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4ー4ー3 三回戦・足立南戦

怒りの覚醒。

(戻ったな)


 それが最上が打席に立って浮かべた感想。智紀の顔から笑顔が消えていた。いつもの精悍な顔つきに戻っていて、これこそシニアの頃から見てきた智紀の姿だと。

 さっきまで笑顔を浮かべていた智紀とは異なる様子に、足立南はどういうことかと星川へ確認を取る。


「さっきまでのが異常で、あっちが本当の宮下だ。多分ボールも違うと思うぞ」


「あー、初回に戻ったって感じ?」


「だな。ネクスト行くわ」


 そう説明してネクストに行く星川。

 帝王側のスタンドも、いつもの智紀に戻ってメガホンを叩く。智紀は振り被って動き出す。いつもと変わらない綺麗なフォーム。先程とは違うのはその表情だけ。


 その放たれたボールはアウトハイに突き刺さる三番ストレート。それを最上は空振り。

 142km/hをマークするストレートだった。そしてさっき打ったのはこのストレートだと最上は思う。このストレートは他のストレートよりも速いために判別がついていた。


「智紀、戻ったわね」


「うん。いつもの兄さんだ」


「……アレで戻るって、智紀ってあたしらいないとダメなんじゃ……?」


「それはそれで良いかも」


 スタンドで千紗と美沙がそんなことを話し合う。千紗はハグで戻った智紀に呆れ、美沙は独占欲を醸し出して恍惚の表情を浮かべていた。

 美沙のそのギャップある表情をたまたま見てしまった男子は、もう美沙に心を鷲掴みにされていた。

 打席に立つ時も今のように鉄面皮に戻っていたが、智紀は野手じゃなく投手だ。その本分の方でいつもの様子に戻ったことを千紗と美沙はホッとしていた。それはバックネット裏で見ている喜沙と梨沙子も同様だった。


 最上に対する二球目。それはインハイに突き刺さる一番ストレート。一球目とは球速差があり、予想以上にボールが来ないのにボールはさっきのストレートより伸びてきた。最上はそこまで目が良くなかったが、バットがボールの下を振ったことでボールが伸びているのはわかった。

 ボールが高かったので町田は返球する時には低く低くとジェスチャーしたが、追い込んだことは事実だ。周りは智紀を盛り上げる。


「オッケー!ナイピッチ、宮下!」


「追い込んだぞ!ボールも走ってる!」


 智紀はそのまま三球目のサインに頷く。

 この球審相手に遊び球を投げている余裕はなかった。だからバッテリーは三球勝負に出る。

 真ん中低めに迫る速いボール。最上はいくら智紀でも三球ストレートを続けるとは思わず、最後は変化球で決めると思っていた。速度から高速スライダーだと思いバットを振るが。

 ボールはスライドせず、むしろ浮き上がってきた。バットが全く掠らず、空を切る。


「ストライク!バッターアウッ!」


「幸先いいぞ!」


 三振を奪ったというのにガッツポーズもせず、淡々とボールを受け取る智紀。それこそが宮下智紀の当たり前だった。

 三振を喫した最上は続く星川にストレート三つだったと伝える。次の打者には時間的にあまり伝えられないため、それだけ伝えてベンチに戻る。試合の進行を止めたら進行命の審判に怒られるからだ。

 ベンチに戻って、最上は全員に智紀の様子を伝える。


「完全に調子を取り戻してます。それにあの球審に邪魔されないようにどんどんストライクを入れてくるでしょう。球種も全部ストレートでした」


「修正力がズバ抜けてるな。ベンチにいる間に何かあったんだろうか」


「それにしてもあの球審、露骨すぎるよな。こっちも感覚狂うぜ」


 そんなことを話し合う。不公平な審判がいると、正々堂々戦おうと思っている者からすれば遣る瀬無いのだ。実力で勝とうと思っているのに、審判の横入りで勝っても嬉しくないのだ。運が良くて勝つことはあっても、依怙贔屓で勝って何が嬉しいのか。

 相手に不公平なことを強いて勝っても、胸を張って勝ったと言えないのだ。


 進学校である足立南は、卑怯な手を使って勝とうとする者はいない。そんな手で勝っても後の悪評判に繋がるだけで、そんな手で勝っても何一つ良いことがないとわかりきっている。

 だからわざとバットを振らないで出塁しようとする者はいない。明らかなボール球は見逃すが、ストライクゾーンに来れば振りに行く。


 続く星川もストレートを振りに行くが、一球だけバットに当たったものの三球三振。コントロールも戻ってきたようだ。

 ヘルメットを片しながら、星川が首を捻りながら呟く。


「やっぱあれ、ジャイロボールな気がするんだよなあ。モガ、ボール浮かなかった?」


「最後のボールは浮いた気がしますが……。ジャイロボールなんて見たことないんで」


「だよなぁ。皆、なんかめっちゃ伸びるストレートとジャイロっぽいボールがあるから気を付けてくれ。ネギ、ちょっと点が取りにくくなると思う。もう少し我慢してくれ」


「了解です、ホッシーさん。帝王相手にそこまで大量得点できるなんて思っていませんし」


「言ったな、ネギ!あの一年生からめっちゃ点取ってやる!」


「天才ピッチャーから点もぎ取ってきてやるから待ってろよ!」


 根岸の何気ない発言が足立南ベンチに火を点けた。これでも打てるチームを自称しているために、いくら優勝候補の帝王が相手でも点を取る自信があった。

 智紀が天才投手として世間から注目されていても、まだ一年生。何点かは取って見せると意気込んでいた。

 が、根岸はキャッチボールのために外へ向かおうとしていたところで打席の小坂の方を指す。


「あの、サッカーさん三振してますが」


「あ⁉︎」


「ナイス、宮下!」


「これがウチの天才ピッチャーだぜ!」


 小坂も空振り三振。三者連続三振で智紀はこの場面を切り抜けていた。スリーアウトなので攻守交代の準備をする。帝王側も三者三振という最上の結果に盛り上がっていた。

 まさか点を取るどころか、クリーンナップが全員三振で終わるとは思っていなかった。全員グラブに持ち替えてベンチを飛び出す。帰ってきた小坂はヘルメットと守備の道具を交換しながら監督へ今の打席について伝えていた。


「全部ストレートでした。すっごくボールが浮き上がったというか……」


「本当にジャイロボールを投げているのか……?末恐ろしい一年生だな。根岸、辛抱してくれ!お前のピッチングにかかってる!」


「はい!」


 監督の激励を受けて根岸は走り出す。

 投げ分けているのかどうかまではわからないが、智紀にはストレートとジャイロの二種類速いボールがあると足立南は把握していた。

 これ以上の失点はマズイと足立南は懸念する。酷い主審に関係なく智紀が持ち直してきた。その上相手はかなりの格上だ。正攻法では不利なのは確実にこちら。


 エースの根岸の出来にかかっていると言っていい。

 ジャイロボールなんて未知のストレートを投げ、他の変化球もいくつか種類があり、コントロールだって戻ってきた本格派右腕。他の高校だったらエースでもおかしくない実力の持ち主だ。

 本来の力を取り戻してきた以上、打ち崩すのは難しいだろうと考える。

 ストレートだけでも今苦戦しているのだ。ここに変化球も調子を戻してきたとなればどれだけ打てることか。


 根岸もこれから帝王のクリーンナップを迎える。どうにか失点を防いでくれることを祈ったが。

 三番葉山と四番倉敷の連続二塁打で早々に一点を奪われていた。

 そうは上手くいかないようだ。

 だがその後は根岸がパームを最大限に使って五番の新堂を三振。六番の霧島をレフトフライ。七番の町田をファーストゴロで切り抜けていた。

 最少失点で切り抜けてきた根岸をベンチが一体になって拍手で出迎える。


「よし、よく耐えた!ほら、エースが頑張ってるぞ!お前たちの持ち味である打撃を見せつけろ!一年生に圧倒されたまま終わるなよ!ウチは下位打線だって打てるんだからな!」


「「「はい!」」」


 四回の表、中盤に差し掛かる。

 3-5の二点差。高校野球なら全然追いつける点差だ。打撃に定評のある足立南だということもあり、監督は期待を込めて激励を送る。

 だが、マウンドには。


 球審の介入を許さない鬼神が牙を剥いていた。

 姉妹に心配をかけてしまったブラコンが、アメリカ戦以上の集中力を発揮して足立南打線に襲いかかる。

 それを示すかのように。

 六番に投げた初球の三番ストレートは、自己最速の145km/hをマークしていた。


「一年生でこれって……。ホント、手が付けられねーぞ?」


「モガ。壁は高い方が良い的なこと言ってたけど、あれ見ても……笑ってるな」


「最高じゃないですか。あれこそ俺たちが倒そうとしている宮下ですよ」


 足立南ベンチは戦慄を覚えていたが、最上だけは笑っていた。智紀の底が見えないことが嬉しいようで、その横顔を見ていた星川は引いていた。

 智紀に執着しすぎだろうと。

 帝王バッテリーも流石にストレートだけはやめたのか、変化球を混ぜてくる。それでもほぼ全部ストライクゾーンに来ており、足立南は振るしかなかった。


 ストレートは全く当たらず、どうにか変化球に当てることができたがそれは全部弱々しい内野ゴロにしかならなかった。

 先程と同じ三者凡退で終わる攻撃。

 もうボール球なんて投げないと。実力だけで球審を黙らせてやるとでも言いたげなピッチングだった。そして鉄面皮ながら闘志をありありと示している智紀。


 完全にいつもの調子に戻っていた。

 足立南の監督はもしもの事態に備えて二番手投手の準備をさせる。根岸には劣るが、根岸がこのままだと保たないという考えが頭によぎったからだ。

 正直根岸が崩れた時点で勝ち目がなくなると思っている。それだけ根岸が良い投手で、他の投手は何枚も劣る。

 それでも一旦外野に送るなどして休ませることも考えないとならない。帝王の打線も再び爆発しそうだった。球審への苛立ちと、一年生投手の力投を受けて、これに応えなければ先輩ではないと言うように誰もが闘志を漲らせていた。


(あちらさんも最初から本気だっただろうが……。完全に地雷を起爆させたな。恨むぞ、あの球審……)


 そんなことを思いながら、足立南の監督は代打や守備固めなど控え選手を使おうと指示を出し始める。

 小細工は弄するが、最終的に監督は選手を信じるしかないのだ。

 帝王の八番、織部をセカンドライナーで打ち取ったのを見て根岸はまだ大丈夫そうだと安堵するが。

 静かな闘志を滾らせている智紀が打席に立ったのを見て監督はキャッチャーにサインを送る。


 最悪、歩かせても良いと。それだけこの打席の智紀は危険な気がすると伝えていた。その考えにグラウンドの選手も同感だったのか、最上や星川も頷いていた。

 上位打線に繋がるが、ここで長打を打たれるくらいならと根岸も勝負を避けようとする。

 アウトコースへ外れるスライダーを投げて一応勝負をする気があると見せるための初球を投げ込んだが。

 智紀は踏み込んでそれを打ちに来る。それどころか良い金属音を鳴らせて打球は浮いていった。


「ウソだろ⁉︎」


 ライトはそう叫びながらバックしていく。右打者だったために定位置に守っていたが、打球はグングンと伸びてくる。ドゴン!と音を鳴らせて、打球は右中間の深い所のフェンスに突き刺さっていた。


「あー、惜しい!あと一メートル!」


 スタンドからもそんな惜しむ声が聞こえる。智紀はとにかく走り、俊足を活かして二塁を蹴っていた。ボールが返ってくるが、内野に戻ってきた時には智紀は足から三塁に滑り込んでいた。

 足を踏み込んだとはいえ、バッターボックスのラインから足を出していない。それはスパイクの跡が証明していたので球審の持田もそれを指摘して打席の無効やアウトを宣言できなかった。


 さっきまで笑みを浮かべていた最上だが。

 恐ろしい獣を覚醒させたのではないかと今の智紀を見て思い、人知れず背筋を冷やしていた。それだけ今の智紀は恐ろしく変貌していた。

 手が付けられない風に覚醒した智紀は、一プレイに集中しているのか息も切らさずホームを見つめるだけ。

 何が何でも生還すると、その目が訴えていた。


次も三日後に投稿します。

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