【1】
新連載です。私にしては暗めかもしれません。ダメだ~という方は自己回避願います。
優秀な官僚が欲しい。
というのが、最近のフィリベルトの主の口癖である。クラルヴァイン侯爵家の次男であるフィリベルトの主は、ハルシュタット帝国第一皇子マティアス。ハルシュタット帝国は選帝侯制度を採用しており、皇帝が後継者を指名する前に崩御した場合、選帝侯会議が開かれる。逆に言えば、皇帝が後継者を指名すればその人物が次の皇帝になる、ということで、マティアスは次期皇帝に指名されるだろう、と言われていた。まあ、順当なところだろう。
フィリベルトはたまたま第一皇子と同じ年で、たまたま学院での席が隣で、たまたま彼に気に入られて友人をしているような人物だった。マティアスには「頭はいいけど研究者タイプだね」と称される。
「フィリならできそうだと思ったんだけどね」
「叔母ほどの能力を持つ官僚は、なかなかいないと思います」
生真面目にそう答えると、マティアスは眼鏡の奥で空色の瞳を細めて肩をすくめた。この第一皇子は、非常に整った容姿をしている。ダークブロンドの髪に空色の瞳。涼やかな目元が印象的な好青年。メガネは視力を補助しているわけではなく、彼のささやかながら力ある魔眼を封じていた。
一方のフィリベルトも整った容姿をしていた。金茶色の髪に深緑の瞳は切れ長気味。これらの特徴は、母方の血筋だろう言われていた。
周囲をざわつかせる程度の容姿と身分を持った二人は、この食堂に入ったとたんに周囲を騒がせたが、再び食堂内に小さな歓声が上がった。つられて入口のほうを見る。優雅な身ごなしで食堂に入ってきたのは、金髪碧眼の正統派な美形である。一見すると男か女かわからないが、よく見るとそれが少女だとわかる。
「ああ、イルムヒルデだ。彼女を取り込めるといいんだけど」
「……」
フィリベルトも、マティアスがずっと彼女に目をつけていたのは知っていた。学院での成績は常に上位。魔法にも造詣が深く、バランスの取れた能力を持っている。つまり、マティアスの求める官僚的働きができるであろう人物なのだ。
ただ、問題があって、マティアスも、彼らの友人たちも誰一人彼女とは親しくなかった。そもそも、彼女自身が人と深くかかわるのを避けている様子が見られる。
イルムヒルデ・フォン・アイクラーはアイクラー公爵家の養女にあたる。元は東の国境、ライヒシュタイン辺境伯家の出身であるが、両親が身罷ったため、母方の縁者であるアイクラー公爵家に引き取られたのだ。
ただ、そこでの暮らしは楽ではないようだ。せっかくの美貌を暗い瞳で濁らせた彼女は、他人とも一歩線を引いているような、そんな印象を受ける。だから深く踏み込めないという事情があった。
正統派美人のさっそうとした姿は美しい。そんな歓声が上がった午後一時過ぎのことである。
ところで、学院はすでに夏季休暇に入ろうとしている。試験もほぼすべて終わり、みな休み中に何をしようかと話し合っている。フィリベルト自身も長い休暇中に何をしようかと考えている。まあ、ほとんど社交に終わりそうだが。
ちょうどそのころ、フィリベルトは妙な拾いものをしてしまった。
何気なく学院の敷地内の中にある湖に向かったのが運の付きだ。演習を行うこともある湖なのだが、遊歩道もあるので散歩をする学生も多い。カップルが多いが、フィリベルトは一人で歩いていた。そして、水際に倒れるイルムヒルデを拾ったのだ。
「おい、大丈夫か?」
駆け寄って気が付いた。水につかった左腕が不自然に赤を含んでいることに気が付いた。腕を引き上げると、手首を切った跡があった。慌てて止血をし、治癒魔法をかける。初夏だが、これだけ水につかって入れば体も冷えている。
落ち着け。まず深呼吸。
どうすればいいのかわからなくても、落ち着いていればすべきことがわかるものだ。
叔母の柔らかな声が耳の奥に響いた。深呼吸をしたフィリベルトは、イルムヒルデを抱え上げると、校舎に戻った。考えてみれば、そうするしか方法がない。
医務室に入ると、湖に落ちた、と説明した。さらに治癒魔法に優れた友人を呼びだす。
「何かと思って来てみれば、面白い拾い物ですわね?」
開口一番そんなことを言ったのは、フィリベルトと同い年とは思えない妖艶な美少女だった。赤褐色の髪にヘイゼルの瞳。やや吊り上がり気味の目の目じりには、泣き黒子がある。オルデンベルク子爵家の長女、ハイルヴィヒだ。
誰かの助けが必要だ、そう思ったのとき、思い浮かんだのは彼女だけだった。ハイルヴィヒはハイルヴィヒで、すでに帰宅準備に入っていたのだが、普段頼られることのないフィリベルトからの救援要請に面白がって応じてしまったところがある。まあ、その結果、意識のないイルムヒルデに対面することになったのだが。
「湖に落ちたのですって? その割には顔色が悪いけれど、怪我でもなさったの?」
「……手首を切った跡があった。たぶん、自分で切ったのだろう」
フィリベルトが言うと、椅子に座ってイルムヒルデの顔色を確かめていたハイルヴィヒは目をしばたたかせ、イルムヒルデの左手首を確認した。フィリベルトが治癒したので、痕は残っていない。
「私が治癒魔法をかけた。校医に突っ込まれては困る」
「……ええ、まあ、そうですわね……」
一応、ハイルヴィヒも納得したようだ。彼女はため息をついた。
「つまりそれは、彼女をアイクラー公爵邸に戻さない、ということですわね?」
ハイルヴィヒとしても、フィリベルトの判断は理解できるものがあった。イルムヒルデはアイクラーを名乗っているが、アイクラー公爵夫妻の実子ではない。夫人の姉の娘にあたる。イルムヒルデは両親を亡くし、叔母夫妻に引き取られたが、養父母となった彼女らはイルムヒルデにつらく当たった。おそらく、彼女が自分の子供よりも優秀だったことが原因の一つだろう。ほかにも多くの原因はあるだろうが、とにかく、彼女はアイクラー公爵邸で罵られ、体罰を受けているのだろうと思う。傷跡などは確認していないが、ふるまいを見ていればなんとなくわかるものだ。
人に触れられるのを怖がる。背後に立たれるのを嫌がる。話していると、必要以上に卑屈だ、と感じることもある。
教員に自殺未遂を知られれば、彼らは保護者であるアイクラー公爵夫妻に事情を説明せざるを得ない。それを聞いた彼らは、イルムヒルデをこれまで以上につらく当たるだろう。イルムヒルデには実の妹がいる。彼女もこの学院の中等部に通っているが、姉は妹をかばおうとその仕打ちに耐えるのだろう……。
「ああ、もう!」
考えるだけに腹立たしいが、ハイルヴィヒやフィリベルトにどうすることもできないのも事実だ。
「わたくしの家ではかくまえませんわ。身分が低すぎます。かといって、あなたが連れ帰るのもねぇ」
「……いろんな噂が立ちそうだな」
「ですわね」
ここは同性であるハイルヴィヒが友人を案じて一緒に戻った、とすればいいのだろうが、何分、ハイルヴィヒは下級貴族の出だ。権力至上主義のアイクラー公爵からはかばいきれまい。
フィリベルトもそこは考えていた。まさか自分が連れ帰るわけにもいかない。かどわかしたのかと疑われるのが関の山だ。身分的にはハイルヴィヒよりも適任であるのだが、性別の問題は越えられない。
「……だが、心当たりがないわけではない」
フィリベルトがそう言ったとき、イルムヒルデが目を覚ました。ハイルヴィヒがにっこりと笑いかける。
「おはよう。気分はいかがかしら?」
澄んだ碧眼がイルムヒルデの姿を映し出す。しばらくぼんやりしていたイルムヒルデだが、だんだん覚醒してきたようで目を見開いた。
「……私、生きてる」
「当然ですわ」
ハイルヴィヒの言葉に、イルムヒルデは愕然とした。
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