いじめという現象~ 自分を見失わないように
会社から帰宅途中の電車の中。
スマートフォンでニュース記事を読んでいたら不意に話しかけられた。いつもだったら、顔に出したりはしないのだけど、心の準備をしていなかったものだから、僕は思わずそいつを見て嫌な顔をしてしまった。
断っておくけど、僕は別にそいつの事が嫌いって訳じゃない。こんな公の場じゃなくて、例えばどっかの部屋で見知った仲間で数人くらいって状況なら、無理せずに自然のままで笑顔で会話できる。
だけど、彼は人の多い場所で会うには ……少なくとも電車の中で会うには、少しばかり問題のある男なのだった。
「そんなに嫌な顔をするなよ。傷ついちゃうよ」
そう大きな声で言いながら、彼は僕の隣の席に腰を下ろした。
彼は声が大きな男なのだ。一応断っておくと、僕が問題にしているのはそんな点じゃない。声の大きさに多少は困っているのは事実だけど、我慢できない程じゃないし。
「おっ! なんだ、ニュースを読んでいるのか? 真面目だな。ああ、そのニュースな。小学校の先生が幼稚ないじめをやっていたって例のニュース」
彼は僕のスマートフォンを覗き込むなりそう言った。
そう。
彼が言う通り、僕はその時、小学校の教諭四人が結託して、同僚の教師をいじめていて、その動画を撮影までしていたというあの有名なニュースの記事を読んでいたのだった。
彼は僕の読んでいた記事がどんなものであるのか知りもしないのに、
「しかし、確かにあの“いじめ動画”は異常だったが、俺はそのいじめ問題を教師個人の問題として扱うべきじゃないと思うぞ」
と、そんな事を言って来た。
ただもっとも、僕が読んでいた記事は当に彼の言う通り、教師個人を責めるものだったのだけど。
「“いじめ”って心理現象は、それこそ誰にでも起こり得るんだ。決して、特定の個人の問題なんかじゃない」
そう言うと彼は腕組みをした。
まぁ、彼の言う通りかもしれない。彼は更に続けた。
「俺は昔から“いじめ”ってのは不合理だと思っていたんだ。だってよ、もし誰かをいじめていたなんて話が公の場で明らかになったら糾弾されちまうんだぞ? はっきり言ってリスクとリターンのバランスが合わないよ。
で、それで“いじめ”ってのは普通じゃない心理状態で起こるものなんじゃないかって仮説を立てていたんだが、あの“いじめ動画”を見て確信したね。
いじめは心の病気の一種みたいなもんなんだよ。精神が異常な状態になってはじめて発現するんだ。
そもそも誰かを自殺や神経症になるまで虐待しているのに、本人達はヘラヘラ笑っているんだぞ? 危ないクスリでもやっているんじゃないかって疑っちまうよ」
「まぁなあ」とそれを聞いて俺は言った。
道徳問題とかそういうフィールドでいじめを語るってのは聞いた事があるが、心の病として扱うってのはあまり聞かない。
「ただ、病気って言っても、いじめは個人に起こる現象じゃない。
考えてもみろよ、いじめを楽しむ心理ってのが人間にあるのは事実なんだろうが、それだけじゃいじめは成り立たないんだよ。ま、普通は周りが止めるからな。
つまり、いじめを周りが黙認、或いは承認しなければ、いじめって現象は成立しないんだよ」
僕はそれに頷いた。充分に納得できる話だ。
「そして、周りが認めてくれている事が本人達にとって楽しい。こーなって来ると、感覚がおかしくなっても不思議じゃない。
宗教とか暴動とかを思い浮かべてくれれば分かり易いが、周りの皆が“同じ事”をしているって条件は人間をおかしくさせるからな。正常な判断力を奪っちまう。
しかも、快感ってのは繰り返すと慣れちまってあまり感じなくなっていくから、どんどんいじめは過激になっていく。脳が快楽を欲して、いじめ行動に人間を突き動かしていくんだよ。
こー考えると、本当に危ないクスリみたいだがな。
そして、更にこれが進むと末期症状だ。その集団内では“いじめを行うのが正しい”ってされちまうんだ。まぁ、半ばルールみたいになるんだよ」
僕は彼のその話を聞いて“だから、あの教師達はいじめ動画なんてものを撮影してしまったのかな?”なんて考えた。
彼らの中では、いじめは“正しい事”になっていて、それが世間にも通じると錯覚してしまっていたのかもしれない。
また彼は言った。
「脳ってのは容易く自分を騙すもんだよ。快感が欲しくて、“いじめをしても大丈夫、大丈夫”って囁きかけるんだ。更に、周囲の人間関係がそれに加担したら、むしろ騙されない方が不思議なくらいだ」
そこまで言うと、興奮したのか彼は立ち上がる。そして、こう続けた。
「断っておくが、これはいじめ問題にだけ当て嵌まる話ってわけじゃないんだぜ? 人間は、自分にも、周囲にも、常に感覚をおかしくさせられ続けている生き物なんだよ。そのことを確りと頭に入れて、舵取りをするようにしないと、直ぐに行動を誤る! 気を付けるんだ。お前もな」
僕はそれに「うん。まぁ、分かったよ」とそう返した。
とても言い難そうにしながら。
できる限り、視線を下に向けないようにして。
――何故ならば、立ち上がった彼はズボンをはいていなかったからだ。
なんだかよく分からないが、それは“今の社会の現状に対する抗議活動”なんだそうだ。それで何が抗議できるのか、僕にはまったく分からないのだけど。
「自分を見失うな! 行動を誤るなよ!」
興奮して、彼はまたそう言った。
「ああ、うん」と僕は返した。
……もし、ズボンをはいた方が良いと僕が彼に忠告したりしたなら、彼は「お前は社会という集団に騙されているんだ」とか、そんな事を言われそうな気がする。
そこに、どんな合理性があるんだ?と。
僕としては、少なくとも、ズボンをはいた方が寒くないって合理性はあると思うのだけど。
どうか、自分を見失わないで欲しい。
……彼だけでなく、これを読んでいる君自身も。