3ー3ー2 決勝・臥城学園戦
五回の裏、阿久津という投手。
五回の裏。一年生投手がマウンドに上がったことに球場は少しざわつく。二点のリードがあるとはいえ大事な決勝戦のマウンドを一年生に任せるという選択に度肝を抜かれたからだ。
帝王も準備をしている投手が智紀だけなので一年生に命運を託す両監督の判断を責めることはできない。もう賽は投げられたのだから。
阿久津はマウンド上で不敵な笑みを浮かべている。阿久津自身も智紀のように、こうやって投げ合える舞台を望んでいた。ベンチ入りして最初の大会でこんな幸運に恵まれたことを喜びながら投球練習をしていく。
長く投げるために智紀ばかりに集中していられないと、打者へ意識を向ける。一イニングでも多く競い合いたいと思った阿久津はロージンを使いながら好戦的な表情を浮かべ続ける。
彼は同年代の戦いながら世界を知った。世界には凄い打者がいるのだと何試合も投げて悟った。実際無失点で終わらせることはできなかったために、世界の頂というものを理解する。
その上での結論は、同年代で最強は同じ日本の選手だと導き出す。国際戦よりも日本チームでやった紅白戦の方が大変だったと感じている。結果としても優勝を果たしていて、智紀と羽村涼介という存在は特にズバ抜けていた。
そんな最強バッテリーを知ってしまったからか、阿久津は高校生と戦う時に一切緊張することがなかった。練習試合で強豪や名門と戦っても焦って自滅などはしなかった。その度胸を買われてベンチメンバーを勝ち取っていた。
(三年生、二年のアドバンテージがある?二年後の智紀や羽村、それに灘をイメージしたらどいつもこいつも圧倒的に下!ドラフト候補生だろうが何だろうが、あんなバケモノに比べたらちょっとスゴイ程度だろ!)
絶対の自信を持って阿久津は全ての選手を下に見ていた。一番上から見たらどれもこれも木っ端だろうと。
自分は頂点ではないと知っている。それでも、もっとスゴイ奴がいてそのスゴイ奴に追い付けない程度の相手に、自分が屈するわけにはいかないという、ある意味意地でこうも気持ちを昂らせ続けた。
投手は気持ちで負けたらダメだとわかっている。だからまずは闘志を保とうと考えた。どんな打者相手にも負けないようにする方法は、実際に上手い仮想敵を定めて、その仮想敵が自分の見ていない間にどれだけ成長したか、かなり盛って考えることだった。
ライバルを尊大にする。そしてそのライバルよりは下だから打ち取れると自信を漲らせる。これが阿久津なりのメンタル補正方法だった。
実際にそのライバルに出会ったら映像やその日の動きなどを見て修正する。これが阿久津の対処法。
智紀や涼介は他のチームとして。そして灘という目の前で実際に進化を遂げていくスゴイ奴という比較対象がいることでこのメンタル維持はかなりの成果を発揮していた。こいつらなら見ていないところでも自分の想像する場所まで登りつめる。そんな確信が持てたのでそこに到達できない才能しかない選手を下に見ることができた。
完全な御山の大将タイプ。シニアの頃からそんなキライはあったが、臥城に入ることで固まった。
もちろん、野球は才能だけで語れるスポーツではない。ラッキーパンチだってある。だが、この思考の凄いところはたとえ打たれたとしてもラッキーパンチだったと割り切れるところ。
完全試合、ノーヒットノーランなんて毎回できるわけがないと野球の歴史が証明している。だから打たれても、点を取られても、相手の運が良かったと。たまたまバットの軌道とボールが衝突してしまっただけだと切り捨てられること。
だから打たれてもケロリとしているし、マウンドを降りる時までずっと大胆不敵な笑みは変わらない。そして投げ終わった後に反省をする。
自分のスタイルを確立しているからこその強さ。球種もメンタルもきちんとした芯があるからこその実績を出せていた。
帝王の攻撃は九番レフトの三石から。帝王の二年生の中では一番の有望株であったとしても、阿久津からすればだからどうした、程度だ。
(さーて、オレのスペシャルが火を噴くぜ。五合目くらいの奴に足止め食らってるほど余裕があるわけねえ。オレも登り切らなくちゃいけないんだからな!)
キャッチャーの樋口のサインを見て阿久津は頷く。左手から放たれるそれは、ある種の芸術品。
阿久津の繊細な指先からしか現れない、七色を超えるスライダー。
(いけ!No.13!)
それはアウトコースに外れるボール。遠いと思った三石はボールの軌道を見るだけ見ようと見逃すつもりだった。いくら良く曲がるスライダーだろうとそこまで曲がらないだろうと思ったからだ。
だが、その思惑は裏切られることになる。
まるでブレーキが効いたかのように一気に、カクッと曲がる。その急激な変化に三石はバットを振れないまま声を上げてしまった。
「なっ⁉︎」
「ストライっ!」
スライダーが得意だとは知っていたが、そこまで大きい変化をするとは思っていなかったのだ。阿久津としては先制攻撃成功、と言ったところだ。
(ケケッ、驚いてやがる。さあ、変化の最大値を早速切ってやったぞ。ここから速度、変化幅、縦横の角度、ボールの軌道、回転。全部織り交ぜてめちゃくちゃにしてやる。百八式、とは言えないが多種多様なスライダーを見せてやるぜ)
阿久津は続けてカットボールのように速くて打者の手元で小さく曲がるスライダーNO.19を投げ込む。これに三石はどうにか当てるが、バットの根元に当たったためにボールはふわふわっと上がってサードファウルフライ。
カットボールにしても打者の凄く近い場所から抉るように変化したために合わせることが困難で、こんな不甲斐ない結果になってしまった。
フォークの落ちる地点──チェックゾーンと呼ばれるそれ──と同じく、曲がり始めが遅かったのでストレートと誤認して打ち損じたのだ。
その二種類のことを三石はネクストバッターサークルにいた間宮に事細かく説明し、その後は東條監督にも報告をしていた。
報告をしている間にも、阿久津は一番の早川へボールを投げる。スライダーにしてはチェンジアップのように遅くゆっくりと曲がるスライダー。一般的なカットボールに、縦変化が大きいスラーブ。
多種多様な球種に早川も苦戦していた。そんなに変化球を投げられる投手と対戦したことがなかったのだ。投手の投げる球種は高校生だと多くても五球種ほど。スライダー系統だけとはいえ、一球一球全部違う変化をされたら捉えるのも大変だ。
(クソ!まるで初めて投手をやってるような素人みたいなデタラメさだ!なのにフォームもリリースもしっかりしてるから余計に混乱する……!というか、これだけ全部投げて全部スライダーってどういうことだよ⁉︎)
早川が心の中でそう愚痴ることも仕方がない。投手の球種の割合は基本七割近くがストレートだ。だが阿久津は九割スライダーで、一割ストレートという割合。こんな滅茶苦茶な投手に会うのは初めてだった。
いくらデータでは知っていても、実際に対峙すると困惑は倍になって伸し掛かってきた。
そんな困惑を秘めたまま。
最後はストレートがアウトローに決まって空振り三振。131km/hと高校生の平均的な速度だがカットボールのような速いボールとスライダーなりに遅い球種もあって緩急があり、そのストレートも器用な指先から放たれる綺麗なスピンのボールでキレていた。
(へっ。これが日本しか知らない人間の限界だ。海外の同年代はオレのボールに対応して点まで奪ったぜ?)
一年前とは球種が増えたり自慢のスライダーの変化も大きくなったりと違いもあるものの、自分が打たれたということを考えるとこうして抑えられているからこそ相手はそこまで上手くないと判断していた。
これはある意味、歳上にも自分のボールが通じていると認める自身の源にもなっていたりする。
プライドを高めに保つということは打たれ強いということ。大きく崩れないための投手としての処世術で尊大になっているだけ。
二番の間宮には奇襲のつもりで初球にストレートを放ったが、それに上手く合わせられてファーストの頭を越えて長打コースになっていた。ライトの奥まで転がり、間宮は悠々と二塁に到達していた。
(スライダーの種類はやばいんだろうけど、スピードは全然速くない。回転は綺麗なストレートだが、それだけだ。監督の言うようにちゃんと懐に招き入れれば打てるぜ)
間宮はそう考えていた。
阿久津もこう思われることは自覚している。ストレートは必殺ではなく、スライダーを活かすためのボールだ。智紀からすればチェンジアップを狙い撃ちにされたようなもの。こういうこともあるさと割り切っていた。
長打を打たれようが、次を抑えればいいのだから。
打席に入る同じ一年生。三間を見る。
(……全然怖くねえぜ。一年前の涼介の方が圧もあった。どこに投げれば良いのかわからないほど、相対しただけで恐怖を覚えた。けど、こいつはそんな気がしない)
阿久津は自己分析を終わらせて投げる。
阿久津にできることは投げるだけ。スライダーを投げて投げて、投げ続けるだけだ。
高速スライダーに、変化の大きなスライダー。速度も変化量も並ながら回転だけが縦よりで打ったとしても飛ばないスライダー。
それを三間は打ち上げてライトの奥まで飛ばしたが伸びが足りないというか、浮きすぎたというか。ライトへの大飛球になってアウト。
しっかりと三アウトを取ってリードを守っていた。マウンドを降りる前に相手のブルペンにいた智紀に目線を向けると、智紀も視線を合わせて睨み返してきた。
ニッシッシと笑いかけてベンチに引き下がる阿久津。オレはやったぞと。お前のピッチングも見せてみろと挑発するようだった。
ピッチングを見る前に、恒例のグラウンド整備が入るために試合は一時中断。トンボがけとスプリンクラーを使った放水が始まる。
グラウンド整備が終われば、智紀がマウンドに上がる。
その最終調整は終わっていた。受けていた町田が中原へ今日の智紀の様子を伝えていく。
投手の当日の状況を鑑みて捕手はリードを考えなければならない。
最も智紀は投手として完璧な調整をしてきていた。高速シンカーがあまり曲がらないこと以外は最高潮と言える。
準備が終われば一年生投手同士の投げ合いが始まる。
次も木曜日に投稿します。
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