第十六話 想定外の訪問者
「……ふぅー」
電導車から降り、駅前に出た俺は以前と変わらぬ悪趣味なライトで彩られた上層の夜景を見上げながら緊張をほぐす為にゆっくりと息を吐いた……マスクを斬られた事で武人に顔を見られたのはサチだけだったが電導車の内部やこの駅前の記録映像には俺と一緒にいた姿が映っていた筈、しかしここへ降り立つまでの道中で一度もサチの手配映像を見かける事も無く、素顔で突っ立っている俺に警備兵が寄って来る気配も無い……街中に響く耳障りなアナウンス音声も何かの宣伝を繰り返すばかりで緊急報道などが流れている気配も無い。
安心するのはまだ早いが、第一段階はクリア……といったところか。
『……順調すぎて不気味って感じたの、初めてかも』
「全くだな、このまま気を張り続けるのは……正直しんどい」
右耳に取り付けた通信機から聞こえる声に同意しこれみよがしに深くため息をついてみせる、目の前を行き交う大勢の人の波の中で一人で喋っていても誰一人こちらを見もしなければ振り返りもしないとは……人間というやつが他人への関心が薄い事は昔から知っていたが今となってはその点が更に顕著だ、こっちとしては助かるが……寿命が延び、自分や一人といった存在は濃くなったのかもしれないが根底である人間性は時を経るごとに薄くなっている気がする。
『ねぇ……やっぱり止めにしない? それか私の手配が無い事は分かったんだし、一度戻ってから改めて一緒に行くのはどう?』
「駄目だ、俺のコードで違う地区を何度も往復すれば怪しまれる……それに、最悪襲われても俺一人ならなんとかなるからな」
『……武人の時は私のお陰で助かったクセに』
姿が見えずとも家の一角にある俺がお気に入りのソファの上で膝を抱え、不満げに口を尖らせているサチの姿が目に浮かぶ。
もちろんサチと同行していた方が戦闘面だけではなくあらゆる面で助けになる事は分かっている、しかし俺は恐らく……仮に手配が無いと事前に分かっていても今回は同行させなかっただろう。
突然現れたサチの事を知っている風な武人に加えて閻魔としてのサチを欲しているククルという二人の存在、更には一瞬の油断で彼女を失いかけた事で自分でもハッキリ分かるぐらいに俺は慎重に……いや、怯えてしまっている。
「話は終わりだ、指定されたポイントに向かう」
『あ、ミドー……!』
話を無理やり切り上げ、今にも弱音を漏らしてしまいそうな口を固く結び人の波に乗って目的地へと歩を進めていく……ああそういえば、任務を一人で行うなど何年振りだろう?
「……ラグドゥジャムバーガーを一つ、それとイオン水を」
「かしこまりました! 料金は──」
指定されたポイント近くのジャンクフード店に入り、青と白のカラーリングで統一された制服を着用して眩しい笑顔を浮かべる店員にメモリーキーを差し出し、支払いを済ませる……この光景は昔から変わらない。ただし素早く注文した商品を薄い金属の盆に乗せていく彼女が立体映像である事を除けば、だが。
彼女の本体は今俺が立っている受付の天井に張り付く円盤状の機械、接客業を経験した者の記憶から作られた人工知能を搭載しているらしい。
『珍しいね、甘い物苦手なんじゃないの?』
「何?……しまった、適当に注文するもんじゃないな」
店舗の二階に上がり、窓際隅の席を確保して銀色の盆を置くとサチが全てを見透かしたかのように声をかけてきた。
普段こんな店には来ないので適当に目についたものを注文したのだが……恐る恐るバーガーの上部のパンを持ち上げると、脂ののった肉の上にたっぷりと人工的な甘さの匂いが漂うジャムがこれでもかと塗りたくられている。
『……ね? やっぱり私がいたほうが良かったでしょ?』
「いやこれは……まぁ、そうかもな」
勝ち誇ったように笑うサチだが、俺の気持ちはともかく彼女だって事情が分かっていない訳では無い……一人で上層へ上がる事を何度も拒否されたし、何度も引き留められた。
今は普段通りに見えるが、昨晩までは拗ねて碌に口を利いてくれなかったほどだ。
「とはいえ場所を確保出来た以上後は待つだけ……目標を確認出来次第撤収するさ、長居は無用だからな」
『ん……それしてもこんな任務、本当にミドーがする必要あるの? こんなの、もっと下っ端がやるような事じゃないの?』
「まぁそうなんだがな……とはいえドクには恩もあるし、逆に恩を売っておくのも今後を考えりゃ悪い話じゃないだろ?」
イオン水を一口飲みながら答える、サチは未だに納得しかねているようだが今回のドクからの任務を受けると決めたのは俺だ。
任務の内容は武人の巡回ルートの確認及び記録、前回俺とサチが武人と戦闘を行った事で武人の巡回ルートなどに影響が出ていないかの再確認が主な内容となる。
他にも大勢に声をかけているらしいので報酬は安いが武人の情報とドクに恩が売れる点は金額では計れない価値がある、普段は組んだりしない俺達のような記憶泥棒や下級のハッカーが手を組む事も異常だがドクの人脈も計り知れない……事実ここへ来るまでの道中にも同業者らしき気配をいくつか感じた、同じタイミングで全員が投入されている訳は無い筈だし他の日に分けた組がいるとすれば相当な数に声をかけたらしい……分かってはいたが、本当に油断のならない爺さんだ。
『……分かった、もう言わない。それで……予定は何分後なの?』
「八分後にここから見える大通りを通過する筈だ、だからそれまで待機──ぐっ!?」
『っミドー!?』
耳元でサチが焦った様子で俺の名を何度も呼んでいる……が、首元を押さえ息を切らす俺に返事をする余裕は無い。
「あっ……っま!」
『……は?』
舌に広がる暴力的な甘さ、そしてアクセントの効いた異臭とも言える人工的な香り……そのどれもが絶妙に噛み合った不快なハーモニーを奏でており、甘い物を食べているというよりは糖分を強引に摂取しているといった感覚の方が正しい、一瞬でカラカラに乾いた砂の大地へと変化した喉を潤す為に慌ててグラスに入ったイオン水を流し込むが次から次に喉の奥から立ち上る人工甘味料の香りが消え去る気配は感じられない。
「なんだこれ……こんなものに十二マネーも払ってるのか上層の奴らは……!」
『ミドー……』
「いやお前の気持ちも分かるぞ!? でもこれ食ってみろよ!……いややっぱ食わなくていい、こんな物食ってたら体壊して早死にするだけだ」
もう見るのも嫌になり殺人バーガーの乗った皿を奥へと押しやるとグラスをもう一度傾ける……が僅かに数粒の水滴が舌に触れただけで潤いなどまるで感じられない、かなり大きなグラスに入っていた筈なのにもう空になってしまった。
「ああくそ……まだ口の中がカッカしてやがる、時間は……まだあるか」
『え、持ち場を離れて大丈夫なの?』
「ふぅ……いいか、サチ? 長期の寿命を得た今の俺達は昔みたいに未来に託すって事をしないんだ、つまり今この瞬間や数時間先の欲望を優先する生き方に切り替えたんだよ……つまり、そういう事だ」
『……全っ然分かんないけど、とりあえず喉乾いたから水が飲みたい……任務なんて知った事かって事?』
「上出来だ、ただしもう少し遠回りで伝わりにくい言い回しを覚えたら完璧だな」
『はいはい……行くなら早く行って来たら?』
「そうさせてもらう」
耳元からポリポリとサチがいつもの砂糖菓子を食べる音が聞こえてきた、どうやら今のやり取りで少しは気が緩んでくれたらしい。
ぐるりと店内を見回すが時間帯のせいか客はまばらで俺が来た時から増えた気配は無い、これならば少し席を外したところで今の席を取られる心配は無いだろう。
「お待たせしました、イオン水です」
相変わらず笑顔の眩しい店員から並々にイオン水の入ったグラスを受け取り、一口飲みながら席へと戻る為に階段の段に足をかけ──ふと足が止まる。
先程までは気にならなかったが冷静に考えてみれば客が少なすぎる気がする、窓の外を歩く人の波は相変わらずだが見ている限りでは店内に入ろうとする人物はいない……上層の店舗情報までは収集していないが、さすがに少しおかしい気もする。
「……いや、さすがに気のせいか」
『ミドー? どうしたの?』
「いや、上層の店にしちゃ客が少ないと思ったんだが……あんなバーガーを食わせるぐらいだからな、物好きが集まる店なんだろ……多分」
『ならいいけど……何か感じたりしない?』
サチの言葉を受け、改めて一階全体を見回すが……やはり何も感じない。
ハッカーにしても記憶泥棒にしても敵が多い環境で長年続けた俺は自然と人の感情を気配として感じる事が出来る。
一言で気配といっても様々だが特に感じやすいのは殺意や警戒といった敵意だ、針で刺すようなあの感覚だけは無意識下でも感知出来てしまう……が、今はそういった気配はまるで感じない。
とはいえただでさえ人の多い上層だ、渦巻く感情の厚さは下層の比ではない……そこに紛れてこちらを窺う敵意が無いとは言い切れないか。
「今は何も、だがそれ以前にここは肌に合わないな……さっさと帰りたいよ」
『うん、早く終わらせて帰ろ?』
「ああ、そうする」
席に戻りグラスを置くとぼんやりと武人の巡回ルートである大通りを窓越しに眺める……あと数分の筈だが、待ってる数分というのはこんなにも退屈なものだとは思わなかった。
「っ……来たか」
無数の人の群れの中にいても一目で分かる異様な姿、以前見たものよりやや黒っぽいが同じ意匠の甲冑を身に纏い、顔には蛇を模した仮面……大蛇の武人だ。
「……時間もルートも以前の情報と同じ、こっちは変化無しだな。そうと分かれば長居は無用だ、さっさと帰って……サチ?」
本来であればすぐに返事が返ってくる筈が通信機からは小さなノイズが響くだけでサチの声は聞こえない。
「サチ? おい聞こえないのか?……故障、じゃないな……それにハッキングを受けた訳でも無い、何が起きたんだ……?」
「……ホントに何にも知らないんだ、大蛇が近くに居る時は電子機器の類は役に立たなくなる……なーんて事も知らないんすか?」
「っ……!」
心臓が一つ痛みを伴って高鳴る……ここで俺に話しかけるとは何者だ、同業者か?……いや、協力しているのはあくまでも利害の一致であり本来俺達には慣れ合わないという一種の暗黙の了解がある。
冷静さを装いながらゆっくりと振り向き、顔を上げる……そこに居たのは例の殺人バーガーが二つ乗った盆を抱える一人の少女だった、肩まで伸びた黒髪を一つにまとめて横に流している。
「……誰だ」
「ご挨拶っすねぇ……隣、いいっすよね?」
返事を待たずに隣の席に腰掛け、盆をテーブルに置くと片手を自らの顔の前にかざした……すると忘れもしない小さな角の生えた仮面が少女の手元に現れ、顔の前に重ねる。
「っ……お前……!」
「さすがにもう分かったっすよねぇ? アタシは餓鬼の武人、名前はミコトっていいます。この前はどーも、今後ともお見知りおきを……っす」




