第十話 湯気と刃と人見知り
「……随分気取った店だな、他の客はどうした?」
「今日は貸し切りよ、アナタに任せてたら大衆居酒屋ばかりになるだろうし……って、あら?」
下層の店とは思えないぐらいに豪奢な装飾の目立つ店に足を踏み入れると一瞬こちらに向いた不機嫌な視線が俺の腰辺りにまで下がり、その目が大きく見開かれる……同行したサチに気が付いたようだ。
「……久しぶりね、元気? ちゃんと食べてる? この男に酷い扱いされたりしてない?……ああ立ち話も何よね、さぁこっちのソファに座って?」
「え、あ……」
付いて来たはいいが初めての景色に戸惑い俺の腰にしがみついていたサチを情報屋が引き剥がすと店の中央にある大きなテーブルセットの柔らかそうなソファ席の真ん中にサチを座らせた、大きなソファに座る小さなサチ……落ち着かないのか辺りをキョロキョロと見回してはこちらを見つめ、まるで小動物のようだ。
「何食べる? ここには新鮮な食材が揃ってるわよ、お肉がいい? それとも魚の方が好み?」
「……なぁ、取引相手は俺だろ?」
「え?……何いつまでもそんなところに突っ立ってるのよ、アナタも早く座ったら?」
思わず深いため息が漏れる、しかし文句を言ったところで無駄なのは火を見るよりも明らかなので脳裏に浮かんだ数多の苦言を飲み込み、テーブル側面の椅子に腰掛けようとするとサチが慌てた様子で自分の隣を手で叩いた……妙に必死な表情に思わず口元を歪めながら落としかけた腰を伸ばしサチの隣に腰掛けるとソファが想定外に柔らかく、俺が沈み込むのに合わせてサチの体が俺に寄り掛かってしまった……さすがにこれでは食べづらいだろう。
「悪い、少し離れた方がいいな」
「嫌、待って。だめ、これがいい」
語彙力をどこへやったと言いたくなる程に必死に止められ、やや不自然な形で座る事になってしまった……それでもサチが良いならと姿勢については諦めてテーブルの上に置かれた料理のメニューを手に取って見てみるが見慣れない名前の数々に何が何やら分からず二人で首を傾げながらとりあえず腹に溜まるものを、と情報屋に注文する。
「……アナタ達、こっちが思っていた以上に良好な関係を築けてるみたいね?」
「まぁな、今回の一件だってサチのお陰で助かったからな……ほれ、依頼されてたもんだ」
驚いた表情を浮かべる情報屋に抽出機を差し出すと爪の長い、やや骨ばった手が受け取り小さな長方形の器具と接続した……俺も見た事の無いものだが、恐らくは抽出機の内容を確認しているのだろう。
「確かに私が依頼した内容で間違いないわね、それじゃあ早速報酬を……」
「ああいや待った、その報酬なんだが……受け取る前にアンタから情報を買いたい」
情報屋の差し出しかけたデータポッドを手で遮り、本題を口にすると彼女の目に再び驚きの色が浮かんだ。
「それは構わないけど……依頼を受ける専門だったアナタが珍しいわね、何が聞きたいの?」
「アンタが知ってる事だけでいい、サチの事について全部教えてくれ」
「……ミドー」
隣からサチの不安そうな視線を感じる、そちらには視線を向けず小さく頷いてみせると一瞬だったが情報屋の口元に小さな笑みが広がったように見えた……気のせいかもしれないが、周囲の雰囲気も少し和らいだような気がする。
「いいわ……でも少し長くなるから食後でいいわよね、時間はあるんでしょう?」
「ああ、その為に腹ペコで来たんだからな」
「ふふっ、まぁ好きなだけ食べなさい。サチ? アナタも遠慮なんてしなくていいからね?」
呼びかけもせずベルも鳴らしていないのに情報屋の言葉を合図に給仕姿の女性が一人店の奥から現れ、情報屋と二三言葉を交わすと再び店の奥へと消えていった……どうやらこの店そのものが目の前の女狐の巣だったようだ。
「ミドー……! すごい、お肉が踊ってる……!」
「ああ、美味そうだ。火傷しないようにな」
目の前に置かれた熱された鉄板の上で食欲をそそる音と匂いを漂わせる肉の塊を前にしてサチが俺と肉を交互に見ては驚きの声を上げている、普段使い慣れていないナイフやフォークしか無かったので彼女の小さな口でも食べやすいように一口サイズに切り分けてやり……サチにも気付かれない速度で切り分けた小さな肉の欠片を自らの口に放り込み、舌で何度も押し潰すように咀嚼する……痺れるような感覚も薬剤の味もしない、咳き込んだフリをして紙ナプキンに肉片を吐き戻すと情報屋が愉快なものを見るように俺を見ていた……目ざといやつだ。
「知らなかったわ、アナタって結構過保護なのね?」
「うるせぇっての……一応だ、一応」
「?……ねぇミドー、これってどれを使ったらいいの?」
すっかり肉に夢中になっているサチが鉄板の奥に並べられた五種類のソースを前に迷っていた、その無邪気さというか俺達大人がいつの間にか忘れてしまった平和さというものがそこにあり……俺も情報屋も思わず吹き出してしまった。
「全部お前のだよサチ、順番に使ってもいいし……なんなら混ぜても美味いと思うぞ?」
「ええ、跳ねるから気を付けた方がいいけど……ソースを鉄板の熱で温めても美味しいわよ」
「そんなに色々食べ方があるんだ……お肉、足りるかな?」
燻製の合成肉でもない正真正銘の肉を初めて口にしたお嬢さんは結局二枚も肉を平らげ、幸せそうに食べ進めるサチを見た俺と情報屋は顔を見合わせて苦笑すると本題を一旦忘れる事にし、温かい食事に集中する事にした……外でこんなに気を抜いて食事したのは随分と久しぶりの事のように思える。
食後の冷たいデザートを口にする頃にはサチの緊張などどこへやら……同じ味だというのに俺の分にまでスプーンを伸ばすというわんぱくっぷりを見せた。
「……久しぶりに楽しい食事だったわ、それじゃあ本題に入りたいところなんだけど……その前に一つだけ確認してもいいかしら?」
「ん、なんだ? 俺に答えられる事だといいが──」
飲み物の無くなったグラスを傾け、小さくなった氷を口へと滑り込ませようとする俺に向けて情報屋が自らの腰に忍ばせていたスタンシューターを素早く抜き、俺の方へと構えようとする……無駄のない実践的な動きだ、一連の動きは見えているし反応も出来ている……が、俺は動かない。
「くっ……!」
氷が口に入る頃には決着がついていた。情報屋の手からはスタンシューターが奪われ、今はサチの手の中に……そしてサチの構えるブレードの鋭い切っ先は情報屋の喉元に突き付けられている。
「けほっ……随分成長したみたいね、これもアナタの教育の賜物って事?」
「半分正解だな、確かに俺は最低限自分で身を守る為の体術なんかをこいつに仕込んだが……殆どは俺の動きを見て覚えたみたいだ、全く……優秀な弟子だよ、サチは」
「……そう」
「ああ、それと……そこにいるやつらは大人しくしてろよ、面倒なのは嫌いだ」
どこか誇らしげな表情を浮かべるサチからスタンシューターを受け取り店の奥へと続く扉に向けて数発撃ち込むと小規模な電流爆破が起き、扉の奥で待機していたのであろう数人の小さな悲鳴が聞こえた。
「良いもん持ってんな、こんなもんどこで手に入れた?」
「……」
これ見よがしにスタンシューターを掲げて情報屋の目の前に差し出して見せるが唇を固く閉じ、押し黙ったまま俺を見つめている……低威力とはいえコードも必要無く撃てる遠距離武器は今や貴重品だ、一つぐらい欲しかったが……とりあえず今は諦めるしか無さそうだ。
「どうする、ミドー?……殺して、逃げる?」
視線を逸らさず告げられた言葉にさすがの情報屋の表情にも緊張が走る……そういえば武人との戦いでもサチは躊躇う事無く刃を振り下ろしていたのだったか、羨ましい程に透き通っておりその刃は確かに鋭いが……如何せん無垢で真っ直ぐすぎるか、いや……これは指導者としての俺の未熟さ故か。
「……いいや、それよりも……飲み物のおかわりを貰おうか」
「っ……」
緊張した面持ちを隠せないままの給仕服姿の女性は空になった俺のグラスに氷と水を注ぎ、そそくさと奥へと逃げていった。
毒でも入れられていないか心配なのだろう、不安げにこちらに視線をチラリと向けるサチに笑みを向けながらグラスに口をつけるとゆっくりと傾け冷たい水で喉を潤す……完全に浄水された水というのはこの下層では貴重だ、水の入ったタンクを奪って売るだけでも多少の金にはなる……とはいえ今更水泥棒に身を落とすのはやりすぎか。
「……ずっと気になってはいたんだよな、最初は俺に売り飛ばそうとした負い目からだと思ってたんだが……それにしてはお前はいやにサチに肩入れするし、純粋な取引相手としても妙な距離感だった」
独り言のように語りかけながら奪ったスタンシューターを観察し……小さく舌打ちする、あまりにも構造が複雑だ……自分では作れそうにもないし、ドクに任せたらいくら要求されるか分かったものではない。
「良い機会だし話して貰おうか、サチの事と……お前は何者だ、ククル・アージェンスキー?」
「っ……」
俺の問いにはククルは答えず、視線を俺からサチの方へと向ける……サチのブレードを持つ手に更に力が入るが、もはやその表情に恐れは無く覚悟のようなものが見てとれる。
「ねぇ、サチ……アナタは彼……ミドーの事をどう思う?」
サチの視線がチラリとこちらに向く、情報屋の問いに答えてよいものか俺に聞いているのだろう……黙ったまま頷いてみせるとサチの視線が改めて情報屋に向く。
「……ミドーは私の恩人、貴方も私を救ってくれたという意味では恩人だけど……ミドーの敵になるなら、斬る」
「そうじゃない、そうじゃないわよサチ……私が聞きたいのは、アナタが彼の事を好きかどうか聞いてるの」
「は……はぁ!?」
想定外の質問に大きく動揺したサチの頬は一瞬にして赤く染まり、ブレードの先端まで大きく震えてしまっている……話術による作戦かと一瞬警戒したが周囲に敵意が増えた様子は無く、サチを見るククルの目には安堵や喜びのような色が浮かんでいるように見える。
「……あまりウチのをいじめるな、それよりいい加減お前の狙いを教えてくれてもいいんじゃないか?」
「ええ……そうね」
ようやく視線をこちらに向けたククルの表情は今までに見た事の無い穏やかさが浮かんでいる、薄汚れた感情なら容易く読み取れるが今の彼女からは真意がイマイチ読み取り辛く……故に彼女の口から紡がれた言葉にサチと同じく動揺し、口をあんぐりと開いてしまった。
「……全てを話すわ、だからミドー……私達を助けて欲しいの」




