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ウチの三姉妹が俺の青春へ介入してくるんだが  作者: 桜 寧音
八章 秋大会を駆け抜けて
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3−4−2 秋大会準決勝・武蔵大山戦

井上というスラッガー。

 そもそもとして、井上剛という人間は天才と呼ばれるような選手ではなかった。今では天才だとか、世代を代表するスラッガーだとか呼ばれているが、井上は中学まで無名の選手だ。その存在を知っていた人間は極少数、一応井上は所属していた中学の部活動で地区代表に選ばれたのでコアな人間なら知っていたかもしれないが、他の天才と呼ばれる人間と比べたら埋もれていたと言ってもいい。

 その地区代表に選ばれて、代表戦で関東大会まで進んでいるので経験は積んでいる。しかし部活動のチームとしては中学校が子供不足の田舎の学校だったため毎回一回戦負けだった。そのため三年生の際に関東大会に出て活躍したために知っている人もいる。


 だが言ってしまえばその程度。武蔵大山に推薦で入れるわけもなく、井上は武蔵大山に一般入学で入っている。ほとんどの推薦に関しては関東大会に出れば入学に関して色々便宜を図ってもらえる。しかし地区代表というのは公式戦ではなく、井上のように個人の実力があってもチームの力が足りなくて活躍できない選手のための救済措置に過ぎない。

 そんな非公式の大会では評価に値しない。井上はただの選手として入学し、最初認めたのは幼馴染の米川だけ。


 一年の夏から背番号七をもらい、主軸として活躍したことで同年代にも知られ始めて、全体的にも有名になった。どこにこんな逸材が眠っていたのかと話題になったほどだ。

 才能という意味では幼少期からあった。身体も大きく育ち、打力はもちろんのこと人手不足でチームではピッチャーを努めて、そこそこできていたために野球選手として神様に愛されていた。


 もう一人の主役たる米川も幼少期から指の器用さを発揮していてリトルの頃から多様な変化球を投げていた。米川の父親が転勤になり、千葉の端っこから引っ越すことになって二人は離れることになった。その頃にはとっくに大親友であり、高校でも一緒に野球をやろうと約束するほど仲良しで東京で合流しようと決めていた。

 二人は習志野学園に憧れていたが、東京に引っ越したら入れないと知っていたのだ。この近辺で野球をやるなら寮も整っているだろう東京で甲子園を目指すと誓う。


 米川が引っ越す場所が西東京だったので九歳の時の東東京の甲子園出場校、武蔵大山で再会しよう。そんな口約束を守れるほどに実力をつけて井上は単身武蔵大山へ殴り込んできた。

 どこの強豪校も、新入生で注目するのはわざわざ推薦を出した選手だ。そしてそれ以外の選手の中にも掘り出し物がいないかと入部直後のテストをして、そこで井上は驚異的な結果を見せる。当時の三年生が投げるボールを軽々しく何本も柵越えさせてみせたのだ。


 これには誰もが度肝を抜かれて、即座に練習試合などで起用されていく。そして並み居るレギュラーを押し退けて一番打者として甲子園で暴れる。

 井上がそこまで成長できたのは米川の存在が大きい。入ろうと思っていた武蔵大山はかなりの名門校で家の関係でシニアにも入れなかった井上は自分の実力を伸ばすしかなかった。


 一方米川はしっかりと有名なリトルとシニアに進んでしっかりとした指導を受けて変化球の申し子として成長していき、二年生の頃から活躍してシニアで関東大会に出場している。米川の活躍を雑誌や直接の連絡によって知っていた井上は負けていられないと打者としての能力を伸ばしていった。

 米川という絶対的なエースがいたためにチーム事情でやらされている投手はそこそこに、打つ走る守るを優先した結果地区代表で起用された外野手として猛威を振るった。軟式とはいえ地区の代表格ばかり集まるチームで四番を任されて実際にあまり飛ばない軟式でホームランを量産していったことから知る人ぞ知る選手ではあった。


 彼の異色なところはイメージ力と習得力の高さだ。彼はずっと米川の多種多様な変化球を打つイメトレをしてきた。実際に見ていないのにどんな変化球でも対応できるように身体を作り、それを実行できるようなツイスト打法を習得。動画で見た指導方法だけでツイスト打法を覚え、それを実践レベルまで鍛え上げた実績がある。

 井上は打席に向かう前に今まで智紀が投げていたボールと映像で見たボールの軌道を思い浮かべ、打席で実際に見える軌道にイメージを修正していく。


 井上はスタンドを確認していないが、そこに自分の彼女である一つ歳上の元マネージャーと、米川の彼女であり自分の妹であるマユがいることを知っている。

 別に二人のために活躍しよう、なんて考えているわけではない。今はむしろ米川のために打とうと考えているだけだ。二人の女性については日頃からの感謝を抱いているだけ。ただ負けている現状で心配をさせてしまっていることはわかった。


 なにせ武蔵大山は何度も甲子園に出たことがある名門だ。ベスト四で終わってしまえば条件が厳しい春の選抜には選ばれない可能性が高い。確実に甲子園に出るには優勝という結果が必要だ。

 その甲子園への道のりに現れた、最大の障害。東東京なために春と秋くらいしか戦わない難敵。

 去年はいなかった歳下の魔王。宮下智紀が君臨しているのだ。

 井上とて、既に高校通算六十本以上のホームランを打っている凄い打者だ。帝王のスラッガーだった倉敷が甲子園を含めてようやく五十本を超えたことを考えると、まだ春夏が残っている井上なら相当良い数字が期待できる。


 今日智紀から高校で初めてホームランを打ったとはいえ、次も打てるという自信はない。ストレートに対応できたことは日頃の努力が実を結んだこと、あとは三番ストレートだったことが大きい。智紀のストレートの中では速いだけで一番普通のストレートだ。これが他の二つのストレートだったら打ち上げていたことだろう。

 今井上に降り注ぐ重圧は凄まじい。なにせ智紀から打ったヒットは井上のホームランだけ。状況は九回、一点差。都合の良いことにランナーがいるためにホームランで逆転できる。裏はあるものの、この回に点を奪えなければ負けだ。


 しかも今日は智紀対策として井上の打順を弄っている。一年の夏が終わって新チームになってから井上は不動の四番だった。その不動が今日終わったのだ。智紀のために終わらせたのだ。一回でも早く多く井上に打順を回す。その采配がズバリ当たった形と言える。

 打席に入る際にベンチの米川の姿が見えた。その米川は笑っている。口の動きを見れば「楽しめ」と言っているようだった。


(楽しめ、ねえ。キャッチャーが変わって本調子になった天才に、楽しむ余裕なんてあるか?最終回なのに疲れは見えない。コントロールは荒くなってるが、それくらいだ。闘志っていうか、そういうもんは二回から全然変わってねえ)


 初球。

 一番ストレートがアウトコースギリギリに入る。アンパイアは手を上に、井上は笑うしかなかった。さっきまでコントロールが悪かったのに短い時間のタイムで修正してきた。速度も回転も軌道もコースも完璧なボールを最終回に見せられたら相手だとしても笑みしか出ない。


(ああ、なるほど。これは楽しまなくちゃ損だ。米川クラスの投手なんて滅多にいない。しかもタイプは真逆、速度だけなら現役高校生最速。ストレートの質で言えば日本最高クラス。変化球、特にチェンジアップはシュンが言うように魔球だった。──悪いな、皆。オレにチェンジアップは打てない。もし来たら捨てるぜ)


 そんな諦めを心の内でする。腕の振りがストレートと同じで、速度差はありすぎて落ちる。そんなボールを打てるイメージができなかった。

 だが他の変化球ならどうだろうと、井上は今一度智紀のボールを思い出す。

 昨日の夜、彼女の犬山(いぬやま)千晶(ちあき)と一緒に智紀の映像を全て見ていた。彼女が編集してくれた映像と分析結果から智紀の正体不明の新球についても予想が立てられていた。


 ジャイロ回転の落ちるボール。だがフォークではない。となるとジャイロスライダーだけだ。

 あれなら打てるだろうかと考えているところでシンカーがアウトコースに外れる。元からあまりシンカーを投げない智紀だったので、今日は一段と少ないとは井上でも気付いていなかった。キャッチャーの高宮は撒き餌としては十分だと考えて次のサインを出す。


(思い出せ。千晶さんが解析してくれたジャイロスライダーを思い浮かべろ。ここまでほとんど使っていないからまだ未完成なのか、奥の手なのか。そのどっちかだ。この打席で使ってくる可能性が高い)


 そう考えてしまうのが一般的な思考だ。

 だからこそ性格の悪い高宮はこの打席でジャイロスライダーを使うつもりがなかった。

 三球目。

 井上は速いと感じ取れた。ただの勘だ。


 そしてジャイロスライダーに照準を合わせていたが、違うとスイングを修正する。落ちるボールを掬い上げるアッパースイングから、水平なスイングへと修正する。その修正力は後ろから見ていた高宮は驚きを隠せない。

 140km/hを超えるボールが指から離れてミットに届くまで一秒を切る。その間に修正するなんて本来は無理だ。

 だと言うのに井上は真横に曲がるボールへ、アジャストして見せた。


 打球は水平に飛ぶ。ライトへライナー性の打球が飛び、ライトの柴が追いかける。打球はフェアゾーンギリギリを浮かび続けている。柴は予測した打球から下がり続ける。下がるものの打球速度が速かったことと、その軌道から足を止めてしまった。

 ゴイィン!と歪な金属音が聞こえる。外野席は解放していなかったために無人の座席があるだけだったが、その座席を破壊する音が球場に響いた。

 その破壊した席があったのは、外野スタンドだ。それが示すのは。


「は、は、入った〜〜〜〜⁉︎」


「あの宮下から二発!逆転だ!」


「なんだよあの打球!ずっとライナーのままぶち刺さりやがった!」


「143km/hのボールだぞ⁉︎体勢が若干崩れて持っていくって、どんな体幹してんだよ!」


 井上はゆっくりとダイヤモンドを周り、ベンチで祝福を受けた。全員に身体の至る所を叩かれて、その上で米川にこんなことを呟く。


「わりぃ、楽しめなかった。なんか身体が反応したらこんなことになってた」


「ホント、ツヨってわけわかんないことばっか言うよな。何でスイングが崩れてたのにホームランが打てるんだよ?」


「なんか高速スライダーってわかって、間に合わせた。まあ、千晶さんの愛ってやつだな」


「いや、確かに昨日は二人でめちゃくちゃ映像見てたけど……。試合中に愛なんて単語を聞くとは思わんかったわ」


 米川の言葉に全員が頷く。

 井上と犬山のラブラブっぷりはそれこそ同じ部にいたので良くわかっているし、今も献身的に井上を支えていることに加えてデートに行っていれば井上の機嫌が良くなるのでわかりやすい。

 だがそのいちゃつきっぷりをまさか試合中に見せられるとは思っていなかった。

 もちろん当の片割れである犬山は井上の妹であるマユと抱き合って喜んでいた。他にも喜んでいる観客が多いためそこまで目立っていないが、会場の中で一番の笑顔を咲かせていた。


次も月曜日に投稿します。

感想などお待ちしております。

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