4ー2ー4 三回戦・足立南戦
一回の表の終わり。
タイムが開けて。智紀の様子が変わったと誰もが感じた。
知っている者からすればおかしいのだ。智紀が野球をやっている時に笑うなど。
野球は楽しんでやっているのだろう。真剣に、必死にプレイをしているのだろう。だが、彼は試合でも練習中でも、一度たりとも笑ったことはなかった。
野球をやっている時は真剣そのもので、表情筋が死んでしまっているかのような鉄面皮でマウンドにも打席にも立ち、その実力を魅せつけていく。感情が読み取れなくても、その雄々しいプレイが、人々を熱狂させるのだ。
そんな智紀が笑ったことで、対戦相手の最上が。対面に座っている町田が。観客席で見守る三姉妹と福圓梨沙子が。ベンチにいる三間と東條監督が。
関係者全員が目を見開いていた。
「と、智紀君、どうしたんですか……?」
「んー……。腹を括った、のかしら?あ、でも……。お父さんの真似かも?」
「父親の、真似?」
梨沙子は智紀の変化が分からず隣にいた喜沙に聞いてみると、そんな答えが帰ってきた。
梨沙子も、智紀の父親が亡くなっていて元プロの投手だったことを知っている。調べて動画も見たことがあった。
確かに笑顔が素敵な人で、当時のアイドルと熱愛報道が出るようなイケメンさんだなと思った覚えがあった。
その父親と比べると、智紀は対照的だった。笑顔で魅了する父親と、プレイで魅了する子供。
智紀はもちろん、父親の映像を何度も見たことがある。喜沙はそこから、智紀が真似をしているのではないかと推測していた。
バッテリーを組んでいる町田もこの変化をどう捉えればいいのか分からず、無難な得意球で様子を見ることにした。そのサインに躊躇わず頷く智紀。
放たれたボールは問題なくゾーンに来た。そしてバッターの近くで高速に、鋭く曲がる。
ストレートだと誤認したバッターの最上はそれを振って空振り。バットの下をボールが通過していった。智紀の代名詞、高速スライダーだ。130km/hにほど近い速度で曲がる変化球は高校生からしたらストレートと誤認してもおかしくはない。
高校生の平均球速に近いのだから。
「……ストライク!」
一拍遅れた主審の判定に、気付いた者は気付いた。
それはともかくとしていつも通りのボールに、マスクの下で安堵の息を吐いた後、町田は智紀へ返球する。
「ナイスボール!」
「球走ってるぞ!」
「そのまま押していけ!」
バックもベンチも、スタンドも盛り上げる。異様なタイムの後だったので空気がおかしくなっていたが、もういつも通りの帝王の空気だった。
その空気に戻した智紀の一球は流石としか言えない。
(ホント、宮下のフォームはストレートと変化球で区別が付かないな……。初打席から高速スライダーが見られたことは良かった。それに、問題はこの主審だということもわかった。ストライクをボールって判定されたんだな)
最上はそう考える。そしてそうなればあんなにも早くタイムをかけた理由にも繋がるのだ。
智紀が何かのアクシデントで問題が起きたのならば、キャッチャーをすぐに呼ぶだろう。だがそうする前に監督が動いたということは、グラウンドから何かしらのサインをベンチに送ってベンチが動いたと考えるべきだ。
空振りという明らかなストライクに一拍コールが遅れたのが良い証拠だ。もし見逃していればボールと言うつもりだったのだろう。
アウトコースのストライクゾーンからボールに逃げていく軌道だったが、チェックゾーンと呼ばれるストライクゾーンの通過地点は確実に通っていた。それをボールと言われればタイムをかけて情報共有もするだろう。
予備の投手が準備を始めるのも、納得する。
(宮下が投げてる時点で、俺たちの試合にエースが投げることはないだろうと思っていたが。準備してるのは二番手の小林って投手だ。……いや、次の投手のことはどうでもいい。こんな審判が後ろに居ても、俺とは真っ向から勝負をしてくれる。それが嬉しいぞ、宮下)
最上も笑顔を浮かべた。それでこそ打倒しようと思っていた後輩だと。
元々野球が好きだった最上だが、人生観を変えたのは智紀のせいだった。智紀の眩しく、こちらを鼓舞するような姿に充てられて倒したいと願ってしまった。
その意識改革からバットを振る回数が増えた。たとえバットに当たったとしても力負けしては意味がないと、筋肉量も増やした。
いつかはプロになる少年に打ち勝つため。遠い遠い一等星を、地上に引き摺り落とすため。
最上は笑みを浮かべたことで肩の力が抜け、ベストコンディションに最も近付いていた。
二球目は糸を引くようなストレートが高めに外れる。これは明らかなボール球だったので最上も見逃す。
ストレートと高速スライダーではやはり速度が違うと、起動が違うと確認できただけよしとした。
(ただ、このストレートだけに的を絞ってるとチェンジアップにやられるんだよな。速球派が使うチェンジアップほど厄介なものはない。宮下はフォームで判別が付かないから特に)
それでも、投球の軸はストレートなので狙うとしたらストレートだ。変化球だって捨てられないが、一番打ちやすい球種はストレートだというだけ。
ストレートに狙いを定めたまま、三球目が放たれる。
それは先ほどとは違うスライダー。速度が遅くなった分、横滑りの変化が大きくなった球種。それでも120km/hで来るその変化球を捉えるのは並大抵のことではできない。
インコースから曲がって来たそれを、最上はまた空振り。ストレートのタイミングで待っていると変化球には思わず上体が前に突っ込んでしまう。しっかり後ろで踏ん張らなければならないと、バッターボックスの土を均した。
「オッケー!追い込んだぞ!」
「ナイスボール!」
「こっちに打たせてこいや!」
ストライクを取る度にバックが盛り上げる。最上はその様子に頷いた。
なにせ、見逃しをされたらストライクが貰えないのだ。ストライクが貰える度に智紀を応援することで盛り上げるしかできない。ボールの時は盛り上げづらい空気になってしまう。
それが故意ならなおさら。
二球目のストレートの速度に身体を合わせて、最上は待つ。コースもアウトコースだけに意識を持っていった。クリーンナップに、前の試合でホームランを打ったバッターにインコースへストレートは投げて来ないだろうと予測したからだ。
四球目。
最上の予測はズバリ的中。アウトコースへストレートが来た。右足に重心を残してバットを出す。
だがそれは二球目の一番ストレートではなく、三番ストレートだった。
バットにボールが当たる。当たったが、どん詰まりのようなゴギン!という音を出して、ボールは右側へフラフラっと浮かんでいった。
(さっきより速かった⁉︎しかもボールの軌道もまるで違った!)
最上はそう思いながら走り出す。フェアゾーンには飛んでいるが落ちるかどうか。セカンドの間宮が後ろへ走り、ライトの新堂は前へ突っ込んで来ている。
セカンドランナーの宮前はスタートを切っていた。打球の方向を見て全速力で駆けていた。
最上も一塁へ走る途中で、ボールがちょうど二人の間に落ちるのがわかった。外野は先制の可能性があってもクリーンナップのため定位置より少し後ろに守っていたのだ。それは右打者にとって逆方向のライト新堂も同じだった。
間宮が追いかけるのを諦めて新堂に任せた。だが、新堂は間に合わない。
「フェア!」
落ちたのと同時に、宮前は三塁を蹴った。ワンバウンドで捕球した新堂がそのままノーカットのバックホームをする。そこまで距離のない捕球場所だった。
宮前は一塁で止まって状況を見守る。ワンバンで返ってくる送球に宮前は頭から突っ込んでいた。
砂埃が舞いながらクロスプレーが起こる。タッチとホームイン、どっちが先だったか見えるのは主審と近くの二人、そしてホームベースへカバーに入っていた智紀だけだった。
主審の両手が、横に広がる。
「セーフっ!ホーム、インっ!」
「先制だ!モガがやりやがった!」
「最上〜!ナイバッチ!」
「ウチの先制だ!帝王相手に幸先がいい!」
「このまま一年生投手を打ち崩せ〜!」
一気に盛り上がる足立南側のベンチとスタンド。
一点を先制されたくらいでは全然気落ちしていない帝王側だったが、全校応援で来ている女子生徒は違うようだった。「ああぁ〜」と大きな溜息と悲鳴が聞こえていた。
最上は一塁に戻ってから、憮然とした表情でベンチに戻る宮前の表情を、見逃さなかった。
(……ポテンヒットは、いい。俺が辛うじて勝った証拠だ。それでもこの打点は……。これで勝っても胸なんて張れるか!ミヤさんも同じ気持ちだからあんな表情をしてたんだ……。星川さん、頼みます。誰も文句を言えない形で、俺をホームに返してください)
次に打席に入る星川へそんな想いを込めて目線を送る。星川も宮前から情報を得たのか、先制したにしては嬉しそうにせず、真面目な表情で打席へ向かっていた。
智紀は直接町田からボールを受け取ってマウンドへ戻ると、振り返ってまた笑顔を浮かべて全員に呼びかける。
「すみません、打たれました!けどまだまだ打たれるので、守ってください!」
そんなことを言う智紀に、誰もが呆気にとられる。
そうじゃないだろうと。
謝るのではなく、打たれたとしても憮然とした態度で、表情で次の打者を打ち取るのが宮下智紀という投手だろうと。
そんな違和感塗れの言葉を言わなくてはならない状況なのだと、拳に力を入れる者が何人もいた。
「いくらでも打たれろ!それ以上に打ってやる!」
「こっちに打たせれば自動でアウトにしてやらあ!」
「さっきは捕れなくてすまん!次は捕る!」
すぐにバックが言葉を返す。その返答に智紀は頷き、前を向く。
最上と星川を、恐怖の感情が襲った。違いすぎる姿。それでも投げてくるボールは変わらないどころか凄まじい。
こんなメンタルをしているのが、宮下智紀なのだと。
今まで想定していた壁はそれでもまだ低かったのだと再認識させられていた。
この言葉を聞いて、帝王のベンチから三間がそっと姿を消す。声をかけるのではなく、バットを振りにベンチ裏に向かったのだ。
星川は恐怖の感情を抑えて、打席に立つ。
クイックから放たれたそのボールはストレートにしか見えなかった。しかもインハイという星川の一番好きなコース。
それを強打した。
が、ボールは高く高く浮き、ショートの葉山が手を上げる。ほぼ定位置のショートフライで終わった。
(星川さんが、ストレートを打ち損じた?いくら宮下のストレートだからって、ストレートにめちゃくちゃ強い星川さんだぞ……)
宮下ショック以降、星川は足立南の四番に相応しい打者になっていて、ストレートであればほぼほぼ打ち返せるほどの打者になっていた。140km/hを超えるストレートだって弾き返すどころかホームランにしたこともある星川だ。
その星川がショートフライに終わったことに最上は塁上でショックを受けていた。
(確かにさっきのストレートも速かった。俺も振り遅れたくらいだ。だからってあんなに高くボールが上がるか?宮下のストレートが伸びることは百も承知の上だろうし……)
そんなことを考えている間に、続く五番で左打ちの小坂が高速シンカーを引っ掛けてショートゴロ。葉山は二塁に送球してフォースアウトになったことでスリーアウトチェンジとなっていた。
最上はグラブと帽子を控え選手に持ってきてもらい、ヘルメットと交換して受け取る。グラブを付けている間に星川が近付いてきて、守備位置に就く前に相談に来ていた。
「モガ。お前打ったのってジャイロボールだったりしない?」
「はい?ジャイロ?」
「なーんかそんな回転で浮かび上がったような気がするんだよなぁ……。悪りぃ、守備の前にする話じゃなかった。守りきってからゆっくり話そうぜ」
「わかりました」
グラブを持ってきてくれた選手にもお礼を言って最上は守備に就く。
ファーストから投げられるゴロのボールを処理して一塁へ送球。投球練習の間のウォーミングアップだ。
それをしながら、先程の星川の言葉を思い出す。
(ジャイロボール……。それが本当なら、お前は二年前からどれだけ進化しているんだ。……やっぱりお前は素晴らしい。宮下)
二年前はジャイロボールもシンカーも投げられなかったはずだ。だというのにそんなボールを引っ提げて高校野球に殴り込んできた。
そんなライバルの姿が眩しくて、負けられないとまた意気込みを強くした。
次も月曜日に投稿します。
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