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3ー4ー2 春季合宿

合宿から帰ってきて。

 火曜日の合宿が終わって。

 元々通い組は火曜日も寮に泊まっていいことになっていたが、どうせ千紗姉を家に送るんだからと寮の部屋を片付けてさっさと帰ってきた。

 同部屋の仲島は疲労がピークに達していて返事もまばらだったので、そのまま寮の部屋に泊まったんだろう。


 美沙の美味しいご飯を久しぶりに食べて安堵して。寝る前に一階で柔軟を念入りにやっていると喜沙姉もやってきた。仕事や大学の勉強も忙しいだろうにこうやって身体のケアを忘れない辺りはアイドルとして純粋に尊敬できる。

 そう思って手伝えることはしようと思ったのだが。


「トモちゃん、耳かきしましょう?」


「……ん?」


「耳かき。ほら、座って?」


 柔軟などで使うベンチに腰をかけて、膝の上を叩く喜沙姉。その右手にはしっかりと耳かき棒が。

 いや、なんで。


「柔軟するんじゃないの?」


「それもするけど、トモちゃん合宿で耳かきまではできなかったんじゃない?爪のケアはしてたみたいだけど、疲れた身体で耳かきして深く刺さっちゃったら大変だから。お姉ちゃんがしてあげる」


 いつもは自分でやっているのに、誰かに耳かきをされるなんて母さん以来じゃないだろうか。三姉妹が小さい時に俺にやりたいと言っていたが、子供がやると危ないからって母さんが一切やらせなかった。

 今となっては、その約束事は時効ということだろう。

 喜沙姉の言う通り合宿中は耳かきなんてやってなかったけど、ぶっちゃけた話気恥ずい。


「膝の上に頭を乗せないとダメか?」


「もちろん!ほら、早くいらっしゃい」


「……恥ずかしいんだけど」


「姉弟で何言ってるの?中耳炎にでもなったら大変なんだから、早く」


 こういう時の喜沙姉、というか三姉妹は頑固だ。無駄な言い争いをする体力は残っていないし、純粋な好意からきてる行動だからさっさと頭を預けることにした。


「喜沙姉、耳かきなんて人にやったことあるの?」


「千紗ちゃんと美沙ちゃんによくやってるわ。そこそこ慣れてきたところ」


「それでもそこそこか」


 頭を乗せてしまったために覚悟を決める。

 喜沙姉の太腿柔らかいな。そんなことを考えている内に棒が耳の中へ侵入してくる。誰かにやられたのが久しぶりすぎて最初はくすぐったく、違和感もあったが痛くはなかった。


「合宿はどう?大変だった?」


「それはもう。めちゃくちゃ走らされた。密度が凄かったよ」


「帝王の野球部の練習量はプロでも驚くほどなんだって?プロで活躍する人が多いのも、高校で頑張ってきたからみたいだよ」


「それも納得できるキツさだった。俺は投手だから罰走とかほとんどなかったけど、ほとんどの人が足パンパンになったって。明日が休養日で良かったよ。下手したら筋肉痛で動けないかもしれない」


「そうなったらお姉ちゃんが学校まで送って行ってあげる」


「車も運転できないのにどうやって?」


「愛の力で!」


「うわーい。愛は偉大ダナー」


 喜沙姉の言葉はどこまで本気でどこまでが天然発言なんだかわからない。

 お願いしたら本当に原始的な方法で運ばれるかも。二つ返事なんてしなくて良かった。

 でもこれって凄いことだよな。相手が喜沙姉だって根底にあるから不思議だけど、相手は同年代が憧れるアイドルなんだから。家族がアイドルっていうのは母さんで慣れていたからまだ馴染みがあっても、国民のほとんどが知っているアイドルが目の前の女性だと言われても俺としては実感が薄い。


 そんなアイドルに膝枕されて、耳かきしてもらってるのか。

 こんなのファンどころか、野球部の連中にバレてもヤバイだろうな。絶対口を割らないけど。


「あ、そうそう。私『熱闘甲子園』の宣伝サポーターに選ばれたから、トモちゃんも甲子園に出てね?私がインタビューするんだから」


「おい芸能人。守秘義務守れ」


「お母さんがトモちゃんになら言っても良いって言ってたよ?」


「おい社長……。それで良いのか?」


 どの番組に出たとか、出る予定、というのは公式発表がない限り守秘義務が存在する。それは身内だって基本は漏らしてはいけない情報だ。関連する人物なら事務所内限定でとか、あくまで芸能関係で共有する内容。

 宮下喜沙の弟、という理由だけで聞いていい話ではない。

 それにしても『熱闘甲子園』か。甲子園大会の速報や試合の振り返り、事前に出場校へ訪れて選手へインタビューなどを行う人気の番組だ。高校球児はもちろん、野球関係者ならかなり見ている番組だろう。

 高校野球関連とはいえ、社長である母さんがよく情報を伝えて良いって判断したな。


「俺、まだベンチ入りしたわけじゃないんだけど?」


「え?してくれないの?」


「頑張ってはいるけど、選ぶのは監督たちだし。それに二軍の投手で二十人に選ばれるって結構厳しいと思う。まだ一年だから余計に」


 一・二軍で投手は七人。この中でベンチ入りができる選手は多くて五人だろう。投手の代わりは多くても良いが、二十人のバランスを考えるとおそらく五人が最大値。野手との兼ね合いを考えてこれ以上は増やせないだろう。

 ただこれは多くて、という予想。もしかしたら四人かもしれないし、甲子園を見据えて三人にするかもしれない。甲子園ではベンチメンバーは十八人で、二人削るなら投手を一人という高校が多い。あくまで一般論でウチの投手の枚数は東條監督がどう思ってるかによるけど。


「トモちゃんなら大丈夫だよ。千紗ちゃんも紅白戦次第って言ってたもの」


「どこにも保証がないじゃないか」


 その紅白戦はやってないし、出番があるかもわからない。そこで活躍すればベンチメンバーに選ばれるのかすらわからない。

 何せ一・二軍全員出場させると宣言されている。両軍を合わせると五十人を超す。与えられるチャンスも少ないだろう。投手で言えば人数的に三イニング投げられれば恩の字。その短いイニングで結果を示さなければならない。


 実力主義な帝王だから学年に関係なく機会はくれるだろう。紅白戦の結果だけで判断されることはないだろうが、俺のように実戦経験が帝王では少ない一年となると紅白戦での結果は評価の拠り所としては大きいかもしれない。

 千紗姉の言うように一軍の最低ラインはこれまでの積み重ねで超えていれば確かに紅白戦次第になるとは思うが、さて。


 俺の話題もそこそこに、喜沙姉がアイドルだということを思い出して、聞いていなかったことを口に出していた。


「そういえば喜沙姉ってどうしてアイドルになったわけ?母さんに影響されて?」


「それはそう。芸能界は知ってたし、お母さんの下なら安全かなって思って。あとはそう。早く大人になりたかったの」


「大人に?」


 芸能界に入ることと大人になることにどんな因果関係があるんだろうか。子役というのもいるんだから芸能界に入ることが大人になることに直結するわけでもないし。


「お金を稼ぎたかったことが大きいかな。いくらお父さんの遺産とお母さんの稼ぎがあるからって、ウチは母子家庭で子供も四人でしょ?お母さんだけじゃ大変かなと思って。アルバイトをする気はなかったし、芸能界には興味あったの」


「俺の野球でもお金が必要だったわけだ」


「うん。トモちゃんも聡い子だから言っちゃうけど、推薦で入学費とか免除になってもお金は結構かかっちゃう。お母さんの稼ぎは十分あるけど、それでももしもがあった時にないと不安だからね。お金って」


 遠征費やら消耗品やら、それこそ汚れたユニフォームを洗うための洗剤のお金とか、考え始めるとかなり細かい出費がある。帝王は合宿で沖縄に行ったりしないので強豪校でもマシな方とは聞く。高校によっては三年間で一千万かかるところもあるのだとか。

 家が建てられる金額と聞いただけで、鳥肌が立つ。


「あとはそうだなぁ。可愛くなりたかったの」


「昔から美少女の喜沙姉が何言ってるんだ」


 天然なのか?全国の女子を敵に回したぞ、今。

 ウチの三姉妹は幼少期から近所で評判の美少女だっただろうに。そんな三姉妹より可愛かった女の子なんていなかった。

 母さん関連で芸能界の女の子を見てきたけど匹敵する女子なんて片手で収まるほど。芸能界の外に羽村由紀という規格外の美人さんもいたわけだけど。


「トモちゃんがそう褒めてくれるのは嬉しいけどね。……うん。女の子として可愛くなりたかったんだ」


「……よくわかんないな。喜沙姉が綺麗系だってのとなんか関係ある?」


「ないない。そうだなぁ。なんて言えばしっくりくるだろ?……『一番の女の子』に、なりたかったんだ」


「何?芸能界でトップに立つつもり?」


「それもわかりやすいかも。私はこんな女の子ですよって、アピールしたかったのかなぁ?」


 それが動機ってのもどうなんだか。

 本人が楽しんでるんだから、止めたりはしないけど。危ないわけでもないし、何かあればすぐに母さんが介入する。母さんの力なら危ないことから守ってくれるだろう。

 そんな雑談をしている内に耳かきは終了。本来の目的であった柔軟もやっていく。

 今日も疲れたから、この柔軟が終わればさっさと寝るつもりだ。


「あ、トモちゃん。美沙ちゃんにお返しのチューしたんだって?」


「一週間も前のこと蒸し返す?」


「私寝ちゃってたからなあ。というわけで、んちゅ」


 柔軟終わりに右頬にキスされた。本当にブラコンだなあ。

 お返しをしちゃう俺も大概だけど。


「ふふ。ありがと」


「この調子じゃ千紗姉にもする羽目になりそうだ……」


「ダメダメ!千紗ちゃんはこの一週間トモちゃんを独占したんだから、これ以上は過剰だよ」


「独占って。一緒に部活やってただけじゃん」


「それでもダメなの」


 よくわからん。

 アイドル様の天使のような微笑みを見て、俺は何も言い返せなかった。

 クソ。確かにこんな笑顔を見せられたら全国のファンや野球部の奴らが熱狂するのもわかる。頬を染めた笑みとか、家族の俺でもドキッとしてしまった。心臓の鼓動も速くなるほど破壊力は抜群だ。

 だからって出禁リストの緩和はしない。気持ちがわかることと出禁は話が別だ。


────


「あ、美沙ちゃん。美沙ちゃんの言う通りにしたら本当にトモちゃんがお返ししてくれたよ」


「お兄ちゃんはその辺りしっかりしてるからね。千紗ちゃんにはそんなご褒美あげないもん」


「ふふ。二人だけの特権ね。ベッドも今日は私たち?」


「うん。千紗ちゃんも疲れたって。お兄ちゃんの部屋にいなければ大丈夫」


「じゃあ行きましょうか。今日は私が左側でいい?」


「良いよ。お姉ちゃん、いつも右側だもんね」


次も三日後に投稿します。


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