隣のあの子
続きます。
山崎は言った。【私の犬は濡れている】と。
俺は言った。【犬種は?】と。
山崎は答えた。【パピヨン】と。もうコイツと縁切ろうかなって思った。
何やってんのコイツ寝ろよ。なに知性失ってまでホラゲしちゃってんの? 修行でもしてんのか?
【すたぼろひ】
『寝ろ、今すぐ』
『あぉん……』
即電したスマホの向こう側から蚊の鳴くような声が聴こえた、ていうか犬だった。もはや人間捨ててる気がする。もう寝たところで夢にまでホラゲの内容が出てくんじゃねぇの。
いやホント、ホラーゲームとかガチで頭おかしいのが多いんだから長時間は控えた方が良い。ありゃ楽しむもんであって挑戦するもんじゃねぇから。
シャワーで汗を流し、山崎を現実に引き戻すためチェバの定理の内容をメッセージに貼り付けていると、俺のアプリがまた更新された。……あれ、山崎じゃない……?
【その……お願い? 罰? なんだけど……】
来ました。
待ってましたよ夏川さん。思わず正座待機。我ながらキモいな、何なの俺のこの反射神経……ほぼ無意識だったんだけどヤバくない?本人を目の前にして話さない分緊張しないから自制心が働かないんだわ。なに冷静に自己分析しちゃってんの……。
続きを待っていると、さっきのメッセージから18.34秒後(重症)にまたメッセージが送られてきた。
【愛莉とまた遊んで?】
何……だと?
愛莉ちゃん……愛莉ちゃんかぁ。遊ぶっていうのはこの前お邪魔したときみたいな感じで良いんだよな……。え、いやちょっと待ってそれ結構難易度高くない?サラっとまた夏川ん家行くことになってる?いやいや落ち着けよ、そう簡単に女子が男を家に上げるわけねぇだろ?なんか前回は特別な事情だったっぽいし、そう易々と俺があの聖域に立ち入れるはずがないんだよ。
【えっと……? 愛莉ちゃんがシルバニアファミリー欲しがってるから買ってくれってこと?】
【一言も言ってないんだけど】
【あれ】
あっれ、解釈間違ったかな……まさかあれか?前はぶつかり稽古っぽいのしたし、スリルを求めてんのか。意外と趣味が男の子寄りなのかもしれない。
【ライダーベルトの方だったか】
【一言も言ってないんだけど!】
……あれ?
怒る夏川。何かすっげぇ可愛い怒ったスタンプ送って来て叫びたくなってる。愛莉ちゃんは女の子だからそんな男の子っぽい扱いするなとの事。や、ホントはそうだと思ってたんだよ。あんなに可愛い愛莉ちゃんが男の子みたいな趣味なわけないよね。知ってた。知ってたよ?
【愛莉ちゃんをどれだけ楽しませられるかお手並み拝見ってとこか……】
【だから違……くないけど! 何で自分でハードル高くするのよ!】
【愛莉ちゃん欲しいもん無いの?】
【お金使おうとしないで! させないからね!】
えっ、お金使わなくて良いの?(重症)
マジかよすげぇ優しいじゃんこれホントに罰?もっと従僕的な感じのが来るかと思ってたわ。んでもってたぶん喜んで引き受けてたわ。でもそれどうなの?個人的に夏川に関わるだけで全部ご褒美みたいなもんなんだけど。
【愛莉ちゃんと遊ぶ事は罰じゃねぇだろ】
【私、姉失格ね】
【おん!? 突然どうした!?】
え? え? なにその切り返し? 2秒で返って来たんだけど。俺にとっちゃ全く罰になってないって話で……あれ?言い方ミスったかな? 夏川さん落ち込んじゃったんだけど。
【罰を受けるのは私の方かもしれない】
ええっ!?
急展開すぎる……! 何で急に後ろ向きなんですか! いつもの夏川さんどこ行っちゃったの?胸張って自分は妹想いの優しい姉なんだと言って良いくらいのシスコンだと思うけど。俺はどんな夏川さんでもオッケーですよ!
【夏川、この話いったん保留にしよう。ゆっくりで良いから】
【……わかったわ】
夏川愛華という美少女の刺激しちゃいけない部分を突いてしまった気がする。そして今の表現に若干興奮を覚えた俺は地獄に落ちるべきだと思った。よく解らんけど夏川にはとりあえず冷静になってもらおう。このまま話してると良い意味で俺もダメージを受けて耐え切れなくなりそうだ。うへへへへ。
【いやぁ、へし折ったねさじょっち】
夕方。部活を終えて落ち着いたであろう芦田から個人的な謎メッセージを頂いた。訳が解らんかった。
◆
次の日のバイトは何だか体の調子が良かった。何故かって言われればやっぱり朝4時にけたたましい通知音で起こされなかった事だと思う。今日も起こされてたら本気で早朝に山崎の家にカチコミしてたわ。睡眠ってやっぱ大事。
「佐城くん、三番の棚列に空き有ったかね?」
「確か……A番の棚が結構売れてて、20冊くらいなら余裕で収まると思いますよ。やっぱ古本っつっても最近のものが人気なんすかね」
「あぁ、最近の本ならまだしもこの時代……古いのはインターネットで見れたりするからね。しかも現物以下の値段と来た」
「あー……え? それ大丈夫なんすか?」
「佐城くん。世の中にはな、生の本じゃないと満足できない人が居るんだ。決して大衆じゃないがね」
「読書家っぽいっすねぇ」
まぁどちらかと言えばこの店はマニア向けか。個人経営って点が気に入ってんのか、時々俺には理解できないようなレベルの気難しい客が来るからな。
「最近の技術も馬鹿にできないけどねぇ、仕事は楽になったし」
「そうそう、そういうのが増えてくと若者としても嬉しいっす」
爺さんがこの店を開いた時に購入したらしい個人経営向けのレジ。2週間分の売却履歴が見れるんだけど、今まで手書きでリスト化していたらしい。だがしかし! 俺が暇つぶしにポチポチしてたら、その履歴をUSBメモリに出力できることに気付いたのだ! 表計算ソフトに移せたよ! やったね!
それをきっかけに奥さんがパソコン教室通い出したからもう大丈夫だと思う。
「夏休みが終わる頃には奥さんも基礎は極めてるでしょうし、俺が抜けた後ってバイトどうするんすか?」
「雇う。佐城君のような子でも、若者が居ると店の見栄えも変わるからなぁ」
うんうん───ん? 思わず頷いたけど今ちょっとトゲ無かった? 何か引っ掛かりを覚えたぞ?
「実はなぁ、もう募集かけてんだ」
「ああ、そういえば入り口に貼り紙が」
「そうだ。早めに出したし、せめて夏が終わる一週間前までには来て欲しいなぁ」
「何とも言えませんなぁ」
「何だその話し方は。若者らしくない」
呆れた様子の爺さんに背中の真ん中を叩かれた。結構しっかり叩いたな爺さん。よく見たら筋張った腕してんだよな……俺より筋肉あるんじゃねぇの?てか外で見かける爺さん達って割と腕の筋肉凄いよな。若い時代の日々の薫陶がうかがえるわ。
「じゃ、残りも宜しく頼むよ」
「あいあいさ」
「ふっ、あの時を思い出す返事よ」
変わらないトーンで店の奥に引っ込んで行く爺さん。あの時っていつよ?流石に生まれたの戦後だろうに。歳とか訊いてないけど、まさかあんだけ喋れて80超えてたりしないよな……?
爺さん長生きしてくれい。
気を取り直して仕事に取り掛かる。爺さんが置いて行った紙袋には商品登録の終わった古本が入っている。それを棚に並べて、後は上がりの時間までレジ番するだけだ。
「今日はちょっと多いな」
最近まとめ売りした客がきたのか、20冊近い小説が入っていた。それも見た目は新品に近いうえに、帯まで付いたままの始末。最近の小説みたいだけど、元の持ち主はちゃんと読んだのかね……?まぁいっか。
「『河島嶺二』、『小田島せいじ』……ここか」
五十音順を逆行するように棚の隙間を埋めていく。順番を間違えると割と小煩い説教が飛んで来るから用心深く作業しなければならない。店は狭いから客が来たらすぐ分かるし、一人で無心に作業すんのってやっぱ良いなぁ。
「───あ、あの……」
「ん……? あ、はい何でしょ?」
しゃがんでいると蚊の鳴くような声が聞こえた。そういや何か影が差したなと思って右を見ると、黒いワンピースの小柄な女の子が俯いた状態で少し離れたところに立っていた。内気なんだなって一瞬で理解できた。
あと声が可愛い。これ重要。
「……あの……表の───え?」
「はい……ん?」
んん……?あれ、この子どっかで見たような……。気のせい?紙か画面の向こう側に居るあの子に似てただけ?やべぇじゃん重症じゃね?目ぇ覚ませよ俺。異次元に彼女作ったところで触れてもザラリかツルリとしかしねぇぞ。
…………あっ。分かったわ。
「………はい、何かご用でしょうか?」
「ぇ………」
顔の半分が髪の毛にすっぽりと収まったミニマムな感じを見て気付いた。どっかで見たと思ったら、学校で隣の席の一ノ瀬さんだった。
この子たぶん俺のこと嫌いなんだよな……騒がしい奴とか思ってるわきっと。後ろの席の芦田がちょっかいかけて来て俺も騒いでたりすると隣で本読んでる一ノ瀬さんの方から視線感じるんだわ。口元への字だったし、絶対迷惑がってるんだよ。
それはそれとして、このタイミングで初対面のフリをできた自分に拍手を送りたい。こういう系の女子って多分騒がしいのとかマジで無理だろうし、このタイミングで『あっれー? 一ノ瀬さんじゃんマジレアキャラ〜』なんて言おうもんなら無言で逃げられるだろ絶対。
どんな大人しい奴でも相手が店員なら多少は強くなれるだろうし、ここは俺が店員としての役割を全うするのが吉だろ。目醒めよ……! 我が内に潜むクレバリークラーケン!
イカじゃねぇか。




