【10】
さらに一人、シグリが乱入してきたが、彼女は様子を見に来た、かつ、シャルロッテとカテリーナを宮殿に連れて帰るために来たらしい。確かに、普通ならまだ業務中だろう。
「お姉様と別れるの……」
しょんぼりしたのはシャルロッテだ。カテリーナは事情がある程度わかっているので、「仕方ないのよ」とシャルロッテをあやしている。イルムヒルデは困ったようで。
「あの、助けていただいた身の上で申し訳ないのですが、この子たちとアイクラー公爵邸に戻っても」
「ダメ」
きっぱりと否定したのはカテリーナだった。わずかに驚いたように、イルムヒルデがカテリーナを見る。
「絶対にダメ。ただでさえ、お父様やお母様はイルお姉様につらく当たるのよ。それに、お姉様、絶対に私やシャルをかばおうとするんだもの。私、お姉様をぶつお父様たちも嫌だけど、傷つくお姉様を見るのも嫌なのよ」
「……カティ」
困ったようにイルムヒルデはカテリーナを見た。義理の妹は続ける。
「それに、ここで戻ったら、フィリベルト様達がしてくれたことが無駄になるわ。私もお姉様と離れたくないけど、別の方法が見つかるまでは仕方がないと思う。私たちには力がなくて、自分の身を守るほどのこともできないんだもの」
手を差し伸べてくれた人にすがるしかないのだ、とカテリーナは冷静に言った。彼女の実の兄姉はいかにも貴族らしい人なのだが、カテリーナだけは落ち着いた冷静な少女だった。
「ああ、大いによろしい。フロイライン・カテリーナ、あなたの言うことは実に理に沿っている」
教師が生徒に合格点を与えるように、シグリは言った。しかし、と彼女は目を細めてつづけた。
「結局、それはイルムヒルデの人生だ。私やフロイラインが強制できるものではない」
「……はい」
こくりとカテリーナがうなずいた。素直な彼女の様子に、シグリは笑んだ。
「フロイラインの冷静かつ事実を認識できている言葉は貴重だ。姉君をよく見ていて差し上げよ」
「もちろんですわ」
イルムヒルデはええー、という心持になったが、カテリーナはしっかりとうなずいた。
「……特にシグリ様にはご迷惑をおかけしている自覚はありますし、妹たちが近くにいた方が安心するのですが……」
イルムヒルデが言い募ると、シグリは手を伸ばしてイルムヒルデの頭を撫でた。
「イルムヒルデ、それは違う。気持ちはわかるけれど」
「ですが」
「たいていの場合、拾った側は迷惑だと思っていないものだ」
「あら、それ実体験?」
レオノーラが興味深そうに尋ねた。シグリは「さて、どうだろう?」とはぐらかそうとする。
「私は説教ができるほど偉くはないし、人生経験もないが、イルムヒルデは人を頼ることを覚えるべきだと思う」
イルムヒルデはうつむいた。シグリの言葉は説教ではない。忠告である。イルムヒルデは人を頼らない自覚があった。だから、こうして助けられた時に戸惑う。
「あなたで偉くなかったらわたくしたちの立つ瀬がないわ。あなたほど波乱万丈な人生を送っている人も今どき珍しいわよ」
「そんなに波乱万丈だろうか」
レオノーラの言葉に肩をすくめ、シグリは首を傾げた。シャルロッテが興味深そうにシグリを見た。
「小母様、冒険者なの?」
「こら、シャル」
叱ったのはカテリーナだ。さすがに二十六歳の女性に小母様は失礼である。本人は気にしていなくても、節度というものがあるのだ。
一つ年下の義理の妹にお説教しているカテリーナを、イルムヒルデはほほえましく眺めていた。楽しい時間はあっという間だ。
「そろそろお開きかしら」
そう言ったのはレオノーラだ。それからふとシグリを見る。
「そういえばあなた、仕事はよかったの?」
「今頃阿鼻叫喚なんじゃないですか」
エーリックも声をかけてくる。そうかもしれないね、とシグリはこともなげに笑った。エーリックは不安になる。彼女は元帥府の頭脳だ。以前、彼女が熱を出して寝込んだ時、それこそ元帥府は混乱の極みであった。
「早く戻りましょう、シグリ。心配です。主に元帥が」
にわかに不安になったエーリックが立ち上がって言った。シグリは立ち上がりながら「指示はしてきたから、大丈夫だとは思うが」と答える。
「では、フロイライン・カテリーナ、フロイライン・シャルロッテ。行こうか」
シグリが手を差し出す。シャルロッテはぐずったが、またすぐに会える、と説得してイルムヒルデから離れた。シグリは十二歳の少女と手をつなぎ、「冒険ではないが、私が訪れた地方の話をしよう」と語りかけていた。それってつまり戦場の話では、と思ったが、彼女は少女たちに戦争の話などしないだろう。
イルムヒルデは馬車に乗り込む妹たちに手を振る。彼女たちは手を振り返したが、少し寂しい。それに気づいたハイルヴィヒが言った。
「また会いに行きましょうね」
「……うん」
その振る舞いが子供っぽくて、ハイルヴィヒは笑ってイルムヒルデと手をつないだ。
「それと、あなたはシグリ様と話をしてみるべきではないかと思いますわ。あの方はきっと、厳しいことを言いますけれど、傷つけることは言わないと思いますわ」
「ハイル、シグリ様と知り合い?」
首を傾げたイルムヒルデに、ハイルヴィヒは「いいえ」と答えた。
「けれど、ふるまいを見ていればなんとなくわかりますわ」
「……ハイルは鋭いな」
「イルにもできると思いますわ」
「あなたたち、仲良しねぇ」
レオノーラが楽し気に二人をからかった。
ハイルヴィヒやアレクシア、フィリベルトと帝都に出るのは楽しかった。イルムヒルデはほとんど屋敷を出たことがなかったが、妹たちを連れていけたらいいのに、とも思った。
イルムヒルデが逗留中の屋敷の主、シグリは忙しい人だが、休みもある。ハイルヴィヒに言われた言葉を思い出して、イルムヒルデはシグリに声をかけた。
「シグリ様、マルガがお茶にしましょうと」
「ああ、いいね」
入るように言われて、イルムヒルデはシグリの私室に足を踏み入れた。カートを押したマルガがそれに続く。思っていた通り本が多いが。
「チェロ、ですか」
「ん、ああ」
ソファに立てかけられた大きな楽器を見て、イルムヒルデが尋ねると、シグリがうなずいた。
「母が、娘全員に違う楽器を習わせたがったんだ。母はヴィオラが得意だったから、それ以外の楽器だ」
長姉であるフィリベルトの母はピアノ、次女はフルート、現カウニッツ侯爵である三女はハープ。そして、末っ子のシグリはチェロ。
「……なぜそこでヴァイオリンではないんですか」
マルガからコーヒーを受け取りながら、イルムヒルデが尋ねると、シグリは苦笑した。
「父がヴァイオリン奏者だったんだ」
なるほど。シグリの父は、もう十年以上前に亡くなっている。当時の騒動も一緒に思い出し、シグリは視線をカップに落とした。それに口をつけてから、イルムヒルデに尋ねた。
「イルムヒルデの方から誘ってくるのは珍しいな。何かあったのか」
「あ、えっと」
話してみれば、とハイルヴィヒに言われたのも確かにある。しかし、イルムヒルデも聞いてみたい、と思ったことがあった。以前、妹たちと対面したときの会話の一つ。
「……先日、シグリ様は私の言葉を聞いて、『わかる』といいましたよね。その、私がご迷惑をおかけして申し訳なく思っているという話で」
「ああ、言ったな」
「同時に、拾った方は迷惑だと思っていないものだ、ともおっしゃいました」
「うん、言った記憶がある」
覚えているのなら話は早い。イルムヒルデは身を乗り出した。
「その……実経験ですか?」
イルムヒルデの問いに、シグリは目を細めた。
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