第五話 ハッキング・スナイプ
「よくこんなところ知ってたね?……ていうか、何ここ?」
「改装中のビルだな、とは言っても改装後の権利争いで殆ど手つかずのまま数年は放置されてるらしい……もちろん見つけたのは俺じゃなくて情報屋だがな」
パッと見た感じ内装は綺麗に見えるビルの階段を屋上に向かって一段一段踏みしめると反響した俺達の足音がよく響く、外面は華々しい上層だが皮一枚めくって中に入れば見える景色は下層とそう変わらないように感じる。
「なーんだ、つまんないの」
「つまんないって言われてもな……それが情報屋の仕事だろ?」
「そうだけどさ……」
何がお気に召さなかったのかお嬢さんは口を尖らせると俺を追い越して階段を駆け上がり、一足先に屋上へと続く扉の前に辿り着き手をかけると、重々しい音を響かせながら扉を開いた。
「わぷっ……! 凄い風、下は風なんて全然無かったのに」
「そりゃ高さが違うからな……はは、すげぇ頭になってるぞ?」
「っ……み、見ないで!」
風で乱れたサチの髪を指摘すると恥ずかしかったのか反射的に両手で髪を押さえてしまい支えを失った金属の扉は大きな音と共に再び閉まってしまった……その音に驚いたのかサチの体がその場で小さく跳ねる。
「うぅ……最悪」
「お前ってやつはホントいつまで見てても飽きないなぁ……ほれ、さっさと出た出た」
羞恥の限界を超えたのか両手で自らの髪をくしゃりと握りながら顔を赤らめるサチの頭を撫でながら扉を開き、屋上へ出るように促す。
再び吹き込んできた強風に恐らく俺の髪も乱れただろうが、鬱屈とした空気を吹き飛ばしてくれるようでむしろ心地よいとすら感じる……屋上に出て周りを見回すが他のビルとは違って電飾の整備もされておらず、落下防止用のフェンスなどの設置もされていない……おあつらえ向きとはまさにこの事だ。
「ねぇ、さっきの音で誰かが来たりしないかな?」
「確実に来ないな、熱心な警備兵やセキュリティドローンならともかく下にわんさかいる人間は数メートル先で死んでるのか生きてるのか分からない人間が転がっていてもチラリと見て終わりさ、そういうもんだ」
「ふーん……冷たいんだね、お陰で私達は動きやすいけど……さ」
サチがどこか遠い目をしながらスカートの内側から銃のパーツを次々と取り出し組み立てを始める……これでサチと仕事をするのは何回目だったか、すっかり手慣れたようで見る見る内に狙撃銃がその形を露わにしていく。
「その事実だけを抜きだしゃあ確かに冷たいのかもな、だがまぁ……きっと今の時代の中で自分が生き残る為に必死なんだろ、誰かを助けるってのは余程の余力が無きゃ出来ない事だからな」
「じゃあ……世界が昔よりも個人を苦しめるようになったってこと?」
「かもな、とはいえそれを個人が主張し始めたら終わりだとも思うんだけどな」
「……何それ、よく分かんない。じゃあ結局誰が悪いの?」
「そうだな、俺が思うに……今みたいに分からないって首を傾げてるサチが一番正しいんだと思うぞ、今も昔もお互いが思う正しいをぶつけ合って……仮にこの先もう誰もどうしようもないくらいにどちらかにとって正しい世界になった時に初めて誰が、何が悪かったか分かるんだろうさ……その時には手遅れだろうけどな」
「むー……ミドーの言う事ってどこから見てるのかよく分かんない……ところで、ターゲットの認識コードは?」
「あいよ、ここだ」
文句を言うように目を細め、ジトリとこちらを見つめるサチにデータポッドを渡すと完成した狙撃銃に接続しコードを認識させた……角ばったパイプ状のパーツを組み合わせるだけで完成するシンプルな構造の狙撃銃、形はともかく発射に必要なのは銃弾ではなく狙撃対象の認識コードだ。
銃口から飛び出すのも鉛の弾丸ではなく一種のコンピューターウイルス、狙撃というより言ってしまえば遠隔ハッキングの方がイメージとしては近い。
「貸し記憶の管理係……ねぇ、ミドー? 貸し記憶ってあれだよね、スポーツとかの」
「ああ、だがスポーツだけじゃないぞ? 操縦やらなにやら……果ては料理とかまであるんだったか」
記憶の貸与、なんて言葉だけを見てもピンとこないかもしれないが蓋を開けてみれば単純な話だ。
記憶の抽出は老化を停止させて現状のまま寿命を延ばす事であり決して若返る訳ではない、故に記憶の抽出技術が広まった時には既に高齢だった人物も少なからずおり死にはしないが出来る事の幅が狭い人達向けに始まったのが……この記憶の貸与ビジネスだ、体が不自由もしくはスポーツが苦手な人でもスポーツ万能な人間の記憶を一時的に接続する事で実体験に近い形でスポーツを楽しむ事が出来る。
料理の記憶では舌に味まで広がり、乗り物に乗れば肌で風を感じる事も出来る……ちなみに記憶は借りるだけでは無く自らの記憶を売る事もでき、気に入った記憶があれば買う事も出来るらしい。
「料理の記憶って気になるなぁ……知らない料理とか食べてみたくない?」
「でもあれって腹が膨れる訳じゃないんだろ? 舌だけ満足して実際に口に入るのはあの合成肉と野菜のソテーだぞ?」
「もうっ……ミドーのバカ、普段はロマンとか言ってるくせに!」
舌を出し、足音荒く屋上の縁に向かうサチに苦笑しながら付いて行くと縁に近付くにつれて下の賑わいが少しだけ聞こえてきた、あそこにいる誰一人としてこれから銃口が自分に向くなど夢にも思っていないのだろう。
「ミドー、ターゲットが来るまであとどのくらい?」
「八分ってとこだな、在庫やら何やらのチェックを終えたターゲットがそこの路地裏に出てくる筈だ」
「りょーかい、それにしても……あの性悪に目をつけられるなんて、一体何したんだろ?」
「さぁな、そういう事情は知らんが……俺らはやる事をやって明日の飯代を貰うだけだ」
「……そうだね、私達にも余裕がある訳じゃないし」
先程の俺の言葉を反芻しながら屋上の縁に腰掛けたサチが姿勢を変えて銃口を指定した路地裏に向け、何度か大きく深呼吸すると太ももの小型ポーチから例の砂糖菓子を一本取り出し口にくわえた……もう何度も見た彼女なりの集中方法、楽しいお話の時間は終わりという事だ。
「さて……じゃあ俺も準備しないとな」
誰に向けるでもなくボソリと呟き、顔を上げてどこまでも高く広く並び立つ色とりどりのビル群を軽く睨みつける。
遠い昔に起きた批判の嵐はどこへやら……今や『アカシック・コーポレーション』の名を知らない者などおらず、今もあのお山の頂上で昔モニターの向こうで声高に人々に向けて宣言した男はこちらを見下ろしているのだろうか? あそこから見える景色とは一体どのようなものなのだろうか? 地べたを這い回る俺達羽虫の羽音が届く事はあるのだろうか?
「……ミドー、来た」
数分後、近くでしゃがみ込み別の作業をしていた俺にサチがボソリと呟いた。
「一人か?」
立ち上がり、短く聞くとサチは肯定の印に人差し指で銃を一回叩く。
「……よし、作戦開始だ!」
サチに声をかけると俺はビルの縁に手をかけ……一気に飛び降りた! 全身を吹き抜ける凄まじい風を感じながら懐から湾曲した黒い金属板を取り出すと顔の前に掲げる……すると一瞬で顔が黒いマスクで覆われ、服もフード付きのロングコートへと変化した。
脳に直接錯覚を起こす機能のあるマスクとレーダーなどに探知されなくなるステルスコートだ、これで姿を見られても誰も俺だと認識出来なくなる。
「ひっ……! だ、誰だお前は!?」
大きな金属製のトランクケースを庇いながら小太りの男性が金切り声を上げた……まぁ突然目の前に深くフードを被りマスクを着けた男が現れれば驚くのも無理はない、実際はコートに仕込んである無数のロボットアームがビルの壁面を掴み速度を殺しただけのかなり原始的な降り方なのだが。
「け、警備を! けいっ」
動揺した男は最後まで言葉を言い切る前に地面に力無く崩れ落ちた、どうやらサチが撃ったようだ。
撃つ前に俺の姿を見せるのは言ってしまえば俺なりの意地のようなものだ、この男は数時間もすれば目を覚ますだろうが俺の姿を見せた事で正体は分からずとも体格から犯人は男だと警備兵に話す筈だ……そうなれば少なくとも犯人の捜査からサチは除外される。
「悪いな、汚した服代ぐらい弁償してやりたいが……生憎、俺達は悪人なんでね」
軽く周囲を見回すが目撃者やこちらに誰かが近付いて来る気配は無い……目の前で倒れるこいつにとっては違うが他の大多数にとっては今日も世は全て事もなし、という事だ。