その9 よろしく
しがない剣士の朝は早い――なんてことは特になかったり、あったりするのは置いておくとして。
窓から差し込む陽光の具合からして、朝と昼の間ってところだろう。それなりに寝過ごしてしまったようだ。
「すぅ……すぅ……」
俺の腕を枕にして、気持ち良さそうに熟睡している少女に視線を移す。
道理で腕が痺れると思ったんだよな。もう手先の感覚がないです。
「はて……?」
俺は朧げな記憶を手繰る。
昨日はギルド内の食堂にて、ディアルドという男からソルジャーへのスカウトを受け、それを断った。その後、日用品の買い出しがてら、掘り出し物がないか露店を巡ったりしながら、家に帰宅したのだったか。
帰宅してからは各部屋の掃除を済ませて、夕食の準備。自分で作った肉料理の旨さに酒が進み、かなり飲んでしまった。食休みにまったりと過ごしてから歯を磨いて、用を足して、ベッドで寝た。
ベッドで寝る時は、確かに俺一人だったはず。というか、ここは俺の家。宿屋じゃない。俺以外がいるはずもない。
……まさか、帰る家を間違えた? いや、そんなことはない。この地味で寂れた内装は我が家独特のものだ。
枕代わりにされている腕はそのままに、ぐるりと身体ごと首を反対へ向けてみた。
「コー……ホォー……」
「……」
ともすれば、俺の唇と兜の先がくっ付きそうな程の目の前に、フルプレートの黒い騎士がいる。
やはり、いる。見間違いじゃない。ていうか、近い。近過ぎる。
なんか息遣いも聞こえる。いや、こいつが本当に呼吸しているのかは怪しいから、もしかしたら息遣いに酷似した別の何かなのかもしれない。
「コー……パァー……」
「……」
ぐるりと元の位置に戻る。
「むにゃ……んんっ……」
もぞもぞと吸血鬼の少女――ステアが身動ぎする。その閉じられた瞼がゆっくりと開き、真紅の瞳を覗かせた。
「んぅ……おあよ、たろぉ――ふああぁぁ……」
ステアはベッドに横になったまま、こしこしと目を擦りつつ、大欠伸をかます。
まだ意識は覚醒し切っていないようだ。舌が動かないのか、おはようの一言すら満足に言えていない。
さて、今のうちに逃げるか。
そう思い立ち、無言のままベッドを抜け出そうとしたところで、
「――どこへ行こうというのかね」
ガシッと背後から腰に抱き付かれた。全裸のステアに。
「ぬおぉぉ離せ! 離さんかっ!」
なんという怪力っ……流石は吸血鬼だ。微動だにできない……!
ていうか、ちょっと待って。何か当たってる。背中に何か当たってます。
俺は自宅のベッドで寝る時は基本パンイチなのだ。つまり、上半身は真っ裸なわけで。んで、ステアもどういうわけか全裸なわけで。そんな状態で抱き付かれたら、俺の背中に柔らかいものがぴったりと――
「当ててるのだ」
「わざとかよ!?」
「わたしは悪い吸血鬼ではないよ」
「脈絡ないなっ!!」
「超絶美少女吸血鬼が仲間になりたそうにあなたを見ている。仲間にしてあげますか? はい おあ いえす」
「選択肢がないぞ!?」
イエスは確か古代語で『はい』という意味だったはずだ。中々に小賢しい。
ひとしきり騒いだり、暴れたりしてみるが、ステアは頑なに俺を解放しようとしない。
その気になれば、俺の背骨ごと肉体を粉砕できるだろうに。ぎゅーっと、俺が窒息しない程度の絶妙な力加減で俺を拘束してくる。
「はぁ……負けたよ……」
「ん」
諦めて、俺は身体の力を抜く。俺に逃走する気がないことを察したのか、ステアも拘束を解いてくれた。
まぁ、もとより逃げると言っても、全裸のステアとの添い寝状態は色々マズイと、一足先に起床しようと思っただけなのだが。
無気力に枕へ頭を投げ出す。釣られて、ころんと寝転がったステアはいそいそと俺の右腕を自分の頭の下へ持ってくる。また枕代わりにする気らしい。腕が痺れるから、やめてほしいんだが。
「どうやって家に入った、何故俺の隣で寝ている、どうして裸なんだ……疑問は山ほどあるが、今は置いておこう。俺が尋ねたいのは――」
俺の背後にいる甲冑野郎を極力意識の外に追い出しつつ、ステアの瞳を真っ直ぐに見つめる。
「なんで、ここにいるんだ?」
「――」
俺の質問に対し、ステアはふっと表情を緩めた。
「"当てがある"と言っただろ?」
「まさか……」
――当てって俺のことかい。
厄介なことになったと、俺は腕で顔を覆う。
だけど、嫌じゃない。寧ろ、また会えて嬉しく思っている。
それも当然だ。口には出さなかったものの、一度は一緒に来ないかと誘おうとさえ思った相手である。俺の知らぬ間に、家どころかベッドの中にまで侵入してくるなど、行動が常軌を逸しているが、吸血鬼は人類の常識に疎いのだと考えれば、怒る気も起きない。
いや、こいつの場合は全部理解したうえでやらかしてる可能性もあるのだが、それでも、きっと俺は。
「まぁいいや。とりあえず、朝飯食おうぜ。話はそれからだ」
「馳走になる!」
こんな風に、笑ってしまうのだろう。
◆ ◆ ◆
「美味しい……」
「それは何より」
俺が用意した朝食を平らげていくステアが、ほっこりとした笑顔で言った。
「タロウは料理が上手なのだね。見直したよ」
「親に一通り仕込まれたからな」
一人で生きていくうえで、必要となる技能は全て叩き込まれている。そこには当然、料理も含まれていた。
仕事の都合で野宿をする際にも、料理が出来るおかげで色々と助かっている。教えてくれた母さんに感謝だ。
「ところで、この黒い液体は何という調味料なんだい?」
ステアが俺の目玉焼きに垂らされた黒い液体を指差し、鼻をひくひくさせている。
「ショウユ。大豆を発酵させて作った調味料だ」
親父に作り方を教えてもらった液体調味料だ。何でも、この世界にはまだ出回っていない代物らしい。
他にも同じ大豆を発酵させた調味料でミソというものもあるが、こちらは既に開発されているとか。まぁ、こちらの大陸では滅多に手に入らないのだが。
料理なんて出来ないくせに、何故、親父がこんな調味料の作り方など知っていたのか。それは最後まで教えてもらえなかった。母さんに聞いても困ったように苦笑するばかりだったな。
まるで、言ったところで信じてもらえないとでも言いたげな――
「……」
「ちょっと舐めてみるか?」
俺は小皿にショウユを垂らすと、それをステアに差し出す。
ステアはショウユに指先をつけると、ぺろっと舐め取った。
「ふむ……奥深い味わいだね。それでいて、くどくない。まるで舌に溶け込んでいくような、独特のまろやかさがある」
「使うと分かるが、この世界でショウユほど万能な調味料は他にないと思うぜ」
俺は目玉焼きを口に入れてから白飯を掻き込む。やはり、主食と言えばお米に限る。酵母でふっくら柔らかい白パンも悪くないけどな。
「……グラムは食べないのか?」
壁際に離れて立っているグラムに目を向ける。
一応、あいつも食べるかと思って用意してしまったのだが。
なんとなく、除け者にしているみたいで申し訳なくなってくる。
「あいつはあくまで『亡霊』だからね。残念ながら、食事という概念がないのだよ」
「そっか。じゃあ、こいつは俺が――」
用意した食事を無駄にしてしまうのも勿体無いし、俺が食べてしまおうとしたところで、ステアのフォークが伸びてきた。
「わたしも食べる」
「お、おう……?」
口の中にもりもりと料理を詰め込んでいくステアをみて、なんとなく伸ばした箸を引っ込めてしまった。
恐らくは食べるという行為に飢えていたのだろう。考えてみれば、彼女にとっては、幾星霜を経た久方ぶりの"人類の食事"なのだろうから。
そう納得して、俺は自分の分の朝食を片付けた。
――その後、恙なく朝食を食べ終えた俺達は本題に入ることにした。
「さて、ステアはさっき俺の仲間になりたいとか言っていたが、あれは本心なのか? それとも場の勢いに任せた冗談か?」
「本心だよ。どうか、わたしをここに置いてほしい」
ステアは口調を強めて言う。
「わたしはタロウと一緒にいたいと思っている」
「ふむ……」
少しばかり目を細めてステアを見据えるが、彼女は目を逸らさない。
俺と一緒にいたいというのは、紛うことなき本心なのだろう。
正直言って、もうこの時点で滅茶苦茶嬉しい。今すぐにでもオーケーを出して、彼女の為に日用品を買い揃えてやりたいくらいだ。
だが、焦りは禁物。
まだ、彼女の真意を聞いていない。
「どうして、俺と一緒にいることを望む? ステアは仮にも第六位階の吸血鬼だ。俺なんかいなくても、持ち前の力があれば、どうとでも生きていけるだろう? 寧ろ、人族である俺と一緒にいるのは、かなり不自由な生活を強いられることになるぞ」
「そんなことは百も承知さ」
ステアは微塵も揺らぐことのない真摯な眼差しで、俺を瞳を真っ直ぐ射貫いてくる。
「だったら、何故?」
「理由は幾つかある。例えば、君の人柄が気に入ったから。君の血を飲めなくなるのが惜しくなったから。君といれば退屈しなさそうだと思ったから」
聞こえのいい言葉を並べて、下手に誤魔化すつもりはないのだろう。糞真面目に指折り数えて理由を述べるステア。二番目の俺の血に関してはちょっと物申したいところだが、今は後回しだ。
「それと――」
「……?」
指の動きが止まる。ステアは頬を朱に染めて俺から顔を逸らした。その行動の意味は理解できないものの、何故か背筋がざわめく。
「君にわたしの"初めて"を捧げたから……」
時が凍った気がした。
「えっと。すまん、よく聞き取れなかった。もう一度言ってくれ」
「……二度も言わせる気かい? ばか」
ステアは己の身体を抱き締め、熱っぽい吐息を漏らす。
混乱した俺はグラムに助け船を求めるが、あの甲冑野郎は特に何の反応も示さない。こいつは役立たずだ。
「そんなバカなッ!?」
俺は頭を抱えた。
確かに、俺は自宅のベッドで寝る時は基本パンイチである。しかし、だからといって、寝惚けて少女に手を出すなんてことは……。
いや、昨日の夜はかなり酒を飲んだ。まさか、俺が覚えていないだけで、しっぽりむふふな事を致してしまったのだろうか。
だとすると、ステアが裸で寝ていた理由にも納得がいく。
あぁ……そんな……俺はなんということを――
「バカとはなんだ。わたしが君の首筋から血を吸ったこと、覚えていないとは言わせないよ。わたしの"初めて"を捧げさせたタロウには、しっかりと責任を取ってもらうからね」
「……うん?」
罪悪感から目の前が真っ白になり掛けたところで、ステアの声が鼓膜を揺さぶった。
首筋から血? ああー……そういえば、あれには求愛の意味があるんだったか。ステアは俺に、言わばファーストキス的なものを捧げたと言いたいらしい。
……?
ふむ、だとすると。
「話は少し逸れるけど、非常に大切な事なので今聞いておきたい。俺のベッドに裸で寝ていた理由は?」
「そんなの、寝汗で服や下着を汚したくなかったからに決まっているだろう」
「吸血鬼って汗掻くんだ……」
「吸血鬼にも一応体温があるからね。人類に比べれば極々僅かな量といえるが、しっかり掻くのだよ」
なるほど、謎は全て解決した。
「はぁぁぁー……」
「急にどうしたんだい? どこか調子でも悪いのかね」
「いや、別に何も。気にしないでくれ」
脱力するあまり、椅子からずれ落ちそうになるケツを元の位置に戻す。
すると、ステアがモジモジと言いにくそうにこちらを見ているのに気が付いた。
「ステア?」
「ん……」
俺の視線を受け止め、ステアはおずおずと口を開く。
「まぁ、なんだ……。色々言ったが、あれらは確かに本音ではあるけど、建前でもあって。その、一番の理由は、だね……」
左右の人差し指をつんつんとくっ付けながら、頬を徐々に赤く染めていく。
「タロウと別れた後、無性に心細くなってしまって……。だから、君の元へ戻ってきてしまった……。行く当てなんて、本当はどこにもなかったんだ……」
「……」
「……ごめんなさい」
吸血鬼の少女が、人恋しさに人族の男の家に上がり込む。ウソのようなホントの話。改めて考えてみると、まるで出来の悪いお伽噺か何かのように思えてきて仕方がない。
「とはいえ、吸血鬼が人族と一緒に住むなど、常軌を逸しているにも程があるということくらい、わたしも理解している。わたしの正体が他人にバレた時のリスクも含めて」
ステアは曖昧に浮かべていた笑みを消し去る。
「だから、無理強いするつもりはない。迷惑だというのなら、すぐに出て行こう。だけど、もし、わたしをここに置いてくれるなら――」
「いいぞ」
「タロウの為に何でもするからって相変わらず即決だねっ、君は!」
ここに住んでもいいと言っているのに、何が不満なのか。ステアはぷりぷりと憤った。
「押し掛けたわたしが言うのも何だけど、タロウはもう少し警戒心というものを――」
「どうして俺がステアを警戒しなきゃいけないんだよ?」
「――」
ステアが固まる。
俺だって、彼女が言いたい事を察せない程、馬鹿じゃないつもりだ。だけど、彼女の言う『警戒心』は、俺の中ではとっくに終わった話なのも事実である。
「……本当にいいのかい? 吸血鬼と一緒に住んでるなんて知れたら、どんな目に遭うかわかったものじゃないよ? 最悪、人類から敵と見做される可能性だってあるのに」
「そんなもん、言われるまでもなく理解してるっつの」
余程大胆な行動をしない限りは、まずバレないと思うがね。
とはいえ、だ。万が一、ステアの正体が周囲にバレたとしても、その時はその時。どう立ち回るかは、状況を鑑みて判断すればいいだけの話であって。
まぁ、最悪のパターンとして。仮に逃亡生活に追い込まれたとしても、"あの国"があるしな。
「こんなことで時間を浪費するのも馬鹿馬鹿しい。単刀直入に言うぞ?」
「……」
ステアが吸血鬼だとか、人類の天敵だとか、第六位階の化け物だとか、そんなの心底どうでもいい。
「歓迎するよ、ステア。できれば、末永くよろしく」
俺だって、一人は寂しい。両親や妹と別れて、ずっと孤独に過ごしてきた俺にも、誰かと一緒にいたいという欲はある。それが可愛い女の子なら尚良し。
なるほど、これが親父の言っていたウィンウィンというやつか。
「……こちらこそ、どうぞよろしくお願いします」
ぺこりとステアはその小さな頭を下げる。
僅かに遅れて、美しい白金の如き銀髪が揺れた。
◆ ◆ ◆
話が纏まり、お茶を淹れて一息ついたあと。
俺はステアが着ているボロボロの黒いワンピースに視線を向けた。
「しかし、見事に解れてるな。本当に、それ以外に服は持っていないのか?」
「このボロ切れこそ、わたしの一張羅さ」
ふんす! と胸を張るステア。別に威張るところではないのだが、いちいち指摘するのも面倒なのでスルーする。
「でも、その恰好で外をうろつくのは、流石にやめた方がいいぞ」
「うむ……」
吸血鬼といえど羞恥心というものには理解があるらしい。ステアは俺の忠告に素直に頷いた。
とはいえ、持ち前の服はこのボロボロになった黒いワンピースのみ。替えの服はない。
となれば――
「こればっかりは仕方ないな……。ちょっと待っててくれ」
「――? わかった」
小首を傾げるステアを置いて、俺は自室に赴く。
そのまま真っ直ぐに衣装箪笥へと足を向けた。この中に妹のお気に入りだった着物を保管してあるのだ。
両親に半ば無理矢理連れられて旅立つ際に、どういうわけか押し付けられたものである。
正直、女物の着物なんぞ貰ったところでどうしようもなかったのだが、今この瞬間となっては感謝の念に堪えない。
「……今更だが、ありがたく頂戴するぜ」
記憶が確かなら、この着物はかなりの上物だったはず。だからこそ、虫食いに合わないように、丁寧に保管していたのが功を奏したようだ。布地が痛んだ様子はみられない。
俺は箪笥から取り出した着物を抱えて、ステアの元に戻った。
「ステア、代わりの服持ってきたぞ」
「それは……?」
興味深そうに着物を見つめるステア。シンプルなワンピースとは打って変わった煌びやかな衣装に、真紅の瞳を輝かせている。
「なんと美しい……」
「着物っていうんだ。着付けが少し面倒だが、慣れれば一人でも着られるはずだ。最初は手伝うけど、覚えたら自分でやってくれ」
「うむ!」
ステアの嬉しそうな笑みに釣られて、俺の唇の端も持ち上がる。
とりあえず、ボロボロになったワンピースは廃棄して、着物を着せてやった。
母さんに、覚えておいて損はないと着物の着付け方を叩き込まれたのが幸いした。人生、何が役に立つか分からないものだ。
「おお……」
着物を身に着けたステアが感嘆の声を漏らす。
黒を基調に白と紫の花をあしらった長襦袢と白い肌着。銀柄の帯に、桜色の帯揚げと金の帯締め。
サイズはぴったりのようだ。こう言っては何だが、ステアが醸し出す独特の雰囲気に良く似合っている。
本来の持ち主であった妹よりも上手く着こなしているのではなかろうか。あいつは黒というより、もっとしとやかな色が似合う子だったし。
「それ、やるよ。新しい服を買うまでの繋ぎにでも――」
「バッ……これを繋ぎ扱いなんてとんでもないっ!」
シュババッとよくわからない奇怪な動きをするステア。
だが、こちらの予想以上に気に入ってくれたことだけは理解できた。
「こんなに上等な物を……本当にいいのかい?」
「勿論。女物の服を俺が持ってても意味ないし、遠慮せずに受け取ってくれ」
いざとなれば売り払うつもりでいたが、それよりはこうして見目麗しい少女に着てもらえる方が、この着物も幸せだろう。
「……ありがと。タロウ」
「あ、ああ……」
本当に嬉しそうに、胸を手を添えて俯くステアの姿を目にして、胸が高鳴ってしまった。
それを悟られたくなくて、俺は少々強引に咳払いをして誤魔化す。
「これでもう大丈夫だな。んじゃ、ケープ返してくれるか?」
俺は椅子の背凭れに引っ掛けてあった白いケープを指差す。
新しい服を手に入れて、堂々と外に出れるようになった今、もうそれは必要ないだろう。
「……どうしても返さないと、駄目かね」
ステアはケープをきゅっと胸に抱えて、上目遣いで俺を見つめてくる。
あっさり返してくれるものと踏んでいた俺は、予想外の執着に困惑してしまった。
「あ、いや、どうしてもってわけじゃないが」
「……」
余程、手放すのが惜しいらしい。それ、俺も気に入っていたのだが……。
ダイアウルフの毛皮を使用しているだけに、非常に丈夫な品質に加えて、ビロード特有の高級感溢れる見た目と艶のある手触りが素晴らしい逸品なのだ。
とはいえ、彼女がどうしても欲しいというのなら、そのまま譲ってあげた方がいいかもしれない。仮にも、旅での酷使を前提とした実用品だ。持っていれば、必ず役に立つ。
「そう、だな。やっぱ、ステアがそのまま持ってる方がいいか」
「うむっ!」
花のような笑みを咲かせるステア。
俺としては、中古品で申し訳なく思ってしまうばかりである。そう着古したわけでもないが。
……よし。
「さて、着替えも終わったし、そろそろ買い物に行こうか」
「え?」
きょとんするステアに微笑みかける。
善は急げ――親父が良く使っていた言葉が脳裏を過ぎる。
この際だ、日用品も含めて、色々見繕うとしよう。




