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【4】













 イルムヒルデがしばらく暮らすことになった屋敷の主、シグリは忙しい人だった。と言っても、たいてい元帥府に詰めているだけなので、夜には帰ってくる。しかし、昼間はイルムヒルデ一人だということで、なんとなく居心地が悪いのは仕方がないだろう。

 屋敷の主が言った通り、使用人は少なかった。イルムヒルデの世話をしてくれているドリスを含め、メイドが三人と侍女が一人、バトラーとフットマンが一人ずつ、コックが一人。……いるらしいが、イルムヒルデは全員を見たことがなかった。


 しかし、小規模の屋敷とはいえ特に爵位のない女性が住んでいるにしては、使用人が多いほうなのでは、と思う。支援を受けている様子もないし、そう不思議に思っていると、ドリスが教えてくれた。


「このお屋敷は、カウニッツ家のものではないんです。元帥府から与えられた官舎のようなものです。使用人も、私と侍女のマルガ、フットマン以外は元帥府が雇っているんです」


 とのことだった。シグリは元帥府の幕僚長であり、せめてこれくらいの屋敷には住んでいないと示しがつかない、と押し付けられたらしい。へえ、とイルムヒルデは驚いた。女性でも、一定の能力があればそうして一人でも生きていけるのだ。そう。シグリは独身女性だった。

 あんなに美人で優しい人がなぜだろうと不思議だったが、どうやら離婚歴があるらしかった。結局、なんでこんな美人で優しい人が、というところに戻ってくるのだが、知りたいような知りたくないような気がする。

 忙しい人だが、時間が合えば食事やお茶に付き合ってくれたし、イルムヒルデの話に付き合ってくれた。母というほど年が離れていないので、年の離れた姉、と言ったところだろうか。


 両親を失ってから、こんなに優しくされたことはなかった気がする。こんなに、ゆっくりしたこともない気がする。いつも、自分と妹の身を守るのに必死だった。

 落ち着いてくると、妹たちが気になってくるイルムヒルデだ。そわそわしているところにやってきたのは、同級生のフィリベルトとハイルヴィヒだった。

 これまで、それほど交流があったわけではない。会えば話はするし、仲が悪かったわけではない。それでも、彼らがイルムヒルデを助けてくれたのは不思議だった。自分だったら、同級生というだけでは助けない……いや、助けるのにためらう。


「こんにちは。顔色が良くなったのではなくて?」


 そう切り出したのはハイルヴィヒだった。赤い髪の色っぽい少女。本当に同い年なのだろうか、とイルムヒルデもフィリベルトも思う。

「こんにちは……先日は大変お世話になりました」

 一応、お礼を言っておく。少なくともイルムヒルデが心穏やかにいられるのは彼らが助けてくれたおかげだからだ。妹たちが気になるけど……。

「……元気そうでよかった」

 フィリベルトは何とかそれだけ言った。前に声をかけたとき、イルムヒルデが取り乱したことを覚えている。声をかけるのをためらうのは当然だ。

「はい。おかげさまで」

 落ち着いた様子で答えたイルムヒルデにフィリベルトはほっとした。もともと冷静な少女だという印象がある。叔母のシグリも落ち着いた人だ。つられて落ち着いていても不思議ではない。


「イルムヒルデとお話しできてうれしいですわ。ずっとお話してみたかったんですのよ」

 ティーカップを優雅に持ち上げ、ハイルヴィヒが言った。イルムヒルデは「はあ」と首をかしげる。

「私と話をしても、面白いこともないと思いますが……」

「あら、そうかしら」

 くすくすとハイルヴィヒは笑う。フィリベルトは少女二人の会話を聞いていた。口をはさむすきがないし、何を話せばいいのかもわからない。

「あの、フィリベルトさん」

「あ、ああ、なんだ?」

 突然イルムヒルデに話を振られて、フィリベルトは動揺しながらも顔を向ける。

「フィリベルトさんが私を助けて、ここに連れてきてくれたのだと聞きました。ありがとうございました。……それに、妹のことも……」

 礼を言われてフィリベルトは戸惑う。下心がなかったとは言えないし。


「……見捨てたと人にさげすまれるのが嫌で、助けただけなのかもしれない。と、今は思う」

 正直に言うと、ハイルヴィヒにわき腹を肘打ちされた。骨が当たって痛い。

「だとしても、こんなに心穏やかにいられるのは久しぶりなんです。だから、ありがとうございます」

「……そうか。なら、いいんだ。それに、妹君たちのことは、叔母の手配だ」

 そう。シグリは抜かりなかった。フィリベルトから事情を聞いた後、即座にイルムヒルデの妹たちを保護した。さすがの手際である。

「……勝手に叔母のところに連れてきてしまったんだが、叔母はどうだろうか? 悪い人ではないが、変わっているし、いつも屋敷にいるわけでもないが」

 フィリベルトの母エルナを筆頭とする前カウニッツ侯爵家の四姉妹は、全員変わっている、ということで有名だった。今度は聞き手に回ったハイルヴィヒは思い出す。フィリベルトの母エルナは長女。息子がドン引きするほどの物語好きである。そのすぐ下の妹は魔女で、世界を飛び回っている。三女は現在のカウニッツ女侯爵。フィリベルトは実母よりもこの女侯爵に似ている。末っ子四女が現在イルムヒルデを保護しているシグリだ。見た目は一番まともに見える。


 そもそも、身一つで身を立てられる貴族女性が珍しいのだ、とハイルヴィヒが思ったところで、話がふと途切れた。

「ねえ、イルムヒルデ」

「なんでしょう?」

 首をかしげるしぐさが上品だ。女性らしい仕草だと思うのに、中性的な雰囲気を感じる。このあたりもシグリに似ている、とフィリベルトは思う。

「あなたさえよろしければ、今度出かけませんこと? せっかく帝都にいるのですし。ああ、フィリベルトも同行になるでしょうけど」

 ハイルヴィヒには、イルムヒルデの青い瞳が不安げに揺れるのが分かった。外に出るのも怖いし、男性であるフィリベルトが同行することも不安なのだろう。理性では助けてくれた人、とわかっているだろうが、理性と感情は別物である。

「その、私、あまり帝都に出たことがないのですが……」

「だからこそですわ。身の安全は保障しますわよ」

 そういうことではないのだが、とイルムヒルデは思ったが、結局うなずいた。彼女にしては珍しいことに、好奇心が上回ったのである。

「約束ですわよ。歩くだけでも楽しいものですわ」

「……あと、叔母上の許可をとらないとな」

 フィリベルトがつぶやくように言った。たぶん、シグリは許可するだろう。監視はつけるかもしれないが。

 その後も、ぐいぐいとハイルヴィヒが押しまくり、戸惑い気味にイルムヒルデが返事をする時間が続いた。















 一方、シグリは職場である元帥府ではなく、執政を行う宮廷にいた。元官僚である彼女にとってはかつての職場でもある。

 彼女の上官たる帝国軍元帥ヴェルナー大公ローレンツは、普段は元帥府に詰めている。しかし、今はシグリとともに第一皇子マティアスの執政室にいた。


「僕の同級生を保護したそうだね、カウニッツ幕僚長」


 にこにことマティアスが言った。彼は眼鏡をかけているが、シグリも同じく眼鏡をかけている。同じ用途のものだ。つまり、二人とも魔眼の持ち主なのである。

 妙な共通点のあるこの国の皇子に、シグリは笑みを浮かべたまま柔らかな口調で言った。

「はい。甥から頼まれましたので」

「それだけが理由じゃないでしょう?」

 探るように続けられたマティアスの言葉に、シグリは表情を一切変えなかった。マティアスも人のことを言えないが、感情の読めない人だ。決して無感情というわけではないのだが、こういう駆け引きでは読みにくい。根競べになるか、とマティアスは身構えた。









ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


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