その20 エンカウント
何か来る、とステアが呟いてから少し。視線の先、暗がりの奥から四足歩行の大きな獣が姿を現した。
「ワーグか」
全身を覆う灰色の毛並みと身体を縦断するように生える逆立った黒毛が特徴の狼もどき。ワーグは鋭い牙を剥き出しにして、俺達を威嚇しながらゆっくりとこちらに向かってくる。
ワーグとの距離は歩幅にして凡そ30歩弱。俺が保有するアビリティのひとつ『殺界』の効果範囲内に捉える。
「数は1匹だけみたいだな」
アビリティ『殺界』は、俺自身を中心として、上方下方を含めた全方位の気配を察知する能力だ。背後や地中などの死角にいる敵の動作すら詳細に把握できるので、近接戦闘職である剣士にとっては非常に有用なアビリティである。ただし、意識が覚醒している間しか効果がないので、就寝中に奇襲されても即座に気配を察知して迎撃、なんて真似はできない。
まぁ、俺の場合は心眼がそれをこなしてくれるのだけど。
「こいつはわたしに任せてもらおう」
ぺろりと唇を舌で湿らせたステアは、掌をワーグへ向ける。
次の瞬間、俺の動体視力をもってしても目で追うのがやっとという速度で漆黒の矢がワーグの胸に突き刺さり、弾け飛んだ。
胸に大穴を穿たれたワーグは白目を剥いて地面に倒れ伏す。
「……今の魔法、闇魔術の『ダークアロー』にそっくりだな」
「うむ。昔、一度だけ人類の闇魔術を見る機会があってね。その中で最も威力が低かった術を真似てみたのだよ」
むふんっ! と胸を張るステア。
無詠唱のうえ、威力も本来のダークアローとは比較にならない程に高いが、そこらへんはアビリティの恩恵として幾らでも誤魔化せるだろう。これなら充分に、上位職ソウルテイカ―として周囲の目を欺けそうだ。
そんな会話の最中にも、ワーグの死体はゴボゴボと生々しい音を立てている。あっという間に赤い液体と化し、地面に吸い込まれるようにして跡形も無く消えた。
後に残されたのは、小さな魔石と綺麗に折り畳まれた毛皮だけだ。
「一匹目から毛皮を落としたか。幸先がいいな」
「そうなの?」
「ああ。ダンジョンに生息する魔物は死ぬとアイテムをドロップするのが特徴なんだが、これがまた中々落とさないもんでな」
正確には落とすのではなく、残すといった方が適切かもしれないが。
フィールドに生息する魔物、所謂フィールドモンスターと違い、ダンジョンに生息する魔物、ダンジョンモンスターは死体が残らない。
フィールドモンスターの場合、死体から魔石を含めた様々な素材を剥ぎ取ることができるのだが、ダンジョンモンスターではそれが叶わないのだ。
代わりにドロップ品という形で、斃した魔物の素材だったり何だったりがその場に残されるのである。
ただし、確実に落とすのは魔石だけで、他のアイテムはランダムドロップとなっている。
「ダンジョンモンスターは普通じゃ有り得ないアイテムも落とすから、そういうのを積極的に狙う冒険者もいる」
「ふむふむ」
俺は魔石と毛皮を拾うと、雑嚢に仕舞おうとして――
「それ。何だったら、わたしが預かろうか?」
「ん? 預かるったって……おまえ、雑嚢とか背嚢とか持ってないのに、どこに仕舞うつもりだよ」
「それは勿論、"この中"さ」
得意げな顔で指を鳴らすステア。
パチンッ! と、景気の良い音が響いたと思いきや、ステアは何もない空間に向けて、人差し指を横に走らせる。
何やら空間に罅が入っているように見えるのは、俺の目の錯覚だろうか。
ステアは得意げな顔のまま、空間の亀裂に手を突っ込むと、そのままガバッと強引に押し拡げた。
まるで、空間に特大の穴が空いたような光景である。
「こいつの名は『闇ノ次元貯蔵庫』。生命体だろうが何だろうが、どんな物でも収納しちゃう深淵魔法なのだ。収納したものは時が止まった状態で保管されるから、食べ物なんかは温度や鮮度を保ったまま保存できる」
似たようなアビリティで『鞄容量拡大』というものが運び屋という職業にあるが、あれよりも断然優秀だ。
唯一対抗できるとしたら、ダンジョンの宝箱から極稀に発見される『無量鞄』くらいだろうか。
「そのディメンションストレージとやらは、最大でどれくらいの量を収納できるんだ?」
「さあ?」
「さあって……自分の魔法だろうに」
「そんなこと言われても、実際に量った事ないんだもん」
呆れの視線を送ると、ステアは不服そうに頬を膨らませた。
「まぁ、わたしの見立てでは、城塞ひとつくらいなら丸々吞み込めると思うがね」
それが本当なら、なんて途方も無い……。
「それ、騒ぎになるから人前では絶対に披露するなよ。今度、適当な雑嚢を買ってやるから、それを無量鞄ってことにして誤魔化そう」
「それは構わないけど……この程度の魔法で大騒ぎなどとは、人類の器は些か小さ過ぎやしないかな?」
それを言われたらお終いよ……などと言うつもりはないが、それだけ貴女が規格外だということを肝に銘じていただきたい。
――そんな他愛もない会話を楽しみつつ、あっという間に第4階層。目的地に到着した。
道中、単体でぽつぽつと出現する魔物の悉くをステアが瞬殺したので、こちらの消耗は全くない。グラムは黙々と後ろにくっ付いてくるだけで、半ば空気と化していた。
まぁ、グラムの場合は本人の意思というものがあるのかさえ定かではないので、仕方ないといえば仕方ないのかもしれないが。
それはさておき、この第4階層は別名として初心者殺しの階層とも呼ばれている。その名が示す通り、冒険者となって日が浅いビギナーが最初に躓く階層だ。
ベオフェル迷宮では、4階層毎に出現する魔物の質が上昇し、尚且つ同時出現数や遭遇頻度が増加する。
そして、第1から第3階層まで楽に突破したことで、己の実力を過信した初々しいマーセナリー達はもれなく手痛い洗礼を受けるのだ。大抵の場合、授業料は自らの命となる。
「ここから出現する魔物の質が変わる。注意してくれ」
「わかった」
傷ひとつ付けられないであろう雑魚に注意しろなどと、仮にも第六位階の"邪王"に向けていい言葉でないのは確かだが、ステアはしっかりと頷いてくれた。俺の言葉を蔑ろにせず、きちんと耳を傾けてくれるのが嬉しい。
「――っと、早速お出ましか」
第四階層に進入して、息つく暇もなく、魔物が現れる。
亜人系の中で、最もポピュラーな魔物ともいえるゴブリンの団体だ。第二位階であるホブゴブリンを筆頭に、3匹のゴブリンを引き連れている。総勢4匹、武器は全員木製の棍棒。
ちなみに、ゴブリンといえば世の女性達にとっては唾棄すべき天敵として名を馳せているが、それはフィールドに出現する個体限定で、ダンジョンに住まう魔物は如何なる種族であろうとも、侵入者を殲滅する以外の行動を全く取らないことで有名だ。ダンジョンの魔物は生理的欲求に支配されず、死を恐れない迷宮の尖兵として、ただひたすら屠るべき獲物を求めて徘徊するのである。
「今回は俺が殺るよ」
「ん、お手並み拝見といこう」
ステアが一歩後ろへ下がると同時に、俺は一歩前へ踏み出して、背中の長剣を抜いた。
この行為が原因か、ゴブリン達は俺を最初の標的と定めたようだ。ホブゴブリンが棍棒を振り翳し、吼えたてる。それを合図に3匹のゴブリンが俺に向かって駆け出してきた。
俺の腹あたりまでしかない小柄な体躯のゴブリン達が、奇声をあげながら一斉に躍り掛かってくる。
俺は途中までゆっくりと歩き、ゴブリン達が棍棒を持つ手を振り上げる直前で、加速するように大きく踏み込んだ。
棍棒の間合いを外し、剣の間合いに引き入れる。頭の位置がぴったり横一列に並んだ瞬間を見計らい、一閃。ゴブリン達が腕を限界まで振り上げた時には、俺は既にその脇をすり抜けていた。
一筋の銀線が迸った後、ゴブリン達の喉元にぷつぷつと血の玉が浮き上がる。その直後、勢い良く鮮血が噴出した。
ゴブリンは不死系の魔物ではないので、わざわざ首を断つ必要はない。何故なら、喉を切り裂いてやるだけで、呼吸できずに窒息死するからだ。
棍棒を取り落とし、己の首を抑えてのたうち回るゴブリン達を捨て置き、俺はホブゴブリンを見据える。
ホブゴブリンはゴブリン達と異なり、その体躯は成人男性と同等かそれを上回る。膂力も相応にあり、レベル1の前衛職では徒党を組んで挑まないと返り討ちに遭いかねない程の相手だ。
とはいえ、残念ながらレベル3である――っと、今はレベル4だった――俺の敵ではない。一瞬後、数十歩の距離を置き去りに、俺はホブゴブリンの喉へ剣を突き立てた。今度は深く、延髄まで刃を潜らせて、力を込めて手首を捻る。
ゴギリッと鈍い音と感触。ホブゴブリンは呆けた表情のまま崩れ落ち、そのまま赤い液体と化して消えていく。
背後のゴブリン達も絶命し、赤い液体となったところで残心。ダンジョンの魔物は死ぬと消えるので、意味は殆どない。
「――お見事」
静かな、それでいて確かな熱情を孕んだ声音。
振り返れば、ステアが小さく拍手をしてくれていた。
「格下とはいえ、4匹の魔物をたったの二振りで屠る技の冴え。素直に感服したよ」
言われるほど大したことはしていないのだが、それでも遥か雲の上の存在から賞賛を受けるのは嬉しいものだ。
「カースドドラゴンの逆鱗を断ち切った時点で分かってはいたけど、やはりというべきかな。流石はわたしの――こほんっ」
「うん?」
「ところで、タロウ。先程の、一瞬でホブを間合いに捉えた歩法は何かね? 純粋な脚力で成した技ではないだろう?」
「あれか? あれは『無拍子』って言うアビリティなんだが……正直、使いにくいんだよな」
無拍子は"敵との直線上の距離を詰める"、それ以外の条件では発動しないアビリティだ。一応、詰める距離自体は自由に決められるのだが、途中に障害物などがあったりすると、その時点でアビリティが使用不可能になるポンコツっぷり。
実際、奇襲とか不意打ちには便利なものの、何かと扱いにくいアビリティである。
相手が知能の低い魔物であるなら、今のように正面から突っ込むことも出来るが、知能の高い魔物や対人戦となるとそう簡単にはいかない。何せ、手練れは当たり前のように、直線上に距離を詰めるという無拍子の能力を逆手にとってくるのだから。
この『無拍子』が上位アビリティである『縮地』に変化すると一気に化けるのだが……そこまで至るには、レベル4の上級職に至るだけでなく、アビリティの習熟度を上げなければならないのが痛いところだ。
上級職取得の条件は満たしているものの、今まではあまり無拍子を使ってこなかったせいで、習熟度が足りていない。
これからはなるべく積極的に無拍子を使っていきたいところだが、縮地を解放するまでに今しばらくの時間を要するだろう。
「ふむ。タロウがそう言うのなら、それが事実なのだろうね。でも、先程の無拍子とやら、わたしの『眼』を持ってしても影を捉えるので精一杯だった。その点では、そこそこ優秀なアビリティだと思うよ。それに、瞬時に間合いを詰めてからの一突き……あの一連の動きはとても格好良かった」
「う、ん……」
ステアの含みのない笑顔が俺の心を射抜く。これこそ、無拍子からの一突きに等しい不意打ちというべきじゃないか?
「そ、それよりドロップアイテムの確認をしないとな」
「おお、そうだったね」
動揺を押し隠すべく、露骨な話題逸らしとなってしまったが、ステアは素直に食い付いてくれた。
「さて、アイテムのひとつでも落ちてりゃ、儲けもんだけど……」
魔石は確定だからわざわざカウントしたりしない。それ以外のアイテムを探すのだ。
まずはホブゴブリンだが……おっ?
「おおー、『小鬼の短剣』か。見ろよ、ステア。大当たりだぜ!」
「ん?」
「こいつにはゴブリン種に対する特効が付いてるんだ。売れば最低でも1万ヴィクスは堅い」
「おお、それは良い儲けだ。よかったね、タロウ」
にこにこと慈愛に満ちた笑みを向けてくるステア。まるで、はしゃぐ子供を優しく見守る母親のような表情である。
途端に自分の行動が幼稚に思えてしまい、一気に顔が火照ってしまった。
「んんっ……預かってくれるか?」
「わかった」
気恥ずかしさを軽い咳払いで誤魔化しつつ、短剣を預けようとした、その時だった。
「――きゃあぁぁああっ!!」
突如として響いてくる悲鳴。声の主は人間の女であろうことは間違いない。
切羽詰まった状態なのだろう。驚いたというよりは、追い詰められたような声音だった。
反響具合からして、然程離れていないと思われるが……。
「「……」」
無言で顔を見合わせてしまう俺とステア。こんなところ(ダンジョン)で聞こえる悲鳴など、まず碌な状況じゃない。
互いに考えていることは同じだろう――さて、どうしよう、だ。
「わたしはタロウの判断に従おう」
「おまっ――」
なんて奴だ。こいつ、自分で考えるのが面倒臭いからって、判断を俺に丸投げして思考放棄しやがった。
「わたし、ダンジョン初心者なものでー。こういうのは経験者の指示に従うのが無難かなーっと」
「むむっ……」
ステアはしれっとした顔でそう言うと、下手くそな口笛を吹きながらそっぽを向いてしまった。だが、正論なので反論できない。
俺は肺に溜まった呼気を口から逃がすと、頭を掻いた。
基本的に、ダンジョン内でのアクシデントは二次被害を防ぐ為に自己解決が鉄則となっている。故に、俺達が他のパーティを助ける義務はないし、義理もない。ないのだが……。
「余裕なさそうだったし、このまま死なれたら寝覚めが悪いよな……。仕方ない、助けに行こう」
他人の悲鳴を聞いてしまったのが運の尽き、ということで。
「奇遇だね、わたしも同じことを考えていたのだよ」
「調子に乗るな」
「てへっ」
こつんっと、ステアの頭に軽く拳骨を落とす。キャスケットの上から頭を叩かれたステアは、ぺろっと小さく舌を出した。
「わたしの頭を慰るような、柔らかな拳……。タロウの愛を感じるね?」
「バカなこと言ってないで、急ぐぞ」
「はーい」
そんなやり取りをしながら、俺達は助けを求める声、その発生源へと急いだ。




