、それを為したのはごく一部だと言う。


「錬金術師どもの言うことはまやかしではなく本当のことだったのか!」

「はしゃいでいる所を悪いのだけど、君の知る錬金術師たちは間違いなく偽物だろうねえ。今の人間には到底制御不可能な現象。無理だよー」

「黒猫、貴様ならば可能なのだろう? ならば……」

「出来るけどやらないよ。あまりに非効率だからね。水銀から作るのがとりあえず早いのだけど、それにしたって手間とエネルギーがかかちゃう。金が欲しいならどこかから持ってきた方がずっと手っ取り早い」

「過去、王の眼前で鉛の塊を本物の金の塊に変えたという錬金術師の話……」

「詐欺! それ詐欺! 原子操作はそんな簡単じゃないの! その現場を見ていたわけじゃないけど、最初に金の塊を用意して、それを鉛で覆って、あとは鉛を溶かして見せただけだろうね、……君は本当に詐欺には気を付けなよ?」

「…………」


 何が本当で何が本当ではないのか。詐欺になどにあって騙されたくはないが、真偽を見極めるための知識が足りない。


「黒猫よ、ではどういう理屈で鉛を金にするのだ?」

「まーだ言ってるよ、君はしつこい。君の思う錬金術は存在しない、いいね? そこら辺の知識は私の仕事を手伝ってもらうにあたって基礎知識として教え……それは面倒だなぁ……どこか適当な学校にでも行ってもらうとするか、うん、それがいい。すべては君がこの世界から去った後の話さ」


 俺がこの世界から去る……最初にこの黒猫の悪魔は、俺が満足すればそれで終わるといった話をしていたか。わからん。俺は何を持って満足とする? 俺は最初に何を願った? ……思い出したぞ、復讐だ。俺は、彼女を殺したこの世界に復讐を、


「朝ごはん、もう朝じゃないけど、朝ごはんを食べましょー」

「黒猫、唐突に何を言う。それどころではない、今から急いで……うおおおっ!?」


 予兆も何もなく地面からニュっと生えてきた白いテーブルに驚き一歩後ずさると、やはり地面から生えてきた椅子に足が当たり無理やり腰掛けさせられる。次いで白いテーブルの上に料理の乗った皿が次々と現れる。パンに肉料理に何かのスープ、コップとそれに入った飲み物、そして……


「急ぐ旅でも無し、ゆっくりいきましょ」


 見たことが無い少女が、そこにいた。


 料理の乗ったテーブルの向かい側に座る一人の少女。日の光を浴びて煌めく黒髪。大きな黒い瞳、シミひとつない白い肌に、紅をさしたかのような赤く小さな唇。十代も中頃か、それよりも幼い。

 麗しい、美しい、そういっていい造形。ただ闇を煮詰めて切り取ったかのような濁った瞳と、人を嘲笑するかのように歪んだ紅い唇の形がすべてを台無しにしている。

 おぞましく、恐ろしい、ナニか。


「…………」

「どうせだから君の飲食関連の様子も見て行こう。まー問題は無さそうだけどね、一応だよ?」

「…………」

「冷めないうちに召し上がれ。あ、テーブルマナーうんぬんは言わないわよ? 好きにして」

「……貴様、ルルか?」

「そうよ。じゃあ頂きまーす」

「待て、なんで、いきなり、人に?」

「その方が食べやすいから。私の事よりこの料理に驚いて欲しいものね。君を驚かせてあげようと、昨日から準備してたのよ?」

「いや、驚いたが……」

「もっと大げさに驚いてくれてもいいからねー」

「黒猫、いやルル。貴様、……猫の姿の方が愛嬌があるな」

「どういう意味よっ!?」


 何がどうというわけでもなく、怖い。

 猫の姿の時でも得体の知れない怖さがあったが、人の姿の時の比ではない。少女の姿という、より人に近い姿のせいで、こいつの持つ謎の力が一層際立つ。この悪魔、元々猫であったものが人になったのか、人が猫になったのか。人に変わった理由が料理が食べやすいからだと? 悪魔の言うことはやはり理解が難しい。驚くことが多すぎて何に驚けばよいのかわからなくなってきた。


「猫なのか、人なのか、それとも……」

「こだわりなさんなって。君もいずれ自分の姿形くらい自由に変えることができるようになるよ、それより、はよお食べ」


 疑問は膨れ上がるばかりだが、少女にせっつかれてテーブルの上の料理に手を伸ばす。最初にパンを取る。黒い手甲のままだが、吸い付くようにして取れる。この鎧もおかしい。

 一口齧る。

 柔らかい、そして味も感じる。骨付きの肉を取り齧る、何の肉かはわからないが惜しげもなく香辛料が使われている。スープを皿ごと持ち上げ、飲む、とろっとした食感の暖かいスープが喉を伝わっていく……

 何だ? これは? 今の俺の身体には舌などないはずなのに舌があるように動く。喉が動く。


「おいしい?」

「……ああ」

「リアクションが薄いなあ」

「驚きすぎてな」

「驚いたのならねー、もっと、こう、うまいぞーって言いながら口から光を発したり、鎧がはじけて飛んで体ごと宙に浮いたりしてくれてもいいんだよ?」

「知らん、何だそれは」

「料理マウントの取りがいが無いよ、ほんと」


 そう言って少女は木のさじを使ってスープを飲む。驚いたのは味ではなく俺の身体のことなのだがな。俺も食べるのに集中することにする。確かに驚くほど美味い、光ったり浮いたりはせんが。

 すぐに自分の眼前にあった料理をすべて食べ終え、飲み干す。少女の前の料理はまだ残っているが、手を伸ばしてまで取るわけにはいかないだろう。もう十分だ。


「早食いだね、もっとゆっくり食べてもいいのに」

「ゆっくりなどしていられない。俺はこれから聖職者どもを問い詰めて、海の向こうからきたイングランドの侵略者どもをこの地から追い払わねばならんのだ」

「海の向こうから来た侵略者? ああ、君はそう教わってきたんだね」

「……それ以外何がある?」

「ああ、ごめんごめん、君がそれが正解だと思っているのなら、それで正解ね。気にしないで」

「気になるぞ。言いたいことがあるなら言え。貴様、よもやイングランドとブルゴーニュが勝手に結んだトロワ条約は有効だと言う派では……」

「無い無い、派ではない」


 骨付き肉にかぶりついて咀嚼しながら黒髪の少女は語る。


「そもそもよく知らない。どうでもいいの。私にとってはどんな名前の人がどんな名前で呼ばれる土地の支配者だーって言って叫んでいようがどうでもいい。どこそこの血筋で誰それと結婚してとかどうでもいいの、いーや、どうでもいい、の、さらにもう一段階上ね、すごくどうでもいい」

「…………」

「古い時代、農耕に手を出した人間はそれぞれ集まり邑になり、大きな集落になってやがて都市を作る。周辺地域をまとめる都市は力をつけ、また別の都市と争い、時に手を結んで……いずれ国となる」


 肉を残さずしゃぶり終えた骨を後ろの草原に放り投げて二本目にとりかかる少女。


「この国、国に成りかけているこの地に住む人にとって、今が過渡期。この重要な時期において、誰かが何かを伝えるのに海を利用するのは当然か、そう思って君の言葉に引っかかっただけ。陸地を貫く山脈に並んで、海っていうのは目に見えてわかりやすい境界だからねー」

「答えになってないぞ。海を持ち出すまでもなくイングランドは明確な侵略者でブルゴーニュ派は明確な裏切り者だろう?」

「曖昧な感じで誤魔化されてくれない。彼らには彼らにとっての正当な言い分があるんだよ、過去を遡って歴史を辿ればいくらでも用意できる。そもそもイングランドが海の向こうの勢力っていうのもまったく実態とはかけ離れていて……やーめた」


 二本目もしゃぶり終えて、骨だけになった物でこちらを指しながら少女は言う。


「その辺の所を詳しく調べたいなら自分で調べることだね。君がこの世を去った後、私の仕事を手伝いながら趣味で調べるといいさ。私は興味なしだから。というより、この国の歴史なら君の方がずっと詳しいんじゃないの?」

「歴史……歴史を含め教育は、途中で取り上げられた……」

「ありゃま、地雷的な物を踏んじゃった?」


 俯き、テーブルの上に乗せた両方の手を見る。黒い甲冑の中には骨があるのだろう。謎。知らないことだらけであることを、俺は知った。正しいと言われていたことが正しくないなら、今まで俺が周りから言われて教わったことが間違いであるなら、今まで俺がしてきた判断はどうなる? 謎ばかりが与えられ答えがでない。


「何にせよ、思い悩むことはないでしょ。学びたければ学べばいいし、知りたければ知ればいいさ。どんな状態からでも、知識欲があるうちは」

「求めれば答えが出るのか?」

「ま、中には答えを知らないでいた方が良かった、なんて知識もいくらでもあるけどねー、あはは」

「何が可笑しい?」

「はいはい、笑ってごめん。けどね、私にとってこの国の歴史も未来もどうでもいいように、君だってどうでも良くなったはず。そういうモノになった。君は解放された」


 少女の姿をした悪魔は手に持つ骨を、後ろに向かって空へと高く放り投げる。


「でしょ? 名も無き骨の騎士さん?」


 そう言って首をかしげて笑いかけてくる少女の赤い唇が濡れていて、とても恐ろしい。俺の目の前にいるモノは、人を悪の道に引きずり込み地獄へと導く悪魔なのかもしれない、ようやく実感が持てた。




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