その8 ソルジャー
ステア達と別れた後、何事も無く無事に帰宅。疲れた身体をベッドに投げ出し、芋虫のように毛布に包まって惰眠を貪った翌日。
俺は自らが所属する労働者斡旋ギルドという組織まで足を運び、墳墓の調査依頼を終えたことを報告した。
終えたといっても、一方的に追い詰められて、命からがら脱出しただけだ。一応、ドジを踏む直前までに倒していた魔物のドロップ品や魔石、調査に関する報告書の類もきちんと提出したので、少なくとも悪質な依頼放棄とは見做されないはずだが……。
この件は他の調査パーティが戻り次第、その結果を見極めたうえで判断するとのことで、一旦ギルドが預かるという話に落ち着いた。
遅めの昼食を済ませてしまおうと、隣接された食堂兼酒場に足を運ぶ。
ギルド直営というだけあって、料理やアルコール類の品数は豊富だし、質もそれなりに高い。
ふと視線を巡らせれば、パーティを組んでいると思しき連中がまだ日も高いうちに酒盛りしている。
仕事を無事に終えて懐が温かいのか、豪快に飲み食いしているようだ。
報酬を受け取るカウンターの目と鼻の先に酒場があるのは、ギルド側の計算の内なのだろう。お金を得て、高揚した気分のままに、酒場で楽しく騒ぐ輩を見れば、誰の財布だって紐が緩もうというもの。
ギルドを経由して得た報酬を、飲食という形でギルドに還元させるという実に上手いやり口だ。
そんな、実にどうでもいい事を考えつつ、近づいてきたウェイトレスに日替わりメニューの注文を頼み、代金を手渡す。
そう待たずに出てきたのは、こんがり焼けた豚の骨付き肉にソーセージと焼いた芋のセット、葉菜の酢漬け、ポタージュ、切り分けられたバゲット。
まぁ、値段相応の無難な内容といえよう。質はそこそこ、量は満足といったところだ。
俺はパンをポタージュに浸してから頬張り、ふとステアの事を思い出した。
皿に盛られた骨付き肉を見て、思う。彼女はちゃん飯を食えているだろうか。
別れ際の、寂しさを無理に押し殺したような微笑がどうにも忘れられない。
やはり、断られるにせよ、声だけでも掛けておくべきだったか……。
「今更後悔したところで遅ぇよな……」
口から出ていく溜息。
胸の内で燻るモヤモヤした感情も、一緒に出ていってくれれば良いのに。
普段よりも幾分か味気なく感じる食堂のランチを黙々と咀嚼し、胃袋に押し込んでいると、
「相席失礼」
そんな言葉が聞こえたかと思いきや、見知らぬ青年が正面に腰掛けてきた。
一瞬だけ視線をやってみれば、さらさらの金髪と僅かに垂れ気味の碧眼が視界に飛び込んでくる。これまたとんでもない美丈夫だ。周囲の女性達が、うっとりと表情を蕩けさせている。
「どうぞ」
時間帯的にまだピーク時とは言えず、空いているテーブルは幾つもあるのだが、既に椅子に腰掛けてコーヒーを頼んでいる相手に「失せろ」などと言えるはずもない。
簡素に一言のみ返してから、食事に集中する。
わざわざ俺がいるテーブルを選んで相席してきたからには、何か話でもあるのだろうが、大概の場合は碌でもない用件ばかりだ。
気分を害する程でもないが、ゆったりと飯を食べる気は失せてしまい、心持ち急ぐようにして料理を口に詰め込む。
「貴方がタロウさんですね?」
ほらきた。
渋顔を悟られないように、ポタージュを啜って誤魔化す。
「僕はオーレリア王国第二戦技兵団副団長、ディアルドと言います」
王国戦技兵団……ソルジャーか。しかも副団長ということは、最低でもレベルは4以上。何かしらの上級職に就く猛者だ。
「回りくどいのは好きじゃないから、単刀直入に。今の段階で詳細は話せませんが、この度新設されることになった実働部隊の発足にあたり、貴方をスカウトしたい」
オーレリア王国戦技兵団。国が抱える正規の軍事組織であり、所謂、国軍である。彼らは通称として『ソルジャー』と呼ばれる。
ソルジャーは国家が保有する特殊な契約魔術陣により、副職として『兵士』を授かった者達で構成されている。これは天職が非戦闘職であったとしても関係なく、志願した者なら犯罪歴でもない限り誰でもなれる。
ある意味では、天職に恵まれなかった者達に対する受け皿的な役割を担っているといえよう。
「タロウさん、貴方の活躍は存じています。そして、非常に優秀な剣士でありながら、誰ともパーティを組まず、ソロで活動していることも」
「……」
「実に勿体無い。貴方ほどの人材が、"くだらないジンクス"に振り回されて窮屈な思いをされるなど、あってはならないことだ」
ディアルドと名乗った美丈夫の視線を受け止めつつ、俺は焼いた芋をフォークで突つく。
「フィールドワークにしろ、迷宮探索にしろ、ソロでは色々と限界があることはソルジャーの僕にだって理解できます。パーティを組んで活動するよりも、日当たりの稼ぎは圧倒的に悪い筈だし、何より命の危険が段違いだ。いざという時、誰も自分を助けてくれないという現実は余りにも重い――っと、どうもありがとう」
ディアルドはウェイトレスから差し出されたコーヒーを受け取りつつ、さり気無い微笑を添えて礼を述べる。
顔を赤らめたウェイトレスがトレイを抱えてパタパタと忙しなく去っていく後ろ姿を見送ることなく、再び群青色の眼が俺に向けられる。
「極度の緊張を強いられつつ、得られる報酬は微々たるもの……それを毎日繰り返すのは、とても辛いことだと僕は思います。いつ、心身共に限界が訪れても可笑しくない。そして、限界を迎えたツケは他でもない己自身に返ってくるというのもまた遣る瀬無い……」
言われるまでもない。俺だって、綱渡りをしている自覚くらいある。
「タロウさん、僕と共に来てくれませんか。その力を、是非とも国家の為、国民の為に役立てて欲しい。勿論、待遇は保証します。給金だって、貴方の実力に見合うだけの金額を提示させてもらいましょう。それこそ、迷宮をたった1人で探索して得られる程度の端金とは比べものにならないはずです」
まだ熱いであろうコーヒーを一息に飲み干したディアルドが、静かにカップをソーサーに置いた。
「――背中を任せられる仲間がいる環境……とても魅力的に思いませんか?」
「……」
良い話なのは間違いない。俺の実力を買ってくれるのは素直に嬉しいし、お金だって今の稼ぎとは比較にならない程貰えるのだろう。国のお抱えともなれば、福利厚生もしっかりと保証される。俺と同じような立場に置かれている人間ならば、是非もなく飛びついているだろう。
しかし――
「とても有難い話だが、丁重にお断りさせていただく。今はまだギルドを去るつもりはない」
「……理由を聞いても?」
ディアルドが俺の眼を真っ直ぐ見据えたまま、静かに口を開いた。その冷徹な瞳からは何の感情も窺わせない。
「――まだ何も成していないからさ」
そう、まだ何も成していない。
確かに今、俺が置かれている状況は苦しい。パーティを組んでほしくても、誰もが俺の"パーティ歴"を聞いて尻込みする為、常にソロでの活動を強いられている。
稀に、比較的仲の良い知人達からパーティに誘われることはあっても、それは仕事前に自分のパーティメンバーから欠員が出た場合のみ。あくまで、その場限りの数合わせに過ぎない。仕事が無事に終われば、報酬を分け合って『さようなら、また機会があればよろしく』だ。
翌日には、再び孤独な仕事が待っている。
今はまだほんの少しづつ貯金できる程度には何とか稼いでいるし、これまでちまちまと貯め込んできた貯蓄があるからいいものの、仕事中に大怪我するなどのトラブルに見舞われてしまえば、坂を転がり落ちていくように私生活は破綻していくことだろう。
それは理解している。如何に俺がハイリスクローリターンな日々を送っているか、重々承知しているんだ。
それでも、このままでは終われない。絶対に終われない。
少なくとも、あの"クソッタレ"をこの手でぶち殺すまでは……。
「目的があるんだ。それを遂げるまでは、ギルドを去るわけにはいかない……悪いな。でも、俺の腕を見込んでくれたこと、素直に嬉しかったよ」
「……なるほど。どうやら、貴方の意志は堅いようだ」
互いの視線が刹那の間、絡み合う。それで俺の決意を察したのか、ディアルドは微かに苦笑した。
そのままゆっくり立ち上がると、代金を置いていく……コーヒー1杯分にしては金額が大きいが。
「お時間を取らせたお詫びに、貴方の食事代くらいは払わせてください。それと、今回は縁がありませんでしたが、もし気が変わりましたら、いつでもお気軽に王城へ。歓迎しますよ」
最後にそう言い残したディアルドは、どことなく気品が垣間見える仕草で踵を返すと、優雅な足取りで食堂を去っていった。
密かに彼の様子を窺っていた周囲の女性達が、蕩けたような吐息を漏らす。
いやはや、イケメンってのは凄いもんだ。ただ、背を向けて立ち去るだけで異性の視線を釘付けにしてしまうのだから。
モテるという概念に縁が無さそうな男達が、忌々しげにディアルドを睨みつけている。まぁ、彼らの気持ちもわからんではないが、それでもあからさまに嫉妬の感情を叩き付けるのはどうかと思う。
男の僻みはさておき、モテる男というのも、それはそれで辛いものがあると思われる。
他人の視線を集めてしまうということは、それすなわち、他人から自分の一挙手一投足をつぶさに観察されているという事に他ならないのだから。
俺だったらストレスで頭がおかしくなるかもしれない――そんな詮無い事を考えつつ、通り掛かったウェイトレスに追加でエール酒を頼んだ。昼間から飲むお酒は最高です。
そんなこんなで、次の日。
独り暮らしには少々広過ぎるとも思える我が家にて。それなりのお値段をしただけあって、柔らかな安眠を齎してくれるベッドの上。
心地良い安眠から目覚めた俺の腕の中で、どこか見覚えのある『少女』が眠っていた。
小柄という言葉がぴったりと当て嵌まる少女は、人類の生命維持に必須である呼吸という行為すら、意識の埒外に吹き飛ばすほどの絶世の美貌を誇っていて。
貴金属の白金を思わせる長い髪を惜しげも無く俺の眼前に晒していた。
素っ裸で。
そして、俺の隣では、これまたどこか見覚えのある真っ黒い騎士が添い寝している。
フルプレートで。
「えっ……なにこれ」
――こうして、いつもとは違う、新しい"日常"が幕を開ける。
誤字報告ありがとうございました。