第二十九話 バタフライ・コンビネーション
深さにして三メートル程落ちただろうか、不意に現れた固い床に思わず体勢を崩しそうになったが何とか耐えつつ辺りを見回してみると内部は意外と広く、大きなトンネルのような構造になっていた。
薄暗いが天井には等間隔でオレンジ色のライトが設置してあり視界を確保するだけなら十分な明るさだ、床の中央には下水が流れており、今俺が立っている足場と同じ足場が下水を挟んで向こう側にも続いている……足場も広いし天井も高い、思ったよりも移動は快適そうだ……鼻をツンとつくこの臭い以外が無ければ、だが。
懐からナイフを取り出し柄で壁を数回叩く……上にいる二人への合図だ、大声を出す訳にもいかないし湿った壁に触れるのは……正直気が引ける。
「よっとと……うぇ、何すかこの臭いぃ……」
「多分だが正体は知らない方がいいと思うぞ?」
俺よりも綺麗に着地したミコトが早速顔をしかめて肩を落とした、そういえばこいつはビルの屋上から飛び降りてそのまま俺に斬りかかったのだったか……少し心配していたが、このぐらいの高さ何でもないという訳か。
「……何だ、意外と綺麗なんだね」
「き、綺麗……っすか?」
続いてサチも降り、少し辺りを見回して何でもないような口ぶりに思わず俺とミコトは目を見合わせた……気にする素振りも無く壁を叩いて耐久性を確かめているし、思っていたよりも豪胆さの持ち主らしい。
「……まぁいい、とにかく移動を開始しよう。方角は……あっちだな」
ミコトから受け取り、左腕のメモリーキーに保存しておいた下水のマップを表示して自分が今いる箇所と方角を指を指しながら確かめる……下水の流れる音以外静寂が支配しており先程から耳が塞がるような妙な感覚に襲われている、奥を眺めても似たような景色が続いており無暗に動くと方向感覚が狂ってしまいそうだ。
何にしても長居をしたいとは思わない……俺を先頭にミコト、そしてサチの順番で進行を開始する。
「あの、一つだけ疑問があるんすけど……いいっすか?」
「ん、何だ?」
数分程進んだところでミコトが軽く手を上げた、まるで引率の先生にでもなった気分だ。
「今アタシ達ってどこに向かってるんすか? このまま敷地内に侵入するのはいいとして……まさかトイレから出ようとか言わないっすよね?」
「それこそまさかだ、下水から建物内に入ろうと思ったらもっと狭い道を通る事になる……多分お前らでも無理だ、俺も詳しい訳じゃないがな」
「そうなの? 私もてっきりトイレか台所から入るのかと思ってたけど……?」
なんとサチまで同じ意見だったらしい、本気であの狭い場所を通れると思っていたのだろうか? いや、彼女らの事だから便器や流し台を吹き飛ばす気だったのかもしれない……今度もう少しスマートなやり方というものを教える必要があるかもしれない。
「お前ら……いいか? 普通の民家とかの場合下水と繋がってるのは毛細血管みたいに細い水路だけなんだよ、だからこうして下水に潜ったところで中に侵入するなんて事は不可能なんだ」
「そうなんすか? じゃあ……何でこんなところに来たんすか、ここを通っても中には入れないんすよね?」
「普通の建物にはな、だが目的の工場みたいに大規模な建物となると排水の量も段違いなんだ。だから必然的に水路も大きくなるし……もし浄水装置もあるならこのまま地続きって可能性もある、どちらに転んでも侵入は容易って訳さ」
「おおっ! さすがおにーさんっす!」
両手に握り拳を作り興奮するミコトと何故か自慢げなサチに笑いかけ進行を再開する……あえて言わないがこれには大きな利点もあるが懸念材料もある、それだけ大きな通路があるなら警備が配置されている可能性も十分にあるという事だ。
だが動き回るには狭く、不快な湿気が満ち溢れ電波の通りにくい環境にドローンは不向きだ……もしいるとするならばそれは人間、ガム・ワームの連中という事になりステルスコートで見つからずに通り抜ける事も可能だろう……地上からの侵入を試みるよりはこちらの方が最善の筈だ。
「……わはぁ、凄い高さっすねぇ。八……いや、十メートルぐらいあるっすよぉ?」
ミコトがまるで星でも見上げるかのように顔を上げた視線の先、そこにはあらゆる物を飲み込んでしまいそうな程に巨大な丸い口がポッカリと開いていた……今は水が流れていないので空虚に開いたただの穴だが、排水の際には派手な水音を上げる汚水の滝へと変化する事だろう。
「バカな、こんな高さの建物など上から見た時には……!」
そこまで口から漏れてハッとする……あった、巨大な工場施設ばかりに目がいっていたが記憶を辿れば確かに脇に塔のようなものが立っていた。
塔の頂上には大きなライトが設置してあり、てっきり監視塔か何かだとばかり思っていたが……排水施設も兼ねていたらしい。
「ミ、ミドー……大丈夫だよ、敷地内である事には変わりないんだし……ね?」
「そうっすよぉ、それにこのぐらいの高さならひとっ飛びですし!」
二人の少女に慰められるという複雑な感情を押し殺し巨大な穴の周辺を観察してみると昇降用の梯子が設置してあった、しかし長く人の手が入っていないのか老朽化し手すりが半分程崩れてしまっている……あれに頼るのは危険だろう、進むのであればやはり飛び上がるしか無いかもしれないが……。
「待て、全員ゴーグルのスイッチを入れろ」
今にもジャンプしそうなミコトの肩を押さえて指示を出す、嫌な予感というのは往々にして当たるものだが……今回ばかりは外れて欲しかった。
「センサー……それも可動式か、面倒だね」
全員が装着しているゴーグルは臭気に目が染みるのを防ぐ為だけのものではない……スイッチを切り替えると暗所での視界確保や不可視の熱源などを察知する事ができ、今回は巨大な穴を塞ぐセンサーの網を捉える事が出来た。
しかも幸か不幸かセンサーの網でびっしりと蓋がされている訳では無く何本ものセンサーの線が現れては消えを繰り返し、線自体も移動しており隙間を広げたり閉じたりしている。
「ま、待って欲しいっす! スイッチってどこっすか!?」
どうしたものかと立ち往生している俺とサチをよそにゴーグルの切り替えが分からないのかミコトが悲鳴を上げた。思考の邪魔なので小さくため息をもらすとミコトの方へ歩いて行き、切り替えてやる。
「わっ……見えたっす、ありがとうございます! ていうかサチお姉ちゃん、あれヤバいっすよ!」
「分かってる……っていうか見えたのアンタが一番最後だって」
呆れたように項垂れるサチの隣に移動し改めてセンサーの網を見上げる……常に全体を覆っていないのは穴の下部で僅かに流れる水などに反応しない為だろう、常に線は動き全体をカバーしているように見えるが……それでも子供一人ぐらいの隙間は時々開いている。
「……不規則、じゃないね。三パターンぐらいを定期的に繰り返してるしパターン選択もランダムじゃなさそう」
「だな、この次に縦の線が振り子のように時計回りに移動して次が……」
『右』
俺とサチの声が重なると同時に時計回りに移動していた縦の線が反時計回りに……つまり右へと移動した、パターン数は多いが一つ一つはそれほど複雑な動きをしている訳ではないようだ。
「発生装置は……あれだな、天井の少し奥に張り付いてる赤いランプの……見えるか?」
「ん……見えた、三センチくらいの四角いやつだね?」
「そうだ、あれを破壊すればセンサーは止まる」
銃を使えば破壊出来るだろうが……この閉所だ、発砲音がどこまで響くか見当もつかない。
「……頼めるか?」
「当然、ミドーが育てたパートナーだよ? 信じて」
数秒間サチとまっすぐに見つめ合い……一つ頷くと俺は穴のある壁の方へと歩いて行く、背後ではサチが防毒マスクを取り邪魔な装備を外している音がする。
「え、え……二人とも何してるんすか……?」
「いいから、これ持ってて」
壁に背中を密着させて振り向くと一人置いてけぼりをくらったミコトが俺とサチを交互に見ながら狼狽している、次々に渡されるサチの荷物で両手がいっぱいだ。
「まぁ見とけ、俺達のチームワークってやつを見せてやるから……だろ?」
「そういうこと」
大きめの服の袖やキュロットスカートの裾をベルトで固く縛り、限界まで体を細くしたサチが返事をしてナイフを一本口に咥えた……もう俺の位置からではセンサーの動きは見えない、サチを信じてタイミングを合わせるだけだ。
「……」
ジッとセンサーを見つめるサチの真剣な雰囲気にミコトもただならぬ気配を感じているのか不安そうな表情で黙っている……そしてそのまま数分が過ぎた頃だった。
「っ……!」
突如加速したサチがこちらに向けて駆け出した……しっかりと彼女を見据え、両手を合わせて手のひらを天井に向ける。
次の瞬間にはサチの片足が両手の上に乗り、間髪入れずに両手に力を込めて思い切り上に投げ飛ばす! 持ち前の跳躍力と合わさり高く飛び上がった少女、汚水に塗れた空間で俺は……一頭の綺麗な蝶を見た。




