開花その1 水晶砕きのアリソン 後編
前編より続きます
私の魔力量は、文字通り爆発的らしい。
さて、魔力量が大きいと、そもそもどうなるのか。
一般に生活魔法と呼ばれるのは、各属性の隅っこを少しずつ削り集めた、ドラッグストアの特売コーナーに山積みされた生活雑貨のような魔法だ。
暖炉の種火を着けたり、カップ一杯程度の水を出したり。更には暗い手元を少し照らしたり、蒸し暑い夜に窓の外からそよ風を吹かせたりもする。
多くの市民が使える百円均一の小魔法類を総称してそう呼んでいて、当然ながらそこにも得手不得手はある。
だが暖炉の種火が森を焼き尽くし、手洗いの水が畑を押し流し、窓から吹き込むそよ風が集落を吹き飛ばしたりしたら、どうだろう。
それは生活破壊魔法、だよね。
意識してそれを制御すれば、それはもう生活魔法ではなく、強力な攻撃魔法になるかもしれない。実際に私は水晶を爆散させて、大勢を傷付けた。
しかしこの世では、一つの属性の強力な魔法を覚えるだけでも人の生涯をかけるに値する。だから多くの属性を覚え、しかも巨大な魔力を制御するとなると困難を極め、行く道は険しく、遥かに遠い。
多くの人間は、そこへ至らぬまま無念にも寿命を迎えるであろう。
私は男爵家に仕える魔術師から、そう聞かされた。
だから一般属性の大魔法使いというのは、過去には存在していないのだ、と。
万が一そんな攻撃魔法を覚えたとしても、だ。それで戦争へ駆り出されるのは嫌だ。この時点で、魔法修行に対する私のモチベーションは激しく下がった。
本当に、勘弁してほしい。
男爵領は、南以外の三方を魔物の森に囲まれた、広大な領土を持つ。いくらおとなしい魔物が多い土地と言っても、そこに住む魔物の数は多い。多すぎる。
多くの魔物が森から飛び出る、スタンピードという現象がある。
大量の魔物が集まり興奮状態のまま森を出て暴走し、そのまま平原に押し寄せれば、田畑は荒れて、村や町の一つや二つは容易に滅びる。
その兆候を監視し事前に防ぐのも、男爵領の重要な任務だ。
だからここには、屈強な兵士と優秀な魔術師が数多くいる。
何よりもここにいれば、どこよりも数多くの実践経験を積むことができる。
だからそういう意識の高い戦士の集まる町が、私の生まれ育った谷なのだ。
その意識高い系の迷惑な魔術師の一人が、私の最初の師となった。
師匠はフランシスという女性で、私の母上に近い年齢の、凄腕の魔法使いだった。
ある程度の覚悟をして臨んだ修行だが、私の心は簡単にぽっきりと折られてしまう。
現代日本人としての知識が、魔法の行使に何の役にも立たぬことが修行の初日に発覚し、私は軽いパニックに陥った。
垂直の岸壁に挑むための厳しいトレーニングにより鍛えられた、心身のコントロール。そして大自然を相手にした様々な経験が、必ず魔法の制御に役に立つはずだと漠然とした自信を持っていたのだが……
そこから先は、生来の五歳児としての能力で対処するしかない。
私の前世は何だったのか。いったいこれは、どういうことか……
もしかしたらこの異世界の住人、或いは魔術師というのは、私の知る人類とは多少種類の違う人間なのかもしれない。
魔法を使うということが、こんなにも難しいとは。
そりゃ子供の魔力暴走を止めるのに、躍起になるはずですよ。
突然くしゃみや咳をした拍子におならが出ちゃうとか、あなたは意識して抑えられます?
でもそれに近い能力を鍛えないと、魔法は危なくて使えないのです。
何しろそんな魔法使いのおならの一つが、家一軒を軽く吹き飛ばすこともあるのだから。
ケチャップが出るときはドバドバ出ると言ったサッカー選手がいたが、予期した以上の魔法が勝手にドバドバ出てしまってはとても困る。本当に、これには神経を使いますのよ……
魔法は、用法、用量を守って正しくお使いください。
というわけで、今日も祖母の監視のもと、銀のティーセットをせっせと磨きながら、五歳児は頑張っています。
その朝、普段は沈着冷静なフランシス師匠の慌てた叫び声で、私は目覚めた。
「姫様、大変です!」
私の部屋に駆け込んだ師匠は、全身泥まみれの上に混乱していて、普段の厳格な魔術師の面影はなかった。
「どうしたのだ、その姿は」
私はまだ寝ぼけ眼で、呆れたようにフランシスを眺めた。
「魔物の群れが谷へ迫っております。一刻も早くお逃げください」
さすがに、目が覚めた。
私は右腕に輝く最高スペックの魔力封じの腕輪だけでなく、左腕にも密かに予備の腕輪を隠し着けて、二刀流を気取って暮らしている。これは、師匠にも侍女にも知られていない。
しかし、意識高い系の勤勉な師匠による連日の強制労働的な魔法修行により、あろうことか、更に魔力が上がってしまった。きっと成長期なの。
私が自発的に使える魔法は何もないが、周囲の魔力に対する感度が上がっている。しかも、どうやらこの魔力に対する感知能力は、私だけのものらしい。
ただ、幼児は一度眠ると簡単に目覚めないため、夜の間は全く気付かずに爆睡していたのだけれど……
「兄上様と姉上様は?」
「既に目覚めて、脱出の支度をしております。姫様もどうかお急ぎください」
確かに、男爵家の爵位継承順位を考えれば、私の避難が最後になるのは当然か。ふんだ。
私は師の手を借りて、外出の支度を始める。
「フランシス、これは、スタンピードなの?」
「はい。かつてない規模で、しかも突然の発生です」
「原因はわかったの?」
「いえ、何やら森の奥で凶悪な魔物の気配がしたとか……」
凶悪な魔物など、ここの森にはあまり縁がないはずだった。私は首を傾げて考える。
「姫様、その腕輪を着けている今でも、魔物の気配を感じるのですか?」
「ええ。何かの理由で古い魔物の封印が解けたのでしょう。あれは本で読んだ、伝説の魔獣ウーリね。森の魔物たちは、ただ怯えて逃げているだけ……」
「あの、古代魔獣ウーリが……」
師匠が天を仰いで絶句する。
魔力の感知により、私には魔獣の存在とその動きが、手に取るようにわかる。だが、それだけだ。
森の魔獣が追われて南の平原に逃げるのは困るが、今の私にはそれを食い止める手段がない。
「師匠、どこへ逃げるの?」
「館の抜け道を通り、泉の中の島へ渡ります」
谷を下った崖の下に泉が湧いて、大きな池を作っている。その中心に聖地とされる島があり、小さな祠が祀られていた。
この屋敷からそこまで、秘密の地下通路が達している。
「わかった」
私は着替えが終わるとすぐにフランシスと共に廊下へ出て、地下通路へ繋がる階段を降りた。
両親と主だった家臣は、武器を手に森へ向かっているという。
この辺境では、女性も重要な戦力なのだ。
絶望的な戦いに赴く人々の想念が、私の心にも遠く感じられるような気がした。
地下への暗い階段をフランシスに抱えられて下っていると、行く手に金色の光が見えた。
「姫様、魔物に先回りされたようです」
淡い光を放つのは一抱えもある大きさの、エビのような顔をした虫型の魔物の群れだった。これはオケラなのか。グロい。勘弁してほしい。
フランシスは魔法で氷の刃を放ち、これを討伐しながら進む。しかし既にここまでの戦闘で、魔力も体力も限界近くまで消耗し、疲弊している。
集中して魔法を使うことにより取り乱していた師匠の心は冷静さを取り戻し、一片の無駄もない攻撃が行く手を塞ぐ魔物に次々と致命傷を与える。
私は師匠に抱えられて階段を下りながら、我慢していた涙が一粒零れ落ちるのを感じた。そしてその涙が、スローモーションのように暗い石の廊下へ落ちるのを見た瞬間、周囲の喧騒がかき消えた。
「こ、これは……」
師匠は、静寂の中で動きを止めた。
薄闇の地下通路の中で、動いているのは私たち二人だけだった。
通路に溢れる魔虫の群れは見えない蜘蛛の巣に捉えられたかのように動きを止め、壁面や空中へ標本のように固定されている。
「姫様の魔法ですね!」
フランシスは、オブジェと化した魔物の急所を次々と短剣で突き、止めを刺しながら進んだ。
この非常識な光景は、生活魔法の対極にある魔法なのかもしれない。
土、水、風、火という主要属性の端っこをほんの少しだけ頂戴して、人の暮らしに役立てているのが、生活魔法と呼ばれる魔法だ。
対して空間に魔物を固定した今の魔法は、あらゆる属性の魔物を時間が止まったかのように空間へ縛り付けていた。
でも、こんな魔法は見たことも聞いたこともないと、師匠はぶつぶつ呟いていたのだけれど。
やがて、私は師匠と共に、泉の隠れ家へ到着した。
「それにしても姫様は、腕輪をしたままでこれほどの魔法を使われるとは、もはや私に教えることは何もないのかと……」
師匠はそう言うが、私は今まで一度たりとも、意識して魔法を用いたことはない。単なる偶然の産物である。というより、本当に私の魔法なのか?
「フランシス師匠、今回の魔法の件はどうかご内密にお願いしますぅ!」
そう言いながら、涙を浮かべてフランシスに抱きついた。
そうして潤んだ瞳で震えながら、顔を見上げる。
これが唯一私に使える、幼女特権という必殺技だ。
「それにきっと、この腕輪は壊れているので、早く新しいものを用意してくださいね」
だがこのとき、私が起こしたと密かに噂されるこの謎現象は、地下通路だけでなく地上へも広域に広がって、森の中にいるあらゆる魔物の動きを阻害していたらしい。
その間に父上の率いる騎士たちが、元凶となる魔獣ウーリを見事に打ち倒した。
伝説の魔獣ウーリですら、この拘束力場からは逃れ得なかったのだ。本当かよ。
後方で支援する母上は、動きを止めた森の魔物たちを無暗に倒すことを禁じた。その優しさと聡明さに心打たれた騎士たちは、その場に跪いて母上を讃えたという。
母上、女神!
避難先の隠れ家にもたらされた朗報を聞きながら、私は安堵のため息をついた。
今回は地下通路が爆発して瓦礫に埋まるようなことにならなくて、本当に運がよかった。
私は冷や汗をかきながらも、兄上と姉上と一緒に、父上、母上の無事とその活躍を喜ぶばかりであった。
後に、今回の騒動は太古の昔に封印されていた伝説の魔獣の封印が緩んだことに起因する事件であると発表された。
そのほころびかけた封印が、男爵領の強力な魔法使いたちの魔力に反応し、再び力を得て、魔物の動きを止めたのであろうと。
意識高い系魔術師を自他共に認めるフランシスの強力な援護により、王国の調査団はそう納得して、王都へ帰還してくれた。
これで、この谷での穏やかな私の暮らしは、もう少しだけ永らえることになっただろう。たぶん。
終
2022年6月初稿
2023年12月第二稿
2025年3月第三稿
新しい章を書き始める前に改稿することが多いです
特に最初の五歳編は短編のつもりが長くなり、勢いだけで書いていたもので