第四話 モン・プチ・トラブル
「ふんっ……うぉぉ、背中が固まったぁ……!」
「ふふっ、何それ? おじさんみたいだよ?」
電導車から降り、思いきり伸びをするとサチが物珍しいものを見るかのように覗き込んできたのでついでに片手を添えながら首をねじって骨を鳴らしてみせてやる。
「俺は三十ぐらいの時から抽出を始めたから……まぁおじさんには違いないな、ああでもオッサンって言うなよ? そっちは傷つくから」
「……それって何か違いあるの?」
「大違いだ、いいか? 男は子供心を忘れないが同時に虚栄心の塊でもあり心はガラスのように割れやすいんだ、忘れるなよ?」
「……めんどくさぁ」
サチの小さなため息交じりの声が聞こえた気がするが、気にしない事にする。
ゆっくりと歩きながら駅の中をぐるりと見回し……一瞬で興味を失うと、サチよりも大きなため息が漏れる。
「それにしても……相変わらず殺風景と言うか、何も無ぇとこだな……」
「?……駅ってこういうものじゃないの?」
「いいや、違うね! 駅っつうのはここみたいに四方を無機質な金属の壁に覆われて飛行機の搭乗口みたいな狭い通路が延々続いてるんじゃなくてな、その土地特有のよく分からない工芸品が並んでいたり名産品の飲み物やら食い物がちょっと高い値段で売ってるもんなんだよ!……まぁ本当に何も無い駅もあるが、それはそれで味があったりしてな?」
「えっと……とりあえず、飛行機って?」
首を傾げるサチに思わず手で顔を覆う、うっかりしていたが……飛行機なんてものはいつの間にか使われなくなり、今や過去の遺物なのだ……十四のサチが知る訳が無い。
それにしても一体いつ頃無くなったんだったか……腕を組んで少し考えてみるが思い出せない、いつかの俺が消してしまったらしい。
「あー……昔は金属の塊が人を乗せて空を飛んでたんだよ、こう……鉄板の翼を広げてな?」
「鉄板が……羽ばたくの?」
何とか伝えようとしてみるがどうにもダメそうだ、嘘だとまでは思っていなさそうだがサチの目を見ただけでも信じられないという気持ちが伝わってくる。
「ま、少し長くなるし今度寝物語にでも話してやるよ。さぁ、今は俺達のすべき事をしに行こうか?」
「……分かった、後で絶対教えてよ?」
立ち止まり、すっかり考え込んでしまったサチの背中に手をそっと添えて進むよう促すと渋々といった様子だがゆっくりと通路を歩き始めた。
駅の通路は非常に狭く、俺とサチが横並びになっただけでも壁に肩を擦りそうになる……電導車に乗る者と降りる者で通路が違うのがせめてもの救いか、少し立ち止まって話をしていたせいか既に通路には誰もおらず、反響する俺達の足音が小さく響いている。
「ね、ミドーの知ってる駅にはこんな通路は無かったの?」
「そうだな……改装中だったり工事中の時の通路と似てなくもないが、少なくとも窓はあったし……あんなものも無かったな」
足を止めずに前方を指差す……そこには通路の天井から青い光が降り注いでおり、光の届く範囲を目に痛い青色が染め上げている。
そこへ一歩足を踏み入れただけで俺とサチも青く染まり、チラリと互いを見合うとその姿に思わず吹き出してしまった。
「んー……ダメだね、青色のミドーはあんまり可愛くない」
「なんだそりゃ……お前の方は悪くないぞ、青い髪も似合いそうだ」
「そう? じゃあ青く染めてみようかな……この辺とか」
冗談ぽく自らの髪を一束摘まみ上げてサチがニコリと笑ってみせる……一見苦も無く通っているように見せてはいるが、このライトに照らされた通路は上層に忍び込む上で一番の難所となる場所だ。
『思想判別探知機』と呼ばれるセキュリティシステムが導入されているエリアはこのような青い光が辺りを照らし、光に当たった者の記憶を二時間程度遡ってフィルターにかけて不審者を一瞬であぶり出す。
具体的に言うならば武器や犯罪的な思想、上層への入場許可の有無を記憶から判別するのだ……本来であれば俺達は一瞬でアウト、ライトが赤く変色して耳障りな警報が鳴り響き大量の警備兵共が山のようにやってくるが……そうならないのは俺達が事前にそれぞれのメモリーキーに偽の認識コードを手に入れて認識させているからだ、探知機様が見ているのは俺達が仲の良い親子で愛する娘を医者に見せる為に五区までやってきた……という偽物の記憶という事になる。
探知機の数が以前の時に比べて数か所増えてはいたが難なく通り抜け、出口を抜けると一気に視界が開けた。
「……ふわぁ……!」
隣でサチが感嘆の声を上げた、そういえば上層へ来るのは久しぶりだったか……サチの向いている方向に合わせて俺も上を見上げてみる。
──首が痛くなる程に見上げてもてっぺんの見えない程に高いビルが夜空を埋め尽くす程にこれでもかと立ち並び、その圧倒的な光景に自分が地の底から這い上がって来たのだと嫌でも思い知らされる……それぞれの建物から発される光はオレンジや乳白色といったよく見る明かりとはかけ離れた紫や緑、ピンク色で彩られ建物の一室から放たれる生活の光ですらも街を彩る為の電球の一つ程度の価値でしかないように思えてならない。
空間を覆い尽くさんばかりに広がる電光掲示板からは止めどない文章が流れ続けている……驚く程に完成されており、どこまでも希薄……それが俺の持つ上層のイメージだ。
上層に住んでいる事こそがステータスであり、上層は至福の楽園……ここに住む者は口を揃えてそう言うが目の前の道を行き交う大勢の人々の張り付いた笑顔を見ればすぐに分かる、楽園を作っているのは彼らだが楽園を楽しむ事が出来るのはあのお山の頂上でふんぞり返っているほんの一握りの人間だけなのだと。
「……ミドー? どうしたの?」
「ん、ああ……悪い、少し考え事をしてた」
服の裾を引っ張られた事でようやく痛む首に気付き、手で押さえながら視線を下げるとサチが心配そうにこちらを見ていた……そういえば最近考え込む事が増えてきたかもしれない、そろそろ記憶の整理をしなければいけない時期か……帰ってからサチに手伝ってもらうとしよう。
「行こう、目的地までは少し距離がある」
「……そこの二人、少し止まりなさい」
歩き出し、目の前に広がる人の群れに溶け込もうとした矢先に背後から声をかけられた。
内心で舌打ちし、表情が凍り付いたサチに大丈夫だと言いきかせる為に背中に手を添えながら振り返るとそこにいたのは二名の警備兵だった。
お揃いのロングコートを着用してフードを深く被り、顔には球体の飛び出た妙な形状のマスクを着けているせいで性別も表情も分からないが俺達に声をかけた一人は男のようだ。
「……何か?」
「いや悪い、引き留めて何だが用があるのは君じゃなく……隣のその子なんだ」
「この子に? 一体何の用です?」
サチが落ち着きを取り戻すまでの時間を稼ごうと問い掛けるが二人は質問には答えず男性の警備兵は俺とサチの間に割り込むように立ち、もう一人の警備兵はサチの前でしゃがみ込んだ。
「悪いね、向こうの話が終わるまでは君の話相手は僕がするよ」
温和な口調ではあるが有無を言わさぬその姿勢に思わず腹の底から湧き上がるものを感じるが表情や雰囲気には出さぬよう徹底し、下らない話を続ける男に適当な相槌を打ちつつサチの方へと耳を集中させる。
「……突然ごめんなさいね、駅の探知機がね? 貴方から少量の恐怖指数を検知したの、だから少しだけ……そうね、ここニ十分程の貴方の記憶を見せて貰ってもいいかな?」
「別にいい……ですけど」
「ありがとう、貴方のメモリーキーはどこかな?」
首を軽く曲げ、メモリーキーであるチョーカーを差し出すとそこに女性警備兵が接続用ポッドを差し込みサチの記憶を手元のモニターに表示して記憶の確認を始めた、俺の相手をすると言っていた男性警備兵もモニターの方へ顔が向いてしまっている。
「……やっぱり、またこの男」
「ああくそ、だからさっさと拘束しろと何度も上に言ってるのに……!」
記憶を確認していた二人が苦々しい声を漏らしてモニターを見つめている、モニターに映っていたのは……電導車でサチにいやらしい視線を向けていたあの男だ。
「ねぇ貴方? 途中から何かに隠れているのか視界が覆われているのだけれど……この男に何か変な事されなかった? ほんの少しでも指が当たったとか、足が触れたとかでもいいからね?」
「……そういうのは別に、ミ……お父さんが守ってくれたから」
「なるほど……恐怖指数が和らいだのもお父さんのお陰って事だね」
あの時の再現をするかのように傍に来たサチが俺のコートを捲って隠れて見せると二人の警備兵が納得したように頷き、安堵のため息を漏らした。
「引き留めて悪かった、あの男は最近有名な男でね? 新生八十以下の……つまりは未成年ばかりに声をかける常習犯なんだ、直接何かをしてきたという報告は無いから我々も注意以上の事が出来なくてね……とにかく、お父さんも娘さんが一人にならないように守ってあげてください」
「分かりました、ありがとうございます」
「……ごめん、ミドー」
警備兵から離れ、しばらく無言で人込みを歩いているとサチがボソリと謝罪の言葉を口にした……繋いだ手に少し力がこもり、俯いた顔を上げようとしない。
「謝る事じゃない。悪いのはあの男だ、そうだろ?」
「そう、だけど……」
サチの声はすっかりか細くなってしまっている、再びしばらく無言が続き……ふと思い出したふりをしながら声を上げる。
「ああそうだ、一つ頼みがあるんだけど……いいか?」
「いいけど……なに?」
内容を聞く前からいいと言うとは相当に参っているようだ。
一旦足を止めてしゃがみ、俯くサチの顔を覗き込み……顔全体を使ってニヤリと笑ってみせる。
「なぁ、もう一度お父さんって……呼んでくれないか?」
「は……はぁ!?……ば、バッカじゃないの!?」
一瞬理解出来ないかのように呆けたサチの顔がすぐに真っ赤に染まり、周囲の人がチラリとこちらを見る程の大声を張り上げて悪態をついた……恥ずかしいのか顔はそっぽを向いているが親子アピールの為に繋いだ手は離さない辺りが非常に可愛らしい。
「あれ、ダメか?」
「ダメっていうか……もう、バカ!」
肩を震わせて口を尖らせるサチに吹き出しながら彼女の手を引いて再び歩き出すと文句は尽きないようだが俯く事は止めたようだ、先程よりも温かくなったサチの体温を感じながら悪趣味な街を目的地に向かって歩き、俺達にしか聞こえない足音を響かせていく。