どうしようもない王太子には天罰を。公爵令嬢エレンティーナは愛する執事と幸せになりたい。
エレンティーナ・ヘレテレス公爵令嬢はそれはもう、美しき金の髪の令嬢だった。
歳は18歳。
自国で報われない恋をしていて…それを振り切るためにも隣国ホレスト王国の社交界に旅行へ行き王宮の夜会に出席したのだ。そこで素敵な男性に出会った。
この国のリスト王太子殿下にである。
物腰も柔らかく、紳士的で、エレンティーナを見かけるとすぐに声をかけてきた。
「見かけない方だ。どこの令嬢か。なんて美しい。どうか私と一曲踊って欲しい。」
「喜んで。」
整った顔で黒髪碧眼のリスト王太子はそれはもうダンスも上手で、エレンティーナはときめいた。
リスト王太子は、エレンティーナに、
「私は君の事が気になって仕方がない。どうかお名前を…」
「わたくしは隣国のヘレテレス公爵家の娘のエレンティーナでございます。」
「エレンティーナ嬢。どうか私の特別な人になって欲しい。」
ああ…こんな素敵な方に特別な人になって欲しいと言われるなんて…
自国へ残してきたあの人の事も気になるけれども…忘れなくては…
相手は王太子殿下…もし、結婚を望まれたら…自分はホレスト王国の王妃になれる。
だが、リスト王太子には、既に婚約者がいた。
ホレスト王国の聖女アイリーンである。
その事を他の貴族から聞いたエレンティーナはショックを受けた。
リスト王太子は18歳。一国の王太子が婚約者がいないなんておかしいのだ。
特別な人って…愛人って事???
一時でも胸を高鳴らせた自分は馬鹿だと思った。
滞在先の宿に客が来たと言う。リスト王太子だろうか?
そこへ現れたのは銀の髪にエメラルドの瞳の美しい女性だった。
「わたくし、聖女アイリーンと申します。わたくしがリスト王太子殿下の婚約者だと言う事はご存知ですわね。」
「ごめんなさい。わたくし昨日聞いたばかりですの。」
「そう。それなら、仕方ないわね。わたくしが婚約者なのです。二度と、王太子殿下に近づかないで下さいませ。」
「解りましたわ。」
「約束ですよ。」
そう言うと、聖女アイリーンは帰っていった。
人様の婚約者と親しくするだなんて、そんな失礼な事をしたくはない。
そう思っていたのに。
翌日、宿の前に豪華な馬車が泊まり、その音で窓の外を見やれば、リスト王太子殿下が、赤のバラの花束を手に宿に入ってくる姿が見えた。
「愛しいエレンティーナ。会いたくて会いに来てしまった。中に入れておくれ。」
扉の外で声がして、王族を廊下に待たせておく訳にはいかない。
扉を開ければ、二人の騎士の警護をつけたリスト王太子が赤の薔薇の花束を手渡して来て、
「美しきエレンティーナに相応しい花を用意してきた。さぁ、エレンティーナ。」
「有難うございます。王太子殿下。」
受け取らざるを得ない。
エレンティーナは恐る恐る聞いてみた。
「でも、王太子殿下、聖女アイリーン様と婚約をなさっていると聞きました。」
リスト王太子は眉を寄せて、
「政略だ。私は真実の愛に生きたいのだ。だから、そなたを見た途端、そなたなら私の真実の愛の相手になってくれると思った。だから、私は…どうか、私の特別な人になっておくれ。」
「でしたら、まずは婚約を解消するっていうのが筋でございましょう?でも、アイリーン様は承諾するかしら。」
「承諾しないだろうな。そうなったら、仕方がない。彼女を王妃にし、君を側室にするしか…私は君に恋をしてしまった。だから…」
「お帰り下さいっ。」
アイリーンが許すはずがない。聖女は特別な力を持っていると言われている。
どんな罰を受けるか…怖かった。
リスト王太子はエレンティーナを抱き締めて来た。
エレンティーナは身悶えする。
「嫌でございますっ。わたくしは…」
「これは運命だ。諦めろ。」
ふと、公爵家を出る時に、執事のアルディから渡された小さな金色の玉を思い出す。
「何かあったらこれを投げなさい。いいですね?お嬢様。」
アルディは、ヘレテレス公爵家の有能な執事だ。歳は35歳。いまだ独身で、ヘレテレス公爵家一筋に仕えてくれている。
小さな金色の玉を手渡してくれて。
「この玉はお嬢様をお守りしてくれるでしょう。」
どう守ってくれるのか…解らないけれども。
エレンティーナはその小さな玉を手に握り締めて、抵抗しながら思いっきり投げた。
コンコンと転がると、ぼわわんと煙が湧き出て、リスト王太子も警護の騎士達も大慌てて。
「何だ?この煙は?」
「王太子殿下っーー。」
「ゴホゴホっ。」
その隙にエレンティーナは部屋から逃げ出す。
「逃がしはしないぞ。」
エレンティーナは廊下に飛び出たが、転んでしまった。
足が震えて動けない。
扉が開いて、リスト王太子と騎士達が飛び出て来た。
もう駄目だ…そう思ったら…
まるで違う方向へリスト王太子は歩き出して、喚きたてた。
「大人しくしろ。私はホレスト王国の王太子だ。私を怒らせたらどうなるか…解っているんだろうな。」
思いっきり腕を振り上げて、何かを叩いたようだ。
ただし音はしない。
騎士達も何かを拘束したようである。
え??あの人達…空に向かって何をしているの?
部屋の中へリスト王太子達は入り、扉を閉める。
中からリスト王太子の声が聞こえて来た。
「な、何だ?エレンティーナ。そなたはそんな逞しい身体をっ。そ、その素晴らしい筋肉はっ?胸がこれは、男の胸っ?もしかして下も…」
リスト王太子殿下は何を見ているのかしら…ああああっ…今のうちに逃げないと…
「わ、悪かった。そなたが男性だって私は知らなかったんだ。あああっ…なんて逞しい。いや、私よりなんてり…いや、何でもないっ。ともかく、悪かった。申し訳なかった。」
幻のわたくしって…逞しい男性のようね…今のうちに今度こそ、逃げましょうっ。
エレンティーナは震える足で立ち上がって、宿を逃げ出すのであった。
聖女アイリーンがいる神殿を訪ねる。
「わたくし、リスト王太子殿下に襲われかけましたわ。金の玉のお陰で逃げる事が出来ましたけれども。本当に…あんな方だとは思いませんでした。」
アイリーンは、不思議そうな顔をして。
「金の玉?それって、幻の玉の事かしら…」
「ええ…そうですわ。」
「凄腕の魔法玉を作れる人間がいるだなんて。その方は有能なのですから、大事にしなさい。王太子殿下には愛想がつきましたわ。聖女の天罰…落とす事に致します。」
アイリーンはにっこり笑った。
聖女の天罰…どんな天罰が落ちるのであろう。
後に、聖女アイリーンから母国へ帰ったエレンティーナに手紙が届いた。
リスト王太子は、女性に悪さばかりしていて、中には無理やり襲われて泣き寝入りした女性もいた事が判明いたしました。
だから、わたくしは呪いをかけたのよ。
金の玉の呪い。
女性を褥に誘おうと下心を覗かせると、その女性が筋肉隆々の男性に見えてしまうと言う恐ろしい呪いよ。
「男は嫌だーーーーーぁ。」
と叫んでリスト王太子は悪さをしなくなったわ。
そして、彼は婦女暴行の責任を取って、北の塔へ幽閉されましたのよ。
わたくしは婚約解消となって、慰謝料も貰い、のんびり暮らしておりますの。
ただ、北の塔から時折、王太子殿下の悲鳴が聞こえてくるので、生きているらしいですわ。おかしいですわね。呪いは解いたのに。何に悲鳴をあげているのでしょう。
エレンティーナ様もお元気で。
母国に帰ったエレンティーナは真っ先に執事のアルディに会って礼を言った。
「有難う。貴方が作った金の玉のお陰でわたくし、助かったのですわ。」
「それは良かったです。お嬢様。」
そうして、アルディはエレンティーナの手に透き通った桃色の玉を握らせて、
「この玉を投げてみてくれませんか?」
「何かしら…」
床に投げてみれば、綺麗な桃色の花びらが部屋の中に舞った。
アルディはにこやかに、
「お帰りなさいませ。お嬢様。お嬢様が戻って来て下さって嬉しい限りです。」
「ただいま。アルディ。」
エレンティーナは思う。
本当はアルディの事が好き…でもアルディはどう思っているのか…
こんな歳下の自分の事なんて、子供に見ているに違いない。
だって…エレンティーナ18歳。アルディ35歳。
エレンティーナが生まれる前からアルディはこの屋敷に勤めているのだ。
アルディの父が執事であり、アルディは後を継いだのだ。
身分違いだから、アルディとの結婚は領地にいる両親も許してくれない。
隣国の社交界へ行くことを許したのも、開けた隣国で、両親はエレンティーナが高位貴族と婚姻して貰いたかったから…
身分違いの恋。ずっと諦めて来た。苦しい想いを終わらせるつもりで隣国へ行ったのだ。
でも…わたくしは…アルディの事がやはり好き。
「アルディ…この花びら、とても綺麗ね。でも掃除が大変だわ。」
「失礼しました。すぐに片付けます。」
白い玉をアルディが投げれば、沢山あった花びらがスっと消えてしまった。
本当に不思議な人…
「ねぇ、アルディ。わたくしが貴方の事を好きだって言ったら…」
「私は執事です。旦那様に怒られます。」
「それでも好きだって言ったら?」
アルディが抱き締めて来た。
「お嬢様…お嬢様…お嬢様…私はお嬢様の事を愛しております。」
「アルディ。嬉しい…わたくしもよ。」
「旦那様と奥様を説得致しましょう。今まで、公爵様を裏切る気がして出来なかった。でも私は、お嬢様と幸せになりたい。」
あああ…やっとわたくし、アルディと幸せになれるのだわ。
領地にいるヘレテレス公爵夫妻である両親に会いに行き、アルディと共に説得し、なんとか結婚を許して貰う事が出来た。
エレンティーナはアルディとほどなく結婚し、子供にも恵まれ、幸せに暮らしたと言う。