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【3】












 イルムヒルデが目を覚ますと、そこは見知った学院ではなかった。自殺未遂の件から、帝都に帰るまで医務室の世話になる予定でいたのだが、明らかにここは医務室ではなく、どこかの屋敷の客間に見えた。


「まあ、お嬢様。お目覚めですか」


 優しげな女性の声がして、イルムヒルデは驚いてそちらを見た。お仕着せを着ている。メイドのようだ。

「お具合はどうですか? どこか苦しいところなどは?」

「いえ……あの」

 ここはどこか、と聞こうとしたが、その前にメイドが口を開いた。

「申し遅れました。わたくし、当屋敷のメイドをしております、ドリスと申します。説明はわが主人よりしていただきますわね」

 そう言ってドリスと名乗ったメイドは主人を呼びに行った。ひそかにイルムヒルデは緊張する。彼女が言う主人とは誰だろう。気づかれたことはなかったが、彼女は男性が怖かった。逃げ出そうか迷っているうちに、ドリスが戻ってきた。背の高い痩身の女性が一緒だった。


「目が覚めたか。魔法で昏倒させた、と聞いたときはどうなるかと思ったけれど」


 明朗な言葉なのに、どこか柔らかく響く声だった。女性にしては声が低いほうだろう。

 さて、とイルムヒルデのベッドの近くの椅子に座った女性は、まず名乗った。

「私はシグリ・フォン・カウニッツ。及ばずながら元帥府幕僚長を賜っている。あなたの学友、フィリベルト・フォン・クラルヴァインは私の甥にあたって、彼があなたをここに連れてきた」

「……はあ」

 簡潔かつ分かりやすい説明であったが、やっぱり意味が分からなかった。イルムヒルデの唇から間抜けな声が漏れる。シグリは目を細めて微笑んだ。

「まあ、私はあなたをかくまうように頼みこまれただけだから。詳しい事情はフィリベルトから説明させよう」

「……」

 理解が追い付かないが、なんとなくわかってきた。イルムヒルデは、フィリベルトに。アイクラー公爵家に帰される代わりにシグリのもとへ連れてこられたのだ。まったく何もわからない、おびえていい状況なのに、イルムヒルデは公爵家へ帰らなくてもいいということに安心している自分に気が付いた。


「この屋敷内では自由にしてくれてかまわない。私しか住んでいないから、使用人は少ないけれど、たまに甥や姪が家出してくるので、客人には慣れているから」


 その説明を聞いて、そういえば聞き覚えのある名前であることに気が付いた。帝国軍元帥直属の幕僚シグリ・フォン・カウニッツは、女性の間では有名だ。社会進出を考える女性にはあこがれを、昔ながらの貴族女性には反感を抱かれる人である。少なくともイルムヒルデは、彼女に好感を覚えていた。彼女のほうに生きられたらいいと思っていた。

 そこまで考えて、はっとした。シグリにかくまってもらえるのなら、イルムヒルデは安全だろう。アイクラー公爵家がおいそれと手出しできる相手ではない。しかし。


「あ、あの。私には妹がいて……」


 妹たちが公爵夫妻に手を上げられる可能性があった。特に、イルムヒルデの実妹は危ない。悲壮な表情で訴えたイルムヒルデの肩を、シグリは落ち着かせるようにたたいた。

「大丈夫だ。あなたの妹は二人とも保護済みだ。今頃、二人とも宮殿だよ」

「……宮殿」

「そう。宮殿。私の上官の保護下にあるから、安心していい。行儀見習いという名目で、皇女殿下のもとにいる。落ち着いたら会いに行こう」

 シグリの上官、ということは元帥のことか。苛烈であるが公平な人物であると聞いているので、大丈夫だろう。少なくとも、第一皇子マティアスの従兄である、というだけで自分の養父母よりは信用できた。


「それで、あなたは私の保護を受けるつもりはあるかな?」


 柔らかく尋ねられ、イルムヒルデははっとした。自分が名乗っていないことにも気づいたし、何も返事をしていないことにも気が付いた。

「あの……イルムヒルデ・フォン・アイクラーと申します。ご迷惑でなければ、ここにおいてください」

 その返事に、シグリは満足げにうなずく。イルムヒルデの世話をドリスに任せた彼女は、客室から出た。


 うまく状況に対応できる子だ、と思った。逆に言えば、対応できすぎたのだろう。両親を亡くし、叔母夫婦に引き取られて状況が変化しても、うまく対応できすぎたのだ。

「その結果がこれとは」

 思わず口をついて出た。あんまりではないか。いくつか話をしただけだが、器量の良い娘だろうに。シグリは、フィリベルトから手紙が届いた時のことを思い出した。


 独身であるシグリのもとに、家出と称してやってくる甥や姪は多い。その中でも、フィリベルトはあまり頼ってこない甥だった。そんな彼からの急な頼みごとに、シグリは驚いたものだ。慌てて上官にあたる帝国軍元帥、ローレンツ・フォン・ヴェルナーのもとを訪れた。


「ほう、アイクラー公爵家の養女か。確か、ライヒシュタイン辺境伯の息女ではなかったか」


 低い声でそう言った上官に、シグリはうなずいた。保護してくれ、と言われても、シグリの一存では決められない。彼女の振る舞いは、ローレンツの評価に直結するからだ。

「お前の甥が保護したのか。……何やら因果を感じるな」

「……そう、ですね」

 シグリがローレンツと出会ったのは、国境ライヒシュタイン辺境伯領フリューアでのことだった。そして、シグリはライヒシュタイン辺境伯夫妻にも会っていた。

「で? お前のことだから、もう腹は決めているのだろう」

 藍色の瞳を細め、ローレンツは言ったものだ。彼の言う通り、その時点でシグリは腹を決めていたし、その決定に彼が否やを唱えることはないとわかっていた。


 かくして、シグリはイルムヒルデをかくまうことにしたのだが、そうして心からよかったと思う。イルムヒルデには妹がいたので、学院にいる知り合いに頼んで保護してもらった。こちらも、ローレンツに相談すると王女の遊び相手に宮殿に召し上げよう、ということになった。用心深い少女たちだったので、連れてくるのにも難儀したが。

「まるで人さらいのようだ……」

 イルムヒルデを連れてきたフィリベルトが言った言葉は、一理あるのかもしれない。というか、シグリもそう思った。

 彼は、一人でイルムヒルデを連れてきたわけではなかった。同級生のハイルヴィヒという少女が一緒だった。


「紹介すると約束していて」


 と言ったフィリベルトは目が死んでいた。一方、ハイルヴィヒは対面した長身痩躯の女性に目を輝かせていた。妖艶と称される彼女だが、この時ばかりは年相応の顔に見えた。

「お初御目文字仕りますわ! フィリベルトさんの同級生で、ハイルヴィヒ・フォン・オルデンベルクと申します! お会いできて光栄です!」

「ハイルヴィヒだね。私はシグリ・フォン・カウニッツ。いつも甥が世話になっている」

 明らかに平常のテンションではないハイルヴィヒに、シグリは落ち着いて対応した。フィリベルトにとっては叔母というより年の離れた姉のような存在であるシグリは、彼が知る限りテンションが一定である。

 そのテンションが一定のシグリも、さすがにイルムヒルデの現状を聞いてわずかに顔をしかめた。

「事情は分かった。アイクラー公爵令嬢の身柄は、私が引き受けよう。ただ、二人も彼女に会いに来ること。いいね?」

 シグリはそう条件を出した。ハイルヴィヒがイルムヒルデは男性が怖いのだ、と言っても、意見を翻さなかった。


「私は専門家ではないけれど、避けてばかりはいられないだろう。彼女にはライヒシュタイン辺境伯位をどうするか、決めてもらわねばならない」


 現在、選帝侯でもあるライヒシュタイン辺境伯位は宙に浮いたままだ。所領は国が代理で管理しているが、選帝侯がいつまでも空位でいるわけにはいかない。もし、彼女が継ぐ気がないのであれば、代わりの選帝侯を選出する必要があった。

 二つ返事でイルムヒルデをかくまうことにうなずいた叔母に、少し不安を抱いていたフィリベルトであるが、その背後にそうした政治的判断が隠れていることを知り、むしろ安心してしまったのは、彼が心配性だからだろうか。












ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


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