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【7】












「さて。行きますわよ!」


 そう宣言したハイルヴィヒは、何も突然やってきたわけではない。シグリを尊敬しているらしい彼女は、尊敬する相手の屋敷に、先ぶれもなくやってくるわけがない。狙いがイルムヒルデだったとしてもそうだ。

 夏休みに入ってからしばらくの付き合いであるが、イルムヒルデもハイルヴィヒの対応に慣れてきていた。押しは強いが、本当に困ってしまったら引いてくれる。そして、的確に手助けをしてくれる。


 今日は、帝都に出かけようと約束していたのだ。その帰りに、妹たちの様子を見に行こう、という話をしていた。しかし、その約束の時間はあと一時間はあとである。

「ハイル、早いですね」

 イルムヒルデが首をかしげると、ハイルヴィヒは「ええ」とうなずく。

「イルを着替えさせようと思いましたの。その格好で行くつもりですの?」

「……こういう服しかありませんが」

 お互いを愛称で呼ぶようになった相手に、イルムヒルデは答えた。こういう服、とはシャツにスラックス、ベスト、ジャケット。つまり、男物の服だ。家主であるシグリも似たような格好なので、この屋敷にいる分には気にすることはなかった。


「そんなことだと思いましたわ!」


 せっかくのお出かけなのだから、きれいにしましょう! とハイルヴィヒは言うが、一つ問題がある。

「今からそろえようにも、私は背が高いのでそう簡単に着られるものが見つからないと思います」

 ドレスなどを着る場合はオーダーメイドだが、別に既製品がないわけではない。今からなら確実に既製品であるが、イルムヒルデの体格に合う女性ものがあるとは思えなかった。

「それについては問題ありません。シグリ様が自分の服を着てくれてかまわない、とおっしゃっていましたから。少し詰めれば着られるだろうと」

 にっこりと笑って言ったのはドリスだった。イルムヒルデは学校から直接この屋敷に来たので、何か足りないものがあれば、というシグリの配慮であった。

「……」

 確かに、シグリは長身のイルムヒルデを上回る長身だった。体格も似ているし、少し直せば着られるとは思う。しかし。


「……シグリ様、女性ものの服をお持ちで?」


 かなり失礼なことを聞いてしまったが、イルムヒルデはこの屋敷に厄介になるようになってから、ついぞ彼女がスカートをはいているところを見たことがない。その失礼な言葉に、ドリスは笑った。

「そう思われるのも仕方がありませんね。お持ちですよ。シグリ様のご身分では、ないと不都合なこともありますから」

「社交などを行うときですわね。イルとシグリ様は髪や目の色も近いですし、全く似合わないということはないでしょう。ありがたくお借りいたしましょうよ」

「ああ……ええ」

 ハイルヴィヒにも言われ、イルムヒルデはうなずいた。彼女は金髪碧眼、シグリも淡い髪色にアイスグリーンの瞳をしている。どちらかと言えば怜悧と言える美貌のシグリに対し、イルムヒルデは優し気な美貌であるが、美人というものはたいてい何を着ても似合うものだ。と、ハイルヴィヒは思う。彼女ほど癖の強い顔立ちだとそうもいかないが、イルムヒルデは無駄を削いだような美人顔だ。いけるだろう、とハイルヴィヒは判断した。


 実際にいくつかシグリの服を見せてもらう。ドレスではなく、普段着のものだ。その中から、ハイルヴィヒはブラウスとネイビーのスカートを選んだ。それにボレロを合わせれば、女性ものを着慣れていないイルムヒルデでも着やすいだろうと判断したのだ。

 これでもなれたほうなのだそうだが、イルムヒルデは人に肌を見られるのを嫌がった。折檻を受けた際の傷跡があるからだ。傷ができてもろくな治療もされず、今まで放置されてきた。医学を学んでいるハイルヴィヒがちょこちょこと治癒術をかけているし、シグリも実際に医者を呼んで見させたのだそうだ。完全に痕が消えることはないだろう、と言われたそうだ。

 そういったイルムヒルデが隠したいものを全部覆い隠したころ、ほかの同行者二人が来た。一人はフィリベルト。もう一人は。


「やあ、久しぶり!」


 元気よく挨拶をしたのは、ハイルヴィヒやイルムヒルデの同級生の少女だった。栗毛を一つに束ね、大きな紫の瞳をした美少女。

「お久しぶりですわね、アレクシア。来てほしいとお願いはしたけれど、本当に来てもらえるとは思いませんでしたわ」

 アレクシア・フォン・フォルバッハは公爵令嬢である。子爵家や侯爵家の子女であるハイルヴィヒやフィリベルトよりも、身分上では上になる。学院では気にしたことはないが。

「うん。姉さまにも言われたんだよねぇ。ちょっと様子見てきてくれって」

「お姉様に?」

「そう。一番上の姉様は、カウニッツ幕僚長の同級生なんだ」

「……初耳ですわ」

 世間とは狭いものだ。アレクシアは七人兄弟の下から二番目である。一番上の姉とそれくらい年が離れていても不思議ではない。

「意外なところでつながりがあるな、と感心していたところだ」

 知っていたのか、とフィリベルトに尋ねると、彼はそう答えた。彼も知らなかったようだ。まあ、帝国広しといえども貴族社会というのは意外と狭いものだ。


 困惑気味のフィリベルトとあきれ顔のハイルヴィヒ、楽し気なアレクシアの耳に、控えめな笑い声が届いた。はっとしてイルムヒルデを見ると、彼女は控えめにくすくすと笑い声をあげていた。自分が視線を集めていることに気づくと、さっと青ざめた。


「すみません……」


 謝る必要はない、といおうと、ハイルヴィヒは口を開いた。しかし、言葉を発したのはフィリベルトのほうが早かった。

「いや、笑ったのをはじめてみたから、驚いただけだ。君は笑っていた方がいいと思う」

 正確に言えば、イルムヒルデが笑っているところを見たことがないわけではない。学院では、いつも微笑んでいたし、愛想のよい少女だった。


 しかしこれは、シグリのポーカーフェイスと同じだ、とフィリベルトは思う。


 シグリの場合は自らの意思で表情を隠しているが、イルムヒルデはそうしなければ生きてこられなかった。安心して笑ったであろう先ほどの顔が、いつもより穏やかに見えた。

 そうして笑っているほうがいい。無理やり何かを押し隠しているような笑みを見ているより、ずっといい。

 イルムヒルデは恥じ入るようにうなずいた。ほんのり赤い頬を見て、ハイルヴィヒは彼女に抱き着いた。

「ハ、ハイル?」

「びっくりしましたけれど、イルがかわいいから許しますわ」

 フィリベルトもイルムヒルデも何の話だ、という顔をしている。アレクシアだけが苦しそうに笑っていた。














「まずは服を見に行きましょう。探せば、アレクが着ているような女性ものの服もありますわよ」


 街に出たことがない、というイルムヒルデの手を引いて、ハイルヴィヒは明るく言った。イルムヒルデはアレクシアを見る。朗らかな少女は、女物だとわかるが動きやすそうな服を着ていた。簡単に言うと、スカートの下にスラックスを履いているような感じだ。

「……こんな服もあるんですね」

 アイクラー公爵邸では絶対に着られなかった。イルムヒルデが男装しているのもいい顔をされなかった。かといって、イルムヒルデもスカートを履く気はなかったが。

「イルムヒルデの服は自分のではないのか?」

 フィリベルトがふいに尋ねた。イルムヒルデはうなずく。

「シグリ様からお借りしました」

 というと、彼は驚いた顔をして、


「あの人、女物の服を持っているのか……!」


 とどこかで聞いたようなことを言った。ハイルヴィヒが半眼になって、アレクシアがまた笑い声をあげた。彼女がいるだけで雰囲気が明るくなる。

「ま、とにかく行こうよ。服を見て、甘いものでも食べに行こう」

 そう言ってアレクシアはハイルヴィヒがとっているのと逆のイルムヒルデの手を引いた。











ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


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