自分改革
続きます。
夏はこれから。だと言うのにご年配の方々は聴き馴染んだ音を鳴らしてフライング気味のラジオ体操を行っている。終えたと思えばこれまた懐かしい合唱が嗄れた声で聴こえて来た。
今が希望に満ち溢れた朝かどうかはともかく、平日に家を出るには新鮮な朝だった。前までは夏川に合わせて今より20分も早く出ていたからだ。この時間帯はたったそれだけの時間で日の高さが大きく変わる。そして昨日までと違い、出勤や通学に勤しむ人々の群れに突っ込んで俺は大衆の一部と化すのだ。俺も仲間に入れてください。
さて、昨日の夜は大変だった。夏川が出て行った後、当然な話だけど鬼気迫る顔でお袋と姉貴から追及された。あの子とはどんな関係なのか、いったいどんな手を使ったのか、どんな話をしていたのか。
そして最後に可愛い女の子を前に他の女子を求めた事を非難されたが、「俺があんな可愛い子とどうこうなれると思うか」と訊き返したところ、二人はそれきり口を噤んでしまった。そこは言い返してくださって構いませんのよ?
一晩明ければとても清々しいものである。
夏川と付き合うために分不相応な努力をして来た。勿論、文武両道な彼女の横に並ぶためだ。そのおかげか勉強にも目覚めたし適度の運動も習慣となった。
しかしどうしても夏川愛華には届かない。彼女の横に並ぶため、もっともっと苦しい思いをしてでもと思っていたが、今では全くその必要性を感じない。物事の基準を俺自身のポテンシャルに合わせてみるとあら意外、やる事なす事全てに大した期待をする必要が無くなった。
「……恐ろしいもんだな」
“現実”。それは真正面から俺に迫り、目に見えていた夢景色はガラスが砕け散るかのように崩れ落ちた。
吹っ切れた今だからこそわかる、自分の中の何かが冷めた理由。行く手を遮ったサッカーボールは俺に強いストレスを与え、彼女を追い掛け続ける意欲を大きく削った。それは残酷なまでに俺を冷静にさせ、あの一瞬の間に自身の置かれた環境を客観視させたのではなかろうか。
あの時はまだ何が起こったのか分からなかった。だが、後にトイレの鏡に映った猫背気味の自分を見て思い知らされる。お前は何様のつもりなのだと。あれは最高の自己分析だった。将来的に就活にでも役立たせてもらうとしよう。
◆
「………ふぅ」
学校が始まる予鈴が鳴り響く。今日は教室近くに居るから余裕で間に合う。昨日のような下手は打たぬ。
さて、いつもよりゆっくり家を出たからと言ってこんなにもギリギリな時間に到着するわけではない。本当なら普通に教室に到着して周囲の友人とでも駄弁っていた事だろう。
だがちょっと考えた。俺の隣の席、夏川愛華。
「や、無理っしょ」
気まずさ120%、仮にしれっと席に着いたとしてもこれはハゲるタイプのストレス。自信を持ってフツメン宣言をした俺だがハートもフツメンだった。昨日やらかした小市民がお姫様の隣で堂々と居られるとお思いですか貴様。
廊下の果てから担任教師の姿が見えた瞬間を見計らって教室内にダイブ。ミッションコンプリートだ、大半の生徒が騒ついているおかげで俺は男子生徒Zあたりに扮する事が出来た。Zって一周回って主要人物じゃね……。
「ねぇ」
「……お、おはようさん」
席に着いて直ぐ、まさかの夏川に話し掛けられた。一気に昨夜の事を色々と思い出すが俺は別に彼女と一切の関わりを断ちたいわけじゃない、寧ろクラスメイトや友人として親しく出来るのなら御の字だ。そして俺は貴女の一番のファンです。
一瞬間が空いてしまったが、どもりながらも何とか目を合わせて返事をする事が出来た。
「アンタ、何で今日は遅れ───」
夏川が何かを話し掛けたところで担任教師が入室。大槻めぐみ先生───通称大槻ちゃんは思い出したように立ち止まると、いの一番に此方を捉えてニッコリと笑みを向けて来た。俺はあれを決して好意的な笑みとは思わないぞ、絶対にだ……!
「おはようみんな。今日は全員揃ってるみたいね、遅刻も無く」
「何言ってんだ大槻ちゃん、まだ佐城の奴が───って居る!?何でお前居んの!?」
「俺はいつだって夏川愛華の後ろに居るぞ」
「うっそだろお前………」
大槻ちゃんの含蓄ある言葉に始まり山崎によって俺の存在が認知された。大声でとぼけたら全員がマジかコイツ……って顔でこちらを見て来たんだけど……これが日頃の行いというものですか。夏川が信じられないようなものを見る目で俺を見ている。まさかこの子も信じてないよね……。
「佐城くん。後で職員室まで来てくれるかしら?」
「………」
失敗に気付いた時にはもう遅い。よく考えたら中2の時から早2年半、ずっと夏川を追いかけ続けていた事を知っているクラスメイトも居る中で冗談が通じるわけがなかった。
◆
大槻めぐみ。この学年が入学するのと同じタイミングで赴任して来た美人教師である。とは言えお淑やかな性格かと言われればそうでもなく、何というか普通に怒る時は怒るし、笑う時は笑う、生徒と非常に近しい関係を築いている。
さて、自分は平凡な奴だと現実に目を向けた俺だがクラスでは中々の中心的存在(盛り上げ役)だったとは思う。とは言えそれは夏川愛華の追っかけという名の一発芸によって成り立っていたものであり、なろうと思ってなったわけではない。たぶんもう無理ですはい。
フェードアウトだ。
先ずはこの大槻ちゃんから始める。先生は春先からの付き合いだがクラスメイトと比べて学校でずっと一緒に過ごすわけではない。この初の呼び出しを機に俺の夏川に対するあの態度は本気というわけではないのだとアピールするのだ。そこからターゲットをクラス内に向けて行き、行く行くは俺の学生生活を柵の無い穏やかなものに変えて行く。
その為なら先生のバインダーエッジ(攻撃)だって甘んじて受け───え、大槻ちゃんいや先生?その手に持ってるバインダーいつもと違くないですか?何か金属質っぽく見え───あちょっ。
「……あんなの冗談に決まってるじゃないですか」
「貴方が言うと冗談に聴こえないのよ、佐城くん」
「はぁ、そうですか」
自分を見つめ直す機会ができたとは言えあくまで自分の事だ、客観的に把握し切れていない。クラスの雰囲気や先生の話を聞く限りだと俺はだいぶハジけた人間だと思われていたようだ。
色々と考えながら返事をしていると、先生が驚いた顔でこっちを見ていた。
「意外……淡白にはなれない子かと思ってたわ。貴方にも平常な状態があったのね」
「まぁ、此処には先生方しか居ませんからね」
「………」
教室ではそれぞれの生徒に立ち位置というものが存在する。それは生徒の誰もが決して口に出さずとも理解している事であり、そこに教師が介入する事はほとんどない。
ほとんどない……けど、ほとんどの教師がそのヒエラルキーの存在には気付いてるはずだ。
「先生の前では取り繕わないの?」
「まぁ、あまり意味はありませんし……」
「そうなの……」
現実、別に教師につまらない一面を見られたところでデメリットは無い。変に媚びを売って必要以上に親しみを持たれる方が面倒事が増えるだろう。ベストは面倒な生徒だと思われ多少嫌われる事。授業ですら指名されなくなる。
寧ろ興味を持たれないように素っ気なく取り繕ったのだが、先生の落ち込んだような顔が妙に頭に残った。
自分が教師で生徒からこんな事言われたら何か嫌っすね。