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その7 夕焼け空

 呪印石の内部に何やら複雑怪奇な紋様が浮かんでいき、それは溢れるようにカースドドラゴンの肉体を余さず覆い尽くした。

 逆鱗を破壊され、尚且つ、喉元に大きな穴を開けたカースドドラゴンはかなり衰弱しながらも頑強な抵抗をみせたが、トドメとばかりにグラムの剣に胸を貫かれ、力尽きたように石に吸い込まれていった。


 最後の足掻きとでもいうべきか、呪印石は淡く明滅を繰り返し、やがて静かになった。


「……終わった」


 空間が静寂に包まれる。

 極度の緊張状態が解けて、足腰から力が抜けていく。

 どっかりと地べたに座り込んでしまったあと、この際だからと大の字に寝転がる。

 この墳墓に来てからというもの、ずっと気を張りっぱなしだったせいだろうか。

 ここ最近にない程の疲労を感じていると、唐突に、得も言われぬ不思議な力が己の肉体を駆け巡っていくのを感じた。


 都合、三度ほど覚えのある、この圧倒的な全能感にも似た感覚は……。


「――成る程。君がずっと探していたのは、彼奴の逆鱗だったのだね」


 少女らしい鈴の音のような、されど不相応に落ち着いた静かな声音が聞こえたので、そちらを向いてみれば、両腕を失ったままのステアがゆっくりとした足取りで近付いてきた。


「確かに、呪印石の使用には呪屍竜の弱体化が必須。しかし、無数にある鱗の中から、たった一枚の逆鱗を探し出し、その破壊に全てを賭けるとは……豪胆というべきか、無謀というべきか……」

「ははは……」


 柔らかな苦笑を浮かべ、俺を見下ろす吸血鬼の少女。

 とりあえず、曖昧に笑って誤魔化した。なんとも気の抜けた笑い声になってしまったが。


「言ってくれれば、わたしが探したのに」

「何言ってんだよ。俺に流れ弾が飛んでこないように、グラムと二人掛りで必死に調整してたくせして。そんな状況で、どこにあるとも知れない逆鱗を特定するなんて器用な真似ができたのか?」


 さらに言えば、ステアは配下のグラムがその半身をブレスで溶かされて以降、彼が致命傷を負わないようにずっと気に掛けていたし、グラムはグラムで格上のカースドドラゴンと対峙するので精一杯だった。そこに「逆鱗の捜索もお願いします」なんて無茶振りを加えることなどできるハズもない。


「むぅぅ」


 ぷくぅっと頬を膨らませるステア。その端整な顔には、言い返したいが事実なので言い返せないといった悔しさを滲ませていた。


「ところで、その両腕は治さないのか?」


 吸血鬼といえば、不死身とも揶揄される、ずば抜けた再生能力を有している。四肢の欠損など、赤子の手を捻るよりも簡単に癒せてしまうはずなのだが。


「ああ、これかい? わたしの魔力も限界……というか、さっきの放出で使い切ってしまった。治すどころか、もう肉体を維持することも叶わんよ」

「は?」


 想定外の一言に、思考が硬直する。


「ちょっと待ってくれ、それって――」


 さっきの放出っていえば、あれか。俺に向いたカースドドラゴンの眼を引き付けてくれた時の……。


「全てはわたしの不徳だ。君が気に病む必要はないさ」


――つまり、俺のせいってことかよ。


 そんな俺の思考を読んだわけではないのだろうが、ステアはそう言って優しく微笑んでくれた。


「それよりも、君を護ると言っておきながら、結局は君の手を煩わせてしまったね。申し訳ない」

「いや、そんなことは――」


 その時になってようやく気付いた。よく見れば、彼女の失った腕の先と髪の毛から、さらさらとした細かい白銀色の砂のようなものが零れ落ちている。

 この現象は、吸血鬼に訪れる"滅び"の兆しだ。


「な……ッ!? 何をボーっと突っ立ってんだ! 早く俺の血を吸えっ!!」

「――」


 この言葉を想定していなかったのか、ステアの瞳が見開かれる。


「君は……自分が何を言っているのかちゃんと理解しているのかい? わたしは吸血鬼で、人類の天敵で、何よりもれっきとした魔物なのだよ?」

「だから何だってんだ!? あんた自身が俺の敵ってわけじゃないだろ!」


 戸惑うように口を開く吸血鬼の少女に対し、余裕のない俺はとにかく怒鳴ることしかできない。

 身体が動けば、腕を彼女の口に押し込んでやることもできたのだが、今は全身に力が入らず、それすら叶わないのだ。


「君が今そうして倒れているのも、元はと言えば、わたしがこの墳墓に封印されていたのが原因なのに? 全ての元凶といえる厄介者を助けるつもりかね?」

「最初に言っただろうが! この墳墓に来たのも含めて、全部俺の自業自得だって! あんたのせいだとか全く思っちゃいねぇよッ!!」


 動揺して揺れる彼女の双眸が俺から離れ、思った以上に近くにある『出口』を向いた。戦闘をこなす間に、大分移動していたようだ。


「感覚で分かる、外はもう目の前だ。そして、ここには魔物も入ってこられない。そのまま少し休息をとれば、君は無事にこの墳墓を脱出できるだろう。わたしを助ける意味は、もうないのだよ?」

「馬鹿かテメェはッ!! まだ助けられる恩人を見捨てて、俺だけ生き残れってか!? ふざけんなっ!!」


 嫌な思い出が脳裏で蘇る。

 恩人を見捨てる、そんなのはもう二度とご免だ。

 何が何でも、ステアには生きてもらう。俺の意地に代えても。


「恩人って……それなら、わたしにとっても君は――」

「……ッ!!!」


 俺の、筆舌に尽くしがたい苛立ちが伝わったのだろう。ビクッとステアが身を竦ませる。

 第六位階、それも特殊型。魔物世界の頂点に立つ存在が、たかがレべル3風情の"脆弱な人類"如きに身を竦ませるなど、とんだお笑い種だった。

 ここまで苛立ったのは、多分、今まで生きてきた中で数えるほども無い。まず間違いなく、俺の顔面は怒りで真っ赤になっていると思う。

 心の底から助けたいと思っているのに、それをあーだこーだつまらない理屈を述べて拒もうとしている少女に対し、俺はあらん限りの感情を込めて怒鳴った。


「ごちゃごちゃうるせぇんだよッ!! いいから早く吸えよ!! 死んじまうだろうが!?」

「……君は、吸血鬼の、それも『邪王』を世に放とうというのかな。わたしが世に出て、人類社会に害を為したら、どうするつもりだい?」

「その時はっ! この俺がっ! どんな事をしてでも、必ずあんたをぶっ殺してやるよっ!! 理解できたら、さっさと血ぃ吸えやッ!!」


 つまらない茶番だ。そんなこと、この吸血鬼の少女が望むはずもないっていうのは、これまでの会話や行動で確信している。


「――吸血鬼を助けようなどとは、君は実に愚かな人類だね」

「やかましい」


 皮肉を言いつつ、ステアが俺の上に跨る。

 柔らかな肉の感触と、確かな重みが……って、ちょっと待って。なんで跨るの。その位置は色々とマズイ。


「君が一切抵抗できないのをいいことに、わたしが血を吸い尽くしてしまうっていう発想はなかったのかな?」

「ないね」

「――っ」


 ステアの鮮血を凝縮したような紅い瞳を真っ直ぐに見つめて、即答する。


 そもそも、仮に抵抗できたとして、まるで意味を為さないだろう。力の差があり過ぎる。


 数拍の間をあけて、先に目を逸らしたのは彼女だった。ただでさえ暗いうえに逆光のせいでよく見えなかったが、何やら顔が赤くなっていたような……いや、気のせいだな。


「……ならば、遠慮無く吸わせてもらうよ。思い切りちゅぅちゅぅしてやる。今更後悔しても遅いんだからね」

「死なない程度でよろしく。俺は身体が動かせないから、グラムにサポートさせて手首を持ち上げるなり何なり、好きにしてくれ」

「その必要はない」

「へ?」


 言い終わるのが早いか、ステアがそっと頭を下ろした。

 そして、俺の首へ唇を寄せる。


「えっおまっ!? 首は確か……!」

「早く吸えと言ったのは君だ。ならば、これが一番手っ取り早い」


 ステアは素っ気なく答えたあと、俺の首筋を舌で舐める。

 唾液でマーキングするかのような獣染みた行為、その官能的な感触に頭がぼうっとする。

 そのまま、つぷりと牙が突き刺さり――俺は意識を失った。


 ――それから、どのくらい気を失っていたのか。


 風に揺らされ、木々がさざめく音で目が覚める。

 背中の硬い感触……どうやら地面に寝かされているらしいのだが、その割には妙に柔らかく温かいものが頭を包み込んでくれているようだ。即席の枕でも用意してくれたのだろうか。

 ぼんやりとしていた視界は徐々に明瞭になっていき、俺を見つめる紅い瞳と目が合った。


「やあ。お目覚めかな?」

「……ここは?」

「外だよ」

「外、か。……なるほど、道理で眩しいわけだ」


 差し込む陽光と、それを反射して輝く白金の髪が目に痛い。

 見れば、傾く陽射しに空は赤く染まっている。今は夕暮れ時らしい。

 墳墓に侵入したのが早朝だったことを考えると、それなりに長い時間潜っていたようだ。


「どうして君がこの古墳に侵入できたのかずっと疑問だったのだけど、外に出て合点がいったよ。墳墓に掛けられていた隠蔽の魔法式が、経年劣化で機能しなくなっていたのだね」


 ステアはポツリと呟いた。その表情は夕日の逆光を浴びて濃い影になっており、窺い知ることはできない。


「ここ、隠蔽されていたのか。街からそう離れていないのに、今まで発見されなかったのはおかしいと思ってたんだよ。納得だ」

「ん。吸血鬼達が念入りに調整した隠蔽魔法さ。そこらの人類に探知できるはずもない」


 そりゃ、誰も気付けないわけだ。

 ここが発見された当初、ギルド内で軽く騒ぎになったのを思い出したところで、ふと、ステアの両腕がちゃんと存在していることに気付いた。


「腕、治ったみたいだな。よかった……」

「――おかげさまで」


 嬉しそうに、耳元でそっと囁いてくるステア。優しく頭を撫でてくれる掌がなんとも心地良い。

 しばしの沈黙の後、俺は胸の内に溜まった想いを吐き出す。


「……俺……マジで生き残れたんだな」

「ん」


 今まで、冒険の中で何度も"死"を意識したことはある。

 だが、今回のは格別だった。これまで生きてきた中で最も濃密な死を感じた。

 改めて、この吸血鬼の邪王に感謝を……って、んん?


「今更だけど、なんか顔が近いっすね」

「膝枕しているのだから、当たり前だろうに」

「!?」


 驚愕の事実。なるほど、そりゃ近いわけだ。

 ならば、もう少し堪能させてもらうとしよう。

 あー柔っけぇ。


「おやおや……」


 くすりと笑うステアに気付かないフリをしつつ、俺は瞼を瞑る。

 爽やかな小風に吹かれ、前髪が揺れた。

 今はただ、五体満足で夕焼け空を拝めたことを喜びたい。


 ――その後、ステアの膝枕を堪能し、そろそろ拠点としている街へ帰ろうかと思い立った頃。


「君は、これからどうするのだ?」


 服に付いた埃を落としていると、ステアが何ともなしに話し掛けてきた。


「ん? 街に帰るけど」

「それから?」

「飯を食う。誰かさんのおかげで血が足りてないから、今日は肉だな。肉食って、酒飲んで、寝る」


 明日は斡旋所に顔出して、依頼終了の報告をしなければならない。といっても、報酬が貰えるかは微妙だが。結局、依頼内容である遺跡の調査はほとんど出来てないも同然だし。

 まぁ、カースドドラゴンを封じた呪印石を提出すれば話も違ってくるのだろうが、これについては、いずれ役に立つ時がくるかもしれないので、俺の懐に入れておくつもりだ。墳墓探索の証拠として斡旋所に提出したところで、入手の経緯について根掘り葉掘り詮索された挙句、何だかんだイチャモン付けられて没収されるオチしか見えないからな。


 あとは、ちゃんと『教会』にも寄らないと。


「……そうか。君は、君の日常に戻るのだね」


 ふんわりと微笑むステアだったが、その微笑は、俺の目にはどこか寂しげに映った。


「そういうあんたは?」

「わたしは……そうだなぁ……」


 ステアは顔を上げて、赤く染まった大空を仰ぐ。

 その瞳は、どことも知れない無限遠の彼方を見つめていた。

 その儚げな雰囲気に圧され、何か言わなくてはと意味も無く焦る。


 ――何だったら、俺と一緒に来るか。


 と、咄嗟に口を開きかけたところで、


「……わたしは、旅に出ようかと考えている」


 吐き出しかけた言葉を飲み込んだ。


「旅、ね」

「ん。気の向くままに世界を歩き回って、わたしにとっての"お気に入りの居場所"を見つけようと思う」


 お気に入りの居場所を見つける、か……。漠然としているが、そういうのもいいかもしれない。


「見つかるといいな」

「うむっ! ……まぁ、ひとつ当てがあるんだ。まずはそこを尋ねてみようかと」

「なんだ、ちゃんと行く宛てがあるのか」


 まぁ、ステアは仮にも吸血鬼の邪王なのだ。そういった方面での顔が広いのだろう。少しだけ安心した。


「さて、わたしはそろそろ行くとしよう」


 そんな科白が聞こえて、一抹の寂しさが胸に去来するが、"いつものことだ"と自分に言い聞かせた。


「そうか、元気でな――って」


 振り返り、ステアの服がボロボロであることに気が付いて、言葉に詰まる。


「――?」

「あー……これやるよ」


 俺は羽織っていた白いケープを丸めて、ポイッとステアに向けて放り投げる。


「いくら吸血鬼とはいえ、女の子がその恰好はあんまりだ。俺のお古で申し訳ないが、良かったら着てくれ」

「……感謝する」


 ステアはケープを胸に抱き、それに自らの顔を埋めるようにして、小さな声で礼を述べた。


「さようなら、どうか壮健で――"タロウ"」

「ああ、そっちこそ……って、吸血鬼に言っていいのかわからんけど。まぁ、細かいことはいいか。それじゃ、達者でな――"ステア"」


 夕日の優しい赤が、ステアの美しい横顔を鮮やかに彩る。


「ふふ……初めてわたしの名前を呼んでくれたね」

「それはこっちの台詞だよ」


 その言葉を最後に、ステアは踵を返した。のんびりとした足取りで、俺が拠点としている街の方向とは真逆に歩いていく。

 彼女の隣には、いつの間にかグラムが控えていた。今の今まであいつの存在を忘れていたが、どこにいたのだろう。……わざわざ知る必要もないか。


 その小さな背を見送って、俺も街へと足を向ける。

 真摯で優しい吸血鬼の少女。吸血鬼の邪王。生きていればいつか、またどこかで出会う日が訪れるかもしれない。


「確立は低いんだろうけど、さ」


 世界は広い。行く宛ても知れない2人が、再び相見える可能性はほぼ皆無に等しい。

 それでも、もし、また会うことができたなら。

 その時は。


「上等な葡萄酒でも奢ってやろうかね」


 そんなことを考えながら、俺は夕日に目を向けた。


 この、己の人生の中で最も特別な夕焼けを、決して忘れないように。


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