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その3 吸血鬼の邪王

「良ければ、君の名前を教えてくれないか?」

「あ、あぁ。太郎、だけど」

「タロウ……東の果ての地域独特の音だね。シンプルだけど、悪くない響きの名前だ」


 ステアと名乗った銀髪の少女は棺から身軽な動作で出てくると、簡素な黒いワンピースの裾を翻した。


「うぅっんっ……思い切り身体を伸ばせるというのは、やはり気持ちが良い」


 どれほどの長い期間、棺の中に閉じ込められていたのか。ステアは腕を上に真っ直ぐ持ち上げて、背筋を伸ばす。


「さて、と。約束通り、君を墳墓の外まで送り届けようと思うのだけど……その前にひとつ頼みがある。聞いてくれるかい?」

「頼み、ね。……死んでくれ、とかじゃないよな?」

「失礼だね、そんなこと言わんよ。ただ、ちょっとだけ血を吸わせてほしいんだ」

「あぁ、なんだ血か。それくらいなら別に――何だって?」


 むぅっと拗ねたように頬を膨らませるステアが、さらっととんでもないことを口走る。

 今、血を吸わせろと言ったのか、この少女は。

 俺の知る限り、人類は他人の血を吸ったりしない。

 棺に閉じ込められているから、少なくともマトモな人間ではないと思っていたが……まさか、この少女の正体は――


「察したようだね。そう、わたしは"吸血鬼"。月と闇、死を司る神アレコニルの子。君達のいう"魔物"さ」


 吸血鬼(ヴァンパイア)。第四位階の不死系高位モンスターで、吸血鬼種として完全に独立した系統の魔物である。

 ちなみに、第一位階のゾンビから第二位階のグール、第三位階のレヴナントを経て至る、第四位階のレッサーヴァンパイアという魔物も存在するが、あいつらは見た目と行動が吸血鬼種に似ているだけで、正確には全く種類が異なる魔物であると結論付けられている。

 レッサーヴァンパイアのことはさておき、吸血鬼といえば先に遭遇したデュラハンと同格の化け物だ。しかし、彼女はデュラハンを秒殺できると言った。だとしたら、同格というのはおかしい。もしや、彼女は、第五位階のノーブルヴァンパイアなのでは……。


「あと、隠していても仕方ないので先に教えておくよ。わたしは第六位階特殊型の『イモータルロード』だ」

「……なんだって?」


 第六位階の吸血鬼の王( ヴァンパイアロード)ならぬ、吸血鬼の邪王( イモータルロード)ときたか。

 お伽噺ですら語られない、伝説中の伝説。正真正銘の化け物。


「信じたくないという君の気持ちは理解できなくもないけど、残念ながら本当(マジ)だ。だから、君ひとりを守りながら墳墓を出ることなど造作もない。大船に乗ったつもりでいなさい」

「そう、ですか……」


 神アレコニルが定めたとされる魔物の位階で、最高位の第六位階というだけでも魂が召されそうなのに。その第六位階の中でも並ぶ者無き究極の変異体とされる特殊型とは……。

 彼女の話を信じるならば、俺如き、瞬きする間にさくっと殺せるのだろうな。ともすれば、自分が殺されたことにすら気付けないかもしれない。逃げ切るなど以ての外だ。それ程に地力の差が開き過ぎている。


 第六位階相手じゃ、油断しないように気を張ったところで無駄か。ならば、いっそ開き直ってしまおう。なるようになれ、だ。


「――っと、そうだ。血だったよな。いいよ、好きにしてくれ」

「……随分と素直だね。少しくらいは嫌がったり、怖がったりする素振りをみせるものだと思っていたのだけど」

「抵抗したところで、あんたの前じゃ無意味だろ」

「否定はしないよ。でも、その投げやりな態度は気に食わないね。わたしは別に、無理矢理君から血を奪おうなどとは考えていない。嫌なら断ってくれてもいいんだよ?」


 僅かに、不服そうな顔をして。吸血鬼の少女は、ぐいっと俺の顔を両手で挟み、自分の顔へと近付ける。

 途方もない剛力。微動だにできない。

 互いの吐息すら感じられる程にお互いの顔を引き寄せてから、ステアは静かに言った。


「君はわたしを信じると言ってくれた。だから、わたしはそれに全力で応えるつもりでいる。そして、先程も言ったが、決して君を傷付けない。これだけは忘れないでほしい」

「……」


 鮮血の如き真紅の瞳孔に真っ向から射抜かれて、言葉を失う。心の底まで覗かれそうな、曇りのない美しい瞳だった。


「……悪かった。あんたの正体を知って、流石に動揺を抑え切れなかった」

「うむ。脆弱な人類では無理からぬことだね。でも、わたしは嬉しいよ。必要以上に恐れず、形だけでも普通に接しようとしてくれる君の態度はとても好ましく思う」


 頰を指先でなぞるように離れていく少女の掌を眺め、ほんのちょっぴり惜しいと思ってしまい、何を馬鹿な事を考えているんだと頭を振る。


「――で、改めて尋ねるけど……君の血、吸っていい?」

「ああ、それは構わない。が、出来れば理由を教えてくれると心構えができて助かる」

「それもそうか。考えてみれば、いきなり血を吸わせろというのも不躾に過ぎたね」


 ステアはコホンッと軽く咳払いをすると、少しだけ恥ずかしそうに頰を朱に染めて俯いた。


「長いこと閉じ込められていたせいで、体内の魔力が枯渇しそうなんだ。棺の外に出られたから、いずれは自然回復も見込めるのだけど、今はとにかく飢えと渇きが酷くて、正直、辛抱堪らんのさ」

「魔力の枯渇が、飢えと渇きに直結する理由がわからないんだが……」

「単純な話だよ。吸血鬼は『魔素』を糧に生きる魔物なのさ。例えば、大気中に含まれる魔素とか、食べ物に含まれる魔素とかね。ちなみに、吸血鬼が人類の血を求める主な理由は、それが一番効率的に魔素を補給できるから」


 人類の血には魔力が豊富に含まれている――これは俺でも知っている。

 ステアが言うには、その血から魔力を抽出し、魔素に分解して吸収するというのが吸血鬼の食事なのだそうだ。ちなみに、魔素とは魔力を構成する大元となる物質で、有機物、無機物問わず、あらゆる物体が内包しているとされている。


「だからと言って、人類のように普通の食事ができないというわけではない。吸血鬼にも味覚はちゃんとある。効率が悪いから、普通の吸血鬼は敬遠するけど、わたしは人類の食べ物も好きだよ」

「へぇ、それは初めて知った。吸血鬼って俺達の食べ物も食えるんだな、意外だ……」


 知ったところで、何の役にも立つとは思えないが、自力では決して知り得ない吸血鬼の真実の一端を知れたのは、少しだけ嬉しかった。

 そんな俺の表情を見て、気分を良くしたステアが、鼻高らかに言う。


「これは豆知識だが、吸血鬼共通の好みとして"葡萄酒"がある。これは葡萄自体に魔素が豊富に含まれているというのもあるけど、何よりも人類の宗教家が葡萄酒を神デアナトースの血に見立てているのが大きい。もしも吸血鬼に襲われたら、上質な葡萄酒を差し出してみるといいよ。相手の気分次第では、見逃してもらえるかもしれないからね」


 おっと、これは意外と有益な情報なのではなかろうか。

 吸血鬼は珍しい魔物だが、決して出会わないと断言出来る程に無縁の存在ではない。

 大抵の場合、出会ったが最後、一方的に搾取されるしかない人類の身からすれば、葡萄酒を差し出せば見逃してもらえるかもしれないという情報は金一封の価値すらあるように思える。


「貴重な情報をどうも。でも、葡萄酒が神デアナトースの血を表しているからって、吸血鬼に何の意味があるんだ?」


 深い意図などない、素朴な疑問。

 それに対し、ステアはどこか恍惚とした表情で下唇の舐めながら、


「――究極の存在である神の血を嗜好品として戴く……これ以上の優越感を伴う贅沢など、他にないと思わないかい?」


 実に蠱惑的且つ、妖艶な笑みを浮かべた。

 ぞくりと肌が泡立つ。

 一見、俺に対して友好的に見えても、やはり彼女は紛れもない吸血鬼であり、魔物なのだ。

 人類とは、決して相容れない存在――


「……というのが、一般的な吸血鬼の持論だね。勿論、わたしにそんな気色悪い趣味はない。葡萄酒が美味しいという評価を否定する気は全くないがね――ところで、今の含み笑い、どうだった? わたし的には、中々に高位吸血鬼らしい"味"が出せたと思うのだけど」


 ステアはドヤッとした顔で、ほろりと男の涙を誘う薄い胸を張る。


「――フフッ」


 自分でも全く理解できないが、何故か自然と笑みが零れた。

 いや、理解できないなんて嘘だ。俺は確かに、彼女を、吸血鬼にも関わらず"好ましい存在"だと思った。


「ちょっと君? 何で今、鼻で笑ったのかな? 納得のいく理由を聞かせなさい」

「いや、悪い。深い意味はないんだ。気にしないでくれ。それよりも、ほら、血を吸うんだろ?」

「むぅー……」


 不服そうに眉を顰めて唸るステアだが、血の欲求を満たす方を優先したようだ。それ以上、追求してこなくなった。


「で、俺はどうすればいい。首筋でも晒せばいいのか?」

「手首を差し出してくれればいいよ。首筋から血を吸う行為は、自分が独占したいと思う異性の対象にしかやらないのさ。えっと、そうだね……人類風に考えるなら、求愛の意味も含まれていると考えてくれれば分かり易いかな? だからこそ、吸血鬼に首から血を吸われた対象は『眷属』にされるのだよ」


 ステアは物知り顔で人差し指を立てる。どこぞの博識な教授を気取っているような雰囲気だが、外見の幼さ故にまるで似合っていない。命は惜しいので口にはしないが。


「あぁ、言うまでもないけど、わたしは君を眷属にするつもりは一切ないから、安心しなさい」

「そうか。それを聞いて安心した」


 実を言うと、それだけが気掛かりだったのだが、ステアの口から否定されたからには大丈夫だろう。

 これなら、後顧を憂うことなく、血を差し出せるというものだ。


「じゃあ、どうぞ」

「ん、いただきます」


 差し出した左腕をステアがそっと掴み――


「――ッ!!」


 突如として心眼が発動。有無を言わせず、ステアを押し倒すようにして、前方に飛び込んだ。

 同時に、俺達の真上にあった天井が崩落し、そこから黒い巨体が落ちてくる。

 少し遅れて、硬い地面に金属が突き立つ異音が響いた。

 落下の勢いを利用して、黒い影は数瞬前まで俺達がいた場所に身の丈以上の大剣を突き立てたようだ。

 濃紺色の全身鎧に、黒いオーラ。頭と肉体が存在しない異形の騎士は、地面から大剣を軽々と引き抜くと、俺を睥睨するようにその場で仁王立ちした。


「こいつっ……俺を追い掛けてきたのか!」


 巻き込んだステアを傷つけないよう、衝撃を上手く殺しながら地面を転がり、即座に体勢を立て直す。

 すると、腕の中で大人しくしている彼女から、血の気が失せるほどの猛烈な殺気が立ち込めた。


「デュラハンか。よりによって、わたしの、本当に久方ぶりの食事を邪魔してくれるとは……この蛆虫め。絶対に許さんぞ」


 イモータルロードの静かな罵声を受け、ギシリとデュラハンが硬直し、僅かに後退りした。明らかにたじろいでいる。

 見れば、凝縮した鮮血の如きステアの真紅の瞳が、煮え滾る地獄の窯底のような暗い輝きを帯びていた。

 圧倒的な憤怒と殺意の波動――俺の股間にぶら下がったイチモツが粗相しなかったのは、最早奇跡に近い。


「――っと、すまない。怖がらせてしまったね」


 俺の恐れに気付いたステアが、そっと頬を撫でてくる。不思議な事に、たったそれだけで彼女への恐怖が掻き消えた。


「しかし、わたしが言うのも何だけど。イモータルロードの殺気を浴びて、怯えるだけで身を竦ませなかったというのは、脆弱な人類にしては中々凄いことだよ。賞賛に値する」


 外見通りの少女らしい声の高さに似合わない大人びた態度で、ステアはひとつ満足気に頷き、「誇りなさい。わたしが他者を褒めるなど滅多にあることではないのだよ?」などとのたまったところで、ふと動きを止めた。

 そのまま、何かを感じ入るかのように瞼を瞑る。心なしか、力んでいた肉体が弛緩したように思えたが……。


「ふぁ……それにしても、君の腕の中はとても心地良いのだな。このまま、君に(いだ)かれて微睡むのも悪くないかも」

「おい冗談だろっ!?」


 何やら、ひとりリラックスしているらしい。

 一人の男としては嬉しい台詞だが、時と場所と状況を考慮してはもらえまいか。

 デュラハンがこっち睨んでる、ような気がする。顔がないからわからない。怖い。


「ふざけてないで、早くあいつを何とかしてくれ!」

「むぅ……この温もりを手放すのは正直惜しいのだけど……。まぁ、仕方ない。彼奴が鬱陶しいのは確かだし、さっさと始末しようか」


 そして、俺の腕から身軽に飛び降りたステアは、人差し指と中指を突き出し、デュラハンへと向ける。


「では、わたしの食事を邪魔してくれた報いを受けてもらおう……『黒キ創造ノ繰リ手』」


 轟ッと漆黒の魔力が瞬時にデュラハンを覆っていく。

 人類種人族の身であり、ましてや、しがない剣士でしかない俺ですら、脂汗が背中をぐっしょり濡らす程の壮絶な"魔力量"だった。

 これが、腹ペコを訴えていた吸血鬼の本気なのか……。


「深淵魔法の真髄、とくと味わうがいい」


 デュラハンは抵抗しようとしたのか、少しばかり身動ぎするが、ステアの酷薄な視線を受けて再び硬直した。

 恐らくは魔眼。視線そのものに金縛りに近い効果があるのだろう。

 その間に漆黒の魔力はデュラハンを飲み込み、圧縮したと思いきや、蝋燭の火が消えるように、唐突に消失した。


 戸惑いを覚える前に、ポツンと佇む影に気付く。

 それがデュラハンの面影を残しただけの、全く別の"何か"であることを悟るまで、そう時間は掛からなかった。


「うむ、随分とスマートになったな。強さは、第五位階相当といったところかな? わたしの後ろに控えるには少々物足りないけど……ギリギリ及第点ということにしておこう」

「えっと、何が起きたんだ……?」


 俺の頭が、目の前の現実を理解できないでいる。

 いや、違う、理解できないんじゃなくて、単に信じられないだけだ。

 だって、そうだろ? まさか――


「簡単なことだよ。デュラハンをわたしの"下僕"とした。そのうえで、わたしが少しばかり"弄った"のさ」


 ずんぐり巨体の首無し騎士のデュラハンが、吸血鬼の手で漆黒の騎士に改造されるなんて、一体誰が想像できるっていうんだ。


 こんなのまるで、神の所業じゃないか。


「やれやれ……これでやっと食事にありつ……」


 そこから先の言葉が紡がれることはなく、ステアの身体がふらりと斜めに傾いた。


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