思い出(3) 彼女の痛みと私の痛み-2
それからも、何度も彼女の病室に行った。泣き崩れることはなくなったし、普通に話せたけれど、内心では、いつも胸が強く締め付けられるのを感じていた。
彼女は、私を前にするといつも笑顔になっていた。そして、ギプスが鬱陶しいだとかそれでも一日中静かに本が読めて楽しいだとか私が又貸しした図書館の本(たぶん規則違反)についてのお礼だとか食事がおいしくないだとか、あっけらかんと話して見せる。
事故について話が及んだときにはさすがに顔も曇ったけれど、彼女は自分をこんな目に遭わせた相手(旅行者、船の出発時間のために急いでいたレンタカー)を奇妙なほど気遣って、旅行の思い出を台無しにしてしまって申し訳ない気がするとまで言い出し、唖然とさせられた。私が特に論駁もしないでいると、彼女は真剣な顔で、こう言い放った。
――でも、私がいなければ、こんなことも起きなかったんだから。
この真っ白な頬をひっぱたくべきなのだろうか、と思ったし、そうするのに十分なほどの衝動を感じた。しかし結局は、きっと不十分な言葉で、穏当な理屈を述べることしかしなかった。それでは何の救いにもならないし意味がないと、はっきり認識しながら。
もっともそんな出来事も、彼女の右腕が今まで通りには使い物にならなくなると知ったときに比べれば、些末でしかない。他の場所は全く問題が残らないという、そのあまりの都合の良さというか悪さにあきれたからか、私はそれを聞いてもまるで取り乱さなかった。あるいは、泣き崩れるのは、すでに一度経験していたために。
ひとしきり事情を私に説明し終えて、何も答えない私に向けられた彼女の顔は、無理矢理笑おうと口元を引きつらせ、目の形も中途半端で、私をぞっとさせた。
そんな彼女に、何ができたのだろう。私がしたのは、一つの提案、つまりは、それなら使う手、腕を変えればいいと言ったこと、希望が持てず不安を口にする彼女に私はいつまででも待つし何にでも付き合うと約束したこと、かつて彼女が私に向けた「らしくない」という言葉を、返したことくらいだった。そして、初めて彼女を抱きしめもした。
それからしばらくして、彼女は学校に戻ってきた。挨拶に拍手が送られた彼女が笑顔とお辞儀で応える中、私は苛立ちながら目を背けていた。彼女が同級生に囲まれて、質問攻めに遭っている間も。私が冷静になったのは、一人で帰り道を歩いていたところに、彼女が追いついてきてようやくだった。見たことがないほどぜいぜいと息の上がった彼女の様子で、私は自分の残酷さを思い知り、彼女の見せた明るい笑顔は、その痛みを増した。
その後の最初の休みの日、母親を持参した彼女と、まだ後ろめたさを引きずっていた私は、とっておいた誕生日プレゼントとして、右手用のグローブを選び、買った。翌日、彼女は耳にかかる程度まで、短く髪を切った。そして週明け、その姿を見て驚く私を明るく笑いながらたしなめ、半年ぶりの練習場所へと、私の腕を引っ張っていったのだった。