箱の中
「何してんの」
振り返ると夫が立っていた。青ざめた顔をしている。
「ごめん。起きてたんだ。トオルとかくれんぼ。タケルが寝てたからいいかと思って。嫌だったよね」
「かくれんぼ?その箱に隠れてるのか」
夫は、私の顔と部屋の真ん中のダンボール箱を交互に見つめる。
「そっか。いいよ。仕方ないから。やっぱり逃げられないんだ、俺たちは」
青ざめた、泣きそうな表情の夫。
なんでかくれんぼが嫌なの。これまでも何度か夫に聞いたことがある。夫は渋々と言った様子で昔の話をしてくれた。
ケンスケ君という子供がお堂で不思議な消え方をしたのが小学校の頃で、それから二十年以上が過ぎている。
ケンスケ君のお兄さんのシゲルという人は、引きこもった後、「おれ、やっぱりケンスケを探しにいくわ」そう言って、山に入って行方不明になったらしい。
それから、夫が大学生の頃にヒデ君が消えて、夫とユウイチ君は、かくれんぼには絶対に参加しないようにしているのだという。ユウイチ君は結婚式でもスピーチしてくれた好青年だったので覚えている。
私はこの話を聞いて、ケンスケ君がいなくなった状況は不思議だけれど、それ以降の出来事は偶然の一致でしょ、とそう思った。たしかに不可解なことはあるけれど。夫らは、ケンスケ君の失踪という事件が心の傷になり、夢や幻覚を見ており、それを数人で共有することによって恐怖を増幅させてしまっているのだ。
しかし、まさか、そのままに伝えても夫は納得しないだろう。なんとか安心させてやれないものか。夫の話を反芻し、なにか上手い解釈ができないものかと考えるうちに、私の中には一つの解釈が固まっていた。
今、話すべきときだ。私はそう思った。
「幽霊なんていないよ。タケルたちの体験は合理的に説明できるから」
「え」
夫はぽかんとした顔をしていた。
「前にタケルの話を聞いてから考えてたんだけど、今話すよ。きっと主犯はシゲルさんとケンスケ君本人。ヒデ君と、シゲルさんの友達の中学生も共犯かも」
夫の話によれば、ケンスケ君が消えるチャンスは間違いなくあるのだ。お堂の扉を開けて、ケンスケ君が消えたと夫や友人たちが騒いでいた頃、ケンスケ君はまだ箱の中にいたのだろう。箱を確認したのが、シゲルさんだけなのだから、シゲルさんが嘘をついただけの話だ。
シゲルさんの友人のタイチと言う子もおそらく共犯だろう。下級生らを上手く誘導して、お堂の周りを探して声がけをさせたとき、おそらくお堂の裏手を探している間に、堂々とケンスケ君は表から階段を降りて立ち去ったのだ。
ヒデ君がたぶん共犯だった可能性が高いと思う。シゲルさんが箱の中を調べた後、消えたと叫んだのがヒデ君だった。申し合わせていたのだろう。お堂の扉のかんぬきを外からかけたのもヒデ君ではないだろうか。中学生グループは離れた場所にいたのだから、かくれんぼのメンバーに共犯が必要なのだ。そして、お堂から消える時も、ケンスケ君が去りやすいように、みんなの注意も裏手に引きつけていた。
この説を夫に説明する。
「箱は、箱もいっしょに消えたんたぞ。それに鍵を外からかける意味がない」夫は、言う。
「箱はたぶん段ボール箱か何か軽い箱だったのよ。だからケンスケ君が畳んで手に抱えて自分で持っていくのは簡単だったんだと思う。白い紙を貼ったのかペンキでも使ったのかな。浮いた雰囲気だって言ってたのが気になってたんだ。鍵を外からかける意味は、演出じゃないのかな。」
「なんで箱を持っていったんだ」
「単純に残しておきたくなかったんじゃないかな。調べられたら持ち込んだものだってばれちゃう。そうすると事前に仕掛けたってわかっちゃうから」
「でも俺たちには、箱は見えてたんだ。大人たちが来た後も」
「そこが混乱させるのよ。でもそれこそが幻覚や思い違いだったらさっきの話で成立しちゃうでしょ」
「君の言う方法でケンスケがお堂から消えた理由だけなら説明できるかもしれないけれど、ケンスケはなんで、どこに消えた。シゲルやヒデも。トモもジュンヤもだ」
夫は静かな声で話すが、納得いっていないというのは声でわかる。トモとジュンヤというのは、消えた下級生二人の名前だったはず。
夫は当時のことを思い出しているのだろう。腕を組んで目を細める。
「そうだね。ケンスケ君がお堂から去ったあとは、想像しかできないけど」と私は答える。
「心霊現象とかオカルトじみたもののせいにするよりは、若干現実味のある想像を提案できると思うんだ」
ケンスケ君たちの行動の理由はいろいろ想像はできるけれど、正直、情報が少なくて可能性を絞り込めない。まずお堂からケンスケ君が消えた方法が、私の説のとおりであると仮定して考えた。
消えた動機はいったいなんなのか。その場にいた八人中の四人もが共犯とすると、残る四人の中にどうしても騙したい者がいたのか。それとも親や教師、村全体が対象か。神隠しを演出したい理由があったのか。例えば家出。親を心配させたい。そんな月並みな理由かもしれない。シゲルさんたちが真実を語れない理由とはなんだったのか。シゲルさんやヒデ君の話とは食い違っているので、彼らが嘘をついていたと仮定することになる。彼らが消えた今、その理由を明らかにすることはもはやできないだろうが、想像することはできる。
お堂から去った後にケンスケ君がどうなったのか。わたしは、ケンスケ君がなんらかの事故か犯罪に巻き込まれたのではないかと考えている。シゲルさんやヒデ君、下級生二人まで行方不明になっていることを考えると、何かしらの連続的な犯罪があったと考える方が自然だ。
ケンスケ君が消えた後、かくれんぼに参加していた下級生二人まで行方不明になっている。この三人は小学生で、ケンスケ君の神隠しと連続した事件と思える。
その後、しばらく年月が経ってから、シゲルさんやヒデ君が狙われたのは、なんらかの犯人に都合の悪いものを目撃するなどしたことに気づいて、犯人に口封じのために殺されたのではないだろうか。
シゲルさんやヒデ君が、異常なものを目撃したのは、犯人に監視されたことで、無意識に感じ取ってのストレスによるものだと考えると辻褄が合う。
私が考えを話すと、夫も意見を出してくる。
「そんな異常な犯罪者がいたら、目撃されるんじゃないか」
「だって、新興の団地ができていて、ドラッグストアも進出してたんでしょ。人の流入も多かったんだろうし、変な人がいてもわからないよ。言い方は悪いけど、たぶんどこかの住宅にさらわれたんじゃないかな」
さらわれて殺されたんじゃないかなとは、言わなかったが意図は分かったろう。夫が険しい表情を見せた。
「私は、シゲルさんとヒデ君は、強い罪悪感と、真犯人に対する恐怖心があったんじゃないかと思うんだ」
「罪悪感はわかるけど恐怖心?」
「そう。シゲルさんもヒデ君も、ケンスケ君がいなくなった責任は強く感じていたと思う。それでも本当のことを言えなかったのは、きっと、誰かに口止めされるか脅迫されてたんじゃないかな」
「ちょっと待ってくれ。今、頭を整理するから。つまりケンスケがお堂から消えたのは少なくともケンスケ、シゲルさん、タイチさん、ヒデの狂言。ケンスケはお堂から消えたあと、何かの事件か事故で亡くなっており、そのことをみんなは隠してる。そういうことだな」
「そう。幽霊のせいにするよりはいいんじゃないかな。私の説が正しいとは限らないけれど、私がこれぐらいに考えられるんだから、貴方がもう一度真剣に考えたら、もっといい説があるかも」
夫は考え込む。たぶん、私と同じことを考えている。
「サトル」
「シゲルさんの友達のうち、大人を呼びに行った子、サトルさん、彼は怪しいよね。ケンスケ君よりも先に大人を呼ぶと言ってお堂を離れたから、ケンスケ君が一人で出てくるのを待ちぶせできた」
「サトルは市長の三男で、地元の名家だし、大人になってからも、シゲルさんとヒデを見張ることもできたかも」
「サトルさんとケンスケ君の間に何かがあったして、サトルさんを糾弾することは、サトルさんと、シゲル君の家の力関係から難しかったのかも。ヒデ君も家が工務店だし」
「それは否定できないな。確かにシゲルさんの家は地域の建設業の元締めだしヒデんちでも仕事をもらってた。サトルさんちは市長だからな。シゲルんとこもヒデんとこも市の仕事はかなり受注してたし」
「サトルさんが誘拐犯だったら大事件だよ。下級生の二人にも何かしたかもしれないし。なにかやばい人じゃなかったの。動物を殺したりとか」
「ないと思う。そういう意味でおかしなことはなかったはず」
「彼らの関係性からすると、サトルさんが提案して、ケンスケ君やシゲルさんに強要したと考えるほうがしっくりくるのよね。ケンスケ君が神隠しに合うようなストーリーを演出して何がしたかったのか」
「サトルさんは、当時、探偵小説にはまっていたし、凝ったごっこ遊びが好きだったから、何か密室で人が消えるようなシナリオの悪戯で、自分が探偵役をすることを考えていたのかもしれない。だから、大人を呼びに行くときに探偵の出番だとかつぶやいたのか」
「それが真相かもね。扉のかんぬきが外から掛かっていた状況とか明らかに不自然だもの。サトルさんは、きっとケンスケ君をどこかの隠れ場所に連れて行って何らかの事故でケンスケ君が亡くなってしまったんじゃないかな」
「そんな」
「サトルさんは今、どうしてるの」
夫は顔を伏せる。
「死んだ。自分のアパートで飛び降りた。時期はヒデが消えたあとだから、そういうことなのかもな」
「うげ。真相は藪の中ね。でも、ある程度、気が楽になったんじゃないかな。ユウイチ君にも伝えてあげなよ」
夫と話をしている間、息子はダンボール箱から飛び出してくることもなく、随分と静かにしている。寝てしまったのかもしれない。
「そうだな。たしかにある程度はすっきりしたけど、やっぱり終わってない。終わってないんだよ」
夫は言う。血の気は引いたままだ。全然、よかったという雰囲気ではない。
「ケンスケがお堂から消えたことについては想像も入ってるとはいえ、もしかすると君の説は真実に近いのかもしれない。思い当たることもあるよ。でも、それでも人知の及ばないことはやっぱりあるんだよ」
「タケル、どしたの。顔怖いよ」
「あの箱、誰が隠れてるんだ」
夫が、目線でダンボール指して言う。
「何言ってんの。トオルしかいないでしょ。さっきまで探してとか言ってたのに。寝ちゃったかな」
「違う」
夫が強く否定する。
「トオルは、俺の部屋で俺の隣で寝てた」
一瞬、何を言っているのかわからなかった。
「そんなわけない」
「ほんとだよ。だから、だれとかくれんぼしてたのか聞いたんだ。君がかくれんぼしてるのを見て、怖かった。話をしている間もあの箱が気になってた」
私は寝室に走った。そこでトオルはすやすやと気持ちよさそうに寝ていた。
リビングに戻り、箱を見つめる。夫も棒立ちで箱を見ていた。
「だって。さっきまで、トオルが、遊ぼうって」
とん、とん、段ボール箱が中から鳴った。
蓋が動く。中にいるのはだれ。