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Ⅲ.神に祈りを

 忙しい時は少し気が狂いそうなくらい殺しの依頼がくるものだが、ない時は自分の在り方を忘れるくらい平和だった。現在は後者である。仕事がなくわたしは訓練をするのみだった。


 最近平和になった理由はもう一つあって、隙あらばわたしにまとわりついていたシャルが大人しくなったからである。大人しいというか、どこかに出かけることが多くなった。


 今日は暖かく、わたしは何をやってるか知らないシャルを軽い気持ちで探しに外へ出る。


 殺しを担う組織だが、表向きは普通の会社らしい景色に溶け込んだ建築物。よくある街並みの一つ。


 シャルが来るまでは仕事以外で外出することもなかった。花屋がこんなにも近くにあることも知らなかったし、角を曲がったところにあるパン屋が結構繁盛していることも知らなかった。


 知ったからと言って自らの意志で利用したことはない。シャルにバラの花をねだられて買ったくらいだろうか。しばらくすれば花なんて枯れてしまうのに、どうしてあの子はあんなにもせがんできたのだろう。


 ふらふらと手がかりもなく小路に入ったところで、服装からして明らかにシスターな女性が林檎を道路にぶちまけていた。


 シャルなら拾うだろうか。拾わない気がしないでもなし、とりあえず外面は取り繕う可能性もある。急いでいる時なら無視するかな。


「大丈夫ですか?」


 わたしは少し考えてからとりあえず拾っておくことにした。


「あら、すみません。ありがとうございます」


 おっとりとした喋り方。

 わたしの周りにはいない人種。


「どなたが存じませんけど、お急ぎでなければ運ぶの手伝っていただいてもよろしいでしょうか?」


 しかし、この図々しさには近いものを感じる。

 もしかして世の中女性の普通はこれなのだろうか。



 教会なんて縁遠い場所に来たことは一度もない。わたしに祈る対象なんてないから。


 わたしがわずかな知識で勝手に抱いていたイメージとは異なり、教会では多くの子供が駆け回っていた。


「うちは孤児院も併設してるんですよ。賑やかでしょう」


 なんやかんやと最後まで見知らずの人間に荷物を最後まで運ばせたものだ。わたしが悪意を持つ人間だったらどうするつもりだったのか。


 神経の図太いシスターは優しい笑顔を浮かべ、


「遊んでいきますか?」


と問いかけてくる。


 この人にはわたしがいったいいくつに見えるのだろうか。


「施設の子でなくともうちは開放していますから。今はちょうど語学の時間だったかしら」


 聞いてもいないのにボランティアが開いているという勉強会の話を聞かされる。

 もうこれ終わったら帰ろう。


「あれ、先輩じゃないですか」


 は? 聞き覚えがあるような声がした。


 唐突に曲がり角の先から探し人が現れる。いつも通り小綺麗な恰好をして。無邪気な笑顔を浮かべて。


「どうしたんですか、こんな場違いなところに」


「君もね、場違い感ハンパないけどね」


 絶対こいつ神様なんて信じていない。神がいたとしてもシャルは上手く利用するんだろうな。怖い怖い。


「あら、お知り合いでしたか」


 シスターが驚いたようにわたしとシャルの顔を見比べる。


「ちょうど用事終わったところなんで一緒に帰りましょうよ」


 当たり前のように腕を組もうとしてくるので、わたしは細腕を軽口叩き落とした。


「用事って何してたのさ」


「気になります? 私が先輩のいないところで何してたか気になっちゃいます?」


 一人で勝手に盛り上がっているのは捨置き、わたしはどこで学んだかも分からない社交辞令で「迷惑かけてませんか」とシスターに声をかけた。


「いいえ、こちらこそ助かっているんですよ。学校に行けない子供たちに勉強を教えてくださって」


 ……シャルは教えることが好きなのか? わりと金の亡者なところがあると思っていたから意外。というか彼女が善意で動くとは思えない。


「ていうか何で先輩こそこんなところにいるんですかー」


 当然の疑問だ。わたしもよく分からないうちにここに来た。


「知らない人についていったらダメですよ」


 シスターが苦笑いを浮かべる。

 そしてシャルにだけは言われたくない。



 いつまでも神を崇める教会内に無法者がいるのも迷惑なので、いつの間にかシャルに手を引かれる形に変わりつつ外に出た。


「で、ほんとに何でここにいるんですか?」


 教会を背景にして随分とドスの聞いた声を出してくれる。さっきまでの猫なで声どこいった。


「いつも外にすら出ようとしないのに。何で? まさかジェシカとデートしてたとかないですよね」


 ジェシカとは、シスターのことだろうか。


「違うよ。落とし物拾ってそのまま荷物持ちにされただけだから」


「え、先輩が人を助けるとかマジな話ですか?」


 わたしも大概だけどこいつもだいぶ失礼だ。


「いやいや、まぁその流れはいいとして、引きこもりがなぜここに? 私が誘ってもなかなか出かけないじゃないですか!」


「シャルがいないから探しに来ただけだよ」


 わたしが溜め息混じりに答えると、シャルの冷ややかだった視線が急に柔らかくなった。


「うっそ!? 私のため!? やだなあ、もう私も愛してますよ」


 調子乗るから嫌なんだよな。


「見てください、花も私たちを祝福していますよ」


 まだ冬が開けきってないから花壇もそんな賑わってない。


 シャルが絡みとるように腕を回してくる。今度は払わなかった。


「せっかくですからお昼ご飯食べて帰りましょう。何にしましょうか、先輩は食べたいものあります? 私はスープ飲みたいんですけど」


「シャルの行きたいところでいいよ」


 こいつはわたしの意見を聞いているようで、まったく聞く気がない。そして元からわたしに意見もない。


「では平均よりは美味しいスープスタンドに行きますか!」


 腕ごと引かれる。いつの間にかわたしも歩幅を人とあわせる術を学んでいた。



 ◆  ◆  ◆



「先輩も行くでしょう?」


 たった一度の行いのせいで、一日の内数時間、わたしはシャロに同行して信じてもいない神の元へ通うはめになった。


「どうしてボランティアなんか?」


「仕事もこないみたいですし、私は先輩みたいにまる一日訓練とか趣味じゃないので」


 彼女には悪いが、シャルが不特定の相手に対して無償奉仕をする人間には思えないんだ。


「……君が聖書を読んでいるところもお祈りしている姿なんて見たことないよ」


「聖書は一度読んで売りましたし、礼拝の類も実家いた時に形だけしていただけですからねー」


 繋いでいない方の手をひらひらさせながら、シャルは少し視線を遠くに向けた。


「表向きは熱心な信者やってましたよ、その方が楽でしたから」


 この台詞を信者が聞いたら殺されやしないだろうか。


「地元は特に宗教色強くて嫌だったんですよ。神に祈ったところで楽になるのは自分だけですよ。商売的には見習えるところたくさんありますけどね」


 親も神を崇拝していたと言いつつも、娘の方はさらに神への冒涜を続ける。


「信仰の対象なんてなんだっていいんです。心の拠り所の問題ですからね。そう言う意味では何だって神になり得ますよ」


「シャルにとっての神様はいるの?」


 彼女には彼女なりに縋るものがあるのだろうか。気になって聞いてみると表情を変えずに、


「自分ですよ」


とか言いのけるから、少し頬を引つらせてしまった。


「え、そんな引きます? 所詮、この世界信じられるものなんて自分しかいないですよ? ……先輩に言っても分からないかもしれませんが」


 言われた通りシャルの考えに同意はできなかった。


「……このシスコン」


 吐き捨てるように言われる。たまにゴミを見るような目をするよね。


「先輩は世界をきちんと知るべきです」


 多分もっときつい言葉を投げかけたいんだと思う。シャルはそれらを飲み込んで、ニ秒くらいの間わたしを横目で睨み続けた。


「すでに言われているか知りませんけど、お義姉様には報告した上でやっていますし、先輩が来ることも許可もらってますから」


 “おねえさま”のところを強調されるとやだなぁ……。



 今日も空はよく晴れている。しばらく晴れが続いていたからそろそろ雨が降るかなと思っていたけど、同じことを二週間近く思い続けているから考え違いかもしれない。


「いい天気ですね」


 遠くから子どもたちと戯れているシャルを花壇の縁に座って眺めていると、ジョウロを手に持ったシスター・ジェシカがわたしの方へ寄ってきた。気配を消すのが上手いのか、単に影が薄い人なのか、死角から来られるとびっくりする。


「人と話すのはお嫌いですか?」


 天気に関する受け答えもしていないのに話が次に移っている……。


「得意じゃない……です。興味もないので」


「……ではなぜここに?」


 シスターは修道服が汚れるのも厭わず、わたしの横に少し間隔を空けて腰を下ろした。めちゃくちゃ話す気満々だ。


「あいつが行こうって言うから」


 シャルは絶賛授業中。参加を促されたけれどとんでもない。なぜ一回りと違う子どもたちと一緒に授業を受けねばならないのか。


「勉強はいいものですよ。私も当時は学がなくひどい目にあいました」


 背筋の伸びた隣の女性からは気品こそ感じられるものの、土臭い感じはない。


「意外に思われましたか? ふふ、それなら頑張った甲斐があまりますね」


 神の加護があっても、祈るだけじゃく彼女のように努力をしなければ報われない。神に祈らなくとも生まれた時から恵まれている人間もいるというのに不公平な世の中だ。


 ……シャルが生きてんのも頭がよくて金儲けが上手いからだもんな。


「せんせー!」


 遠くから、小綺麗な格好をした少年が走ってくる。ジェシカは手元の時計を確認し、

「あらあら、時間ですね」


 いくら支援金があるのか知らないが、わたしにも分かるくらいに駆け寄ってきた少年は整えられている。シワのない真っ白なシャツに下ろしたてのズボン、泥一つついていないローファー。


「すみません。時間なので失礼します。またシャーロットと一緒にいらっしゃってください」


 シャルロッテという名前は地域によって同じ綴りでも発音が違うと聞いた。多分、外にいる時シャルはそっちを名乗っている。


「お姉ちゃん、バイバイ」


 年下から気を使われて手を振られる。困ったが釣られるようにして乾燥した手を振った。


「先輩先輩〜! お昼行きましょう!」


 手を繋いで去っていく少年たちを無視してシャルが飛ぶようにして現れた。上げていた手を引っ込め、わたしはシャルを見上げる。


「元気だね」


「むしろ先輩はなんもしてないのに、何で元気じゃないんですか?」


 このまま帰るのも彼女と昼食に行くのもどちらも疲れる。


「行きますよ」


 腕を引かれ立ち上がった時に、修道服の姿が遠目に見えた。


「あぁ……今日は23番君ですか」


「23?」


「名前覚えるの面倒くさいんで、私が勝手につけた番号です。あ、これジェシカに言わないでください」


 笑顔で接しているくせにコイツは。


「23番君はこれから新しい家に引き取られるんですよ」


 ほら、とシャルが指した先――裏門には黒塗りのお高そうな車が停まっていた。


「あーいう可愛い男の子、人気ありますから」


 ため息はついても少年23番を心配している気配はない。


「うちの屋敷にいたメイドちゃんの中には父が孤児院で見繕ってきた子いますし。どこの国も一緒ですね」


 シャル曰く、もちろんまともな引取先もあることにはあるらしいが。


「先輩だって分かるでしょう。人として引き取られない子だって世の中にいることは」


 突如、ガラスに囲われたあの部屋を思い出す。


 わたし以外にも同い年くらいの子たちがいて、そう、みんな死んだ。わたしも死んだ。でもわたしは生き返る。何度でも。


 わたしが死んだ回数と彼ら彼女らが死んだ回数どっちが多かったろう。


「顔色悪いですね。今日はこのまま帰りますか」


 少し気持ち悪い。

 わたしは、わたしは今姉さまの指示を聞いている限りもうあんなことにはならないはず。


「そんな強く握られたら痛いですよ。車呼んできましょうか」


「行かないで」


 嫌だ嫌だ、もう生きたまま頭を開かれたり、内蔵を一つ一つ抜かれていくのも嫌だ。痛いの。死んでも死ななくても痛いの。言うことならちゃんと聞く。


「先輩、大丈夫です。もう大丈夫です。なにかあっても私は先輩の味方ですよ」


 ふと見上げると、歪んだ世界の中でシャルの顔が見えた。

 シャルがいる。あの頃じゃない。


「それに先輩に何か起きないようにしますから、大丈夫」


 詰まっていた呼吸が通り、視界が明瞭になる。

 指先が赤い。どうして。


「ごめん……!」


 握っていたシャルの手に爪を立ててしまっていた。


「このくらい平気ですよ」


 傷口を隠すようにポシェットから取り出した花柄のハンカチでシャルは自身の手を覆った。


「それに好きな人につけられる傷なら嬉しいですから」


 ちょっと引いた。

 血を考えると怪しいところもあるが、今のところわたしにそういった趣味はない。


「やめてください、真顔になるの」


 冗談ですとは言わないんだよコイツ。


「歩けますか?」


「うん」


 ハンカチを巻いた手とは逆を差し出される。


「帰ったら手当てしないと」


 後ろに隠した手を目で追う。そして出された手を優しく握る。


「先輩ってば傷の手当てなんてしたことあります?」


「ないね」


 手当てしなければならない傷なら死んだ方が早い。


「シャルに教えてもらうよ」


「……私が自分でやった方が早いじゃないですか」


 苦笑いをするシャル。


「どうせなら心肺蘇生法とか止血方法とかも覚えてください」


 そんなもの必要な状況、嫌だな。

 死ぬのも痛いのもわたしが受け入れればいいんだから。君は――



 ◆  ◆  ◆



「最近毎日いらっしゃいますね」


 ジェシカに指摘されるように、相変わらず仕事がなく、シャルが毎日行くと言うからわたしも来ているだけだ。もちろん基礎訓練も続けている。サボりではない。


「ご迷惑でしたら帰りますが」


「いえいえ、迷惑だなんてとんでもない。何よりも教会は来る人を拒みませんよ」


 それが人殺しであってでもだろうか。

 詳しく知らないけど、さすがに殺戮を容認する神ではないだろう。


「毎日ここで何を見てらっしゃるんですか?」


 わたしがいるのは相変わらず花壇の縁だ。


「遠目で見ているだけです」


 彼女が当たり前の笑顔で数字や文字を子どもたちに教える姿。嘘くさくて清々する。


「アイツはちゃんとやってますか?」


「ボランティアではもったいないくらいに。とても助かっていますよ」


 しかし、何度考えてもシャルが慈善活動をやるなんて思えない。絶対に裏があるはずだ。


「ここで一番偉いのってシスター?」


 むしろジェシカと数人の修道服を着たシスターしか大人の姿を見ていない。その中でいろいろ指揮を取って、外部のわたしにまで話しかけてくるのは彼女だけだ。


「まさか。司祭がいらっしゃいますよ。普段表には出てこられませんが、礼拝の時はお会いできますよ」


 まぁ……わたしにはなんも連絡来てないし放っておいていいか。


「シャーロットとはどういったご関係なんですか?」


 ツボミをつけてきた花に水をやりながら、いつか聞かれるだろうと思っていた質問が飛んできた。


「聞いてないんですか」


「顔を赤らめて「大切な人です」と言っていましたが、やはりそういったご関係でしょうか」


「違う違う。断じて違う」


 わざわざ面倒になる言い方をしないでほしい。「同性婚はここらへんの地域では難しいですから、もっと都会に駆け落ちしましょう」と言ってたのはどこのどいつだ。


「ただの仕事仲間です」


「そうなんですか。お仕事は何をしているんですか」


 失言だった。舌打ちしたい気持ちを抑え、


「姉の家業を手伝ってるんです。夜がメインなんでこうして昼間は暇を持て余しているわけで」


 このまま喋っていてもボロを出しそうだった。ボロを出せば間違いなく殺すよう命令が下る。


「もう帰られるんですか?」


「えぇ、お邪魔しました」


 日向の世界はやはり眩しい。

 シャル、君はやっぱりこっちの世界にいるべきなんじゃないか。


「はい、じゃあここに入る数字分かる人!」


 シャルの問いかけに多くの子供が手を挙げる。


 その中には小綺麗な格好をしている子供も何人か混じっており、おそらく近くに住む貴族の子と思われる。


「先生! 紙芝居はまだですか!」


「紙芝居は算数の後ね。今はここの答えを聞いています」


 紙芝居目当てに来た子供か。

 もしくはお祈りのついでか。


 ちらっと建物の方に目をやる。いつも育ちのいい女性たちが貢物を神様へと捧げに来ている。


 帰ろう。なんだか疲れた。


 門を出る前、シャルの碧い瞳がわたしを捉えた。とてもなにか言いたげだったが、彼女はすぐ授業に戻る。


 どうせ「何で私を置いて帰っちゃうんですか」って怒っているだけだと思うが。



「何で私を置いて帰っちゃうんですか」


 やっぱり。


 射撃訓練を終え、水を飲みながらシャルに渡された本を読み進めていると憤慨気味の先生がご帰還なさった。


「元から行く気のない場所だったし」


「だからって置いて帰ることないですよねー」


「もうそんな怒らないでよ」


 最初は一人で行ってたじゃないか、なぜいまさら怒る。


「ここ最近は仕事終わりに先輩とご飯行くの楽しみにしてたのに〜」


「じゃあ今から食べに行く……って仕事?」


「はい! 行きます! どこ行きますか!」


「待って、仕事って。あれ、ボランティアじゃなかったの」


 そんなことだとは思ってたけど。


「別に隠すつもりはなかったんですよ? ただ言うほどのことでもないかなぁって思っていただけで。あそこの教会はここら辺でも大きなところですから、出入りしている人を調べるように言われてただけです」


 仕事の内容を聞いて胸を撫で下ろす。


「さぁて、今日はお肉でも食べに行きましょう。お高いやついっちゃいましょう」



 ◆  ◆  ◆



 先輩がよくもまぁ私の用事に付き合ってくれるものだ。もしかして多少は私のこと好いてくれているのでは、とか自惚れていたらこれ。


 それよりもまず、最近ずーっと私が授業をしている時にジェシカと話しているのはどうして? 何でですか、先輩。


 浮気ですか?


「お肉食べたかったんじゃないの?」


 運ばれてきたチキンソテーに手をつけず、ぼーっとしていたら不思議そうに先輩が指摘してくる。


「食べたかったですよ」


 切れ味の悪いナイフで肉を一口大に切り、これまた刺さりにくいフォークを使って口に運ぶ。


 チキンソテー自体は悪くないけれど、細かいところに気配りができていないのは減点だ。多分もう来ない。


「先輩は明日からも一緒に来てくれるんですか」


 ちょっと機嫌の悪い聞き方になってしまったかもしれない。明らかに先輩が面倒臭そうな顔をした。隠して、そうゆう表情。


「私としては先輩がいてくれた方が安心なんですけど」


「安心?」


「一応仕事じゃないですか。佳境に入ってきたのでボディーガード的な?」


 真っ昼間の対応なので、私レベルでも問題はない。


「……まぁ、いいけど」


「やった、ありがとうございます!」


 出来ればジェシカの近くにいてほしくもないんですが……これは明日現地で対応するとしましょうか。


「シャルはいろんな仕事をしているんだね」


 調査を預かるようになったのはここ最近だ。信頼を得た結果なのか、単に今の私なら裏切らないと見越した上かは分からないけれど。先輩は殺し特化で融通利かないですからねー。


「安心してください。先輩のような仕事は仰せつかっていませんので」


 もうこの世界にどっぷり足を突っ込んでいる時点で胸を張ることはできないのに、何で先輩は私の手を汚させたがらないんだろう。


 先輩からすれば私が真っ白な天使に見えるかもしれない。でも、貴族とか関係なく純白の天使なんてこの世には赤子くらいしかいない。


「先輩、いつも私を待っている時ってジェシカと何の話をしているんですか?」


 我慢できなくて聞いてしまった。


「えぇ、なんのってなんだっけな……。また来てるって言われたから付き添いですとか答えているくらいだと思うよ」


 思うってなんだ。話している本人でしょうが。


 先輩に限ってこんなところで嘘をつくとも思えないので、振られた世間話に適当な相槌を打っているだけなんだろう。


 問題はジェシカがどうしてそこまで先輩に構うかだ。


 司祭が表立って出てこない分、彼女が顔役として仕事をこなしている。こんな小娘に構う余裕などないはずだ。


 私たちのこと気づいてる?


「そうそう。シスターにも勉強はした方がいいって怒られた」


 真面目に大人らしい忠告もしてくれるんだ。


「姉さんたちは一度も私に勉強しなさいなんて言わなかったのに」


 それは馬鹿な方が扱いが楽だからでは。


「シャルを見ていると頭がいいってカッコいいなと思うけど……やっぱり勉強は嫌いだな」


 好き嫌いで勉強しなくていいなら私もしてなかった。


 私が長女として生まれなければ。跡取りの男が産まれれば人生は大きく変わっていたと思う。


「先輩は私のマンツーマントレーニングを好きなだけ受けられるんですよ? 贅沢な話じゃないですか」


 なんで?みたいな目。


 この世界では貴族が平民に勉強を教えるなんてあり得ない。まぁそれはそれとして。こんな美人を独り占めできるのに、この人はほんと贅沢だ。


「先輩、トマト食べます?」


「嫌いなの?」


「別に。今食べたい気分でなかったので」


 フォークで刺されて不格好になったトマトを先輩の口に押し込み、私は再び窓の向こう側へ視線を移す。


 最近はいい天気。

 でも明日は雨予報。



 先輩と一つの傘を共有して今日も私たちは教会へ足を運んだ。


「おはようございます。生憎の雨模様ですね。本日はこちらの部屋を用意しておりますのでご自由にお使いください」


 ジェシカが案内してくれた部屋は初めて案内された場所で、荷物がまったく置かれていない。普段は使用していない空き部屋のよう。


 随分と儲かっているようですね……。


「先輩はどうしますか?」


 流石にこの雨の中外で待っていると言えばわたしも止める。


 すると先輩が答えるよりも前にジェシカが提案を入れてきた。


「お暇でしたら教会内を案内しましょうか」


 この女、先輩に気でもあるのか?


「……」


 ご機嫌伺いか、先輩はちらりと私を見る。


 本音は行ってほしくないけれど、向こうから中身を見せてくれると言うのなら馬鹿な先輩でも情報収集役として頼みたい。


「……いいじゃないですか。普段見て回るところじゃないですし。その代わり勝手に帰らないでくださいよ」


「昨日のことはごめんて」


 先輩に外の世界を知ってほしい反面、自分の知らないところで先輩が変わっていくことに嫉妬してしまう。


 部屋を出て行く先輩に釘を刺し、私は用意された教材を予習する。教会の方から用意された教材も最新版。こちらもどこから流れてきているかは足がついている。


「先生、こんにちは」


 孤児院の生徒よりも早く顔を見せる兄妹。

 ここの家から孤児院関連の費用が多額に寄付されている。


「はい、こんにちは」


「ぼくたちも手伝います」


 兄の方は今年七歳になる三男、妹は四歳。


 この子たちは親の慈善事業アピールに使われているだけ。哀れな貴族の末裔。可哀想に、なんて思わない。


「今日は雨なのによく来ましたね」


「はい。家にいても迷惑になるので」


 兄貴たちが死ねば相続は彼になるだろうに、真面目に生き様を受け入れている姿に私は苛立ちすら感じる。


 強く生きればいい。自分のために、全て利用すればいいのに。


「みんなを呼んできてくれる?」


 三男が率先して駆け出していく。妹は置いて行かれてどうするか悩み、結局ちょこんと部屋の隅に立ちすくんだ。


「……」


 女の本能なのか、子供らしい勘の鋭さなのか、妹ちゃんに私は嫌われている。


「そんなところに立ってないで座ってていいですよ」


 私の気遣いも警戒されて兄貴がいなければ言うことをまったく聞いてくれない。


 もう私も諦めていて一応言ったからねというスタンスになっている。


 別に子供か嫌いなわけではない。


 大人でも子供でも私の邪魔をする人間が嫌いなだけだ。


 三男坊であっても貴族のカリスマ性を備えたボンボンは、孤児院の子供たちを上手くまとめあげていた。そして私の言いつけもしっかり守る。利用されて終わるタイプだろう。


「先生、授業の後に聞きたいことがあるのですがお時間って大丈夫ですか?」


 本当絵に描いたような優等生。


 先輩との時間を削ってまで割く時間などはない。


「少しだけなら大丈夫ですよ」


 作り慣れた笑顔で筋肉が痛んだ。



 ◆  ◆  ◆



「それにしても大きな建物ですね」


 孤児院を一通り、教会も一般人が入れる場所をシスターに案内してもらった。随分と聖職者たちのスペースも広い。一体祈りをする以外に何が必要なのか。


 昨夜、不機嫌モードが続いていたシャルからできるだけ建物におかしな点がないか調べろと言われた。事前に彼女が入手していた間取図を覚えさせられ、現在脳内で必死に照らし合わせを行っている。


 暗殺を担う上で覚えるという行為は必須だ。別の人を殺しちゃ怒られるし、単独行動を続けていたので地図も一人で覚えた。生け捕りにされると困るのは自分だから。


「皆様の寄付で成り立っているんですよ」


 何で会えもしない神に人々は大金を貢げるのだろう。


「お仕事は忙しいんですか?」


 ジェシカが先日の話を掘り返す。


「今はそんなに」


 無愛想に答え、この話題はしたくないと遠回しにアピールをする。


 ちょうど最初に案内された礼拝堂に戻ってきたところだった。


「お時間があるなら祈っていくのはいかがですか」


 何に祈れば救われるのか。わたしはなにから救われたいのか。


「神様とか信じてないので」


 シスターは悲しそうな顔も憐れみを含んだ表情も浮かべずに、薄い笑顔のまま「残念ですね」と呟いた。


「そろそろシャーロットさんの授業が終わりますね。行きましょうか」


 わたしの前をシスターが歩き出す。

 どう見てもシスターだ。


 もっと言えば一般人。日の当たる人間側。


 ふと彼女がこちらを振り返ってきた。


「とても静かに歩かれるので……いらっしゃるのか不安になりますね」


 暗殺者として教育される過程で、わたしは音を立てず気配を消す歩き方を叩き込まれている。


「忍者に憧れていた時期があるんですよ」


 シャルから聞いた東方にある国の暗殺者話を思い出した。


 さすがにジェシカは分からなかったようで、その単語を反復して首を傾げた。


「どこかの国のダークヒーローらしいです。詳しいことは知りませんけど」


 詳しいこと知らないくせに憧れるなよとセルフツッコミしたくなる。


「憧れで出来るようになるなんて素晴らしいですね」



「どーも」


 血反吐を吐きながら覚えましたけどね。


「あら、まだお取り込み中みたいですね」


 二人の生徒がシャルの横で彼女となにか話している。


「お二人とも、お迎えがいらっしゃているのではありませんか」


 ジェシカが子供たちに声をかける。


「シスター。はい、そうですよね……」


 少年はシャルにお礼を言い、顔立ちの似た少女の手を引いて部屋を出て行った。


「忙しい中先輩に付き合っていただきありがとうございました」


 冷たい手がわたしの手首を掴む。


「では失礼します」


 この前わたしが傷つけてしまった手だ。傷口は塞がったけど傷口は残っている。


「シャル待って。傘開くから」


 雨は止む気配もなく強い雨粒が足元を泥だらけにしていた。


「帰りましょう」


「ランチはいいの?」


「……今日はすぐ帰ってくるようにお義姉様に言われてるんですよ。黙っててすみません」


 久しぶりの仕事。わたしの体温まで下がったように感じた。



 ◆  ◆  ◆



「久しぶりですけど大丈夫ですか?」


「もちろん」


 今回の依頼は大金持ちとして様々な方面に手を出している貴族。現当主夫妻と次期当社の長男、また犯行を目撃した者の抹殺。


「……」


「どうしました?」


 街中であることもあって、今回もシャルはわたしの服を着ている。目立つ長い髪もしっかりと帽子の中にしまっているので美男子にも見える。


「似合わないなぁって」


「うるさいですね。そこを聞いているんじゃないですよ」


 人の服を勝手に着ておいてひどい言い草だな。


「任務内容に不満でもあるんですか」


「まさか」


 銃の具合を確認し、ナイフを腰に差す。


「ただ前回の貴族殺しは皆殺しだったなと思っただけだよ」


「ははー、確かに気にはしないですけど親族の前で言うことじゃないですよー」


 足を踏まれる。あの時のしおらしいシャルはどこへ。


「ちゃんとこちらの新聞にも載っていたんですよ。見ます? 記念に各紙手に入る分は買ったんです」


「いや、いい……」


「関連記事で私の誘拐殺人事件事件についても書かれているんですよ」


 シャルが持ち歩いている手帳から新聞の切り抜きが出てくる。え、いつも持ち歩いてるの?


「私はこんなにも元気に生きているのに、新聞を読んだ人たちはみんな死んだと思っているんですから不思議ですよね」


 ほんと何でこんなに元気なの?


 大きな屋敷のため銃弾は多めに持っていこう。できればナイフで片付けたいところだが、一人ずつ始末できなくなった場合は数がいる。


「私の時は簡単に侵入できましたけど、今回は高ーい塀を越えないといけないんですからね」


 わたし一人ならよじ登れるけど。


「先生の顔として侵入すれば?」


「それでもいいですけど、私の来訪を隠すために皆殺しになりますよ」


「……それは面倒だな」


 どちらにせよシャルを囮にしたくない。というか顔バレが嫌ならお留守番しててもいいのでは?


「さーて行きましょう」


「どうしたのそれ」


 シャルが手にしているのは口元だけを覆うタイプのガスマスク。屋敷に毒ガスでも撒くつもりか。


「先輩の分もありますからね」


「どうしたのって聞いてるんだけど」


「さぁさぁ行きましょう。もたもたしていたら朝がきちゃいますからね」


 どうして説明をしたくなかったか。


 多分シャルがこの手を使うことに対して後ろめたい気持ちがあったからだろう。


 そりゃわたしだって下水を通って敷地に入るなんて嫌だったよ。


「マスクあってよかったでしょう」


「…………」


 それ、わたしの服、なんだよなぁ。


「それにしてもずいぶんと歩きやすい下水だね」


 前を歩くシャルが小さく笑った。


「そりゃそうですよー。きな臭い貴族がこっそり使う隠し通路としての役割が大きいですから」


「金持ちがやることはスケールがでかいな」


「えっ、うちの建物にもありますよね?」


「えっ、そうなの?」


「先輩信用されてないんですか」


 地下から逃げるような事態になった時、わたしがやることは地下に行くことではないから、だと思いたい。


「先輩はお義姉さんに危険が迫った時にはどうするように言われているんですか」


「…………」


 なんか答えたくなくて無視した。


「どんなことがあっても私は先輩の隣にいますよ」


「うん……危険な時は離れてていいよ……」


 念のために灯りをつけていないので、わたしたちは壁に手をつきながら進んでいる。


 いきなり床が下がったら死ぬなー。


「あ、ここです。曲がって左手」


「……上がるとどこに出るの?」


「トイレって言ったらどうします?」


「…………ここで待ってていいよって言う」


「優しいですね。犬小屋に出るんで安心してください」


 犬小屋って、どうせ番犬の家だろ。


「犬は苦手ですか」


「獰猛なワンコを好きなやつは歪んでいるよ」


 人を殺すように躾けられた動物は一発で仕留めなければ、ほぼ確実にこちらが殺られる。


「私は犬より先輩の方が好きですよ」


「嬉しくねーわ」


 暗闇の中でシャルがカバンの中を漁り、なにか取り出してカラカラと振る。


「まだマスク外しちゃだめですよ」


 シャルが重い蓋を少しだけ開けて取り出したものを投げる。軽い金属音がした。


「睡眠薬か」


「いえ、即効性の猛毒です」


「そう」


 犬小屋の様子を確かめに来た人間がいたら困るけど。


「ではどうぞ」


 まぁわたしが上がるよね。



 ハシゴに手をかけ耳を澄ます。苦しそうなうめき声が微かに聞こえた。


 一体なんの毒を撒き散らしたんだか。


 蓋を開けた先も真っ暗でいくら闇に慣れていたとしても全体を把握できない。


「シャル待ってて」


 背を低く保ち、犬っころの死体を踏みつけないようにしながら窓から小屋から外を伺う。


 入口付近でガードマンが二人壁にもたれるように倒れ込んでいた。かなり拡散力の強い毒ガスのようで。


 急いで下水道への入り口に戻りシャルを引き上げ外へ出る。


「大丈夫ですよ。高いマスク買いましたから」


「……」


 さて。

 脱出路を確保するために大きな庭を巡回している人間と、詰め所で控えていた人間には永遠に眠ってもらう。


「意識高い系貴族に多いんですよね。平民には家の敷居を跨がせたくなくて外に置いとくこと」


 バカですよねーと言いながらシャルがマスクを外した。

 うん、可愛い。


「お願いだから離れないでよ」


「先輩以外に殺される気はないので任せてください」


 死体から鍵を漁りピースを決めるシャル。可愛いんだけどね。ね?


「君の度胸はどこからきてるんだ」


「真顔で何人も殺めといて何を聞いてくるんですか」


 わたしは人殺しをするために育てられた。人として教育を受けたわけではない。


 彼女は違う。


「……早く終わらせて帰ろう。案内して」


「はいはーい、お任せください」



 素人とプロ相手であればわたしは後者の方が殺りやすい。行動パターンも読みやすいし。


「あと一人ですね」


 貴族の行動を読むなら貴族か。


 恐ろしいくらいにシャルの言った通りのところに執事がいてメイドがいて、寝室に夫婦がいた。


「もしかしてほとんど殺してないか」


 番犬小屋から死体を数える。


 リストにいた人数と照らし合わせたらあと四人しか残っていない。


 長男、次男、三男、長女。


「って子どもしか残ってないじゃんか」


 結局殺し回ってしまった。


 でもシャルが死ぬよりはいい気がした。


 こんなわたしでも人らしい気持ちが少しくらいはあるらしい。


「どれからいきます?」


「依頼は長男だけだろ」


 長男――ターゲット自体を殺すことに心は痛まないが。


「早くいきましょう。子供は意外と鋭いですから」


 少し遠くで気配がした。


 シャルに物陰にいるように指示し、階段を駆け下りる少年の首を捕まえる。残念ながら二人いた。既に顔面を床に叩きつけられた大きい方が長男だったはず。


 もう片方は恐らく次男だろう。わたしの腕から逃れようと暴れて兄貴を蹴り飛ばす。


 あぁ、そんなものかとわたしは学習する。


 血の繋がりなんてなにも結びつけちゃいない。


 赤い液体が勢いよく吹き出してわたしの服まで汚す。間違えた。あまり汚すとシャルに小言を言われる。今の場合なら締め殺した方がよかった。


「シャル、銃を下ろすんだ」


 君はどうして人殺しのような目をする。


「でも先輩」


「下ろして」


 わたしがシャルの前で立ち上がると「痛いの好きなんですか」と言って構えていた銃を下ろした。その瞬間迷いなく後ろから引き金を引かれ、わたしの脇腹を弾が抉る。


「殺していいですか」


「いいわけあるか」


 なんのために銃を下げろと言われたのか分かってないのか。


 ……身体はまだ動く。


 先程心臓に突き立てたナイフを持ち直し、後ろで膝を震わせ、顔を涙と鼻水でグチャグチャにした見覚えのある少年に向き合う。


「30番だっけ?」


「違いますよ。彼は孤児院の子ではありませんから」


「先生! どうしてこんな人殺しと一緒にいるんですかっ!?」


 自分の味方、理想の師匠が彼の瞳に映る。


「こっそり隠れていれば遺産も全て引き継げたのにバカですね。そんなんだから小間使いのように扱われるんですよ」


 天国も死後の世界も信じてはいないけど即刻彼の耳は閉ざすべきだと思った。


 まるで救いを与えるように、わたしの身体は滑らかに動く。


 今回は一突きで正解だ。


「甘いんですよ、先輩は。どうして撃たせる必要があったんです」


「家族を皆殺しにされたら一発くらいやり返したいもんじゃないの」


「私には分からないですね」


 シャルがまたしても銃を構える。


「自分でできるからいいって」


 もう、自分を殺すのも慣れた。



 ◆  ◆  ◆



「目、覚めましたか?」


 意識が戻るとわたしは後ろから肩に腕を回され引きずられて移動していた。ちょっと、わりとお尻が痛い。


「覚めたよ。痛いんだけど」


「急がないと面倒かなと思いまして。私一人でなんとかなるか分からなかったので引きずりました。荷物なければお姫様抱っこしたんですけどねー」


 腕を離してもらい自らの足で立つ。


「末っ子ちゃんが逃げちゃったんですよ。でもお兄ちゃんたちよりは賢いみたいですよ」


 そのお兄ちゃんは妹を逃がすために使ったこともない銃を手にしたんだろう。


「で、どこ行くのさ」


「妹ちゃんが逃げたところですよ」


 わたしたちが入ってきた番犬小屋は現在よく燃えている。すぐ燃やしたがるな。こんな街中で火事なんて起こしたらすぐ人がくるぞ。


「そんなわけで急ぎましょう」


 シャルがわたしの手を掴もうとして嫌な顔をする。


「ばっちいじゃないですか」


 手を引っ込められた。


「こちらです」


 一階にある広い部屋から地下へ降りる。入口は家長の席の下だ。


「臭くないね」


「手入れされているみたいですから。他にも繋がっている部屋とかありますよ。……銃火器が置いてある部屋とか」


「君が調べるように言われたのは何?」


「孤児院についてと武器の密輸です」


 密輸関係で誰かの怒りに触れたか。裏社会は自由なようで規則は結構厳しい。勝手に武器や薬を流すと怒る怖い人たちがいるのだ。


「はい、追いつきました」


「……っ」


 幼い少女をシャルが捕らえる。


「はなして! ひとごろし!」


 少女は小さな身体を力いっぱい振り、シャルの顔をかすめる。端正な顔がフードの中から現れた。ずれた帽子を真顔で直し、シャルは薄い微笑みを浮かべる。


「あなたは最初からその目ですね。世の中上手く隠さないと敵を作りますよ」


「シャル!!」


「はいはい。分かってますよ」


 しかし、シャルは少女を離さなかった。


 気配がいきなり現れたからだ。


「何をなさっているのですか!?」


 修道着を身に纏ったジェシカ。いつものように丁寧な口調であるものの、温かみは一切感じない。


 わたしと幼き少女だけが状況を掴めていない。


 ただし、ジェシカの懐には大量の殺人道具が眠っていることは分かる。そのうちの一つを彼女はシャルに向ける。


「何をしているのですか。その子を離してください」


「先輩、とっとと殺ってください」


 しかし、今動くとシャルが撃たれるかもしれない。わたしとシャルには少し距離があった。


「…………」


「離しなさい」


 シャルは横目でわたしを軽く睨む。


「この教会はですねー、身寄りのない子供を集めて商品に仕立て、よくないことを考えている大人たちに売り飛ばしているんですよ」


 そして、ジェシカを見据えてわざとらしく笑った。


「じゃないとこんな立派な教会、今時経営できませんって。……他にも売買に乗じて武器の密輸やってますよね。困るんですよー、あまり戦力持たれちゃうと、ねぇ……」


 シャルの腕の中にいる少女の顔が絶望で上乗りされていき、ジェシカも作り笑いを剥ぎ取った。


「この子を助けたいのは仕入先の跡取りがいなくなると困っちゃうからですよねー? 残念でしたね、操りやすい坊やが残っていなくて」


「滅茶苦茶ね。せっかく上手く回ってきたのに」


 吐き捨てるようにジェシカは舌打ちをし、少し足を下げた。


「取引しましょう。あなたたちに手が回らないようにするわ。その代わり見逃してくれない?」


 逃げ切れるなんて思えない状況で、なぜシスターは強がるんだ?


 そんなにもして生きたいのだろうか。


 なんで彼女は生きたいのだろうか。


 確認するよりも先に彼女が動いた。だから殺した。シャルが整備をしてくれた銃だ。安全装置は地下へ降りる前に外していたのでロスはなかった。


「お見事」


 少女をきちんと拘束したままシャルが嫌味っぽく褒めてくる。そして、次はこれですと言わんばかりに幼い少女をこちらに向けてきた。


「いくら指令がないからって、私みたいのを拾って帰ってきちゃうからお義姉さんにこうゆう指示出されちゃうんですよ」


 ……今考えればシャルをあそこに置き去りにしたところで彼女は死ななかっただろう。むしろ一人でも、執念でわたしのことすら調べ上げたに違いない。


 そもそもシャルを生かした時点で決まっていた。


 いや、どうせシャルがあの場で死ななくてわたしのことを調べ上げても、殺されていた。


「これでいいんだ」


 そう思い込むしかないじゃないか。


 目の前の小さな瞳に血走った憎悪が広がる。


「ひとごろ、」


 小さな命を落とすには小型ナイフで十分だった。


 最期まで彼女はわたしのことを殺してやろうと睨みつけていた。


 殺した本人は別になにも抱いていないのに。


 おかしな話だ。



 ◆  ◆  ◆



 私たちが地上に出る頃には先程の屋敷に転がっていた証拠品は全て片付けられていたらしい。殺す専門よりも隠滅する彼らの方がよほどやばい。


 また、教会にいた司教は逃亡したらしい。残っているシスターたちは何も知らずに神へ使えていたおめでたいやつらばかり。


 司教も次の日の出を見ることなく殺されるんだろうなー、そこまでこっちの仕事じゃなくよかったなぁと伸びをした。


 シャワーは浴びたので、あとは報告書をまとめるだけ。


 私がここに来たことで確実に任務における死人は増している。もちろん私という拾いものをしてきた妹に対して姉が大事を取っているのもあるし、私がいくつかある作戦の中で乱暴なものをわざと選んでいるのもある。


 先輩を殺したのも最初の一度だけ。


 元々ミスをやらかす人ではないらしい。


 出会った時の私はとても幸運だった。


「まだ起きてたの?」


 私が部屋に入り浸ってもとやかく言われなくなった。先輩は言うこと自体面倒になったらしい。


「外見えないから分からないのかもしれませんけど、もうすぐ世間ではお昼ですよ」


 銃もナイフも諸々下ろした先輩はとても身軽そうにベッドへ倒れ込んだ。


 襲われるとか考えないのかな。


 ……襲ってもいいのかな?


「なにか申し送り事項があれば書き添えますけど」


「ない」


「そうですか。寝るならちゃんと布団かけてくださいね」


 どこまで他人の話を聞いているのかも怪しい。


 従順なようで自由。


 そして人間らしくあろうとして壊れた人形みたいな欠陥品。


「面倒くさ」


 ボソッと呟いてからペンを走らせる。


 先輩が単独で動いている時は報告書どころか紙一つ提出なんて求められなかったという。


 もちろん先輩が報告書なんて書けるわけないんだけど。


 結局のところいろんなベクトルから私が試されているだけなのかもしれない。


 死者数……屋敷全部って書き殴ったら怒られるだろうか。


 出来る限り先輩の殺り方も書けと言われている。死体を見れば一発だろうに。あの人は現場に絶対現れない。多分、私が顔を見たことがあるだけでも珍しい類。


 一度見たら忘れない冷たい目。私たちのことを人間だなんて思ってもいやしない。それは私も全ての人間を人間だとは思っていないから否定できないけど。


 先輩と同じ翠色をした瞳だけが彼女たちが姉妹であると言う共通点。他は全然似ていない。


 知らない方がいいかな。


 姉貴のことを気にして命を落とすなんてたまったもんじゃない。


 忙しそうな時間に報告書投げて私も眠ろう。

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