第二十二話 膝の温もり
「……ふぅ、じゃあ頼んでいいか?」
「うん、楽にしててね」
家に戻って食事などを済ませた俺はよく軋むベッドで仰向けになると左側に置いた椅子に腰かけるサチに向けて左腕を伸ばし、膝の上に腕を置く……俺の腕に片手を添えながらサチは手慣れた様子で小型の機械を取り出し、リストバンド型のメモリーキーに端子を接続する……すると、俺達の周りを覆うように小型のモニター映像が何列にもなって現れた。
これが俺の記憶。ここから必要なものと不必要なものを選んで残す記憶は俺の脳へ戻り、削除された記憶はメモリーキーの外部ストレージに送られて自動的に保存される……つまりストレージから記憶を呼び戻さない限り忘れる、という事になる。
「あ、これ美味しそう」
「ん? ああ、下層四区のうどん屋だな。確かに味も悪くなかった……それに何より安い、今度行くか?」
「うん、行く!」
嬉しそうにニコリと笑みを浮かべながらも手元は素早く記憶を操作し、残す記憶を選んでいる……これを見ても分かる通り本来記憶の整理は自分でやるものだ、たとえやましい事が無くとも自分の見た事や視線の動きなどが筒抜けなのは普通の感覚なら気分が良いものではないと思う。
最初に俺の記憶をサチに見せたのは一体いつの事だったか……まだ心を開いてくれていなかった頃のサチに、せめて笑って欲しくて俺の記憶を見せながらあの飯は美味かっただのあそこの景色は良かっただのと話したのが最初だった筈だ。
年頃の少女と接した事なんて無かった俺はとにかく闇雲にコミュニケーションを繰り返し……やがて少しずつ心を開いてくれるようになったサチはよく話すようになり、次第に俺の仕事に興味を持ち始め……自らの記憶も見せてくれるようになった、当然の事だが殆どの時間を一緒に過ごしているので目新しい記憶など無かったが、俺はサチのその気持ちが嬉しかった。
どんどんと心の距離が縮まるのを感じ……今ではすっかり彼女の好意に甘えて記憶の整理を任せてしまっている。
──もちろんこんな事が自殺行為である事は理解している、記憶の整理を任せるという事がどれほど怖い事か分からない程俺は愚かでは無い……つもりだ、しかし子供という新たな命を軽視し、自らの生や欲望に生きるだけの独善的なこの世界で人を信じるという事が如何に難しく、また信じてくれていると実感出来る事がどれほど嬉しい事であるかを俺は決して忘れたくない。
「……ミドー? 何笑ってるの?」
「なんだろうな、多分……思い出し笑いってやつだ」
改めて自分のやっている事を客観的に見直し、思わず口元を歪めてしまった……大仰な事を言いながらも、結局のところ今日まで俺のやってきた事はすぐ隣で首を傾げる彼女に信じて欲しかっただけなのだから。
記憶の抽出を始めてからというもの急激に広がった目の前の時間に最初こそ戸惑ったがさほど時間もかからずに慣れ、それまでの時代ならとっくにくたばっていたであろう時間をこれでもかと怠惰に過ごした……陳腐な言い方だが、進化した新人類になったとすら思っていた。
他の奴らと変わらない……好き勝手に生き、落ちるとこまで落ちた後は上を睨みつけながら退屈を凌ぐ為にハッキングの技術を磨き、小さな偽善を繰り返しては空虚な自分を埋めて……二百年以上も生きてようやく見つけた自分を保つ為の光が右も左も分からぬ小さな少女だって言うのだから笑える、結局のところ……どうやら俺には一人で立つ事すら難しかったらしい。
「それで……どうするの? あの話」
「受ける。いや……受けようと思うんだが、どう思う?」
「ふぅ……ミドーがもう決めちゃってるのに、私にこれ以上言う事なんてある?」
小さなため息をついたサチがメモリーキーから抽出機を取り外し、俺に差し出した。
それを受け取ろうとして掴む……が、抽出機はしっかりと握られており受け取ろうにも受け取れない。
「……サチ?」
「ねぇ、本当に分かってる? 武人の研究所だよ? 敵の本拠地だよ?……セキュリティも厳重だろうけど、警備だってドローンや兵士だけじゃない……武人だっているかもしれないんだよ?」
「武人の防衛プログラムは基本的に上層の警備だ、研究所やアカシック・コーポレーション本社を守っている筈の閻魔の武人は今はいない……だからこそ、ディア達は俺達に依頼してきたんだろ?」
「っ……そうかもしれないけど」
力の抜けたサチの手から抽出機を受け取り、適当にベッド脇の小さなテーブルの上に置くとサチの方へ振り返るとベッドの空いているスペースを軽く手で叩く。
「ほら、ここに座って」
「……ん」
ギシリとベッドを軋ませながら座るサチの丸くなってしまった背中を軽く擦る……ふと彼女の手元を見ると小さな指同士を組んではほぐしを繰り返しており、不安の種は尽きないようだ。
「ミドー、この依頼を受ける利点って何?」
「そうだな……あいつらが新たなスポンサーになるかもって事と今回の事で恩を売っておけば内部の情報とかを色々と得られるかもしれないってのと、俺達が仕事を続ける上で閻魔の武人なんてのは障害にしかならない訳だし……阻止出来るならそれに越した事は無いだろう? リスクは承知だが、リターンに見合っていると俺は思う」
「……本音は?」
「カシム博士のやろうとしてる事が気に喰わねぇ、他人の記憶を自分の好き勝手にいじくり回すなんて世間が許しても俺が許さん。だから一発……少し強めに殴る」
「ぷっ……ふふっ、なにそれ」
固く握りしめた右手を天井に向けて突き出して宣言するとサチが吹き出し、ケラケラと笑い出した。
──今更だが俺は正義の味方なんかじゃない、完成された社会に染まる事も子供達の扱いも気に喰わないので反抗し続け、今回も気に喰わないから邪魔をしに行く……ただそれだけだ、ご立派な大義名分なんて俺には必要無い。
実のところディアの話を聞いていた時なんて心が躍っていた、誰もが見上げる事をしなくなった空を野良犬一匹で見上げて……吠え続けた甲斐があったというものだ。
「……だがお前の言う通り危険度も難易度も今までの比じゃない、次にいつミコトが接触してくるのかも分からないし……準備は早めにしておく、差し当たっては……明日にでもドクを訪ねようか」
「分かった……ねぇ、ミドー?」
「なんだ?」
「ミドーは……閻魔としての私って、気になる?」
俺の左腕を両手で掴み、横に伸ばしたかと思うとそこにサチの頭が乗った、ふわりと俺のものではない香りが鼻を掠める。
「……全く気にならないかというと、嘘になるな」
「そ……っか」
「ああ……だがそれは閻魔の武人という未知に対する危険な興味ってやつだ、なんて言ってもサチは……ちゃんとここにいるんだからな」
「っ……ミドー……!」
不安そうなサチの顔が一瞬にして花が咲いたかのように明るくなり、笑顔を浮かべた。
……もう一人の自分なんてものに対して不安を抱かない筈もない、下手をすれば今の自分を否定する事になりかねないのだから……怖いに決まっている。
故に今の俺の胸に宿る不安は難攻不落のセキュリティでも武人の脅威でもなく、その先……サチの記憶を盗み出した後についてのみだった。




