3ー1ー2 春季合宿
いつもとは違う朝。
「お兄ちゃん。忘れ物ない?」
「ああ、大丈夫だ。昨日の夜にもう一回確認したから」
木曜日の早朝。朝ごはんを食べながら美沙と確認し合う。今日から始まる合宿で必要なジャージやタオルなど持っていく物の確認だ。キャリーケースも朝一で一階に降ろしてある。
今日から来週の火曜日まで、通い組も寮生活をして野球漬けになる。学校生活はもちろん続けるけど、相当詰め込んで野球をやるとか。
一週間近く帰ってこないからか、特に会えない美沙が昨日はベッドに潜ってきていた。喜沙姉も会う頻度は少ないはずなのに、まさかまさかの昨日は出演したドラマの打ち上げパーティーがあったようでそれに掛り切り。
昨日帰ってきてそのまま倒れるように眠りについたらしい。今も熟睡していて大学の二限の授業から出るのだとか。
俺も家を出る前に一言くらい言っておこうと思ったけど、ぐっすり寝ていたからやめておいた。
母さんは、いつも通りいない。
軽めの朝ごはんを食べ終わって、今日はいつもより早めに家を出る。日課のランニングもしなかった。早く学校に行って荷物を置いて、それから練習をするために。
この一週間は本当に練習が始まるのが早い。六時十五分には始めるということ。
食べ終わって歯磨きをして、千紗姉と家を出る──前に、美沙に呼び止められた。
「お兄ちゃん、待って」
「どうした?」
用事を聞く前に美沙に頬を抑えられて、触れるだけの頬へのチューをされた。この前母さんが言ってたやつをやらなくても。
いきなりそんなことをした美沙に驚いたのか、眠気まなこだった千紗姉が覚醒して目を開いていた。
「当分会えないからね。行ってらっしゃいのチュー」
「はいはい。行ってくるよ」
お返しとばかりに美沙の頬にも軽く口付けを。それをした瞬間千紗姉に掴みかかられた。
「あたしには⁉︎」
「千紗姉には毎日会うんだからするか」
「んなっ⁉︎じゃあ喜沙姉がいたらしたわけ⁉︎」
「したんじゃないか?いないからわざわざしようと思わないけど」
「〜〜〜〜っ!行くよっ!」
「行ってらっしゃーい」
千紗姉に引っ張られるように家を出る。珍しい。いつもと配役が逆だ。
俺だけ大荷物で学校へ向かう。寮は二人部屋を使うようで、唯一一年生で俺以外の通い組、仲島聖と寮生活をする。三年生の田中先輩に案内されて寮の部屋に荷物を置く。仲島も来ていた。
田中先輩から鍵も預かって、仲島が持ってくれることに。
早速グラウンドに行って準備運動を各自行う。アップは全体でやるわけじゃない。
朝からバッティング練習だ。ポジションごとに打っていき、ピッチャーは最後。それまでは外野守備をやるように言われている。
さて、合宿の始まりだ。
────
「ハァ〜〜〜〜〜。アレは反則だって……」
智紀と千紗が出て行った後の玄関で。
腰を抜かした美沙が床だとか関係なく尻込んでいた。
右の指で自分の唇をなぞって、左手の指で智紀にキスされた頬に触れている。
彼女からやることは前から決めていたが、まさか同じことを返してくれるとは思っていなかった。
「ふふふ……。やっぱり唯一の妹ってアドバンテージ凄いんじゃ……?お兄ちゃんの唇もほっぺも柔らかかったなぁ……。一週間なんて余裕で生き抜ける……」
そんな限界少女になっていた美沙。
今日のところは喜沙に伝えず、いつも通りの朝を上機嫌で終わらせる。
なお、帰ってきた千紗によって喜沙にも伝えられて抜け駆けズルイ!という感じで批判を受けたが。美沙はどこ吹く風、嬉しそうに微笑んで二人の言葉は右から左に聞き流していた。
────
「なんや。合宿ゆうても大差ないな」
「そりゃあ初日の朝練だけならそうだろ。俺は朝飯で寮を使う新鮮さに感動してる」
朝練後の食堂で。いつもの四人で集まって食事をとっていた。朝から丼ぶりで二杯ご飯を食べなくてはならなかったが、朝は軽めにしておいたので十分食べられそうだった。
練習量が高校に上がって増えたからか、食事量も増えた。これが筋肉とかに変わるんだから食事って偉大だ。
三間のバカな発言は置いておいて、食事を続ける。
「いやいや、変化あったろ。一年全員打撃も守備も参加してたじゃねーか。A・Bグラウンドフル回転だったぞ」
「そうだね。僕たち二軍以外の一年生は喜んでバッティングとかしてたよ。招待試合とかでも裏方だし、いつもは走ってばかりだからね。合宿とはいえ基礎練じゃないのは嬉しいんでしょ」
「ま、そうやな。放課後練は守備しこたまやって、最後は走りまくるらしいし」
高宮、千駄ヶ谷、三間が喋りながらも完食していく。他の一年生も続々と食べ終えていく。二ヶ月近く経てば食生活にも慣れるか。
学校に行けばどうやら全校生徒が野球部の合宿について認知していて、朝から盛大に話しかけられた。クラスに野球部が俺と千駄ヶ谷、あとはマネージャーの木下さんだけだからか、男二人が特に囲まれる。
「この合宿が終わったら予選のベンチメンバーが発表されるんでしょ?二人は選ばれそうなの?」
「ベンチメンバーって何人だっけ?」
「二十人。甲子園では十八人だな」
「二人って一年生の中で二軍に上がってる数少ない四人でしょ⁉︎ならきっとベンチにも入れるよね!」
こんな感じで姦しい。男子は遠巻きに応援してくれるだけなんだけど、むしろ程々な距離感が嬉しい。女子は野球部の事情に明るいのか疎いのかよくわからない感じで話しかけてくる。
朝練だけならまだ疲れてないけどさ。授業始まるまでは休ませて欲しいんだよな。
女子が騒がしいことにも慣れてきたけど。
こういう女子を見ているからだろうか。あまりにも美沙が可愛くて、お返しにいつもやらないようなほっぺにキスなんて今朝やってしまった。
実の妹にあんなことするなんて、俺も大概シスコンだよなあ。
思い出したら顔が熱くなってきた。
「あ、宮下くん顔赤いけどどうしたの?もしかして照れてる?」
「ごめんごめん、近かったかな。でも珍しい表情で可愛い!」
「写真撮っていい⁉︎」
「千駄ヶ谷、助けろ……」
「まあほら。有名税みたいなものだから」
一層煩くなる女子たち。音楽プレイヤーとか持ってきてイヤホンで耳を塞ぎたいけど、学校に持ってくるのは禁止だ。寮なら禁止されていないけど。
帝王は案外、持ち物については厳しい。寮ならある程度見過ごされているが、学校と寮は切り分けろというお達し。制服の丈とか染髪は酷いものじゃなければ許されているし、茶髪くらいならそこそこいる。
運動部で染めてる奴は珍しいけど。野球部にはいない。
写真は撮られる前にいつもの仏教面に戻して、そこそこ会話もして授業の準備に移る。
いやほんと、中間テスト終わってからで良かった。これでテストもやって合宿もってなったら身体がもたない。
七月の上旬には期末テストがあるが。だから授業も気が抜けない。
勉強の時間をできるだけ除外して野球に集中したいがために。
授業は嫌いな数学もあったが、なんとか寝ずに過ごした。
次の更新は水曜日予定です。
感想などお待ちしております。あと評価とブックマークも。




