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その1 逃げの一択

 俺は本当の両親の顔を知らない。

 物心ついたときには、捨て子であった俺を拾ってくれた義理の両親のもとで育てられていた。

 名前は太郎と名付けられた。義理の……いや、両親の故郷ではありふれた名前らしいが、語感が優しくて好きだという母の一存で命名された。

 そして気付けば、父の指導により、和刀という独特な形状の片刃剣を毎日振るわされていた。それだけではない。生きる術を身に付けろとの仰せで、戦闘、サバイバル問わず、様々な技術を強制的に叩き込まれた。


 両親は、ここカラミア大陸よりもさらに東の果て、海を超えた島国の出身で、和装という一風変わった衣服を着こなす旅人だった。件の和刀も、この島国でのみ流通している武器とのことだ。

 夫婦(めおと)の契りを交わし、故郷を出て世界を巡る旅に出た2人は、その最中に捨てられた俺を見つけたらしい。

 兼ねてより子宝に恵まれなかった両親は、これを天運と捉え、俺を我が子として育てることにしたのだとか。

 とはいえ、その後、あっさりと両親にとっての第一子――俺にとっての義理の妹――が生まれたりしたのだから、人生とはわからないものだと嬉しそうに呟いていたのを、今でもよく覚えている。


 そして、両親が俺を拾ってからきっちり15年が経過し、俺は元服を迎えた。15歳になったら成人を迎えるという習慣は、国境を跨いで世界共通だ。


 俺が教会で神託を授かる姿を最後まで見届けてくれた両親は、親としての責務は果たしたと言い残し、まだ幼い妹を連れて再び世界を巡る旅に出てしまった。

 もう二度と会うことはないだろうと俺を涙ながらに抱き寄せた母の温もりと、父が肌身離さず腰に差していた紅い刀身の和刀、その他色々な物を残して。


 月日の流れはあっという間で、あの別れから既に5年の歳月が過ぎている――にも関わらず、今の俺は……両親に護られ、妹に懐かれ、毎日を安穏と暮らしていたあの頃に戻れたらと、心の底から願っている。

 それがどこまでも情けない、ただの現実逃避だと知っていても。


「――くそっ……しつこいな!」


 石畳の床を踏み締め、薄暗い通路を我武者羅に走る。ケープの裾がバタバタと鬱陶しく靡くが、構ってはいられない。

 後ろを振り返れば、数えるのも馬鹿らしいほどの大量の不死系モンスターが追ってきていた。


 不死系統第一位階の魔物であるスケルトンやゾンビが群れを成す中で、チラホラとその上位種である第二位階のスケルトンソルジャーやグールが混じっている。


 俺の職業は『剣士』であり、レベルは3。幼少の頃から叩き込まれた戦闘技術と、持ち前の優秀なアビリティもあり、第二位階程度の魔物なら、囲まれたところでそう苦労せずに倒せるだけの自信がある。


 しかし、いくら何でもこれは……。


「数が多過ぎだっての! ちくしょうっ……あそこでトラップに引っ掛かんなきゃ、こんなことには……ッ!」


 喚いたところで仕方ないのは理解しているが、それでも叫ばずにはいられない。

 俺に、たった1人でもいいから、パーティを組んでくれる仲間がいれば、こんな状況に陥ることもなかったろうに。

 そうだ。罠の発見が得意な『盗賊(シーフ)』や、自らを盾に囮役を買ってくれる『放浪騎士』、不死系の魔物に対する優位性を持つ『神官(プリースト)』。そのうち誰か一人でもいてくれれば……。

 いや、仲間なんて贅沢は言わない。従属魔の一匹でも充分だ。こんなことなら、勿体ぶらずに"呪印石"を使って、適当な魔物を従属させておけばよかった……。


「ちっ……今更嘆いたって、どうしようもないか」


 当てもなく逃げ回ったせいで、自分の現在地なんてとっくに分からなくなっている。尻尾を巻いて逃げ帰ろうにも、入り口がどこだったかなんて、把握しているはずもなかった。

 このままでは、いずれ体力が尽きて、追いつかれてしまうだろう。

 動きが鈍いゾンビやスケルトンだからこそ距離を稼げてはいるが、奴らは不死系の魔物故に疲労という概念がない。さらには、生命感知という凄まじく嫌らしい追跡能力まで持っている。

 その探知範囲は広く高性能で、多少逃げ回った程度では、撒くことすら叶わない。


「さて、どうするか――って、邪魔だっつの!」


 曲がり角に飛び込むと、視界の先に3匹のゾンビがいた。左腰に差した和刀……ではなく、背中に帯びる長剣を利き手である右手ではなく、左手で抜き放つ。

 剣士のアビリティである『刀剣マスタリー』の効果が発動した結果、左手に持つ長剣がすっと軽くなり、掌に馴染んだ。それに加えて、幾分か身体が軽くなる。

 鼻が曲がりそうな腐臭とドス黒い体液を撒き散らす人間の成れの果てが、俺という獲物を求めて青白い手を伸ばしてくるものの、やはりその動きは緩慢としていて、欠伸が出そうになるほどに遅い。

 走る速度は一切緩めず、隙間を縫うようにゾンビ共の魔手を掻い潜り、行く手の邪魔になる奴だけ、一太刀でその首を斬り落とした。


 ゴトンッと重い物が2つ地面に転がる音が背後で響くが、確認する時間すら今は惜しい。ドロップ品の回収なんて以ての外だ。


「報酬の良さに釣られたばっかりに……こんなことなら、素直に断っとけばよかった……」


 じわじわと追い詰められていく感覚。少なくない回数を経験しているとはいえ、慣れるもんじゃないし、慣れたいとも思わない。


 ――走って、走って、走り続けて。


 途中で少なくない数のゾンビやスケルトンを斬り伏せて、その果てに現れたのは、大きな両開きの頑丈そうな扉だった。

 周りを見渡すが、ここに到るまでは一本道であり、脇道や別の扉などは見当たらない。


「どうする……引き返すか?」


 群れとの距離は大分離したはずだ。今すぐ引き返せば、奴等と鉢合わせる前に別の通路へ逃げることも叶うだろう。

 しかし、それを実行する前に、扉が独りでに開き始めた。扉の先は闇一色に染まっている。暗視のスキルを持つ者でない限り、数歩先すら見通すことも叶うまい。

 まるで、俺をこの闇の中へ誘うように扉は開き続け、人ひとりが通れる程度まで開いたところで、ようやく動きを止めた。


「……覚悟、決めるしかないよな」


 これまで培ってきた経験という名の勘が全力で警鐘を鳴らしているが、迷っている分だけ時間は過ぎていく。既に、引き返すという選択肢を選ぶには時間を掛け過ぎてしまった。


「行くか」


 もう、前に進む以外に道はない。

 何があってもいいように、油断なく長剣を構えながら闇の中へと身を投じる。

 そのまま、数歩進んだあたりで、何かしらの仕掛けが作動したのか、唐突に灯りが燈された。

 壁に配置されたトーチに次々と炎が灯り、周囲を照らしていく。

 光源は充分とはいえず、まだまだ薄暗い域から出ない。それでも何とか視界は確保されたので、少しだけ安堵した。


 警戒しつつ、決して広くはないが、狭くもない石造りの室内に目を凝らせば、その中央にポツンと大柄な影が見える。

 巨大な黒い影は、背中に身の丈以上もある巨大な剣を帯びていた。

 深い紫色の眼光が、俺を真っ直ぐに見据えてくる。

 たったそれだけで膝が笑い始め、心臓を鷲掴みにされたような怖気が奔る。


「なんてこった……最悪だ……」


 その影の正体を看破し、絶望のあまり、脚から力が抜けそうになった。

 そんな俺の心をさらに踏み躙ろうというのか、トドメとばかりに天井から謎の光が降り注ぐ。

 不気味な蒼い光を反射させ、重厚な濃紺色の鎧を身に纏った、首なしの騎士の姿が露わになった。


「不死系第四位階……デュラハン……」


 俗に言う『高位モンスター』に分類される、災害クラスの化け物がそこにいた。

 第四位階ともなれば、下手をすると街ひとつ滅ぼす程の力を持つとされる相手だ。

 正面から1人で立ち向かうには、最低でもレベル5以上の上位戦闘職でないと話にならない。

 俺の職業は剣士であり、歴とした戦闘職であるとはいえ、所詮は下位職である。それもレベル3。逆立ちしたって敵わない。戦おうとすら思えなかった。

 斬り合いは無謀。一撃だって防げない。剣諸共、真っ二つにされるのがオチだ。

 せめて、上級職が解放されるレベル4になっていればと思わないでもないが……無い物ねだりしたところで意味はない。それよりも、この窮地をどうやって生き延びるのか考えなければ。

 何か活路はないかと必死に視線を巡らせると、デュラハンの奥に通路が見えた。僥倖というべきか、扉の類は見当たらなかった。


「あの通路まで走り抜けるしかない……か……」


 問題は、如何様にして、あのデュラハンの脇を抜けるかだろう。唯一にして最大の難関だ。既に背後の扉は閉まっている。退路はない。

 焦る心とは裏腹に、頭はどんどん冷たくなっていく。しかし――


「――ッ!?」


 突如として、アビリティ『心眼』の危機感知能力が発動した。

 考えるより先に、身体を横へ投げ出す。

 その瞬間、猛烈な突風が吹き抜けていった。続いて、轟音。

 床を転がりつつ体勢を立て直し、一瞬だけ後ろに視線を向ければ、重厚な扉を巻き添えにして、壁に横一文字の分厚く深い亀裂が刻まれていた。

 考えるまでもなく、デュラハンの一撃によるものだ。あんな斬撃をまともに受けたら、俺の上半身など簡単に消し飛んでしまう。


 無意識に、唾を飲み込んだ。


 デュラハンに目を向ければ、鎧から漆黒のオーラが噴き出し始めている。高位の不死系モンスターが得意とする『深淵魔法』だ。人類が扱う『魔術』よりも遥かに強力で、理不尽な異能の力。

 デュラハンの身を纏うあれは、物理防御と魔法防御を向上させる魔法……だったはず。近接系の不死モンスターがよく使う、比較的有名なやつだ。

 奴さんは完全に俺を敵として認識しているらしい。最早、戦闘は避けられない。


 ……腹を括るしかないようだ。


「――くそったれッ!!」


 腹を括るついでに、腹の底から気勢をあげて、一気に走り出す。

 俺の闘気に反応したデュラハンが、大剣を振り上げた。空気を撫でる重々しい音が耳朶を叩くが、いちいち竦んではいられない。瞬きすら惜しんで、デュラハンの動きを観察する。

 ウェストポーチから、聖水で満たされたガラス瓶を2本取り出しつつ、そのまま走り抜ける。

 そして、大剣の間合いに入った瞬間、心眼が反応した。同時に、俺の頭をかち割らんとするデュラハンの剣が、頭上から凄まじい勢いで振り下ろされる。


 周囲の景色がモノクロに変化し、あらゆる物体の動きが減速した。

 体感にして1秒にも満たない遅滞した時間の流れにおいて、俺は半歩分だけ身体を横にずらす。


 心眼の効果が切れて、独特の音ともいえない音が鼓膜を揺らし、世界に色が戻った。

 大剣がすぐ真横を通り過ぎ、床に叩き付けられる。

 派手に抉れる石畳の地面と肉厚な金属が奏でる異音を置き去りに、俺は聖水の瓶を1本だけ、デュラハンの胴体目掛けて投げ付けた。

 デュラハンが即座に左腕で胴体を庇うが、それでいい。瓶は割れ、中身が溢れ出し、聖水はデュラハンの左腕を目論み通りに"焼いた"。

 不死系の魔物の弱点といえば、神官が扱う『聖光魔術』。それから、神デアナトースの祭壇にて祝福された『神聖なる水』と相場が決まっているのだ。


 腕を焼かれ、踏鞴を踏むデュラハンの懐に潜り込み、地面を思い切り蹴る。

 一息でデュラハンの肩まで飛び乗ると、その鎧の中、がらんどうの胴体へ残った聖水の瓶を叩き付けた。


「――ッ!!」


 声無き絶叫。

 体内に異物を放り込まれて、胸を掻き毟るデュラハン。

 今だけは、俺を追撃する余裕もあるまい。

 もがき苦しむ首無し騎士を尻目に、俺はすかさずその背面へと飛び退ると、脇目も振らずに通路へ向けて駆け出した。


「やった……切り抜けた……!!」


 ほんの一瞬の攻防に、心臓が破裂せんばかりに動悸している。冷や汗が止まらない。左手に握る長剣など、手袋をしていなければ、とっくに取り落としていただろう。

 まさしく、紙一重。

 『心眼』という"レアアビリティ"がなければ、デュラハンの一撃を見切ることは叶わなかった。

 キルゾーンを脱し、一目散に通路へ飛び込んだ。振り返る暇すら惜しく、全力で駆け抜ける。

 幸い、待ち伏せる魔物や罠の類はなさそうだ。


「出口に辿り着けなくてもいい……このまま奴を撒くことさえできれば――」


 必死に走り続けている最中、ガラッと足元で何かが崩れる感覚。

 不意の、予期せぬ浮遊感。

 急速に回転する脳味噌。罠かと思ったが、どうやらそうでもないらしい。

 経年劣化した石畳の床が、俺の重さに耐えきれずに崩壊したようだ。


 なんで、こんなタイミングで……と嘆く間もなく。


 否応なく、意識は漆黒の闇の中へと落ちていった。


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