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第七話 ドク

「……っぐ」


 ゆっくりと目を開けると右腕に鋭い痛みが走り不愉快に脳が覚醒する、ぼんやりと辺りを見回してみると目に飛び込んできた鉄板を敷き詰めたかのようなこの天井は見覚えがあるような気がするが上手く思い出せない……頭に(もや)がかかっているかのような気分だ。


「起きたか、坊主。ここがどこか分かるか?」


「……ああ、あんたの不細工な面で思い出したよ……ドク」


 視界に現れたのはびっしりと生えた無精髭に分厚いレンズの眼鏡をかけ小汚い白衣を着た誰が見ても胡散臭いオッサンだった、こんなやつがあの世への天使なのであれば絶望も辞さないが……どうやら俺はまだ生きているらしい。

 ドクは下層唯一の医者だ、腕は確かだが金に汚く気分でコロコロと値段が変わる……ちなみに俺達が使用していたマスクやステルスコート、ブレードといった道具を製作したのもこのドクだ。


「はっ、相変わらず生意気な奴だ。それに、面の話なら今のお前さんの方がひどいもんだぞ?」


「ああ、そうだな……そうかもしれない」


 ドクから視線を外して枕に頭を深く静め、肺に溜まった息を吐き出す……が、段々と明瞭になってきた脳内に俺の体は再び跳ね起きた。


「サチ……! そうだドク、サチはどこ……に?」


 病院内を見回すまでもなく腹部に乗ったどこか安心する重さですぐにサチを見つける事が出来た、勢いよく体を起こしたのに小さな寝息は途切れる事は無く、その表情は安心しきっている。


「……随分とその山猫に信頼されてるようだな、ソファやベッドを勧めたがお前さんが起きるまで動かないと頑なに離れようとせんかったよ。随分としっかり仕込んだようだな、ええ?」


「そんなんじゃねぇよ……それより治療代はいくらだ、もう取ったのか?」


 左手のメモリーキーを起動し残金を確認してみるが減った様子は無い、まさか徹底した前金主義のドクが後払いに応じたのか? そんな事を考えながらドクを見ると汚い歯をこれでもかと広げていやらしい笑みを浮かべている。


「意識の無いお前さんのメモリーキーから金を取るのはちと骨が折れる、ワシとしては長い付き合いのお前さんを助けてやりたくない訳ではなかったが……そこはほれ、ワシの信念を折る訳にもいかんじゃろ? そう伝えて血塗れのお前さんを抱える山猫を追い出そうとしたんじゃがな、さすがは相場を知らん小娘じゃ……いつの間にこんなに貯めていたのか知らんが、何の躊躇いも無く全額差し出しよったよ」


「……これを、サチが?」


 頷くドクが差し出した取引を記録したプレートには決して安くはない金額が記されていた、それは俺とサチがこれまで得た任務の報酬のうちサチに渡していた金額と殆ど一致する。


「守銭奴が……ろくな死に方しねぇぞ?」


「くはは! そうかもな、だがワシは今幸せになりたい。死んだ後の事など知るものか」


 大笑いしながらでっぷりと膨らんだ腹を叩くドクに対して毒を吐くが怒りは無い、この下層とはそういう場所なのだ。

 ため息をつき、俺が起き上がったせいで顔にかかってしまったサラサラの髪をかき上げて頭を軽く撫でてやるとサチの目に一瞬きゅっと力が入り……ゆっくりと瞼が開かれた。


「あ……悪い、起こしたか」


「ミドー……? っ……ミドー!」


 ぼんやりと宙に浮かんだ彼女の視線が俺の姿を捉えると全身のバネを使って一瞬の内に立ち上がり、その勢いのまま抱き着いてきた……衝撃が全身に響き腕が痛むが、構うものか。


「良かった……! 怪我はどう? 他に痛いところとか無い!?」


「平気だよ、腕は痛むけど……ああでも、腹が減ったな」


 冗談交じりに腹をさすってみせると安心したのかサチが力無く寄り掛かりか細い声をもらしながら泣き始めてしまった、服がじんわりと人肌に濡れる感覚に胸を温めながらその小さな頭を撫でてやる事にする。


「それにしても……お前さんらしくもない、一体何をしくじったんだ? 耄碌(もうろく)するにも引退するにも早いだろうに」


「別に何かミスった訳じゃない、武人(ぶじん)だよ……餓鬼(がき)の武人が何の気まぐれかこっちを感知しやがってな」


「何……? じゃあ何か、お前さんと山猫は武人と正面からぶつかってマスク一つと右腕を浅く斬られた程度で撤退出来たというのか?」


「まぁ……そうだな」


 もちろん無事に逃げ帰れた理由の大半はあの武人の奇行のお陰だ、ここでドクに話せば何か情報が得られるかもしれないが……情報には金銭がつきまとう、今回俺達はドクに払いすぎてしまっている以上更に払う理由など無い。

 話すにしても俺達で一度話し合ってからだ、ふと視線を下げるといつの間にかサチが泣き止み俺達の会話に聞き耳を立てているのが見えた……口を挟まないのは下層での流儀ってやつをサチも分かっているからだ、利口だと褒めるかわりに包み込むように頭に手を乗せると背中に回されたサチの手に少しだけ力がこもる。


「むぅ……だがとても信じられん、武人は上層の番人……粛清の象徴だぞ? 何かその証明になるものはあるのか?」


「無い、あるとするならこれまでの俺達の実績だけだ。紛れも無いドクのその目で見てきた、な」


「……ふぅむ」


 俺達に背を向け、ドクが何かを考え込んでいる……どうしても武人の情報を得たければ俺達の記憶を覗くのが一番だがそうしないのはドクなりのポリシーに反するからだろう、あくまでも何かを得るには金銭で……まぁ、高い戦闘能力をもつサチを敵に回したくないというのもあるのだろうが。


「……いいだろう、メモリーキーを出せ」


「は?……なんだよいきなり」


「ええいうるさい、ワシの気が変わらん内に早く出せい」


 胸元で顔を上げたサチと視線を合わせながら首を傾げるがドクの言動の意味が分からず彼の表情を見ても俺達を騙そうとしているようには見えない、初めて見るドクの様子に少し警戒しながらも左腕のリストバンド型メモリーキーを差し出すとそこに悪趣味なギラギラと光る宝石の装飾のついたライターが押し当てられた、ドクのメモリーキーだ。


「……おいドク、これは一体どういうつもりだ?」


「フン……武人に困っているのはお前らだけでは無いという事だ、訳の分からん奴に賭けるぐらいならワシはお前らに賭ける」


「賭けるって……俺達の何にだよ?」


 メモリーキーを通して渡されたのはサチが支払った全額の九割程度の金額だった、ドクに残った額もいつもの治療費より少し割高なぐらいで気にする程の差じゃない。


「武人と相対したにもかかわらず死にもせず、投獄もされず記憶に指一本触れられる事無く戻って来た者などワシはお前ら以外には知らん。そんなお前らならどうだ?……奴らを、武人を倒す可能性の片鱗ぐらいは見出せたのではないか?」


「……」


 即答は出来ずしばし考え込む……金を返すというドクを知っている者からすれば万に一つもあり得ない覚悟を見せてもらった以上情報を出し渋っている訳では無い、果たして『アレ』を可能性とカウントしてよいものか今一つ判断しかねているのだ。


「悪いが……少し時間をくれ、俺達は確かにこれまで誰も知らない武人の情報を得る事は出来た……が、アレが何だったのか俺達ですらまだよく分かってないんだ」


「……いいだろう、だがお前の態度でよく分かった。もしお前の言うアレとやらが何か分かってもワシに言う必要は無い、ワシのココから足がついても面倒だ……ワシはただ、あのクソッたれなお山の猿大将に刃を……いや、泥の一つでもかけられるのであればそれで充分なのだからな」


「……ドク」


 もはやドクの瞳に俺達は映っていなかった……あの遠いまなざしに何が映っているのか、それはドクにしか分からない。

 下層に落ちる理由なんて様々だ、何かに失敗したか何かを得られなかったか……あるいは何かを失ったか……下層で掃き溜まる理由なんてそれぐらいのものだ、ドクもそのいずれかなのだろうが生憎俺達は温め合う手足も傷を舐め合う舌も持ち合わせていない……ただ互いの利益の為という牙を見せ合い、心に誓うだけだ。


「ワシもお前のように自由に動く体の時に気付いておればな……フン、話は終わりだ。動けるようになったら出ていけ、いつまでいてもお前らの飯など出てこんからな」


「……ああ、世話になったな」


 サチに支えてもらいながらベッドからゆっくりと立ち上がる、出血が多かったせいか少しふらつくが意識もハッキリしているしドクの家から俺達の家までそう遠い訳でも無い。


「ミドー、もっと私に体重かけて? いつもより足が上がってないから、躓いちゃう」


「別に平気……いや、やっぱりよろしく頼むよ」


 強がろうとも思ったが考えてもみればどこで意識を失ったのか覚えていないが彼女は一人で俺をここまで運んできたのだ、となれば今は素直に頼るのが賢明だろう。

 サチの小さな肩に手を乗せて全身に気怠さを感じながら出口へと向かい、扉に手をかけたところでドクに呼び止められた。


「……腕が治った頃にでもまた来い、次までにはそんな情けない傷を負わないぐらいに強力な装備を揃えておいてやる」


「もちろんそれは……俺達の友情価格で安くしてくれるんだろうな?」


「バカ言え、いつも通り……相場の五割増しに決まってるだろう!」


 醜く膨らんだ腹を叩きながら笑うドクをジロリと睨みつけ──すぐに俺も吹き出し喉を鳴らして笑ってしまった、訳が分からないという表情を浮かべて俺とドクを交互に見つめているサチの頭を撫でてやると相変わらず悪臭漂う下層の外へと出た。

 色々と考えなければならない事はあるが、とにかく今は時間を忘れて泥のように眠りたい……。

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