2ー2ー4 決勝・加賀商業戦
五回の裏、加賀商業の攻撃は八番セカンドの朝日から。右打席に入って、軽く打席の土を足で均していた。先程の打席では悪球打ちでヒットを打っていたので、高めの釣り球は投げないとバッテリーは心に決める。平としてもこの回が最後なので全力で行くつもりだ。
残りのスタミナを考えず全力で投げていいというのはかなり楽だ。これが抑えとかであれば延長戦も鑑みてペース配分を考えなくてはならないが、スターターであるという認識からここで全ての力を振り絞っても問題なかった。
気力十分な平のストレートがアウトコースギリギリに決まり見逃しのストライク。ストライクを先行されたことで朝日は顔を歪める。
(同年代のピッチャー、それに宮下のように有名だった訳でもない。サウスポーとしては篠原先輩の遥か下だ!なのにどうしてこうも打てない!帝王に行くようなピッチャーは全員投球に自信のない二流ピッチャーばかりだろ!)
智紀という例外を除いて、帝王には他の学校ではエースになれず、大量得点の援護を貰えないと勝てない投手の集まりだと考える層が一定数いる。それはチームの特色として打撃重視だということと、実際に投手としての才覚に恵まれていない選手が集まった時期もあって、トータルで見たら投手陣の失点数は名門にしては高めだろう。
それでも名門であり、自分の実力に自信がなければ高校で投手を志願しない。いくら打てるチームでも、それ以上に投手が失点すれば負けるのだ。歴代の投手陣の成績が少し悪いとはいえ、名門に集まるのはそれなりの実力がある選手ばかり。
スカウトも専属でいることから、エースクラスの投手は他の学校と比べても遜色ない。リリーフ陣は確かにエース級がゴロゴロしているほど選手層が厚い学校ではないのも事実だったが、名門であることに変わりはないのだ。
甲子園に出場するような学校で、エースを目指して部内でも競い合い一番を目指す。そんな蠱毒の果てに選ばれた投手陣が、一般の高校と比べて選手層が落ちるかと言われたらそんなことはない。各学年に一人はエース級の投手が入ってくる上に、怪我でもしなければ帝王打線に揉まれて強く育つ。日頃から超強力打線と戦っている投手陣がやわなわけがないのだ。
特に平は智紀が早々に帝王に進学すると広く宣言したことで、智紀が居ても進学しようと決心した猛者たちだ。更に言えば三年生もいるのにベンチ入りを逃さなかった、帝王の中でも選ばれた投手である。
その平を、篠原がいたから決勝の舞台に立てている朝日が二流ピッチャーと罵ることは正しくない。
二球目はアウトコースとは真逆のインハイのストレート。思わず仰け反ったが、主審の手は上がる。当たってでも出塁しようとした朝日はインコースにかなり近付いて立っていたためにストライクゾーンのボールを避けてしまっていた。当たっても良いが当たりに行ったら死球をもらえないので避けるアクションをしたらストライクを取られてしまったのだ。
ベンチからは振れ!と怒鳴られる。四球と死球で出塁するのも立派な戦略だが、見逃し三振は打席に立っている意味がないと試合に出られていないベンチの三年生が檄を飛ばす。
三球目もストレートで、これは明確にアウトコースに外れる。朝日は反応したもののしっかりと身体を止めることができた。
そして四球目。セオリー通りならこの辺りで変化球が来ると朝日は考える。ストレートをこれだけ続けたのだからここでタイミングを外すのが常道だ。三種類も選択肢があるために悩むが、朝日はスクリューを待つことにする。それは同じチームにいながら篠原が投げられない球種。サウスポー特有の変化を見せるボールはいつもサウスポーを見ているから加賀商業には有効だろうと予測した。
捕手の高宮が、性格が悪いことは東東京でも有名になりつつある。だからこそお前たちはあまり見たことがないこのボールを投げれば打てないだろうと、鼻高々に言っている様子を朝日は想像した。
(ぜってえ打ってやる!これが篠原さんと一緒にやれる最後の夏なんだ。腕が千切れてでも打つ!)
そんな気概を持って構えた四球目。
高宮の返答は、そもそも変化球なんて要らないというもっと上の選択だった。真ん中低めに決まるストレートに朝日はタイミングが合わずに空振り三振に倒れた。
真ん中低めという結構神経を使うボールをしっかりと投げ込んだ平は三振の後に内野で回していたボールを受け取りつつこっそり溜息をついた。狙ったところにコントロールできて良かったと、そんな弱気な態度は相手には見せない。
続く打者は九番ライト野崎。ラストバッターだからと上位打線に繋げるために打率や出塁率が良いということもなく、打撃能力がレギュラーの中では劣っているためにラストに回されているだけだ。
その野崎もあっという間に追い込まれてしまう。そこからは粘って四球で出塁しようとバットを短く持ってカット打法を心掛けていたが、最後はドロップを引っ掛けてサードゴロ。
二アウトを取って一番井戸田が右打席に入る。井戸田としてはここで出塁して今からでもチャンスを作って篠原へ打席を回したい。バッテリーからすればこの回で篠原に回さなければどうとでもなると考えていた。
平は初球にドロップを投げる。これを井戸田は強打したが、レフト方向のファウルグラウンドにライナー性の打球で落ちて行く。三巡目ということもあり、平のボールに慣れてきたのはもちろんだが、高宮の配球についても予測が付けられていた。
性格が悪いというのは、要するに相手の意表を突くことが上手いということ。つまりは本人が考えていないような球種、コースをあえて選ぶことが正解だと井戸田は考えていた。
もちろん、高宮は打者の心が読めるわけではない。だから完全に相手の裏を突けるわけではない。それに投手自身のコントロールミスなどもあるので完璧にはいかない。井戸田が考えていることは被害妄想だ。
高宮はあくまでデータを元に配球を組み上げてリードをしているだけ。そしてたまにあえて決め球に相手の得意なコースに苦手な変化球を投げさせる、というような嫌がらせをしているだけだ。それが回り回って性格が悪いと言われる理由になっている。
高宮が本格的に正捕手として認知され始めたのはこの春から。春夏だけで話題になる程にリードが極悪なことは本人も認めているが、智紀と組んでいる時は割と王道なリードで勝負をしている。それで結果を出せてしまうので、回りくどいリードをせずにストレートで押す方法でどうにかなる。
むしろそこまで読心のようなことができるのは習志野学園の羽村だ。彼は類稀なる観察眼で状況を見つつ最適解を選んでいく。それがまるで思惑を読まれたように感じるために羽村のリードを気持ち悪く感じる選手が多い。
彼は割と王道のリードをしているのだが、打者の想定とは違うことをとことんされるので相手をしたくないと思われている。
(ドロップの後に、また続けてドロップか?緩急を使うなんて馬鹿正直なリードをするはずがないよなあ!)
井戸田はそう考えながら二球目をドロップに絞る。確かにドロップは来たのだが、低めから更に変化するドロップで、ストライクからボールに逃げていったために空振りをしてしまった。ボールは高宮の前でバウンドしてプロテクターに当てて止めたので高宮が土を手で拭いてから返球をする。
受け取った平もグラブを外して軽く拭いている間に、追い込まれた井戸田は次のボールを考える。
(くそ、狙い球だったから思わず振っちまった!向こうは遊べる立場だ。なら一球、それこそストレートで外してくるだろう。朝日の悪球打ちに驚いてたよな。なら明確に外すようなボールを打つのは想定外なんだろう。ストレートで外すなら高めかアウトコース。それに絞る!)
放られた三球目は、井戸田の予想通りアウトハイに外れるストレートだった。彼は届くと判断してバットを出す。バットの先だったがボールに届き、それはフラッとライト方向へ飛んだ。一塁線ギリギリだったこともあり柴は追いつけず、ファーストとライトの間に落ちるポテンヒット。
コースも球種も合っていれば上位打線ともなれば打てる。出塁したことに井戸田は大きくガッツポーズをしたが、高宮としてはそんな破れかぶれにならないと打てない打者だと程度が知れたという意味では別に問題ない結果だった。
交代前にヒットを打たれてしまったが、次こそ抑えれば良いと考えた。二アウトなので送りバントもない。
二番の栄に対して変化球で攻める。三球目のストレートが外れたところで高宮は目敏かった。中腰のまま一塁へ送球し、今日公式戦で初めてファーストを守る藪垣もよく反応して一塁ベースへ向かっていた。ランナーの井戸田も慌てて頭から一塁へ滑り込むが、高宮の送球がピッタリと一塁ベースの右横に到達する。
藪垣は来たボールをそのままミットに納めてランナーの手に当てただけ。一塁塁審はしっかりボールの流れを見ていたために力強く宣告がされる。
「アウトっ!」
珍しいアウトに球場はどよめいた。刺殺は盗塁死などもあるので一試合あれば何度か見るだろうが、一塁ランナーの飛び出しによるアウトはランナーのやらかしもあり、かつキャッチャーの肩が良くないと成立しない。
それにランナーの井戸田も慢心したつもりはなく、ただこの辺りで同点にしたくてピッチャーが投げた後のセカンドリードを大きく取ってしまっただけ。それをしっかり見ていた高宮が小さい動きで一塁へ矢のような送球をしただけ。
フットワークの反復練習もかなり積んでいること、そして肩の強さも二年生ながら部内二位ということもあって鋭く速いボールを素晴らしいコントロールで送ったことで成立した妙技。完全に立ち上がることもなく投げたのは肩の強さはもちろん、下半身の強さもなければうまくいかない。
アウトにした高宮とベースカバーに入った藪垣がお互いのミットを合わせながらベンチに戻ってきた。平もアウトにしてくれたことを喜び、高宮の背中を叩きながら戻っていく。
五回一失点。先発投手としては十分なスターターとしてマウンドを降りる。
「高宮って出て来たのは今年からだし、下位打線だから町田のコンバートの代わりとしか思ってなかったけどキャッチャーとしての能力高いよな」
「盗塁阻止率も高いぞ、あの強肩だからな。打率は帝王のレギュラーに漏れず四割近いし、春大会にはホームランも打ってるから打力は十分ある。というか、宮下のボール捕れる時点で高校生としては上澄みじゃね?」
「150km/hはもちろん、あの変化球全部受けられるんだもんな。そんなキャッチャーが必ずいるわけでもないし。ああいうクレバーな選手が捕手やってるのは監督としてはありがたいだろうな」
「町田がキャッチャーを辞めてから心配してたけど、宮下の同学年にあのレベルのキャッチャーがいるのは本当に大きいよ。もしかしたら投手宮下が見られなかった可能性もある」
「怖ぇ〜。そんなことにならずに良かったぜ」
高校では珍しいが、受けられるキャッチャーがいなくて投手を断念するような選手もいる。投手を諦めるまで深刻なことにならなくても全力で投げられなかったり、ウィニングショットを投げられないこともある。
智紀も下手したらそんな事態になっていたかもしれない。そういう事態を避けるためにも高校進学は早めに宣言していた。キャッチングに自信のある選手が来てくれることを願った結果、高宮が進学したのは感謝しきれない。
帝王は名門なので佐々木のような捕手も入って来てくれるが、それだって結局は運だ。智紀が何も言わなければ同年代に捕手がいなかった可能性もある。高宮も推薦を受けていたので智紀が宣言をしなくても帝王に進んだだろうが、打てる手は打っただけだ。
平はダウンのキャッチボールを始める。それを見て加賀商業も観客も平が降板することを知る。となると次に投げるのはブルペンで準備している城野だ。
試合が動きそうな気配がした。




