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【8】











 シグリは官服を整えながら元帥府にある応接室を出た。やや乱れた髪を払う。彼女の長い髪は、腰元にまで達している。あまりに短いと爆発したようになるので、ここしばらくは長いままだ。

 仕立て屋が着ている。ローレンツに言われたときは冗談かと思った。応接間に実際にお針子たちがいるのを見ても、やはり手の込んだ冗談だと思った。しかし、どうやら本気だったらしい。

 つまり、ローレンツは本気でシグリを社交界に連れまわすつもりなのだ。そのためにはドレスがいる。正確には、幕僚であるシグリは官服も正装に入る。しかし、ドレスをあつらえるということは、ローレンツはシグリをパートナーとして連れまわすつもりなのである。シグリは背が高いので、どうしても一から仕立てる必要があるのだ。

 社交界というのは、情報を集めるのに有益ではある。シグリも何度か足を踏み入れたが、このパターンは初めてだ。


 仕方がない、と割り切るべきなのだろう。ローレンツはやると言ったらやる。つまり、シグリが辞退しても連れていくだろう。ため息をついたとき、背後から声が抱えた。

「カウニッツ幕僚長」

 はっと振り返り、その姿を見てシグリは微笑んだ。

「これは軍務長官。およびくだされば参じましたのに」

 そういうと、軍務長官モーリッツ・フォン・フォルバッハは追うように笑った。

「いや、たまには古巣に戻るのも悪くない」

 モーリッツは、ローレンツの前任の元帥である。元帥は一人、と決まっているわけではないが、平時では一人から三人が基本である。モーリッツが現役の際には二人元帥がいたが、皇族の血を引くローレンツが元帥となった今、それを配慮したのか、元帥は彼一人だった。


 まあそれはともかくだ。実質的に全軍を預かる元帥と、それらへ指示を出す軍務長官。どちらが偉いか、といわれるとそれは軍務長官のほうが偉いだろう。だからシグリは「参りますのに」と言ったのだ。


「それに、こちらの方が耳目が少ないからな」


 その言葉に、シグリは目を細めた。聞き耳を立てているものがいない、という意味だろう。


 この元帥府は、シグリが整え、軍法で縛り上げた。長はローレンツだが、事実上の実権はシグリが握っているに等しい。いわば彼女は、この元帥府という国の宰相なのだ。

「……どのようなご用件で?」

「ああ、君にも話がある。ローレンツ様はおられるかな?」

 というわけで、ローレンツの執務室に向かった。果たして、ローレンツは執務室で過去の記録を読み直していた。

「珍しいな、長官。シグリ、茶を」

「はい」

 雑用の従僕を追い出し、シグリが代わりに簡易キッチンでコーヒーを入れる。邪魔なので、さすがに髪は束ねる。彼女が緩く髪を結う姿を、ローレンツは目を細めてみていた。さらにそんなローレンツを見たモーリッツはにやりと笑う。

「ローレンツ様も、なかなかかわいらしいところがある」

「放っておけ」

 かわいいと言われるには体格の良すぎるローレンツは顔をしかめた。そこに、シグリがコーヒーと茶菓子を並べた。ローレンツに座れ、と手ぶりで示され、彼の隣に座った。


「さて……今朝がた、私の下から二番目の娘が元気よく出かけて行ったのだが」

「……」


 モーリッツには七人の子供がいる。一番上の娘はシグリの同級生だが、下から二番目の娘はフィリベルトの同級生である。

「カウニッツ幕僚長の家に行って、帰りにレオノーラのところに寄ってくる、とのことだった」

 ちなみに、レオノーラはモーリッツの一番上の娘で、シグリの同級生にあたる女性である。すでに嫁いでおり、下から二番目の娘……アレクシアが行く、と言ったのは、レオノーラの嫁ぎ先のことだ。

「さらに、皇女殿下のもとで行儀見習いをしている少女が二人、レオノーラの嫁ぎ先に向かった」

 モーリッツはコーヒーを飲むと、言った。

「気を付けてはいるが、甘いな。君たちらしくもない」

「ええ。本当は、ローレンツ様のお屋敷をお借りしようと思ったのです」

 大公邸であればおいそれと手出しはできない。だが。


「預かっているイルムヒルデが、ローレンツ様のことを怖がっているようで」


 ぶふぉお、とモーリッツが噴出した。シグリの真面目腐った言葉が余計に面白く感じられたのだと思われる。ローレンツは苦笑気味に言った。

「まあ、女子供から怖がられるのはよくあるのだが、あからさまにおびえられるのはな……」

「マティアス様とお会いしていただくためには、大公邸に入れるようにならなければならないのですけれど」

 そのあたりはぼちぼち慣らしていくしかないだろう。フィリベルトのことは平気なようだし。ローレンツになれる日も来る……はず。強面ではないのだが、精悍な雰囲気が怖いのだろうか。

「まあ、今回は妹たちと引き合わせるためだ。何も言わずに巻き込んだのは申し訳ない」

「ああ、それはかまわんのだ。ライヒシュタイン辺境伯家のことは、私も気にしていたのでな」

 モーリッツはおおらかに笑った。

「しかし、ライヒシュタインの関係より先に、アイクラー公爵家でしょうな。まだイルムヒルデ嬢の所在が割れたわけではないが、時間の問題だ。社交界では、『恩を忘れて消えた』と触れ回っている」

「私が聞いたのは、公爵の娘……マリーナだったか? 実の娘のほうが、『身分卑しい下男と恋仲になって逃げたのだ』と触れ回っていた」

「なんですって?」

 甥にポーカーフェイスと言われるほど表情の動かないシグリだが、さすがに顔をしかめた。触れ回るにしても悪意がありすぎる。冷徹な思考回路を持つのに、こうして情の厚いところがある。ローレンツは、シグリのそんなところを好いていた。もっとも、彼女自身も社交界の噂で振り回されたから、そのときの経験がよみがえったのかもしれない。


「……本当ではないことを証明するのは難しいものです。当然ですが、証拠がないのですから」


 苦し気にシグリはそう言い、それから息を吐いた。彼女にしては珍しいふるまいだ。

「ですが、それは今回の問題に根本的には関係がありません。というか、今回の場合、問題提起自体が難しいのですが……」

「こじつけるとしたら、アイクラー公爵家によるライヒシュタイン辺境伯家の強制接収だろうか。まあ、これも親戚だから、といわれるとどうしようもないな」

「家族関係に介入することは難しゅうございますからね。前にも申し上げましたが、アイクラー公爵はイルムヒルデとその妹を引き取ったことに関して、わたくしが知る限りの帝国法に触れていないのです。もちろん、ライヒシュタイン辺境伯家の最後の生き残りを引き取った以上、それらに対する説明責任、財産管理、所領の整理など最低限の責任はありますが、これらについて、貴族典範には明記されておりません。貴族名鑑に貴族の責務、として載るのみです」

 相変わらず柔らかな声音で明確な説明をしたシグリに、ローレンツとモーリッツはうなずいた。

「まあ、お前がそういうのであれば、そうなのだろうな」

「私も、幕僚長以上に法律に詳しいものを知らん」

 二人の言葉に、シグリは小首をかしげる。

「司法省などを探せばいると思われますが」

 生真面目に突っ込みを入れた後、シグリは男性二人を見た。


「となれば、これらの法律関係から攻めることは難しいでしょう。金の流れが怪しいので、納税関係から追えるかもしれませんが。ただ、イルムヒルデのことは彼女本人にかかっていると言っていいでしょう」

「強制的に引き離すことはできない、ということか」

「はい。現状でもわたくしが法律背反すれすれですね。帝国法、刑法、帝国人民法、貴族典範。どれをとっても、保護者から他人が無理やり被保護者を引き離す法がないのです」

 きっぱりと言い切ったシグリに、ローレンツは低く笑った。

「我々は危険なところに手を出しているわけだ」

「そういうことでございますね。まあ、明らかにイルムヒルデはよくない環境に置かれているわけですから、こういう時に権力を使うものではないかと」

「……なるほど。恐ろしいことを言うな、幕僚長は」

 モーリッツは興味深そうに現在の元帥とその幕僚長を見た。この二人がいる限り、軍部は大丈夫だろうな、となんとなく思った。












ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


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