純なる誘惑
続きます。
女子の家に上がり込む。それは高校生男子にとって夢のような出来事であり、滅多にある様な事じゃない。でもそれは今現実に起こっている事で、俺はここがヘヴンなのではないかと錯覚し始めていた。
そうポヤポヤとハピネスに包まれていたのだが、どうやら俺は子供と遊ぶ事の恐ろしさを全く理解していなかったのだ。
「──すすめー! さじょー!」
「ゼェ……ゼェ………」
「おうま!おそい!」
「へ、ヘェ……」
息が持たず返事もままならない。それにも関わらず、四つん這いの俺の背中の上では五歳の女の子が元気に腕を突き上げ、さらに俺の背中をペシペシと叩いていた。子供部屋とやらはそんなに広くない。しかしそこを大人並みの体格が膝を付いてハイハイ走行で周回するにはあまりにも広く感じた。
「ちょ、大丈夫……?」
「だ、だいじょぶ……」
「そんな無理しなくても……」
「へ、ヘェ……」
最初は懐かれたら良いな、くらいに考えてた。だから夏川と雑談しつつも少しでも甘えられるような事を言われたらできるだけ全力で応えたし、飽きられたら飽きられたでそっとしておいたりしてたんだけど……。
『さじょー!!』
『ん?おお走ったら危なぐぉっほッ……』
子供は気分屋だった。何かの拍子にコロッと興味を変えて突然飛び込んで来る。最初に受け止めた時から「おっほ力強ぇな」なんて楽観的に考えてたけど、そのおかげで飛び込んで大丈夫な奴と判断されてしまったようだ。
「ギ、ギブ……」
「きゃははは」
おうまさん、床に伸びる。背中の妹御はリフト下降するような動きが面白かったのか、跨ったままただキャッキャと笑っている。子供の体力は無尽蔵って言うけど寧ろ体力使ってたのほぼ俺だったよね……。
「あの……いっつもこんなにハードな遊びやってるのでしょうか……?」
「いや、いつもはおままごととか……」
「あのちょっと愛莉さん?」
「なぁにぃ?」
「なぁんでぇ?」
「きもぉい」
「夏川さん」
「わ、私が教えたんじゃないわよ!」
生まれて初めて幼い女の子にキモいって言われた。威力がその辺の女子と段違いなんですけど……なにこの凄いショック。ピュアっピュアな子に言われるとこんなにキツいの?こんなめげそうになったの初めて……。
「つかれたー」
「疲れたのは俺だっつーの」
「やだー!」
「何がやねん」
「なにがやねんー!」
くっ……楽しそうにしやがって。ちょっ、髪引っ張らないで。膝立ちは痛いからイタタタタ、あっ、そこぉ……。
「ちょ、アンタいくら何でもそれは……!」
「今ちょっとそれどころじゃないです……」
「ああもうっ……」
ダウンしてうつ伏せ状態になった俺の上でたぶん愛莉ちゃんも真似をしてるんだろう。背中の上でベタッと張り付いてる感触がある。端から見ていて流石にアウトな密着度だったのかもしれない。夏川が焦り顔で何かを言ってきたけど正直俺それどころじゃないんすわ……解るかな? この運動不足の時に急に運動した時の気持ち悪さ。
背中が軽くなる。夏川が愛莉ちゃんを回収したらしい。まさか女子の家の床にこんな寝そべる事になるとは思わなかった。
「まったくっ」
「ああぅ」
ひょいと持ち上げられ、夏川に抱っこされた妹御。先程までのはしゃぎ様とは一転、大人しくなってきょとんとした顔でこっちを見てきた。さてはこやつ、何も悪いと思ってないな……?
息を整え、うつ伏せのまま横を見てそんな姉妹の様子を眺める。
「……」
「な、何よ」
「……いや、そんな顔をする夏川が新鮮なんだわ」
「っ……み、見るな」
家庭的な面でいうと、夏川家のことからはずっと遠ざけられて来たからな、もうこっちから考える事も無かった。そのせいかやっぱり夏川は一人っ子の印象が強い。だからこそ、夏川の姉の顔に感動するっつーか……いつもとは別の興奮を覚えるというか(狂)
「──満足できた?」
「え?」
「モヤモヤしてたんだろ? 何か気持ち悪い感じに」
「あ……」
結局、夏川自身の口からは本音を聞くことはできなかったけど、それはたぶん芦田の推理めいた言葉が夏川的に的を射ていたからだろう。それでも、夏川の心が晴れるならそれで良いんだけど……。
「……ま、まだよ」
「えぇ……」
まだだった。結構体力使ったつもりなんだけどな……俺と愛莉ちゃんを引き合わせただけじゃ気は晴れなかったってこと? 強烈に記憶に残ったとは思うんだけど。
「───ま、まだ、訊きたい事とか訊けてないし……」
「……え?訊きたい事?」
え、そんなのもあんの? 愛莉ちゃんが俺を覚えたらそれで良いんじゃないの? それだけじゃなかったのか。
「例えばどんな?」
「……」
愛莉ちゃんを後ろから抱き締めたまま考える夏川。抱き締められた愛莉ちゃんはこてんと頭を傾げながら「まだ離さないの?」と言いたげな顔で姉を見上げている。元気だな、疲れたって言ってたわりにキミあんまり体力使ってないもんな。
少しすると、夏川は考えが纏まったのか思い切った顔で質問をぶつけて来た。
「──ひ、昼! いつも昼になったらどこ行ってんの!?」
「ええ……? えっと、中庭のベンチで飯食ってたり、席が空いてるようなら食堂で食べたり」
「だ、誰と!」
「ぐすん……一人で」
泣き真似して答えると夏川は小声で「そうなんだ……」と呟いた。芦田から聞いて無かったのかな……会話の中のどっかで普通に言ってたと思うんだけど。
疑問に思っていると、夏川は「まだあるぞオラ覚悟しとけよ」的な目を向けて来た。よっしゃどんと来いや。
「な、何で一人で食べるの。みんなで食べれば良いじゃない」
「あ?……あぁそういえば」
デリケートな質問に聞こえるけど別に悲しい理由は無い。何で一人で食い始めたんだっけか……別に友達が居ないからとかじゃないんだよ。確か最初は……夏川から離れて、考え事ばかりで一人で居たかったからだ。自分を見つめ直すための延長線でそうなった。今も一人で食べてる。もともと夏川と(無理やり)一緒に過ごしてたからなぁ。今さら誰かと一緒にってのは無理があるかもしれない。
「あれだよ、藍沢が元カレの方に戻ったやら何やらで気が付いたらって感じ。あ、でも今日は風紀委員の人達と食べたかな。四ノ宮先輩に稲富先輩に………あれ、あの人名前何だったっけ……」
「え……? し、四ノ宮先輩?アンタが?」
「え? うん」
めっちゃ驚いたと言わんばかりの顔。や、でも夏川は俺が直接呼び出しを受けた場面に居合わせていたような……。何かおかしいとこでもあったかな……も、もしかして「アンタみたいなフツメンが関わるような人間じゃないのよ」とか思ってた!?
「な、何で?どんな関係?」
「え? 偶然食堂で出くわして──どんな関係? 俺とあの人、あーっと……普通に先輩後輩の仲だと思うけど。姉貴の友人だったりもする」
「そ、そうなんだ……」
「おう……」
「……」
「……」
え、えっと? 何だこの気まずい感じの雰囲気は。何で黙っちゃうんですか夏川さん!質問! 次の質問ちょうだい! こんな沈黙耐えられるメンタル持ってないんすわ!
どうしようと考えてると、夏川が何かもの言いたげに顔を上げた。口を動かす瞬間を狙って耳を澄ます。
「わ、私たちは……?」
「え……?」
「前みたいに……みんなで食べないの?」
「それは、だから……あ、いや」
前にも俺の家で言ったと思うけど───そう続けようとしたけどやめた。あの時の俺の宣言……あれはもっと恋愛的な意味の言葉だった。たぶん、夏川が訊きたいのはそういう事じゃないんだと思う。
男女とかじゃない、友達と言うのも少し違う。俺たちは──グループだ。芦田も含めて、夏川はきっと「自分達はいつも集まって仲良く話すグループではなかったのか」と、そう言いたいのだ。
俺もせめてそう在れたらと思う。夏川のように明らかに高嶺の花のような子と同じグループに居るなんて嬉しいし、芦田みたいにぐいぐい話し掛けてくる女子が側に居るのも悪い気分じゃない。男女とかそういうものを抜きに考えるのは男からしたらつらいものではあるかもしれないけど、それでも間違いなく楽しい学校生活を送れるだろう。少なくとも、色々終わって見切りを付けた俺なら期待もないから気兼ね無く付き合える、と思う。恐らく、たぶん、きっと。たぶん無理。
俺が距離を置くことで変わる何かがある。実際、〝佐城渉〟という騒がしい存在を無くした夏川は新しい友達ができた。俺が側に居ると遠ざかる誰かが居る。俺が居ることで、夏川に相応しい青春が遠ざかってしまう可能性だってある。
その意味じゃ、死ぬほど複雑だけど佐々木の恋を全力で応援するのもアリなのかもしれない。イケメンだしなアイツ。
まぁ、嫌なんだけどな。




