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第三話 スクラップ・チャイルド

「……いっつも不安なんだけどさ、これ本当に大丈夫なんだよね?」


「安心しろ、ずっとあのオッサンから買ってるがこれがバレた事は一度も無い」


 夜道を歩く俺達の手には小さな使い捨てデータポッドが一つずつ、この中には上層の住民に偽装する為の認識コードが入っている。


「俺は個人的にあのオッサンは信用してるからな、ちゃんと金を払ってる限りは裏切る事も無いさ」


「……そ、じゃあ私はあの人を信用してるミドーを信じる事にする」


 ため息交じりにサチが首に着けた赤いチョーカーにデータポッドを差し込むのを見て俺もリストバンドにポッドを接続する、俺達が着けているこれらは『メモリーキー』と呼ばれ記憶の外部保存装置でもあり金銭管理システムでもあり……つまりは殆ど命と同価値と言っても過言ではない代物だ、当然俺達のような下層の民が正規品を手に入れる事は出来ず非合法な品なので機能は制限されているが……上層の住民だとこの中に認識コード以外にも何を所有しているかまでの証明コードまで入っている、記憶を圧迫せずに安心を得られるというのが謳い文句らしいが……俺に言わせれば素っ裸で出歩いているようなものだ、何もかもを知られてのうのうと生きるなんて事は俺には出来ない。


「そうか、それより……歩きにくかったりしないか? 俺ももっと持つぞ?」


「大丈夫だよ、ミドーのコートの内側より私のスカートの中に手を突っ込もうってやつの方が少ないでしょ?」


「安心しろ、そんな奴がいたら俺が蹴り飛ばしてやる」


「んふ、ほら……安心でしょ?」


 スカートの裾をヒラヒラと揺らしてみせるサチにはしたないと注意すると元気な返事が返ってきた、女の子のスカートの中は秘密がいっぱい夢いっぱい……とは言ってもまさか分解された遠距離用の銃のパーツが入ってるとは誰も思わないだろうが。




 上層への行き方は全部で四か所ある下層の駅から電導車に乗って行くしかない、完全に上層と下層が隔離されていたら打つ手は無かったが下層の警備は上層の住人だったり上層と一言に言っても何層かに分かれているので中継駅も多く俺達が乗り込んでも殆ど目立つ事は無い、せいぜい上層への移住希望者だと思われるのが関の山だ。


「……奥の席に行こう」


 サチを先頭に電導車に乗り込み声をかけると小さく頷いて奥の席に腰掛けた、俺も隣に腰掛けると彼女の背が小さく俺が大きめのコートを着ている事もあってすっぽりと彼女の姿が消え、覗き込みでもしない限り見える事は無いだろう……サチはあまり人混みが得意ではない、とは言っても体調を崩してしまっていた最初に比べたら随分と強くなったと思う。


「平気だよ、ミドー……私、平気だから」


 無意識なのか俺の服の裾を掴んだまま呟かれたその言葉は俺に向けて、というよりは自分に言い聞かせているように聞こえる。


「ああ、分かってる……俺はちゃんとここにいるからな?」


 再び小さく頷くとサチは手を伸ばし自らが履いている黒っぽいタータンチェック柄のキュロットスカート、その内側に手を差し込む……傍から見ればギョッとする光景かもしれないが何て事は無い、右足の内ももにベルトで固定してある小型ポーチを開こうとしただけだ。

 二度の金属製のボタンを開閉する僅かな音が響き、スカートから引き抜かれたサチの手には八センチほどの短く細い棒状の砂糖菓子が握られていた……俺は甘い物が苦手なので何が彼女の好みなのか分からないままに買い与え、そのまま定期的に買い与えるのが習慣となった安い菓子だ。

 何かが混ぜてあるのか白色と言うよりは琥珀色に近いその棒状の菓子をサチの前歯が挟み込み、小気味のよい音を鳴らしながら半分程に折られた……口内の菓子は断続的に噛み砕かれ、手に握られたまま次を待つ菓子の先端には僅かにサチの唾液が付着し電導車内の照明を反射している。




『次は上層八区──扉は──』


 電導車内にアナウンスが響くと共に扉が開き大勢の人が乗り込んできた、ようやく落ち着きを取り戻してきたサチの体に再び力が入るのを感じる。

 この八区からが上層の入り口だ、ここに住む彼らは上層の民であっても最底辺の労働者階級の者が多く住み日々劣等感に苛まれながら俺達下層の民に唾を吐き、更に上の者に対しては頭を下げながら胸の奥にどす黒い感情を渦巻かせている……他者への興味を殆ど失った上層の住民とは違い、俺達のような目立ちたくない者にとって彼らのような攻撃的な存在が一番厄介だと言える。


「……っと、わりぃな」


「っ……!」


 そんな事を考えていたところだというのに目の前に座った男がサチの足を蹴り飛ばした、息苦しさすら感じるこの人込みだ……誰かの足を蹴ったり踏んだりなんて日常茶飯事だろうがサチにとって恐怖でしかない事に変わりは無い。


「……いえ、お気になさらず」


 幸いサチが履いているのは男物のトレッキングブーツを彼女の足のサイズに改造した頑丈なものなので衝撃はあっても痛みなどは無いはずだ、サチの膝に手を置いて落ち着かせながら男に代わりに返事をすると男はこちらを向き、眉をひそめて怪訝な顔を浮かべた。


「なんだ、あんたのツレか?……いや、それにしちゃあ若いな?……随分可愛らしい顔だが、いくつだ?」


「ひっ……!」


 脂ぎった汚い手をサチに伸ばそうとした男に全身の毛が瞬時に逆立つのを感じたが俺よりも先にサチが反応し小さな悲鳴を上げると俺のコートを掴んで広げ、その陰に隠れてしまった……彼女の短く早い吐息の温度をコート越しに感じ、湧き上がりかけた怒りを何とか静めていく……。


「すみません……娘はまだ五十を超えたばかりなんです、今日は治療の為に五区まで行くんですが……いかんせん、この年代の子はあまり外に出たがらないでしょう? 見ての通り、家から出すのにも苦労しまして」


「あ?……ああ、そうか。まだそのぐらいなんじゃ仕方ねぇな、もっと大人になりゃ色々知る機会も増えるだろうし……な」


「……ええ、そうですね」


 男は納得したようだがその薄汚い視線がサチの隠れ切れていない下半身に向けられているのは俺でも分かった、ここが下層じゃないのが本当に惜しい……下層ならばこんな男、生ゴミを漁る厄介なネズミよりも簡単に駆除出来るというのに。


「気を付けなよ兄さん、そんなに若い娘さんは今や貴重品だからな……分かるだろ?」


 いやらしい視線をサチに向けたまま男は薄ら笑いを浮かべ、次の七区で電導車を降りていった……窓を覗くと最後にこちらをチラリと見たのが分かり、男の俺でも寒気がする。


「……サチ、もう大丈夫だ。いなくなったぞ」


 コートを掴むサチの手をそっと握って声をかけるとゆっくりとサチが顔を上げ目が合った、余程怖かったのだろう……目の端にはうっすらと涙の跡が残り、僅かに目が赤い。


「ミドー……靴、踏んで?……あいつに蹴られたとこ、踏んで?」


「踏む?……ええと、これでいいのか?」


 よく分からないままに彼女の靴の先端を軽く踏む、彼女の靴の先端には金属が仕込んであるので足の感触などは分からない。


「ん……ありがと、もう大丈夫。ミドーで全部上書きしたから」


 頑丈な靴底で床をトントンとわざと音を鳴らして足踏みし、ようやくニコリと笑顔を浮かべたサチにようやくホッと胸を撫で下ろす──と同時に更に周囲に気を配ろうと心の中で決め、警戒の糸をピンと張り巡らせる。


「そうか……なら良かった」


 右手をサチの頭に乗せて乱暴に撫でつけるとくすぐったそうに体を震わせ、その頭を俺の肩にポンと乗せた。

 ──先程のは咄嗟に出た言葉だったがもちろんサチは俺の娘ではないし、年齢も違う。

 彼女は俺がまだ一人で今とは違う任務をこなしていた時に情報屋が連れて来たスクラップ・チャイルド……つまりは捨て子だ、寿命が大きく引き伸ばされた今では新生児の出生率が著しく低く……一年で二十人程度だった時もある。

 原因はもちろん記憶の抽出技術の発展だ、子供……つまりは次代に技術を受け継ぐ必要が無くなり人間達は自らの生と欲望を満たす生き方に切り替え始めたのだ、更に記憶の抽出を繰り返す内に性機能が徐々に低下し着床率が低下した事もこの問題に拍車をかけたのかもしれない、抽出技術の副作用とも言われているが……詳しい事は未だに分かっていない。

 とにかく人類は自分が今を生きる事に専念するようになり、その過程で子供は徐々に疎まれ始めた……手もかかり金もかかり時間もとられる、そんな身勝手な理由で子供を手放す親が増え……そうして今もなお増加の一途をたどっているのがサチのようなスクラップ・チャイルドだ。

 更にはこんな問題が起きる事を見越していたのか、例の記憶の抽出技術を発表した科学者の企業が僅かな金銭と共に子供を引き取るなんて言い出したものだから人々の心から罪悪感や後ろ暗さがすっかり消え失せてしまっており、子供がいた記憶を捨ててしまった者が殆どだろう。


「……ミドー? 顔、怖いよ?」


「お……そうか? 仕方ない、俺もこんな人込みは嫌いだからな」


 冗談めかして両手で眉間のシワを伸ばすポーズをとってみせるとサチがケラケラと笑ってくれた、その笑顔だけで随分と心が軽くなる気がする。

 ──今や子供は大半に疎まれるかさっきの変態のような奴に視線で慰み者になるかの二択しか無く、一人で生きられない彼らには選択肢すら無い……サチはこの社会では非常に珍しい正真正銘の十四歳、彼女と出会った事で俺は本当に守りたい存在というものを見つける事が出来た。

 だから俺はケチなハッカーを辞めて記憶泥棒を始めた、小さな刃だろうが何度も振り下ろせばこの腐った社会を切り裂き……何かを変えられる日が必ずくると信じて。

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