2ー3ー3 開幕・夏の予選
姉同士の接触。
入場を待っていた喜沙と美沙は、あまり見たくないものを見てしまった。智紀がラブレターを貰ったという風にしか見えない場面だ。
家族以上に愛している二人にとっては看過できない状況だ。とはいえ、試合前の智紀に詰問なんてできるわけがない。釘だけは刺しておいたが。
二人はスタンドに上がると、別行動を取った。美沙は予てからの懸念事項だった女子マネージャーへの聴き取りへ。喜沙は先程の騒動を引き起こしてくれやがった元凶の元へ。
おそらく智紀の応援をするために三塁側にはいるだろうと予想して喜沙はスタンドを歩く。いなかったらバックネット裏に行けばいいだけだ。三塁側は父兄と在校生で埋まっていくが、それでもまだ余裕があった。
その余裕のスペースに、OBや純粋に帝王を応援する観客がいた。その辺りを重点的に探す。
喜沙の予想は当たっていて、目当ての少女はいた。先程の淡い青色のワンピースと麦わら帽子ではなく、ボーイッシュな半袖シャツに短パンで、眼鏡も赤渕の四角フレームの眼鏡ではなく黒渕の丸眼鏡に、野球帽を被っていた。その野球帽はメジャーリーグの野球帽。
そういえば近くにコインロッカーがあったかと、喜沙は気付く。さっきの彼女はショルダーバックしか持っていなかった。着替えなんて確実に持っていなかったのだ。だからコインロッカーに事前に着替えを用意していたのだろうと推理する。
騒ぎを起こしながら、同じ格好で応援するようなノータリンではなかったことは評価した喜沙は気さくに声をかける。
「すみません。隣で応援して良いですか?」
「……?はい、どうぞ?」
何で他にも空いている席があるのにわざわざ隣に来たのだろうと考えている福圓梨沙子の隣に、シートへハンカチを敷いて座る喜沙。試合が始まったら智紀の活躍に集中したいので、喜沙はさっさと本題に入った。
「やってくれたわね。福圓梨沙子ちゃん?」
「なっ……⁉︎え、どうして……⁉︎」
「ちょっと違うけど、ご同輩だもの。一度顔を覚えちゃえば変装をしててもわかるわ」
バレると思っていなかったのか慌てた梨沙子に、喜沙は眼鏡を上にズラして素顔を晒す。その顔を見て、梨沙子は目の前の人物が誰か把握した。
できてしまった。それだけ同年代で有名な女の子だったために。
「宮下喜沙ちゃん⁉︎あ、いや!喜沙さん……!」
「知っていてくれてありがとう。でも声のボリューム落としてね?」
「あ、はい……。あの、ここにいるのってもしかして……」
「トモちゃんは大事な弟だもの。仕事がなければ応援に来るのは当然でしょ?」
同じ宮下姓だったので梨沙子はすぐに二人の関係性を看破した。そうじゃなければ日本で一番有名なアイドルが高校野球の初戦にこうやって顔を出さないだろう。
梨沙子としても憧れの女性が隣に座っていることに動揺を隠せなかった。宮下喜沙とは、男女ともに憧れの存在なのだから。
なにせデビューしてすぐ写真集はバカ売れ。出すCDはオリコンチャートに選ばれ続け、歌も踊りも完璧。物腰は柔らかで心地の良い声をしていて、スタイルは抜群で。ちょっと天然なところもあるが、そんなふとした仕草も堪らなく可愛くて。
しかも仕事は完璧にこなし、最近では出る映画やドラマでそのアイドルとは思えない、女優さながらの演技でお茶の間を魅了した。
まさしく、アイドルの最高峰と呼んでも良いほど完成された女性だった。
なお、演技については智紀と過ごす中で延々と姉を演じてコイスルオトメを隠していたことが上手く作用した模様。
とにかく、そんな女性が隣にいて、しかも自分のこともバレていると知った梨沙子の慌てようは仕事よりも酷いものだった。
「……あの、この度は様々な騒動を引き起こしてしまい、申し訳ありません」
「本当よね。トモちゃんが話題になるのはもう少し後の予定だったのに。さっきの件も、あなたのことがバレていなさそうだからまだ良いけど、バレてたら大問題よ?」
「仰る通りです……」
「まあ、トモちゃんがそれだけ魅力的なのは、私も否定しないけど」
話題の智紀は相手のシートノックを待っている間、ベンチ前で素振りをしていた。その姿にさっきのことを払拭するように黄色い声を向ける女子生徒たち。智紀だけに向けられたものではないだろうが、確実に智紀に向けた声もある。
そんな状態の智紀を見て、嬉しいやら悲しいやら複雑な表情を向ける喜沙。
「さっきのことも見てたけど、直接謝りたかったの?」
「はい……。生放送の時は興奮していて。好きなことを好きと言えないのは、悲しいです」
「芸能人だもの。私だってもっと公共の電波でトモちゃんへの愛を叫びたいのに」
「姉弟でも大好きになるのはわかります。だって智紀君、カッコ良すぎますもん」
喜沙の想いに、うんうんと頷く梨沙子。あのU-15でどれだけのファンを作ったことか。
それが今向けられている黄色い声援の答えだろう。よく見れば他校の制服を着た女子までいる。同じ学校ならすれ違って顔を覚えてもらえるだろうが、他校となると接点が少ないからまずは制服から覚えてもらおうという考えだろう。
そして手紙か何かでメールアドレスも渡して連絡を取り合おうという魂胆だった。それがわかった喜沙と梨沙子はシラーと白い目を向けていた。
だが梨沙子もさっきの手紙にちゃっかり自分のメールアドレスは載せていた。人のことは全く言えないのである。
「一応確認しておくけど。梨沙子ちゃんはトモちゃんのことが恋愛的な意味で好きなの?」
「やっぱり気になりますか?」
「熱心なファン、を超えた言動をされちゃったら流石にね。末端とは言え芸能人だし。それでトモちゃんの生活が乱されるなら、長女として手を回すよ。トモちゃんにはね、野球をただ楽しんでほしいの。で、あなたのような人から守るために私は芸能界に入った。トモちゃんが有名になるのはわかりきってたから」
その断言に、あまりの愛の重さに、梨沙子は苦笑を漏らす。
智紀のプレイを見ていればわかる。きっと幼少期から才能に溢れ、努力を続けてきたのだろう。ただ才能に胡座をかいていたらアメリカにあんなピッチングができるはずがない。投打で一線級を張れるわけがない。帝王という名門校でベンチに入れるわけがない。
多分似たような境遇だったから憧れたのだと、梨沙子は思っていた。
「……わからないんです」
「はい?」
「いや、本当に。好きか嫌いかで言われたら、好きですよ?ただこう言うのもアレなんですけど、わたしって昔から演劇バカで。演技のことやアニメのことになると凄い熱中するんですけど、恋愛とかはあんまりわからなくて。演技の上では好きとか、恋してる女の子とかできるんですけど、わたし自身の気持ちだと途端にわからなくなって」
だから、生放送でもそのままの気持ちを答えた。恋愛という言葉を知っていても、その恋愛が実感できない。けど、それを演じることだけは驚くことに感覚でできてしまった。音響監督やアニメ監督、養成所の人たちでさえ、わからないままの演技に騙された。
そして今ではファンも、自身も偽っている。
できてしまうことに、梨沙子は疑問を覚えない。できてしまうから。漢字が読めるように、四則計算が問題ないように、恋する女の子になりきることができてしまった。
演技とは、他人になることだ。自分とは違う誰かであることだ。
そうやって他人になってきた彼女は、自分の感情の名前を喪った。
「悲しい境遇の子や明るい女の子、クラスのマドンナ的な存在。戦う人、無機質な人、はたまた動物やロボットなど、演じるものは多種多様です。養成所で演じる役も突拍子のないものが多くて、結構迷走していました。この辺りは声優でしかわからないことだと思います」
「そうね。女優も演じるとはいえ、あくまで本人が演じるだけだもの。声だけを当てない限り、本人をベースにした人物を演じるだけ」
「それが特殊な業態ですよね。それで養成所はなんとかなったんですけど、声優になってからはモブでも変な役が多くて。それで自分を見失った時、妹が見ていたアメリカ戦を見たんです」
ある意味、梨沙子が天才だったからこその弊害とも言える。彼女は自分を殺して演技ができてしまった。その結果多感な時期である高校生なのに、自分を見失ってしまった。
そこに、一条の光が舞い降りる。
「心の底から感動したんです。扱っているものは全然違くて、智紀君はただ勝つために一生懸命だっただけでしょうけど、味方を鼓舞して圧倒する姿は、純粋に凄いと思えたんです。歳下の男の子が、大舞台で冷静に、でも闘志を溢れさせて活躍する姿に、野球を全く知らないわたしは励まされました。目が離せなかったんです。それから他の試合も遡って見るようになって、オーディションの前とかはその映像を見て勇気をもらったんです。目指す舞台は違っていても、彼は彼の道を進むために頑張ってるんだろうなって。野球雑誌も買っちゃったりして、追っかけになっちゃいましたけど。純粋に智紀君の活躍を楽しみにしてるんです。だからファンとして好きなのは確実ですけど、恋愛的な意味は──」
「もういいわ。うん、あなたの気持ちはわかった」
「そうですか?よかったー」
喜沙はまだ続きそうだったので途中で切った。長々と語り、しかもその活き活きと話す仕草が、表情が。喜沙にとっては鏡を見ているような感覚に陥ったので手に取るようにその本当の感情の名前を知ってしまった。
この子、鈍感なのかしらと思いながらそのまま試合を隣で見ることにする。
帝王のシートノックが始まって、智紀がボールを捕球するごとにキャーキャー騒ぐ変装をした小さな界隈で有名な少女。
目をうっとりとさせて頬を染めている姿は。
見た者全員が察するほどに乙女のそれだった。
次も木曜日に投稿します。
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